【震災5年・あの時】(05) バス・車、大熊一斉避難

20160312 14

福島県大熊町役場の駐車場で爆発音を耳にした町企画調整課長(当時)の秋本圭吾さん(63)は、反射的に東の空を見た。白に少し茶色が交じったような煙が丘の向こうに浮かんでいた。2011年3月12日午後3時36分。約5km先にある東京電力福島第1原発1号機の建屋で水素爆発が起きた。その日の未明に政府から避難指示が出され大型バス等を使って1万人を超す町民の避難を進めた。車で逃げる人も多くいた。最後まで残った職員ら約10人と、町役場から撤収しようと外に出た直後の爆発だった。ただ、不思議と恐怖感は無かった。「煙の色からすると、コンクリート構造物の爆発かな。原子炉は大丈夫だろう」。そんなことを考えた。秋本さんも、原発の安全神話にしがみ付いた1人だった。数日したら戻るつもりで町を出てから、間もなく5年が経つ。

①11日 緊急停止
福島第1原発は地震後、緊急停止した。核燃料の反応を抑える制御棒が挿入されたことを意味する。その時点で警戒を解いた関係者は多い。震度6強の地震被害の把握と津波の警戒に追われる福島県大熊町の町役場で、原子炉の状態に気を揉む職員がいた。東電との窓口になっていた企画調整課長(当時)の秋本圭吾さん(63)だ。第1原発とのホットラインが通じなかった。第1原発から12km南の第2原発と連絡を取り合って漸く、「第1も緊急停止した」との回答が得られた。「止まりさえすれば大丈夫」。秋本さんは渡辺利綱町長(68)に報告し、大きな懸念が消えた気になった。海岸から約800m離れた熊川公民館まで津波が到達したという連絡が入るのは間もなく。役場に緊張が走った。町は、海岸から3km前後を南北に走る国道6号の東側住民に対し、役場に比較的近い町総合スポーツセンターへ避難するよう、防災無線で呼びかけた。センターには約2000人が殺到し、700台以上の車で駐車場とグラウンドは埋まった。肝心の体育館は、天井の落下した為に使えず、車内で過ごす住民もいた。町は、近くの大熊中学校も避難所にした。第1原発は深刻な事態に陥っていた。津波の影響で、原子炉を冷却する為の電源を失ったのだ。政府は原子力緊急事態を宣言しつつ、枝野官房長官(当時)は記者会見で「原子炉に問題がある訳ではない」と冷静な対応を求めた。「3km圏に避難指示を出す方向で国と調整しています」。東電から差し向けられた連絡役の社員が町役場に来たのは、その日の午後8時頃。スポーツセンターと第1原発は約3.5km離れている。町総務課長(当時)の鈴木久友さん(63)は、「国道6号より東側は避難させている。然程混乱しないで済みそうだ」と思った。秋本さんは国から電話を受けた。「バスを60台送ります。(隣の)双葉町と分けて使って下さい」。避難は粗完了している。「今更必要ないのに」。秋本さんは、「不要なら直ぐ返します」と答えた。




②12日未明 バス到着
政府が手配したバスは、12日未明から続々と町に到着し、薄明かりが差す頃には、町役場前の県道に20台がずらりと並んだ。近くで喫茶店を経営する武内一司さん(62)はエンジン音で目が覚め、外に出て驚いた。運転手に理由を聞いたが、「私たちも『行け』としか言われていない…」と困った顔をされた。沿岸部の住民が避難する町総合スポーツセンターにいた職員からその頃、町役場にこんな報告が入っていた。「パトカーが避難するよう呼びかけています」。役場内は騒然となった。「何だそれ」「嘘だろ」。その後、首相官邸の細野豪志首相補佐官(当時)から渡辺町長に電話が入った。「10km圏の避難指示が出た」。格納容器の圧力を下げるベント作業の準備が始まっていた。避難対象は町民約1万1000人の大半。町の彼方此方に防護服を着た警察官が現れた。渡辺町長は緊張を感じたものの、「数日のことだろう」と考えていた。避難先は西隣の田村市等。市は、その日の朝には受け入れ態勢を取っていた。町産業課長(当時)の岡田範常さん(63)は、公用車でバスを先導した。バスの後に住民のマイカーが続いた。交差点で田村市の消防団員に誘導され、体育館に入った。もう1つの避難場所である大熊中学校では混乱が起きていた。町北部の行政区長を務める尾内武さん(67)は、町職員から指示を受け、「バスが来るから待って」と住民に声をかけていた。ところが、警察官は「早く避難しなさい。バスでの避難なんて聞いていない」と言う。車で逃げる人が続出した。

③12日午前 田村市へ
避難の長期化など、誰も想定していない。貴重品や健康保険証等は自宅に置いたまま。お年寄りや子供らを優先してバスに乗せた為、家族がバラバラに――。そんな事態も起きた。各行政区には、地域の集会所等でバスを待つよう町から指示が出された。消防団員の仲野剛さん(46)は、仲間と手分けして担当の約750世帯を回り、「ちょっと遠くに一時避難するだけだから」と逃げようとしないお年寄りらを説得し続けた。田村市方面に通じる国道288号沿いでは、バスの車列を見て車で避難を始める動きもあったが、危機感は広まっていなかった。役場から「地震で道路が陥没した。大型バスが行けない。役場まで歩いてきてほしい」と頼まれた行政区もあった。役場までは約2km。妊婦や高齢者は車で運び、元気な者は歩くことにした。纏まって行動しようと、地域の運動会で使うプラカードを掲げて役場を目指した。町や消防団は「余計な荷物は持たないで」と指示していた。印鑑や保険証等を家に置いたままにし、不安な避難生活を強いられる住民が続出した。「長引くかもしれないと事前にわかっていれば…」。渡辺町長は、今も悔いが残る。町中心部で暮らす大越暢代さん(37)は、防災無線を聞き、父母・夫・生後1ヵ月の長男の5人で町役場裏の体育館に向かった。「一晩くらいだろう」と長男の為に用意したのは、粉ミルク・お湯を入れたポット・替えのオムツ数枚だけ。暫く待つと「子供とお年寄りは先に」と声を掛けられ、長男を抱く母と3人だけバスに乗り、田村市の施設に避難した。ところが、後で合流する筈の父や夫が現れず、携帯電話も通じない。市内の避難所に入れず、西隣の三春町にいるとわかったのは翌日。合流できたのは4日後だった。大熊町民の避難先は27ヵ所にも及んだが、急いで逃がすことを優先した町はバスの乗車名簿を作らなかった。避難先で町民を降ろしたバスは、ピストン輸送で町民を運んだ。避難作業が終了したのは12日午後2時頃だった。

④12日午後 再避難
町役場には、総務課長の鈴木さん・企面調整課長の秋本さんら、定年間近の課長ら10人ほどが残っていた。「原発の状態が思わしくないようです。避難したほうがいいです」。連絡要員として東電から派遣されていた社員が言った。12日午後3時過ぎだった。鈴木さんらは役場の非常用発電機を停止させ、職員通用口の鍵をかけて外に出た。爆発音が聞こえたのは、その直後だった。「パーン」と乾いた音だった。秋本さんは白っぽい煙を見た。職員たちは急いで公用車に乗り込み、田村市へ向かったが、秋本さんには未だ切迫感は無かった。「もう帰れない」。田村市の体育館に避難していたキウイ農家の渡辺信行さん(63)は、テレビの前でそう直感した。福島第1原発1号機の建屋から白煙が上がっている。誰かが「爆発した」と声を上げていた。町の災害対策本部を設置した市内の別の体育館にいた渡辺町長も、テレビを見て血の気が引いた。携帯電話が鳴った。「もっと遠くに子供を避難させろ」。知り合いの町民からだった。水素爆発の約3時間後、政府は避難指示の範囲を20km圏に拡大した。田村市の一部も対象になった。2014年3月まで避難指示が続くことになる都路地区。田村市は都路の住民に加え、同地区の体育館や学校に身を寄せる大熊町民約860人の避難も担うことになった。対象となった体育館に孫6人を含む家族9人で避難していた堀川悦子さん(65)は午後9時頃、「再度避難します」と町職員に告げられて愕然とした。慣れない場所で子供たちを漸く寝かしつけ、疲れ果てた大人たちも横になろうとしたところだった。子供らを起こし、荷物を纏める内に、体育館を出る最後の家族になっていた。バスが来るまで1時間以上待たされた。雪がちらついていた。町には現在、全域に避難指示が出されている。面積の6割は帰還困難区域だ。町民1万752人(2月1日現在)のうち、8172人はいわき市等の福島県の45市町村に、2580人は県外の38都道府県で避難生活を送る。帰還の目途は立っていない。

20160312 15
■大型バス100台超が現地へ
東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難で、政府は100台を超す大型バスを手配し、現地に差し向けた。大熊町では、この内の少なくとも約40台が使われ、高齢者らを搬送。道路渋滞を起こすマイカー避難の抑制にも繋がった。政府事故調の報告書等に依ると、官邸危機管理センターは3月11日午後7時半過ぎ、避難用バスの確保を協議し、同9時頃に国土交通省旅客課に対し、貸し切りバス100台以上を手配するよう指示した。特別な協定も無く、同課の担当者にできたのは、関東と東北のバス会社に片っ端から電話をかけることだけ。それでも、福島・茨城両県と東京都に本社がある計12社から協力を取り付け、125台を確保できた。担当した国交省の職員は、「官邸から『原発周辺の住民の避難にバスが必要だ』と指示された。ただ、未だ具体的な行き先は決まっておらず、『警察が先導する』とも説明された」と振り返る。計画より、手段の確保が先ず優先された。水戸市の『茨城交通』は、12社のうち最多の49台を派遣した。茨城県警のパトカーに先導され、同社から第1陣20台が出発したのは11日午後11時頃。途中で福島県警に引き継がれ、12日午前5時頃に大熊町に到着した。暫く待機した後、町総合スポーツセンター等で町民を乗せ、田村市内の公共施設等に向かった。第2陣29台も同日に出発したが、1号機の水素爆発で引き返したという。茨城交通に依ると、大熊町でのバス輸送は計35回。1回50人が乗ったとすると、計1750人を運んだ計算になる。他社の19台と、スクールバス等の町のバス4台も加えると、町民1万人余のうち少なくとも約2500人がマイカー以外で避難したと見られる。

大熊町から西側に走る国道288号は、12日午前11時頃から2時間程度、大渋滞を起こしたが、午後1時半過ぎには解消したという。一方、10km圏避難対象の双葉・浪江・富岡の3町や自主的避難を決めた楢葉町では、自前でバスを確保したものの、情報の混乱や道路事情から、政府から派遣されたバスの数が少なく、避難に使われたバスは其々計10台に満たなかった。双葉町の役場や住民は、国道114号を使って、約40km離れた川俣町への避難を目指した。しかし、通常なら1時間半ほどで到着する筈が、6時間前後かかった。同じ国道が通る浪江町の場合も、町役場から5km離れた公民館に移動するのに、通常の10倍の約2時間を要したという。富岡町も、西隣の川内村に住民を避難させる際、本来は30分程度で済む移動に3~4時間かかった。何れも12日朝から渋滞が始まり、1号機の建屋が水素爆発した午後3時36分時点で、多くの住民が未だ車に乗って避難中だった。福島第1原発事故後、事前に事業者と協力関係を結ぶ動きも出ている。川内原発を抱える鹿児島県は、再稼働を控えた昨年6月、原発30km圏内に営業拠点を持つ33社と県バス協会との間で、原発事故時の協定を締結。被曝線量1mSv以下を条件にバスを出す他、防護服や線量計の支給等、運転手の安全確保のルールを決めた。ただ、道路が狭くて大型バスが入れない場所を乗車場所として想定しているケースもあるといい、県バス協会の中原昭雄専務理事は「訓練等を通じて問題点を洗い出していくことが必要だ」と訴える。

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■“緊急時対応”完成、3原発のみ
東京電力福島第1原発事故の反省から、国は2012年10月、住民避難の計画策定を義務付ける区域を、従来の“8~10km圏”から“30km圏”に拡大した。放射性物質が広範囲に拡散する重大事故を想定し、避難手段や経路を事前に決めておく等、計画を具体化させる仕組みも取り入れた。福島第1原発事故から何を学ぶか。多くの住民をどう混乱なく避難させるか――。関係自治体の模索が続いている。策定を義務付けられた市町村は、事故前の15道府県45市町村から、21道府県135市町村に増加した。内閣府に依ると、2月1日現在、7割に当たる96市町村が計画を策定。全国13地域(原発30km圏)のうち、8地域では対象市町村の計画が出揃った。ただ、「計画は骨格に過ぎない」(内閣府担当官)。区域拡大に伴い、国と県を中心とする地域原子力防災会議で、原発毎の“緊急時対応”を纏める仕組みを導入したからだ。緊急時対応では、各市町村の避難計画を基に、「避難手段をどう確保するか」「入院患者や高齢者らをどう逃がすか」といった具体的な対策にまで踏み込むことが要求される。これが国の原子力防災会議で了承されると、初めて一応の“完成”となる。これまでに緊急時対応を作り、了承されたのは、再稼働した高浜(福井県)・川内(鹿児島県)の2原発と伊方(愛媛県)に留まる。特に、東海(茨城県)と浜岡(静岡県)で作業が遅れている。何れも都市部を抱え、避難対象は90万人以上。県内だけでは避難先を確保できないからだ。茨城県は、対象14市町村の住民のうち、44万人を県内、8市町の52万人を栃木県等の近隣5県に避難させる想定で準備を進めている。南海トラフ巨大地震との複合災害も想定する静岡県は、焼津市等の11市町94万人が、県内に加え、東海・関東甲信・北陸の12都県にも避難するとしている。何れも大枠が決まっただけで、受け入れ先となる市町村等といった詳細は協議中だ。

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敦賀・美浜・大飯・高浜の4原発がある福井県も、事故が起きた場合に大規模な“越境避難”を余儀無くされる。4原発の30km圏内には福井・岐阜・京都・滋賀の4府県23市町が入り、避難想定も複雑になる。8府県4政令市で構成する『関西広域連合』は、岐阜県を除く3府県の避難先を、福井は石川・奈良・兵庫、滋賀は大阪(予備で和歌山)、京都は兵庫・徳島と割り振り、受け入れ市町村も決めた。高浜原発の場合、地元の福井県高浜町の住民約1万人が兵庫県宝塚市・三田市・猪名川町に分散して避難する想定。三田市では、体育館や県立高校等の4ヵ所に3200人を引き受ける。しかし、具体的な受け入れ手順は決まっておらず、同市の担当者は「これから高浜町と協議し、避難所運営や物資確保等のマニュアルを整備したい」と話す。各地の避難計画は国の指針に基づき、「5km圏の住民が先に逃げ、5~30km圏の住民は屋内退避した上で順次逃げる」というシナリオになっている。住民が行政の指示に従って行動することが前提だ。指示が出る前に避難する住民が増えれば、道路渋滞が起きる可能性は高い。実際、福島第1原発事故では、各地の幹線道路で大渋滞が発生した。京都大学防災研究所の畑山満則准教授(防災情報論)は、「渋滞で動けないところに放射性物質が飛散するというのが、最悪の事態だ。どれぐらい待てば避難を始められるのか、どうすれば安全に避難できるのか、正確な見通しを住民に示すことが大切だ」と指摘する。


≡読売新聞 2016年2月20日付掲載≡


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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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