【日日是薩婆訶】(08) 瞑想もいいけれど陀羅尼助を好むのは人情の自然かな

愈々、師走も中盤である。毎年この季節になると、お寺が如何に“交際業”であるかを痛感する。全ての檀家さんに来年のカレンダーを送り、今年1年の御礼の手紙を同封する。今年は普請中でもあった為、その中には御寄付の中間報告や、完成した本堂内部の写真・解説等も入れた。それを町内の檀家さんには総代さんに配って戴き、遠くの檀家さんには郵送するのである。年明け早々にまた年始の挨拶が控えていることを思うと、本当にお寺は挨拶に明け暮れるのだと思う。年始には大般若の御札やステッカーの他に、マッチ等も配る。無論、モノ自体は業者に発注するのだが、配り物としての準備をする為に、年末年始の10日ほどは要するのである。今年は、総代長さんと副総代長さんが5月と10月に亡くなった。建設委員会の委員長と副委員長でもあったから、ご本人たちも本当に無念であったと思う。震災で檀家さんへの御寄付依頼ができなくなり、3年待って漸く普請計画が軌道に乗った矢先だから、落慶を見て頂けなかったことが本当に悔しい。計画そのものを牽引して下さった2人であっただけに、共に難しい“癌”だったとは言え、誠に悲しい別れであった。配りモノの準備に翻弄される合間に、今月は一風変わった催しがあった。町の観光協会の依頼で、『法話と坐禅体験』と題し、県内外からの参加者38名をお寺に迎えたのである。北は岩手県から南は神奈川県まで、主に熱年世代の参加が多かったのだが、精進料理付きのせいかキャパ以上に申し込みがあり、お断りするしかなかった。所謂、普通の坐禅体験では“体験しただけ”になりかねないので、私は“意識の使い方”というような割り切り方で、最近は瞑想的な頭の使い方をあれこれ試してもらうことにしている。白隠禅師の『内観の秘法』もそうだが、禅には坐禅以外にも瞑想状態に入る方法論が幾つかある。所謂“止観”の“止”がサマタ、“観”がヴィパッサナーだとすれば、内観の秘法はその複合形だろう。私自身が愚考の末に思いついた“考えない葦”瞑想や“疑似歩行瞑想”等、最近は主に自分の筋肉の動きに意識を沿わせる一種のヴィパッサナー瞑想を用いている。簡単に言えば、“止”は意識を何かに集中し、軈てその意識の主体が溶け出してしまう在り方。公案を用いる問答や、キリスト教のバイブルの一節に集中していく瞑想等がこれに当たる。しかし、この方法は劇的な変化が期待できる代わり、指導者の下でしないと危険もある。そこで私は、通常は“流動に意識を載せる”ヴィパッサナー(観)のほうを勧めるのである。呼吸に従って“喫水線”が上下すると想定して、吐く息に連れて意識と喫水線が下に向かって降りていくと想う“喫水線呼吸法”は、かなり有効である。しかし、今回は筋肉の内部変化に意識を置くほうが体を解すことにもなるから、専ら“考えない葦”や“疑似歩行”の瞑想を勧めた。

簡単に説明しておこう。 疑似歩行瞑想は、歩く時に同様の足の開き加減で立ち、目を閉じて、爪先は床から離さないままその場で歩くつもりで、両方の踵をゆっくり上下させる。動きに連れて足の裏・脹脛・膝・脛・腰まで筋肉が動いていく筈だが、その内部感覚の変化全体に意識を向けるのである。意識を彼方此方に動かすのではなく、流動体のようなその全体の変化を包むように遍く行き渡らせる。沢庵禅師の言う「滞らぬよう」「あまねくことごとく」行き渡らせるのである。“考えない葦”瞑想も、原理としては同じである。この場合は両脚を付けて立ち、自分が“自然に”風で揺れる葦になったと想う。最初の揺れは無論、意志して動かすのだが、それに続く動きは飽く迄も“自然に”続いていくと想う。両手も自然に動き出すのが望ましい。そして、意識は体を動かすことには一切向けず、飽く迄も動きに依って生ずる筋肉の内部変化だけに向けるのである。この“体験”を終えて帰った何人かからお便りを戴いたが、「これまでよくわからなかった坐禅や瞑想の原理が漸くわかりました」と喜んで下さる便りが多かった。坐禅が趣味というほど親しむ時間が取れるなら古典的なやり方でいいのだろうが、1日だけの体験で兎に角何かを感じてほしいという場合、今流行の“ヴィパッサナー瞑想”や“マインドフルネス”と呼ばれる方法も射程に入れたほうがいい。私も色々試した挙げ句、伝統仏教の中にもそれに似た瞑想法があることに気付いた。そして、特に日本人の場合、言葉に依るラベリングではなく、筋肉の内部感覚への同化がとても有効なのである。今月は、奈良県の『トヨタ自動車』の幹部職員研修にも呼ばれていた。合計3時間ほどの時間を2齣に区切ってレクチャーするのだが、1齣目は諸子百家、とりわけ儒家と道家という両極端な人生観の違いについて話し、もう1齣で“意識の使い方”の実践をして頂いた。実際、優秀な人ほど儒家的なガンバリズムに支配され易く、時間と思考に追われるばかりの日々を過ごしている。歩行等、常に何か別なことを考えながらしているから、先ほどの疑似歩行瞑想だけでも新鮮な体験なのである。瞑想は謂わば、脳そのものの省エネ運転。しかも直観を養ってくれる。自らの身心に真剣に向き合うつもりがあるなら、是非とも試みてほしいと思う。真言宗の『阿字観』等も非常に勝れた瞑想法だし、何とかもっと広まってほしい。真言宗の団体に呼ばれる度にそう話すのだが、一般の方々への普及はまだまだ足りない気がする。




ところで、この奈良トヨタでの研修の翌日、私は生まれて初めて吉野の地に足を踏み入れた。奈良トヨタの菊池攻社長のご案内で、短時間だがとても深い吉野体験をさせて頂いたのでご紹介したい。お邪魔したのは壷阪寺と金峯山寺。共に日本でも最古級の由緒寺だが、両方の住職さんから懇切な説明を頂いた。先ず、壷阪寺のほうは大宝3(703)年の創建。元興寺の僧であった弁基上人がこの山での修行中、愛用の水晶壷の中に観音さまが現れたという。その壷を坂の上の庵に納め、似姿の十一面千手千眼観音像を彫って本尊として祀ったのが、寺の始まりだという。眼病への霊験で昔から知られ、明治の初めには人形浄瑠璃『壺坂霊験記』のお里・沢市で一気に有名になる。それ以後、“眼病封じ祈願”を求める人々が押しかけるようになるのだが、実は1000年以上前から眼病への霊験は夙に知られていたらしい。私が驚いたのは、そうしたお寺の歴史を踏まえ、境内の一角に眼の不自由なお年寄り専門の施設(養護盲老人ホーム)が建ててあったことだ。今の常盤勝範住職さんの父親に当たる先代の住職が昭和36(1961)年から始めたというから、まさにお寺に依る福祉活動の“魁”だろう。現在も50人の入居者を擁し、常時看護師や介護士がいるというこの施設は、全国でも相当に珍しい。社会福祉法人『壷阪寺聚徳会』は、今やこれを含めて5施設を運営し、盲老人だけでなくハンセン病患者たちのお世話もしているのである。更にこのお寺は、「眼病の霊験を実際に実現しよう」と『壷阪沢市晴明水』という目薬も開発・販売している。吉野は富山と共に、昔から薬の名所。地場産業として目薬や消化薬『陀羅尼助丸』等を製造し、お寺からの普及に努めているのである。私も目薬2つを買い、女房は陀羅尼助丸を求めた。目薬は初めて知ったが、女房の求めた陀羅尼助丸は以前から飲んでいたというから驚いた。瞑想法よりこういったモノが広く普及するのは、人情の自然なのだろうか。

もう1つの金峯山寺は、謂わば“吉野のシンボル”とも言うべきお寺。白鳳年間(7世紀後半)の役行者が開基という修験本宗の本山である。山桜に刻まれたご本尊の蔵王権現は、秘仏としては日本最大の仏像で、3体並ぶ其々の本地仏は釈迦如来・観音菩薩・弥勒菩薩である。最大なのは中尊仏(釈迦如来)で、高さ7.28m。何れ劣らぬ憤怒相の巨大な青い仏像である。蔵王と言えば、東北人の私はどうしても山形・宮城県境の山を想ってしまうが、あの山を蔵王と呼ぶのは、ここから蔵王権現が勧請されたからなのだ。また、私がお世話になった京都の天龍寺、その借景を成す嵐山にも蔵王権現が祀られる寺があるのだが、それも実は、ここから勧請されている。吉野は後醍醐天皇陵があることでも知られるが、南朝の基は、この金峯山寺に築かれる。一時は足利尊氏と共に六波羅探題を攻略し、京都で建武の中興を始めた後醍醐天皇だが、その後、2人の関係は悪化し、幾つもの戦いを経て、遂には尊氏に京都から追われる。初めは比叡山に籠もり、軈て昔から親しんだ吉野に逃れて南朝を開き、飽く迄も北朝に対抗するのである。こんな後醍醐天皇だから、享年52歳で崩御した後も、京都で不吉なことが起こると「後醍醐天皇の怨霊の仕業か?」と疑われた。尊氏は、夢窓国師の“怨親平等”の思想の影響はあったとしても、主には怨霊を宥める為に天龍寺を建立したのではないか。その際は念入りに、吉野の山桜を嵐山に移植し、更には蔵王権現も勧請したのである。また、吉野には『ほおづき尾』という桜の名所もあるのだが、この名を転じて『保津峡』と名付けた。そして実は、『嵐山』というのも元々は吉野の山の名前なのである。これらを私は五條良知管長さんから直接に伺ったのだが、中でも印象深かったのは、吉野山の桜全てが蔵王権現、いや金峯山寺の全ての仏たちに供えられた仏花だという話である。お言葉に甘え、私は蔵王堂の御厨子の上の見晴台から境内を眺めたのだが、そこには花こそ無いものの、上千本と中千本の桜の山が見晴るかせた。そして眼下にも、4本の桜が行儀良くお供えされているではないか。豊臣秀吉が「ここで茶会を開きたい」と思ったのも無理はない。それだけに、4日続きの雨の後に「明日も降ったら、こんな桜、全部切ってしまえ」と言ったそうだが、確か「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」は信長で、秀吉は「鳴かしてみよう」ではなかったか? 流石の秀吉も「晴れさせようぞ」とは言えなかったということか…。何れにせよ、幸いにも5日目は晴れたので、今にこの吉野の桜が残ってくれたのである。今回は、壷阪寺の年季の入った福祉活動と、5日目の雨、そしてご案内して下さった奈良トヨタの菊池攻社長に「スヴァーハ!」を捧げたい。更に、今回は書けなかったが、廃仏毀釈から甦った修験道の底力も祝福したい。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2016年2月号掲載


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