【偽善の逆襲】(01) 主語を忘れた正義の声

パリでテロが起きた時、メディアは一斉に「テロの背景に差別や経済格差がある」と書き、フランス社会と同国民のことは“皆”で考えるべきとした。では、この“皆”とは誰のこと? (宗教学者 山折哲雄)

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この国の報道や論説の中央から聞こえてくるのは、いつものように依然として、“主語無き普遍主義の声”“主体を忘失した正義の言葉”ばかりではないか――。そう思うようになった。昨年11月13日、フランスのパリで同時多発テロが発生した時がそうだった。マスコミの多くは異口同音に、テロを起こした犯人が他国から入ったテロリストではなく、フランスで生まれ育った移民2世だったことに触れ、「フランス国民が衝撃を受けている」と報じた。同時に、「その真の原因が移民への差別や大きな経済格差にある」と指摘はするものの、「責任は歴史や社会が負っており、そのことは国民1人ひとりが皆で考えなければならない」と主張していた。しかし、ここで言われている“社会”とか“国民”とか“皆”というのは、一体誰のことか。事件の衝撃に応え、それを“我が事”として受け止める言葉や声は、どこからも聞こえてこなかったのである。パリのサッカー競技場では、オランド大統領の命が狙われていた。遡って2011年には、パキスタンでオサマ・ビン・ラーディンが狙われ、有無を言わさず殺害されていた。パリにおけるテロの直前、アメリカ軍は『IS(イスラミックステート)』のラッカで日本人ジャーナリストの後藤健二さんらを殺した“聖戦主義者”ジョンの命を狙い、空爆を行ったことを発表していた。この男はクウェート出身のイギリス人で、ロンドンの裕福な家庭で育っていた。アメリカのメディアに依ると、男が建物を出て車に乗り込んだところをピンポイントで狙い、無人機で攻撃を仕掛けている。個人の生命を、恰も獲物を狙うかのように襲う。罠を仕掛け、有無を言わせず止めを刺す。その手法が、イラク戦争やアフガン戦争のような近代戦の真っ只中に登場してきた。1対1の“戦い”という狩猟社会の原理が、国家対国家の近代的な総力戦の最中に登場し、襲撃と報復の連鎖を加速させる。この過激化する“個”の暴発を、“国家”は最早完全に抑え込むことはできない。このような“個”の個別化・肥大化、そして孤立化を、我々の社会は果たしてどのようにして食い止めることができるのか。“個”と“共同体”の関係が、世界的な規模で芯のところから融解し始めているのかもしれない。そして、その背景として若しも貧困や差別、そして移民問題等を考えなければならないというのであれば、我々は先ず以て、もう一度狩猟社会の原点に立ち戻って、人類の歴史の、それこそ“生き直し”を己れの課題として引き受けなければならないところにきている。ところが、このような多発するテロの惨劇を前にして我々の社会が見せる言説空間には、相も変らぬ客観的な眼差し、見て見ぬ振りをする冷静を装う視線ばかりではないか。腕一杯の情報を収集し、分類し、整理する。背景にあるものを分析して、解説に終始する。政治・外交・軍事の世界地図を掲げて、事態の推移を追う。最後にテロの行く手を予測し、危惧し、混沌の時代の到来を懸念する。そして、現代の虚妄と恐怖を語る…。そこに共有されている論述の手法こそ、まさに主語無き普遍主義、主体を忘失する正義の感覚ではないか。主語無き個々の言説、己れの主体を忘失したままの個々の言説空間ではないだろうか。

戦後、我々は“個”“個の自立”という言葉を口にして倦むことがなかった。“個性”“個性の尊重”と異口同音に繰り返し話題にしてきた。だがその結果、右を見ても左を見ても自己愛の個が蔓延し、孤独な個の暴走する姿が巷に溢れるようになった。何故そうなったのか、理由は種々あるだろう。だが、第一に指摘すべきはやはり、横並び平等主義が我がもの顔に振る舞い出すようになったからだと思う。主語無き個、主体無き個、個、個の発生だった。それが戦後70年も続けばどうなるか。家族では親と子がオレ-オマエの対等の関係に還元され、学校においては教師と生徒がトモダチ感覚に引きずり込まれるようになった。会社ではどうなったか。各部局の上司は部下に対して殆ど調停者の役割を押し付けられ、期待されるようになっていた。ヨコの人間関係だけを意識し続け、目に見えないものとのタテに働く関係軸や価値観を忘失したまま、長い時間が経過してしまった。それが反って、個性を埋没させる人間関係神話を作り出してしまったということだ。その神話を後生大事にしている内に、人間関係そのものがガタガタになっていた。いつの間にか、主語無き普遍主義が、このヨコ並び平等主義と共に浮上してきたのである。身近な“他者”と自分を比較する止み難い癖が身に付いてしまったということだ。“他者”と比較をすれば、たちどころに違いが目に付く。容貌・性格から始まって、社会的背景・財産の有無まで平等でも公平でもない非“正義”の現実を突き付けられる。比較地獄の始まりだった。それが嫉妬地獄を招き寄せ、その自縄自縛の中でいつしか敵意が芽生え、殺意へと育っていく。気が付いてみれば、身の廻りに子殺し・親殺し、そして慢性的な自殺願望の増大という事態を招いていた。蓄積された敵意や殺意が外に向かって暴発する時、殺人を引き起こし、内攻する時に自殺願望を刺激する。外にも内にも向けることができない時は、抑圧されたまま嫉妬や怨恨を抱えて右往左往する他はない。進むことも退くこともままならぬままに鬱の状態へと退行していく。抑々、この横並び平等主義は比較の矛先を野球のイチローや相撲の白鵬には向けられない。それは、いつも身近な閉鎖空間へと向かい、監視の目を光らせる。そして、いつの間にか“個の自立”“個性の尊重”という観念を空洞化させていった。人間関係の網の目をズタズタに引き裂いてしまったのである。その個とか個性ということだが、考えてみれば、これらの言葉が西洋からの輸入語であり、翻訳語であったことに気付く。抑々、それは西洋の近代社会が作り出した新しい理念だった。それを逸早く取り入れたところに、明治近代の英知の一端を垣間見ることもできるが、その後がいけなかった。何故なら、その西洋直輸入の理念を日本語の伝統的な価値観と照らし合わせ、それこそ真剣に比較することが必要だったにも拘らず、戦前から戦後70年にかけて、我々の社会はその仕事を殆ど完全に怠ってきたからである。




歴史を少しでも振り返ればたちどころにわかることだが、我が国には“ひとり”という日本語がまさに“個”に当たる固有の場所、即ち主語の居場所にちゃんと鎮座していた。それも万葉集の大昔からだったから、ゆうに1000年の歴史を持っていたということになる。ここでは1つの事例だけを挙げておこう。先ず中世の夜明けに、親鸞が空前絶後の“ひとり”に目覚めていたことに注目してほしい。阿弥陀如来に依る救済の誓いは、「ひとへに親鸞一人がためなりけり」と彼は言っていた。『歎異抄』に出てくる日本語である。「自己の救済を確信する自立した“ひとり”の宣言だった」と言っていいだろう。そしてもう1人、あの福沢諭吉にも触れておこう。諭吉と言えば誰でも思い起こすのが、「一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立す」ではないか。近代日本の幕開けを象徴する言葉として誰でも引用するが、この独立を我々は、西洋産のインデペンデンスの訳語とばかり考えてきた。しかし、「彼はその日本語を、同時に“独り立つ”と読んでいたに違いない」と私は思う。その“独り”を翻訳語の“独立”から引き離してしまったところに、明治近代の、そして戦後70年の悲しい錯誤の跡を見ることができる。今日のメディアや論説における主語無き普遍主義の源流も、このようなところにあると思わない訳にはいかないのだ。再び、「主語無き普遍主義とは何か」に戻る。この問題は、世界を驚かせている直近の“自爆テロ”と“暴力”とも深く関わっているだろうと私は考える。パリで同時多発テロが起こった時、オランド大統領は議員たちと共に『ラ・マルセイエーズ』を歌って、ISへの反撃を世界に向かって呼びかけた。テロに依る怨念と報復の連鎖を断ち切る為に、正義の旗を高く掲げた。その大義の源泉が、果たしてフランス革命の理念に遡るのかどうかは暫く置くとしても、私が真っ先に思い起こしたのが、今日尚も声名高い政治思想家であるハンナ・アーレントの“暴力論”だった。ドイツ生まれのユダヤ人で、後にアメリカに亡命しているが、1969年に『暴力について』を書いている。その世界の思想界に対する影響力は今日尚も圧倒的であるが、私は予て、このアーレントの暴力論には言い知れぬ違和感を抱いていた。その核心的な要点が2つある。第1が、ガンジーの“非暴力”を巡る議論だ。彼は長い間、イギリスの植民地だったインドを非暴力の手法で独立に導いたことで知られる。だが、先のアーレントは、「ガンジーの非暴力が成功したのは相手がイギリスだったからで、敵が若しもヒトラーのナチスやスターリンのソ連、そして日本の軍国主義だったら失敗に帰しただろう」と殆ど断定的に言っている。

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その発言に触れた時、私は直感的に「果たしてそうか?」と疑った。何故なら、「ガンジーは相手がナチスやソ連であろうと日本の軍国主義であろうと、そして今日の問題として言えば、たとえ相手がISであろうと、その非暴力に依る抵抗を捨て去ることはなかっただろう」と思ったからだ。勿論、それが成功するか失敗するかはやってみなければわからない。しかし、彼が相手の状況を見て独自に編み出した自分の抗いの手法を断念するとは、その生涯の身の処し方から見て到底思えなかったのである。もう1つ、アーレントは先の論文の中で重要なことを言っている。それが驚く勿れ、「非暴力も暴力の一形態であって、その本質は暴力の反対概念などではない」と主張していたのである。その言わんとするところを枝葉を払って要約すれば、「悪の暴力(権力)を打ち倒すには、もう1つの正義の暴力が不可避になる」ということだろう。「ガンジーの非暴力という暴力が、イギリス帝国主義の強大な暴力(権力)を制することに成功した」ということだ。そのような考え方の背後に、あのフランス革命を正当化する論理、即ち“旧体制の不正義の暴力を打ち倒す正義の暴力”という論理が横たわっていることに嫌でも気付く。そのフランス革命の果実として知られる人権宣言も、このような思想的母胎から生み落とされたことは最早言うまでもあるまい。しかし、ここで考えなければならないのは、「ガンジーの非暴力がこの危機の時代において、果たして彼女の言うような暴力の一形態であるのか?」ということだろう。考えてもみよう。彼の非暴力抵抗の思想は第2次世界大戦後、アメリカのマーティン・ルーサー・キング牧師を突き動かして、あの公民権運動を成功に導いている。その為、彼はガンジー同様暗殺されているが、しかし、その運動はアパルトへイト(人種隔離)で有名な南アフリカにも飛び火していた。そして、この悪名高い人間差別を撥ね返す運動をリードしたネルソン・マンデラ大統領の誕生を可能にしたのだった。大地の根っこから生れ育ったような“非暴力”は、先のアーレントの予測に反して、戦争と革命の苦難の20世紀を生きた人々に最後の希望と勇気を与えたのだ。ところが、誠に気がかりなことに、そのガンジーの存在に注目する論者が、この国には殆どいない。しかも、我が国の政治家でその名に言及する者も殆どいない。どのメディアもその事実を無視して恥じるところがない。今度の安保法制を巡る議論で集団的自衛権が問題にされた時もそうだった。首相を始め、与党議員も野党議員も皆そうだった。安保法制に反対する組織やグループ、そして宗教界すらもそうだった。意外なことに、『九条の会』まで同じ戦列についていた。「非戦・反戦を貫こう」との意見を表明する時、ガンジーの非暴力に学ぶ覚悟を語る者が、この国には殆どいなかったということになるだろう。“主語無き普遍主義”である。“自己を喪失した正義の主張”である。“個”の主張を世間の側・社会の側に還元しようとする。政治や経済という“他者”の側の舞台に移譲する。そして、「その世間や社会や他者と共に連帯しよう」と叫ぶ。主語無き普遍主義への凭れ掛かりである。“ひとり”で立つ、“ひとり”で考える行動原理の放棄と言ってもいいかもしれない。これを主語無き普遍主義と言わずして何と言うのか?

もう1つ、最後に付け加えておきたいことがある。例えば、iPS細胞のような生命科学の研究分野でも同じような現象が起こっているということだ。勿論、その最先端の技術が難病に苦しむ人々の心に希望の明かりを灯したことを、聊かも疑うものではない。ただ、不信の念に堪えないのは、このノーベル賞に輝く最新の技術が、将来的には精子と卵子を人工的に作り出し、生命(受精卵)の誕生までを可能にするようになったということである。そして、この重大な局面を迎えて、その問題を「社会全体が考えなければならない」「国民の1人ひとりが考えなければならない」、とりわけ「哲学や宗教の問題としてどう受けとめたらいいのか?」と、科学者の側が異口同音に発言している。そのこと自体には勿論、誤りは無いだろう。ところが、誠に不思議なことに、そのような科学者たちの側からの問題提起の中に、肝心要の科学者自身の社会的責任を問う言葉がどこからも聞こえてはこないのである。そのことは国民1人ひとりが考え、とりわけ哲学や宗教の問題として考えなければならないことは言うまでもないことだ。しかし、それなら科学者たち自身はそれをどのように受け止めようとしているのか。その腹の底からの声が、一向に聞こえてはこないのである。「主語無き普遍主義が、科学者たちの領域においても深く静かに浸透している」と思わない訳にはいかないのである。


山折哲雄(やまおり・てつお) 宗教学者・評論家。1931年、アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ。東北大学文学部インド哲学科卒。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。『日本の“宗教”はどこへいくのか』(角川選書)・『ひとり達人のススメ』(主婦の友社)・『天皇と日本人』(大和書房)等著書多数。


キャプチャ  2016年2月号掲載
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