【昭和史大論争】(08) 戦略なき作戦…ミッドウェー真の敗因

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開戦から破竹の連戦連勝を遂げてきた日本は、「戦力的に勝って当然である」と思われたミッドウェー海戦での敗北を機に“戦局の転換”を迎え、以後、敗戦への一途を辿ることとなります。その為、ミッドウェー海戦に関しては、これまでにも「何故、ミッドウェーで敗れたのか?」といった論点から、特に作戦・戦術に着目した分析が数多くなされてきました。ミッドウェーの敗因には、例えば日本軍の“驕り”に起因する情報の軽視や索敵の不備、無線封止と度重なる兵装転換、杜撰なダメージコントロールや、敵将である太平洋艦隊のニミッツ司令長官・第16任務部隊のスプルーアンス司令官の巧みな采配等が挙げられ、戦争には必ず付いて回る“運”や“偶然性”等といった様々な要素も絡み合っています。それ故、ミッドウェーに関する論考は、両軍の作戦・戦術及び戦闘のミクロプロセスを追い、「若しあの時…」といった“歴史のif”と史実との比較衡量になりがちですが、歴史としてのミッドウェーには、現代を生きる日本人として学ぶべき教訓が多数存在します。また、「若しミッドウェーで勝っていたら、対米戦争の帰結は大きく変わっていた」という見方がされることも少なくありません。しかし、より大局的な戦略レベルの視点から眺めた時、この見方は必ずしも妥当であるとは言えないように思われます。そこで本稿では、戦術や戦闘のミクロプロセスに焦点を当てるのではなく、よりマクロな戦略の視点からこれを捉え直し、そこから得られる歴史の教訓について改めて考えていくことを目的とします。先ずは、真珠湾攻撃からミッドウェーまでの流れを概観し、その目的や戦略目標を確認していきたいと思います。

海軍屈指の知米派であった連合艦隊の山本五十六司令長官は、アメリカ相手の戦争、特に長期戦には勝ち目が無いことをよく認識していました。政治の決定に依り開戦が避けられない以上、如何にアメリカの戦意を喪失させ、早期講和に持ち込むかを追究した結果捻出されたのが、真珠湾への奇襲攻撃作戦でした。1941年12月8日に実施された真珠湾攻撃は、結果的に期待を上回る戦果を上げることとなりましたが、「開戦劈頭、敵主力艦隊を猛撃撃破して、米国海軍及米国民をして救う可からざる程度にその志気を沮喪せしむ」という山本の企図とは裏腹に、日本の外交交渉打ち切り通告が開戦よりも50分遅れ、“謂れの無い卑劣な騙し討ち”に遭ったアメリカの日本に対する敵愾心は一気に高揚します。以後、アメリカ国民は“リメンバーパールハーバー”を合言葉に、対日戦争に向け一丸となっていきました。真珠湾攻撃における日本にとっての最大の不運は、アメリカ太平洋艦隊所属の空母『サラトガ』『レキシントン』『エンタープライズ』の3隻全てが真珠湾には停泊しておらず、無傷で済んだことであり、これが後にミッドウェー作戦の発起、そしてその敗退へと繋がっていきます。また、山本が「開戦劈頭アメリカ太平洋艦隊を撃滅する」という作戦企図を掲げていたにも拘らず、南雲忠一司令長官・草鹿龍之介参謀長の第1航空艦隊は第1撃の戦果に満足し、第2撃を行うこと無く戦場離脱を決意して、呉軍港への帰投の途に就きます。その背景としては抑々、航空については素人の魚雷屋であり、海軍伝統の“艦隊決戦思想”に染まっていた南雲が、真珠湾攻撃を飽く迄も南方作戦の一支作戦として捉えていたこと、また軍令部から空母を喪失せずに帰投するよう要求されていたことから、敵の反撃を恐れて初めから「反復攻撃を行わない」と決心していたこと等が挙げられます。無論、山本の作戦構想からすれば、第2撃・第3撃を加え殲滅すべきところでしたが、山本は連合艦隊司令部の複数の参謀から第1航空艦隊司令部に対する第2撃命令を進言された際、「南雲はやらんだろう」「機動部隊指揮官に任せよう」と答え、再度の攻撃命令を発しませんでした。




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真珠湾攻撃から2日後の12月10日、日本はマレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の新戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と巡洋戦艦『レパルス』を撃沈し、海戦史上初めて航空機が作戦行動中の戦艦を沈めるという快挙を成し遂げ、世界に衝撃を与えます。その後も連戦連勝を遂げた日本陸海軍は、東南アジアから南太平洋にかけての広大な地域を手中に収めることに成功します。しかし、真珠湾の責任を問われ更迭されたキンメル大将の後任となったニミッツ司令長官は、就任直後から空母に艦載した長距離爆撃機を駆使した反撃に転じます。アメリカの一撃離脱戦法に依る機動空襲戦に悩まされる山本は、連合艦隊司令部幕僚に命じ、ハワイ攻略の一環としてミッドウェー島を攻略し、アメリカ艦隊の空母群を誘出して捕捉撃滅するというミッドウェー作戦を立案させます。この作戦構想に対し軍令部の永野修身総長は、ミッドウェー島はハワイに近い為に危険な作戦になること、アメリカ空母群を誘出できるか疑問であること、仮に占領できたとしても、その状態を維持することが極めて困難であること等を理由に強く反対します。この時、軍令部が最重要視していたのは、シーレーンの要衝であるフィジーやサモアの両諸島、及びニューカレドニア島を占領・確保し、オーストラリアが対日反攻基地になるのを阻止することでした。しかし、「この作戦が認められないのであれば司令長官の職を辞する」という山本の決意もあり、1942年4月5日、ミッドウェーと同時にアリューシャン列島西部、特にキスカ島を攻略することを条件に付し、永野はミッドウェー作戦を採択します。永野は、「ミッドウェーとキスカを同時に占領して、南北両方面からこの海域を哨戒すれば、敵空母の本土接近を早期に発見できる」と考えたのです。しかし、この“2つの作戦”の同時遂行が兵力、特に空母戦力の分散へと繋がり、ミッドウェー敗北の一因となります。また、ミッドウェー作戦自体にも“ミッドウェー島占領”と“敵空母群の誘出”という“二重の目的”が見て取れ、ここに戦略上の大きな欠陥を認めざるを得ません。これについては後述します。

4月18日、『B-25』16機に依る東京を始めとする本土へのドーリットル空襲に依って、ミッドウェー作戦に依る敵空母群撃滅の必要性が改めて証明されると、5月5日、永野は山本に対し、ミッドウェー及びアリューシャン西部要地の攻略を決行するよう、大命を伝えます。そして、6月7日のミッドウェー・キスカ両島上陸予定日に合わせ、5月末から6月初めにかけて各艦隊が次々に出撃していきました。ミッドウェー作戦及びアリューシャン作戦には、山本司令長官の下、艦船約300隻・航空機約900機、そして将兵約10万人が動員されていることからも、連合艦隊がまさに決戦の意を以て臨んでいたことが窺い知れます。6月5日、南雲指揮下の第1機動部隊が第1次攻撃隊を発進、同時に7機の索敵機を発進させます。この時、日本は“残念ながら”「敵空母群がミッドウェーに出撃して来る可能性は極めて低く、その出撃は占領作戦の中途、ともすれば後半になってからになる筈である」と、非常に楽観的な予測を立てていました。しかし実際には、『ヨークタウン』『エンタープライズ』『ホーネット』の3隻の空母群がミッドウェー近海で待ち伏せており、この日の朝に南雲司令部が発信した「本日敵出撃の算なし」は、希望的観測の域を出ていませんでした。更に、上空で待機していたアメリカ軍の戦闘機が第1次攻撃隊を襲い、激しい空中戦が展開されます。この時、敵機は全て地上に無く、基地の滑走路の破壊も不十分に終わったことから、第2次攻撃の必要性が南雲に報告されました。第1次攻撃隊出撃後、第2次攻撃隊は連合艦隊司令部の指示通り、魚雷を装着した対艦攻撃兵装(雷装)で待機していましたが、第1次攻撃隊の報告を受けた南雲は、第2次攻撃隊をミッドウェー攻撃に出発させる決意をし、陸上攻撃兵装(爆装)に転換するように命じます。そしてこの前後から、ミッドウェーからの敵機の攻撃を受け始めた為、第2次攻撃隊を防空用に発着艦させる必要が生じました。また、兵装転換の作業中、第4索敵線の『利根4号機』から「敵らしきもの10隻見ゆ」の報を受け、「空母が近くにいる」と判断した南雲は、この空母を攻撃する為に第2次攻撃隊に再度、雷装への転換を命じます。その後、「敵は其の後方に空母らしきもの1隻伴う」という報が伝えられると、第2航空戦隊の山口多聞司令官は南雲に対し、「現装備のまま、直ちに第2航空戦隊の艦上爆撃機を発進すべきである」と意見具申をします。

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山口の意図は、艦爆隊の水平爆撃で敵空母の飛行甲板を叩き、攻撃機の発着艦を不能にさせた後、改めて雷撃機に依って敵空母を撃滅するというものでした。“主動と先制”という航戦の原則に即した山口の判断は、至極真っ当且つ合理的であったと言えます。しかし南雲は、これを退け、帰投した第1次攻撃隊が燃料切れに依る不時着水に陥らないよう、「在空のミッドウェーの攻撃隊を先ず収容し、然る後に第2次攻撃隊を発信させるべきである」という第1航空艦隊・源田実航空参謀の進言を受け容れました。第1次攻撃隊全機の収容を済ませた頃、空母『ホーネット』を発艦した雷撃機が来襲し、これを南雲艦隊は全て撃滅。次いで『エンタープライズ』『ヨークタウン』を発艦した雷撃部隊が疎らに来襲し、対空砲火と上空直衛機の攻撃に依り、アメリカの雷撃機は次々に撃墜されていきます。しかし、雷撃隊の攻撃に零戦部隊の大部分が低空に引き寄せられており、機動部隊上空はがら空き状態になっていました。この隙を衝かれて、上空から急降下爆撃の奇襲を受け、『加賀』『赤城』『蒼龍』が被弾、魚雷・爆弾に誘爆し3空母が戦闘不能になります。そして、残った山口多聞の第2航空戦隊空母『飛龍』は、『ヨークタウン』を大破させる健闘を見せるも、敵機の爆弾4発が命中し、空母4隻が全滅しました。空母の全滅を知った山本以下連合艦隊司令部は、全艦隊を以て敵艦隊を急迫し、夜戦に依って撃滅した後にミッドウェーを占領することを検討しますが、最終的には撤退を決意し、ミッドウェー攻略作戦を中止します。日本側の損害は空母4隻沈没(赤城・飛龍は自沈処分)、重巡洋艦1隻沈沒・1隻損傷、搭載航空機285機、戦死者約3000名であり、アメリカ側の損害は空母1隻、駆逐艦1隻沈沒、航空機147機、戦死者約300名でした。尚、アリューシャン攻略作戦ではキスカ・アッツ両島の無血占領に成功しますが、ミッドウェーで4空母が全滅すると作戦は一次中断され、予定されていたアダック島への攻撃は実施されませんでした。

ここからは、よりマクロな戦略的視点からミッドウェーにおける日本側の問題点を抽出し、幾つかの焦点に絞ってこれを眺め、その教訓を見出していきたいと思います。先ず山本長官は、その企図を南雲を始め部下に徹底すべきでした。山本の戦略目標は、飽く迄も真珠湾で撃滅することができなかったアメリカ艦隊の空母群を誘出することであり、これを殲滅して海軍及びアメリカ国民の戦意を喪失させ、早期講和に持ち込むというものでした。しかし、南雲の司令部は、これを必ずしも理解しておらず、寧ろミッドウェー島の占領を第1目標に据えていた為、海上の捜索に慎重さが欠け、更に「本日敵出撃の算なし」という思い込みと相俟って、明らかに索敵を蔑ろにしました。人一倍度量が大きく、人情味溢れる山本は、部下を信頼して下級指揮官の裁量に任せることも少なくなかったようですが、指揮官は指揮下部隊及び部下を確実に掌握・監督し、明確な企図の下に適時適切な命令を与えることは勿論、その企図を繰り返し伝えることで終始徹底することが求められます。部下を信頼すれども、「部下はわかっているだろう」と考えることは、任務を遂行する上で何一つ利を齎しません。統御の面では圧倒的な才能を発揮した山本でしたが、そういう意味では少し“部下に任せ過ぎ”であったように思われます。また抑々、山本-南雲のラインは決して好ましい人事であったとは言えません。南雲は元々艦隊派で、山本や井上成美等と度々対立しており、南雲が大角人事に関わって山本の親友であった条約派の堀悌吉を予備役に追いやっていることから、個人的な関係は良好とは言い難いものでした。そうなると、コミュニケーションは事務的なものに限られ、意思疎通が不十分になることは避けられません。一方、ニミッツはスプルーアンスと居を共にし、綿密なコミュニケーションに依る情報・作戦構想の共有に努め、たとえミッドウェーが一時的に占領されたとしても、「空母以外のものに攻撃を繰り返すな」と終始徹底していました。更に、南雲は水雷戦が専門であり、航空に関しては全くの素人で、状況判断及び決心を草鹿・源田の両参謀に依存していました。南雲の第1航空艦隊司令長官就任は、ハンモックナンバー(海軍兵学校の卒業席次)と年功序列の慣例に依るものですが、ここに日本の柔軟性の欠如が見て取れます。その一方で、アメリカ海軍ではキンメル更送後、ニミッツは序列28番目の少将から一気に大将まで昇進し、太平洋艦隊司令長官に任命されています。重要なのは飽く迄も戦略目標を達成すること、任務を完遂することであり、決して慣例を踏襲することではありません。人事制度に限らず、大局的な戦略の下、状況に応じて必要であれば変革を起こす柔軟性があるかどうかで、結果は大きく左右されるのです。

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次に多重の目的・目標と、それに伴う戦力の分散です。ミッドウェー攻略作戦の目的はアメリカ艦隊、特に空母群の誘出とミッドウェー島の占領であり、これと同時に日本はアリューシャン攻略作戦を実施しています。一方、事前に日本の暗号を解読し、これに備えていたアメリカの目標はただ1つ、日本海軍の企図を阻止することでした。戦略における“二重の目的・目標”はそれだけで致命的であり、目的の達成を著しく困難なものとしますが、これは軍国日本にグランドストラテジーが無く、日本がどこへ向かうのか、その目標が極めて曖昧であったことに起因すると言えます。例えば、開戦当初の戦略目標を見ても、陸軍は中国大陸、海軍はフィジー・サモア・ニューカレドニア、そして山本の連合艦隊はハワイであり、これでは“戦力の集中”は極めて困難です。“戦力の集中”は孫子の時代から戦いの大原則とされており、クラウゼヴィッツも「数の優位が戦闘の結果を左右する最も重要な要因であり、決定的瞬間にはできるだけ多数の軍隊を戦闘に集結させねばならない」と述べています。つまり、目標を達成する為には、持てる資源を一極に集中して各個撃破する必要があるということです。また、若し日本が戦術レベルでより巧く戦い、運も味方してミッドウェーで勝利していたとしても、日米戦争の帰結が大きく変わっていたとは判断し難いものがあります。ミッドウェーを占領・確保すれば、自ずと戦域が拡大して補給路が展延しますが、軍令部の狙いは飽く迄も南太平洋のシーレーンの確保であり、戦力と補給路の更なる分散は免れ得ません。持久戦ともなれば、日米の物的基盤や工業生産力の実態から、日本が何れ自滅することは自明でした。更に大きな問題は、より高次の大局的な戦略レベルにありました。それは、当時の日本がアメリカの戦争観を殆ど理解していなかったことです。アメリカは戦争と平和を明確に区別し、過度に正邪を二分する傾向があります。そして、一度戦争が始まれば絶対に妥協はせず、相手が無条件降伏するまで徹底的に叩くという非常にシンプルな戦争観を持っています。アメリカの戦争が、このような“絶対戦争観”に基づくものである以上、仮に日本がミッドウェーで勝利していたとしても、アメリカが日本にとってより有利な条件で講和に応じた可能性は極めて低かったと言わざるを得ません。海軍切っての知米派であった山本でさえ、「真珠湾への奇襲攻撃でアメリカ艦隊を撃滅すれば、アメリカ人は戦意を喪失する」という希望的観測に立つしかなかったように、日本は“敵を知る”ことの重要性を軽視していました。寧ろ敵国の知識、或いは付き合いがあるだけで白い目で見るような空気があったと言えます。一方、アメリカには「敵国だからこそ、先ずは知識を持たなければならない」という健全なプラグマティズムがあり、実際に日本の専門家を全米から集め、徹底的に日本研究を行っていました。また、“敵を知る”ことに努めれば、自ずと情報・インテリジェンスの重要性を理解することにも繋がります。

そして、ミッドウェーでは責任の所在も曖昧されました。大敗を喫したにも拘らず、山本は連合艦隊司令長官の職を解任されず、また山本の“温情主義”に依って、南雲・草鹿のコンビも責任を問われることはありませんでした。ミッドウェー敗北後、第1航空艦隊司合部幕僚が全員解任されていますが、通常、全ての責任は指揮官が取るべきものであり、キンメル大将も真珠湾攻撃を受けた直後に更迭されています。しかし、日本は真珠湾攻撃を計画・実施した“英雄”山本五十六のカリスマ性に依存しており、また、直ぐに山本の後任となり得る人材がいなかったという事情もありました。しかしそれ以上に、公への責任感と見識を失った海軍が敗北を徹底的に隠蔽したことに、その辺りの真相が隠されているように思われます。日本海軍はミッドウェーで“敗れていない”以上、国の英雄である山本司令長官が退くことなどあり得ません。そして、ミッドウェー敗北の事実は天皇にまで隠されることとなります。更に作戦計画失敗の原因究明、及びその反省は全て封じられ、戦略・戦術研究が行われることもありませんでした。失敗を“無かったこと”にした日本海軍は、その教訓を活かすことができず、それ以降の作戦でも同じよう過ちを繰り返していきます。海軍、延いては日本は歴史の教訓に学ばなかったが故、更なる苦境を強いられることとなるのです。本稿では、ミッドウェー海戦をマクロな視点から概観し、そこから学ぶべき歴史の教訓を幾つかの焦点に絞りながら見てきました。無論、ミッドウェーにはここで取り上げたもの以外にも多くの教訓が鏤められており、どこに焦点を当て、どのような立ち位置から眺めるかに依って、得られる教訓も人其々に変わってくる筈です。何れにせよ、我々戦争を知らない世代が歴史に学び、そこから何らかの教訓を得ていくことには、極めて大きな意義があるように思われます。そして、日本人として目を背けたくなるような史実を含め、過去の歴史を美化するでも卑下するでもなく真摯に受け止めること。その教訓を活かし、日本が過去の過ちを二度と繰り返すことなく平和国家であり続けることが、これからの時代を生きる世代に与えられた責務なのではないでしょうか。


星野了俊(ほしの・あきとし) 戦略安全保障研究家。1988年、埼玉県生まれ。防衛大学校卒。2013年に防衛省・自衛隊を退職。共著として『防衛大学校で、戦争と安全保障をどう学んだか』(祥伝社新書)・『ゆとり世代の若者たちがいま戦争について考えていること』(こう書房)。


キャプチャ  2015年秋号掲載
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テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

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