ニッポン株式会社ソニーの崩壊――最先端を走っていたはずの“世界のソニー”、病巣は“見せかけの改革”にあった

ソニーの赤字が止まらない。戦後日本の成功の象徴だった企業が、何年も赤字を垂れ流しながら無残な姿をさらしている。グローバル化・IT化の先頭を走り、最先端の経営を実践していたソニーの躓きは、いまだ資本主義を根底からは受け入れられない日本人の限界を示している。10月31日に発表した2014年4~9月期の連結決算(米国会計基準)は、最終損益が1091億円の赤字(前年同期は165億円の赤字)だった。中核と位置付けるスマートフォンで苦戦し、同事業の営業権の減損処理で約1760億円の赤字を計上した。2015年3月期の連結業績は最終損益が2300億円の赤字(同1283億円の赤字)を見込み、1958年の上場以来初の無配に転落する。「こんなソニーに誰がした」。株主ならずとも、そう言いたいところだ。

なぜこんなことになったのか。松下電器産業(現パナソニック)の創業者・松下幸之助をして「東京にあるウチの優秀な研究所(松下電器が常にソニーの物まねをしていたため)」と言わしめたソニーは、いつから革新性を失い、迷走を繰り返しているのか。それを考えるためには時計の針を10年近く前に戻さなくてはならない。そう、出井伸之社長の時代である。1995年から2005年までの出井社長・会長時代は前半と後半でくっきり明暗が分かれる。前半はプレイステーションが大ヒットし、パソコンの『VAIO』も売れ、出井は“カリスマ経営者”に祭り上げられた。単にヒット商品に恵まれただけでなく、出井は執行役員制度の導入、製造部門の子会社化など、いわゆる“出井改革”を推し進め、日本経済のリーダーにのし上がった。英語に堪能な出井は、ダボス会議で各国首脳と丁々発止の議論を戦わせ、政府のIT戦略会議のトップを務めるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その“出井改革”の最大の目玉が『ガバナンス改革』だった。世間を驚かせたのは“監督と執行の分離”である。




1997年のある日、何十人ものソニーの取締役が突然、解任され、『執行役員』という新しい肩書を与えられた。『取締役』『常務取締役』『専務取締役』といった肩書に慣れ親しんできた人々の一部は「降格された」と勘違いをして青ざめた。しかしこの改革、米欧から見れば改革でもなんでもない。間違いを正しただけである。取締役とは、だれを取り締まるのか。出井改革以前の日本では、商法に詳しくない人のほとんどが「社員」と答えたはずだ。会社に入り、ヒラ社員から係長になり、課長・部長・本部長と出世の階段を昇り、その先に待っているのが取締役。相撲で言えば幕内である。ここまで行けばサラリーマンとしては立派なものだが、さらに頑張れば常務・専務・副社長・社長と出世の階段を昇ることもできる。取締役とはそんな出世双六の中のタイトルの1つであり、常務取締役や専務取締役と区別して『ヒラ取締役』という呼び名もあった。しかしこれは商法上の解釈で言うと、完全な誤解である。商法的には、取締役が取り締まるのは『社長』が正解であり、実際、米欧ではそのように機能している。取締役会で日本の社長に当たる最高経営責任者(CEO)が解任されるのはそのためだ。つまり本来、取締役とは“株主から経営の監督を負託された者”を指す。株主の利益代表と言ってもいい。“部長の上司・社長の部下”ではないのである。これに対し、社長や専務の命を受けて業務を執行するのが『執行役員』である。最初の問いで言えば、社員を取り締まるのは『取締役』ではなく『執行役員』の仕事、ということになる。出井改革はこうした日本企業における『取締役』の誤用を正すと同時に、“会社はだれのものか”を問い直した。

出井改革前の日本において、会社は社員のものであり、社員の頂点に立つ社長のものだった。商法上の所有者である株主は軽視され、取締役は“株主のために社長を取り締まる”のではなく、“社長のために社員を取り締まる”ことが仕事だった。この時代の取締役会とは“社長の忠実な僕”である取締役たちが、社長にその月の成果を報告し、社長の有難い話を聞く場所だった。自分たちの実質的な任免権を握る社長を解任するなど、もってのほかである。しかし執行役員制度の導入で“監督と執行”を分離した後のソニーの取締役会は、形式上、株主に選ばれた社外取締役が中心になり、CEO以下、執行部による経営ぶりを監視する場になった。ちょうど海外の投資家から日本企業のガバナンスのゆがみが指摘されていた時期でもあったため、多くの大企業がソニーの後を追って執行役員制度を導入した。前近代的だった日本企業のガバナンスがようやく米欧並みになったかに見えた。しかしソニーの経営はその後、低迷を続ける。結果で判断する限り、ガバナンス改革は業績向上に全く結びつかなかった。ガバナンスのレベルをいち早く米欧並みにしたソニーの経営はなぜ、その後も低迷したのだろうか。それは監督と執行の分離がきちんとできていなかったからだ。有り体に言えば、出井は米欧から輸入した『執行役員制度』を日本流にねじ曲げ、あえて機能させなかった。だから業績が低迷したのである。日本企業全般にも同じことが言える。バブル崩壊後、日本企業の多くがソニーに倣ってガバナンス改革を試みたが、そのほとんどは経営者に都合の良い改革であり、株主価値を高める改革にはなっていない。“失われた10年”が“失われた20年”になり、“失われた30年”になろうとしているのは、日本企業に本気で変わる気がないからである。

2008年1月の第2週、ソニーと取引のある大企業のトップたちは、ハワイの名門ゴルフ場で、気持ちのいい汗を流していた。ワイアラエカントリークラブで開かれた『2008ソニーオープンインハワイ』、開幕前日のプロアマ大会。参加者の何人かは、コースに面した豪奢な別荘から双眼鏡を片手にプレーを見守る2人組に手を振った。1人はこの別荘の持ち主、盛田良子。ソニーの創業者・盛田昭夫の妻である。ソニーの古株役員やOBの間では“ミセス”と呼ばれている。小柄なミセスに寄り添うように立つ大きな男はハワード・ストリンガー。2005年、出井に後継指名されたソニーのCEOである。2005年、会長兼CEOを退くときの出井は満身創痍だった。日本の株式相場暴落の原因となった2003年のソニーショック以来、やることなすことうまく行かず、社内の求心力も限界まで低下していた。皮肉なことに出井に退陣を迫ったのは“監督と執行の分離”の一環で、出井が作った指名委員会であった。当時のソニーの全取締役にヒアリングした指名委員会は、大半の取締役が出井を支持していないことを確認し、出井に伝えた。出井のガバナンス改革は見事に機能したわけだ。しかしCEO交代の記者会見で出井はこう言ってのけた。「時代のページをめくったさわやかさがある。ハワードを選んだのは自分だ」。「ストリンガー氏を選んだのは指名委員会ではないのか」と食い下がる記者に対し、出井は最後まで「選んだのは自分」と言い続けた。事実、その通りだったのだが、それは取りも直さず、出井が作った“経営の監視システム”が肝心なところで機能しなかったことを吐露する一言でもあった。

取締役会に解任されたCEOが後継を指名するなど、米欧ではあり得ない。その場合、米欧の取締役会は旧弊を一掃できる経営者を外部から招聘するか、前任CEOの息がかかっていない人物を社内で昇格させる。経営危機を招いた前CEOがキングメーカーになるなど、あってはならない。にもかかわらず、出井は「ページをめくったのは自分」と言う。「自分は監視されていたわけでも、解任されたわけでもない」という出井の言葉は、つまり「ソニーの取締役会は本来の機能を果たしていなかった」と告白したに等しい。出井改革の目玉である“執行役員制度”は仏作って魂入れずの典型だった。こうして生まれたストリンガー体制が出井の経営を否定するのは難しい。現にストリンガーは自分をCEOに引き上げてくれた出井の言いつけを良く守った。出井がストリンガーに与えた最大のミッションは「ミセスをリスペクトせよ」だった。ハワイでの一幕はそれを象徴するシーンである。ミセスをリスペクトする建前上の理由はこうだ。「創業者がいなかったら、会社は存在しない。自分がCEOの頃は、定期的にミセスと食事をして、事業の節目ではちゃんと説明に行った。ミセスが経営に介入することはないが、ミセス(創業者)を尊重するのはソニーCEOの務めである」。一見、もっともらしい説明だが、すでにこの頃、ソニーの大株主ですらなくなりつつあった盛田家をそこまでリスペクトする必要があっただろうか。それは出井が社長になったいきさつに由来している。

出井を後継に指名した1995年、前任社長の大賀典雄は「出井君を選んだのは消去法」と言って世間を驚かせた。つまり「自分の後は誰にも務まらない」という意味で、プライドの高い大賀らしい発言だが、創業世代を自任する大賀が、出井のことを“力不足”と見ていたのは間違いない。出井はソニーにとって、創業家と関わりのない初めての“サラリーマン社長”だった。しかも技術者ではないから、画期的な製品を生み出した実績もない。プレゼンテーションがうまく、英語で物おじせず話すのは得意だが、それ以外、これといった取柄は見当たらなかった。それなのになぜ、大賀は出井を社長に選んだのか。ポスト大賀の最右翼は8ミリビデオの開発を指揮した森尾稔だった。しかし、交代の時期が近づくにつれ、森尾を巡る怪文書が社内を飛び交い、選ぶに選べない状況になった。本命を失った大賀は“消去法”で出井を選んだ。そうした出井にとって創業家との結び付きは重要だった。出井は若いころから盛田家に頻繁に出入りしており、ミセスは「伸之ちゃん、伸之ちゃん」と言って出井を可愛がった。マーケティングと英語に強い出井を夫の盛田昭夫と重ねていたのかもしれない。“自由豁達にして愉快なる理想工場の建設”で知られる東京通信工業(現ソニー)の設立趣意書を起草したのは盛田ではなく、もう1人の創業者・井深大である。技術者の多くは井深にあこがれてソニーの門を叩いた。ところが世間のイメージでソニーの創業者は、圧倒的に盛田の印象が強い。それを演出したのがミセスである。盛田昭夫が存命だったころ、ミセスは「盛田昭夫は私の最高傑作」と語っている。自由豁達な理想工場は、いつしかマーケティングの会社に変わった。




技術者出身の社長は岩間和夫以来、ストリンガーCEO体制で“中二階”の社長になった中鉢良治まで29年間、生まれなかった。しかし本質的にソニーは技術の会社である。優秀なソニーの技術者や、技術者出身の役員たちは、技術が分からない人間を尊敬しない。創業家のオーラも技術者としての実績も持たない出井が求心力を担保するために使ったのが“経営改革”だった。2007年7月、出井が委員長を務めた日本取締役協会の『企業にとって“最良のガバナンスのあり方”について考える委員会』が、『ベストガバナンス報告書』を発表した。報告書は企業を“創業家が経営も所有も掌握する”第1段階から、株式公開を経て、“経営は専門的経営者、株主は外部投資家”になる第3段階に分け、「創業家との距離によって最良のガバナンスの類型は異なる」と指摘する。出井が社長に就任した1995年の時点で、ソニーは日本屈指のグローバル企業だったが、ガバナンスはまだ第3段階に到達していなかった。出井は、ソニーの経営は“前近代的”な状況にあり、「それを近代化するのが自分の役割」というストーリーを描いた。1997年に導入した執行役員制度に始まる“出井改革”の狙いは、そんなソニーの古い体質を断ち切り、世界で戦える水準に引き上げることにあった。しかし“出井改革”を支えた当時の社外取締役の1人はこう指摘する。「日本的経営の悪しき部分を変えようという大義はあったが、一皮むけば出井改革の正体はソニー社内の権力闘争。ソニー初のサラリーマン社長である出井さんは、“株主価値”を前面に出すことで市場を味方につけようとした」

ソニー社長としての正統性の乏しさを誰より痛感していたのは出井自身であり、それはコンプレックスに近い感情だった。出井の側近は「絶え間ない構造改革と華やかなビジョン。その両輪で出井さんは求心力を保とうとした」と打ち明ける。だが“見せかけの改革”が実を上げるはずもなく、統制を失った巨艦の中で、乗組員たちはてんてんばらばらに走り始める。出井のやり方に違和感を覚えた大賀は、プレイステーションで頭角を現した元ソニーコンピュータエンターテインメント社長の久夛良木健を社長にしようとしたが、出井は自分の息がかかったストリンガーを据え、久夛良木の社長就任を阻止した。会長兼CEOになったストリンガーは「(縦割り組織の)サイロを破壊する」を意気込んだが、社長の中鉢を筆頭に組織防衛に走るエレクトロニクス部門の赤字を止めることはできなかった。カルロス・ゴーンの役回りを期待した投資家は、指導力を発揮できないストリンガーに早々と失望した。それでも“年俸8億円”と報じられたストリンガーの在任期間は7年におよび、その間、ソニーの社外取締役が解任に動くことはなかった。ハワイのエピソードが示す通り、ストリンガーは創業家を後ろ盾にしていたし、出井の作ったガバナンス体制は張子の虎だったからだ。

サラリーマン社長として生き残るために出井が繰り出した経営改革は、日本企業のガバナンス革命の手本になった。多くの企業が執行役員制度を導入して取締役の数を減らした。ソニーに倣って報酬委員会・指名委員会を設置した企業も多い。だが、実際には執行役員はかつての『ヒラ取締役』と同じ“役員の2軍”であり、社長を監視するはずの取締役は相変わらず“社長の僕”だ。新しい制度を1つや2つ導入したところで、長く染みついた体質が簡単に抜けるわけもなく、相も変わらず日本の会社は“社長のもの”。“株主価値”はリストラの口実に使われているだけだ。会社を私物化したサラリーマン社長は自分の子飼いを後継指名することで影響力を保ち続ける。出井は子飼いのストリンガーを、ストリンガーは子飼いの平井一夫を後継に指名した。禅譲された後継者は前任者の経営を否定できないから、大胆な改革に踏み込めない。その結果、経営課題の先送りが続いて赤字が止まらない。これが今のソニーが置かれた状況である。情実人事がまかり通るソニーの病巣はいまだ癒えていない。2014年、子会社のソネットから呼び戻されソニー本体のナンバー2になった吉田憲一郎は、出井CEO時代に社長室長を務めた出井の子飼いであり、「吉田を戻せ」と平井にアドバイスしたのは出井だとされている。いまやその吉田がポスト平井の最右翼と目されている。社外取締役も指名委員会も有名無実と化したソニーが、真の改革に向けて踏み出せる可能性は限りなく低い。

2014年10月、米有力ヘッジファンドのサードポイントが保有していたソニー株を全株売却した。“もの言う株主”として有名なサードポイントは2013年5月にソニーの実質筆頭株主に浮上し、平井社長ら経営陣に「(映画など)エンタテインメント事業の分離上場」を提案したが、ソニー経営陣はこの提案を拒否。落胆したサードポイントはソニー株を手放した。厄介な“もの言う株主”を撃退した平井社長らは、胸を撫で下ろしているかもしれないが、ことはそれほど単純ではない。ソニーの株価低迷が続いているのは事実であり、それに業を煮やした株主が「エンタテインメント事業の分離上場」という大胆な経営改革案を提示した。これに対してソニー経営陣は分離上場できない理由を並べ立てただけであり、分離上場を上回る改革案を提示したわけではない。サードポイントを率いるダニエル・ローブはアベノミクスを絶賛し“日本買い”を推奨する投資家として有名だった。そのローブがソニー株を手放す時、書簡でこう述べている。「日本への投資は失敗だった」。口では“株主価値”を唱える日本企業の改革が“見せかけ”だったことは、見抜かれた。その先に待っているのは容赦のない“日本売り”だ。かつて改革の象徴だったソニーは、今や“変われない日本”の象徴になりつつある。 《文中敬称略》


川端寛(かわばた・ひろし) 経済ジャーナリスト。日刊紙記者・経済誌記者を経て独立。電機・コンピューター・インターネット・自動車業界をカバーし、様々な角度から企業を論じる。


キャプチャ  2015年冬号掲載


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