【昭和史大論争】(07) なぜ海軍は日米戦争を止められなかったのか

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対米開戦の政治過程を眺めた時、「海軍は何故戦争を止められなかったのか?」という疑問は、多くの人が抱くものである。その問いかけは、“暴走”する陸軍に比べて、“合理的”でありながらも非政治的であるが故に戦争を止められなかった海軍という、陸海軍間のイメージのコントラストを前提としている場合が多い。また、日米開戦に至ったのは、第1次日独伊三国同盟交渉(防共協定強化交渉)に反対した海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美といった親英米路線で“良識派”の面々が、海軍省の中枢を離れた結果として解釈されがちである。だが、海軍は本当に陸軍を止めようとしていたのであろうか。また、海軍は本当に親英米や親独といった、どこの国と協調するのかという点を行動原理にしていたのであろうか。更には、「“合理的”な海軍はアメリカと日本との戦力差をよく知っており、日米開戦を避けたかった」と言われるが、その実態はどうであったのだろうか。それらを史料に基づいて確認しながら、「何故、海軍は日米戦争を止められなかったのか?」について見ていきたい。

1938年から1939年にかけて、ドイツ・イタリアとの間でソ連を対象とした軍事同盟を結び、更にはそれを発展させてイギリスやアメリカをも対象とするかどうかという、所謂“第1次三国同盟交渉”が持ち上がった際、米内大臣はイギリスを対象とした軍事同盟化に反対していたとされることが多い。だが、米内首脳部の下で、三国同盟が結べなかった場合に備えて、イギリスを牽制するた為のイタリアとの個別協定交渉も進められていた(ヴァルド・フェレッティ著、翻訳は小林勝『海軍を通じてみた日伊関係 1935-1940』)。海軍にとって重要であったのは、どこの国と協調をするのかということよりも、日中戦争を早期に解決する為に、イギリスやアメリカが東アジア情勢に介入することを牽制することであった。また、実は米内には官僚的な面が多分にあった。特に組織間の業務分担には非常に敏感であり、主管大臣を尊重する傾向が強かった。その為、当時の宇垣一成大臣を始めとした外務省が、イギリスを対象とした三国同盟を推し進める方針を取っていた間は、米内もそれに従い、強く反対はしていない。反対を強く表すのは、1938年10月末に宇垣から有田八郎に大臣が交代し、有田がイギリスを対象とした軍事同盟に反対して以降のことで、主管大臣に追随する姿勢には変わりがなかった。「米内がドイツとの軍事同盟に反対した」というイメージは、有田への追随以降の米内の言動が、それ以前に遡及されて形成されたものである(詳しくは拙著『海軍将校たちの太平洋戦争』・吉川弘文館)。では、1940年の第2次同盟交渉では何が変わったのか。海軍にとって重要であったのは、主任務である対米戦を、できるだけ有利に遂行する為の環境作りであった。その海軍の志向は変化していない。ただ変わったのは、大臣の松岡洋右が三国同盟を推進の立場を取ったことである。ヨーロッパでのドイツの快進撃に依り、国際情勢も大きく変わった。政治的空白地帯と化した東南アジアを獲得し、石油や天然ゴムといった戦略物資を確保して対米戦争が有利になるのであれば、対独提携も海軍は辞さないのであった。「海軍は何故、戦争を止められなかったのか?」という問いは、米内を含めた当の海軍将校たちにとっては的外れな質問に感じられるであろう。抑々、海軍は戦争を止める為の組織ではなく、戦争を準備し、遂行する為の組織なのである。三国同盟に反対したとして高く評価される米内であっても、恐らく1940年に海軍大臣を務めていれば、同盟に同意したであろう。




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もう1つ、海軍が戦争を止められなかった大きな理由として挙げられるのが、陸軍への対抗意識である。海軍が陸軍に猛烈な対抗意識を抱いていたことは事実である。海軍将校に依って書かれた手記や回想録には、陸軍の横暴さや性急さ、そこから生じる危険性を書き連ねたものが多く、海軍は陸軍のことを“非合理的な集団”と見做していた。しかし、そのように陸軍を非合理的な存在として見ていたが為に、逆に海軍は陸軍に引きずられ易くなってしまっていた。前述した第1次三国同盟交渉において、陸海軍の中堅層は一致して行動していたが、その理由を当時、海軍省臨時調査課長であった高木惣吉は、「陸軍の独断専行を或程度まで阻止するために、一緒に行くやうな顔をして、一方に引きずつて勝手な真似をさせまいといふ意図から出た」と述べている(原田熊雄述『西園寺公と政局』)。海軍ができたのは、陸軍が推進する政策を止めることではなく、飽く迄もその案に修正を加えることだけであった。だが、それでは陸軍の進める政策の方向性までは変えることができず、海軍は多くの場合、陸軍の案を“合理的”に修正しているつもりでありながら、その内実は陸軍に追随しているだけであった。扨て、海軍の陸軍への強い対抗意識は、自分たちを“合理的”と認識していながらも、結局は陸軍を止めることができないことに対する苛立ちと諦めを、どこかに含んでいるように思われる。時期に依って違いはあるが、海軍将校の数は陸軍将校の5分の1程度であり、陸海軍の間では政治力に雲泥の差があった。その為、海軍は「軍人は政治に関わらず」というモラルを陸軍よりも強く抱き、自己のアイデンティティーとすることで、陸軍に対する自分たちの誇りを維持していたのであった。だが、この意識が海軍の政治姿勢をより消極的なものとしてしまうことになる。「軍人は政治に関わらず」といった政治と軍事の棲み分け意識を強く持つということは、自らが管掌する軍事の領域――特に海軍が管掌することになるアメリカとの戦争については、海軍が強い執行責任観念を持つことにも繋がる。

多くの海軍将校たちは、日本とアメリカの国力の違いについて熟知しており、アメリカとの戦争が非常に困難なものであることを理解していた。だが、勝てる見込みが少ないからといって、一度の戦闘も経ずに、政治家に降伏を進言する軍人等はいない。海軍には毎年、莫大な国家予算が注ぎ込まれており、困難な戦争を少しでも有利に進めることができるよう、作戦計画を練り、訓練を実施していた。海軍にとって、開戦の決定は軍人が行う領域ではなく、政治家の管掌範囲であると考えられ、そうであるが故に、自分たち以外のどこかが開戦を決定すれば、海軍はそれを粛々と実行する方向に進んでいくことになるのであった。扨て、海軍が主観的には政治と軍事の領域を明確に区別していたとしても、政治と軍事とは本来境界の非常に曖昧な隣接する分野であり、海軍が開戦の決定といった事項を政治の領域に属するものと考えたとしても、周囲がそれを「軍事の領域に属するものだ」と認識すれば、政治過程は停滞し、大きな混乱が生じることになる。そうした管掌範囲認識に依って、海軍は戦争を止めなかっただけでなく、開戦決定に重要な役割を担うのであった。連合艦隊司合長官の山本五十六が、『日独伊三国同盟』の締結後に首相の近衛文麿へ、「それは是非やれといはれれば初め半歳か一年の間は随分暴れて御覧に入れる。然ながら二年三年となれば全く確信は持てぬ」と述べたことは有名である(近衛文麿の手記『平和への努力』)。また、軍令部総長の永野は1941年夏の時点で、海軍の任務を「国防方針ニ基ク西太平洋ニ於ル国防ノ安固ヲ維持」することであると述べている(『澤本頼雄海軍大将業務メモ』・1941年8月26日条)。これらの海軍将校たちの発言は、単なる責任回避の為のものとして考えられがちであるが、実際のところは、海軍独自の管掌範囲認識に基づいたものであると考えられる。海軍は、開戦から1年程度の極短期間の軍事作戦のみを自分たちが単独で判断することのできる事柄と考えており、それ以降の作戦については、国力の問題が関わってくるので、海軍単独では判断ができないと考えていたのであった。その一方で、陸軍はアメリカとの戦争の主役となるであろう海軍が、それ故に責任を持って開戦を決定するよう求めていた。陸軍省軍務局長の武藤章は、「海軍ガ戦ガ出来ナイト云へバ共レデ済ムノダ」と述べている(防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 大本営海軍部大東亜戦争開戦経緯(二)』)。

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また、陸軍出身で企画院総裁の鈴木貞一は、「海軍ガ戦争出来ナイトナラバ陸軍ハ止メル又海軍ガ外交デ行クト総理ガ言へバ共レニテ可ナリト云ツテモ陸軍ハソレデ納得イクト云ツテ居ルトノ事ナリ」と述べていた(同)。つまり、海軍が戦争回避の方針を明確にし、それを受けて首相である近衛が外交交渉の継続にイニシアティブを取れば、陸軍もそれに従うとしたのである。ところが、近衛は陸海軍間の「完全ニ成算アリトノ意見一致」(伊藤隆編『高木惣吉日記と情報』)――つまり、陸海軍揃っての戦勝予測を求めていた。海軍は「自分たちだけでは戦争を決定できない」と言い、陸軍は「海軍が責任を回避している」ものとして非難し、近衛は開戦の決定を軍部の領域と考えていた。其々に、責任を回避しようとする意図が全く無かった訳ではないであろうが、海軍と近衛の間には、開戦の決定をする為の情報が決定的に欠けていたことも事実である。海軍には国力の情報を、近衛には軍事の情報を得る手段が無いのである。一見、明確に定められていながらも、その実は曖昧な領域を含んでいる管掌範囲が、問題の解決を難しくしていたのであった。1941年9月6日の御前会議で決定された『帝国国策遂行要領』の第3項には、「十月上旬頃ニ至ルモ尚我要求ヲ貫徹シ得ル目途ナキ場合ニ於テハ直チニ対米(英蘭)開戦ヲ決意ス」と記されていたが、“10月上旬頃”とは言えなくなる10月15日になっても近衛は開戦を決定すること等できず、第3次近衛内閣は閣内不一致で総辞職した。この第3次近衛内閣での対米交渉を巡る議論の中では、「アメリカとの戦争に勝利できるかどうか?」という見通しが、複数の政治主体の間で議論される場面は不思議なほどに少なかった。若し、戦争に消極的な発言をしたことで、戦争のできない海軍に対して予算や物資の割り当てが減らされるといったことが起これば、アメリカとの戦争はより困難なものとなってしまう為、海軍は戦争への備えを自ら妨げる悲観的な見通しを述べることはできなかった。同様に、他の政治主体も、自分たちの主張を理由として戦争が回避されることを恐れていた。その代わりに主に話し合われていたことは、「誰が国力の総合判断を行い、アメリカとの戦争を決定するのか?」ということであった。そうした議論の中で、「アメリカとの戦争が可能かどうか」という問題は、トピックとしての重要度を下げていた。そのことは、大きな危険を孕んでいた。海軍は自ら開戦を決定することはできないが、戦争の遂行を求められれば、それを拒否することもできない。若し、海軍だけに責任を負わせずに、開戦へと至る雰囲気が形成されれば、戦争は現実のものとなってしまうのである。そして、それが次の東条英機内閣で起こることとなった。

第3次近衛文暦内閣で陸軍大臣を務めていた東条英機は屡々、強硬論を主張していた。だが、内大臣の木戸幸一は、その東条を責任ある地位に就けることで、東条が自重することを期待した。実際、天皇への忠誠心の厚い東条は、「九月六日の御前会議決定にとらはるゝ処なく、内外の情勢を更に広く深く検討し、慎重なる考究を加ふることを要す」という天皇の意向が伝えられると(木戸幸一著、木戸日記研究合校訂『木戸幸一日記』)、大本営政府連絡会議を連日開催し、国策の再検討を行った。そこでの国策再検討は極めて形式的なものであり、船舶の損耗予想等の戦争遂行を左右する重要事項のデータが、楽観的且つ杜撰なものであったことはよく知られている。だが、そうしたデータであってもデータはデータであり、その会議で形成される「開戦可能、開戦止むなし」という雰囲気は、海軍作戦のような局部的な観点からの判断ではなく、政府と統帥部が責任を持って決定した“国家の総意”とも言えるものである。海軍が開戦を拒否する理由は無かった。アメリカとの戦争を是が非でもしたいと強く願う政治主体がいないにも拘らず、楽観的なデータが少しずつ積み重ねられることで、誰も明確な責任を負わない内に開戦は決定されたのであった。東条内閣での海軍大臣就任当初は「対米交渉ハ徹底的ニ行フヲ要ス」と主張していた嶋田繁太郎は(前掲『戦史叢書 大本営海軍部大東亜戦争開戦経緯(二)』)、連絡会議の終盤には開戦に消極的な外務大臣の東郷茂徳を説得すると共に、部下にも「自分ハ今ノ大キナ波ハ到底曲ゲラレナイ」と述べ(同)、「次官、軍務局長ニ連絡会議ニ於ル決論ニ就キ話シ研究セシム」と(『嶋田繁太郎大将開戦日記(昭和16年)・1941年10月30日条)、連絡会議の決定であるからという理由で開戦を納得させたのであった。海軍はその後、開戦に必要な資材を要求し、開戦時期の秘匿を主張する等、開戦を議論する段階から、戦争を執行する段階へと入っていった。海軍は軍事組織であると同時に、軍事官僚組織であり、結局、海軍にアメリカとの戦争を決意させたのは、管掌範囲――つまりは権限という極めて官僚的な要素に起因するものであった。効率よく業務を処理する筈の官僚制の弊害が噴出したが為の戦争が、アジア・太平洋戦争であったのだとも言える。海軍の官僚的な行動を非難することは容易であるし、その責任も追及される必要があろう。だが、官僚制が今後も無くならないであろう以上、権限を巡る官僚的な思考が消滅することもまた無い訳であり、海軍と同様の行動を現代の我々も繰り返してしまう恐れは多分にある。対米開戦の政治過程における海軍の行動は、我々と隔絶した愚者たちの暴走等ではなく、我々が自らの問題として受け止めるべき、貴重な歴史の教訓を含んでいる。


手嶋泰伸(てじま・やすのぶ) 福井工業高等専門学校助教。1983年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程後記修了。東北学院大学非常勤講師を経て現職。著書に『日本海軍と政治』(講談社現代新書)・『海軍将校たちの太平洋戦争』(吉川弘文館)等。


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