被災地自立へ立ち上がる“敗軍の将”と“新人類”――“自治体消滅”は若者が阻止する、回復不可能な惨状からの復活

東日本大震災から5年を迎え、復興予算が今年度で期限を迎える被災地。愈々“自立”を求められるものの、凡そ楽観できる状況にはない。だが、復興の最前線では新たな主役も生まれつつある。会社を潰した元経営者たちと、「頼りない」と言われてきた若い世代だ。時には“負け組”と呼ばれた者たちが、現地のムードを変え始めた。 (鵜飼秀徳)

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先ずは上・左のグラフを見てほしい。福島県を取り巻く諸データである。福島第1原子力発電所の事故直後は生産活動が停滞した福島だが、県内総生産や有効求人倍率を見る限り、急速に立ち直っているかに映る。だが、この数字を以て「福島が自立した」と位置付けるのは早計。国の計画に基づいた“復興需要”に依る効果が大きいからだ。現在、福島の産業の柱は、除染や復興に伴う建設及び製造業というのが実情となっている。最もネガティブな要素は、人が福島に戻らないことだ。定住人口の減少傾向は続き、観光客入り込み数を見ても“福島離れ”が進行してきたことは明らか。福島の前には、大きな壁が立ち塞がっている。“復興”の次のステージは“自立”。それには、人と企業を呼び戻す必要がある。こうしたことから被災地では今、ある型破りな構想が始まっている。

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「しくじった人たち(倒産経験者)に投資します。条件は福島で起業すること」――。こんな投資ファンドが話題を呼んでいる。考案したのは、宮城県仙台市のベンチャーキャピタル『MAKOTO』の代表理事・竹井智宏氏だ。『福活(ふっかつ)ファンド』と名付けた、この一風変わった投資ファンドは、対象企業に『福島銀行』と共同で出資する。資金のみならず、MAKOTOは投資先に“ハンズオン支援”も実施。事業開始後は各企業に対し、きめ細かな経営面でのアドバイスを送る。横浜市で現在、タクシーの運転手をしている荒井潤一氏は、福活ファンドに応募した1人だ。現在、最終選考段階にあり、今月中にも投資が受けられるか否かが決定する。荒井氏は、従業員10人を抱える会社を起業したものの倒産させ、以来、失意の中で「失敗したまま人生を終わらせていいのか?」という思いを抱えながら、59歳まで生きてきた。横浜市に3D技術を使ったソフト開発会社を立ち上げたのは2001年。自動車や家電を試作する時のデザインを、パソコン上でシミュレーションできるという独自の技術だった。が、売り上げが思うように伸びず、2009年に約1億5000万円の負債を抱えて倒産してしまう。「会社清算後暫くは何もする気が起きず、食い繋ぐ為にプロバイダーの訪問営業をやった。それも長くは続かず、近所のタクシー会社に就職して運転手になった」。荒井氏は、こう振り返る。それでも30年近く経営の世界で生きてきた自負や、アイデア力が失われた訳ではなかった。運転手を続けながら新たな事業構想を膨らませ、過去の技術や経験を生かした新サービスを思い付く。その名も“物撮り画像の自動切り抜きサービス”。『Amazon』等のインターネットショップでものを紹介する場合、必須なのが商品写真だ。背景の無いシンプルなカットがベストだが、写真スタジオで撮影するとなると相当なコストと時間がかかる。そこで、クラウド上で自動的に背景と商品とを切り抜ける技術を考案した。料金は1枚当たり一律50円を想定しており、インターネットショップ界では革命的なツールと言える。




ただ、アイデアはあっても、日本の金融機関は一度“しくじった人たち”に冷たい。一度経営に失敗すると、再起が難しい。破産を経験すると、銀行の融資を受けること自体が難しくなる。再び事業を起こしたければ、知人や親族に借金をするくらいしか策は無い。荒井氏も同様だった。タクシー運転手をしながら会社を立ち上げ、「挫折しても、とことんやり遂げる」という気持ちに因んで『tocoton』という社名にしたものの、事業資金は全く潤沢ではない。そんな時、福活ファンドの存在を知った。ファンドの支援が実現すれば、今春にも福島県内に居住地と本社を構えるつもりだ。「営業の拠点は首都圏のほうが有利だが、開発やサポート部隊は地方都市でも十分機能できる。女房が二の足を踏んでいるが、自分が再起できる場所はもう福島しかない。必ず説得する」。荒井さんは、こう話す。他の地域では“生きる場所”を失った倒産経験者を呼び集め、背水の陣ならではのエネルギーを発揮してもらうことで新たな企業を量産する──。この方法であれば、難航する被災地での起業人材集めにとって強力なカンフル剤になるのは確かだ。勿論、課題もある。例えば、“人離れ”が進む福島で人手をどう確保するのか。構想を本格化するには、会津大学や福島大学等と緊密な産学連携に依る技術者の確保等が欠かせない。それでも、MAKOTOの竹井代表は、福島での起業にメリットが多いことを強調する。「極めて遺憾なことではあるが、原発事故で“フクシマ”はある意味、世界的な知名度を得た。『苦難の渦中にある福島で事業を起こす』というストーリー自体、強いテーマ性を帯びる。少なくとも他の地方で起業するより、知名度向上や顧客獲得を進める上で相当有利な筈だ」(竹井代表)

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被災地では、挫折を経験したからこそ湧き出る倒産経験社長のバイタリティーにも期待が集まっている。左の図は、新規開業企業と倒産経験者に依る企業における起業後の収支状況を追跡調査したものだ(『日本政策金融公庫総合研究所』)。新規開業でスタートから3ヵ月以下で黒字になった企業は3社に1社しかないが、倒産経験者が立ち上げた企業は2社に1社以上が、同じ期間での黒字化に成功していることがわかる(開業後1年以内で黒字基調になった企業の中で比較)。「失敗経験者が持つ経験・ノウハウ・人脈、そして必死の覚悟が影響している」とMAKOTOの竹井代表は見る。そんな福活ファンドを、福島県も大々的に後押ししている。例えば、津波で甚大な被害を受けた沿岸自治体に企業が進出する際、土地・建物・設備に対して上限50億円・補助率50%以内の範囲で補助金を受ける仕組みを用意した。「起きてしまった過去は取り戻せない。今はネガティブなことが多いが、ポジティブに変えていく。傷付けられたプライドを取り戻す為、福島をもの作りの拠点にしていく」──。東京都内で先月実施されたセミナーに登壇した福島県の内堀雅雄知事は、語気を強めてこう訴えた。日本では例を見ない倒産経験者に限定した投資ファンド。現在、45人の“敗軍の将”が手を挙げ、企業の選定作業は大詰めを迎えている。

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大きなカモメがふわりと舞い降りたようだ。世界的な建築家・坂茂氏が手掛けたこの斬新なデザインの建物は、JR女川駅舎(宮城県女川町)である。内部にはスパも併設する。復興の狼煙を上げるように、昨年3月に開業した。「交通インフラを取り戻す上で、BRT(バス高速輸送システム)にするという議論もあったが、鉄路には代えられない。女川の未来は、ここからスタートする」。こう意気込むのは、復興を主導してきた同町の須田善明町長だ。“復興のトップランナー”。俄かにそう呼ばれるようになってきた女川。昨年末には駅舎に続いて、商店街『シーパルピア女川』が開業した。メインストリートに立つと、目線の先に海が開けて気持ちがよい。商店街を貫くプロムナードから一歩路地に入れば、外国の港町のような猥雑感を醸す空間が広がる。洗練されたバー・カフェ・雑貨店・ギター工房等が軒を連ねる。ある店に入ると、イタリアの高級車『ランボルギーニ』を模して作って話題になった“ダンボルギーニ”が展示され、観光客が取り巻いていた。ダンボルギーニは宮城県石巻市の梱包資材会社『今野梱包』に依り制作された。テレビやSNSで話題を呼び、既に数万人の集客効果があったという。「駅周辺を町のコアにして、半径約300mの地域に行政施設・商業施設を集約する計画。人が町の中心に向かって自然と集まって来るイメージ」。須田町長は、こう説明する。周辺地域でも、女川以外は、商店街は仮設のままのところが多い。復興特需が終わりつつある中、売り上げが低迷しシャッターを下ろすところも出てきている。そうした一般の被災地と女川の違いは何か。それは、若い世代が町の復興の主導権を握っていることだ。

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三陸リアス式海岸の下部、牡鹿半島の付け根に位置する女川町は、有史以来、漁業で栄えてきた。昔はカツオ漁が盛んだったが、近年はサンマ漁やホタテやカキの養殖で知られる。そんな地元経済の拠り所である水産資源の水揚げ量が激減し始めて久しい。1986年のピーク時には35万トンにも迫ったが、2000年以降は7トン前後を推移していた。そこに2011年3月11日、東日本大震災が起きた。女川は約9割の家屋が被害を受け、壊滅状態になった。人口1万人のうち、死者・行方不明者が1割近くに及んだ。データを見る限り、立ち直りは不可能に見える惨状。だが、震災後間もなく、女川町商工会の高橋正典会長が発した一言で空気が変わった。「町の復興に還暦以上は口を出すな。50歳以上は口を出してもいいが、手を出すな」。復興には長い時間がかかる。町づくりが成功したかどうかの検証期間も入れれば、20年は必要だ。だから、町づくりをするのは、20年後の責任世代である今の30代でなければならない──。これが高橋氏の真意で、実際に女川町の還暦以上の人間は様々な分野で、現場の最前線から身を引いた。「会長の一言が全てのきっかけになった」。女川の被災事業者の支援等を手掛けるNPO法人『アスヘノキボウ』の小松洋介代表(34)は、こう振り返る。行政も若返りに応じた。当時、66歳の町長が身を引き、39歳だった若き県議会議員・須田善明氏にバトンが渡された。若い世代が責任を持って町づくりをする。それは、女川が巨大防潮堤建造を選ばなかったことからも見て取れる。政府の中央防災会議は震災後、巨大津波対策として防潮堤の建造を提言。殆どの自治体が提案を受け入れ、現在は総延長400kmに亘る防潮堤の建設を急いでいる。将来的な安全を担保する為には、防潮堤建造は致し方ないことのように思える。だが、女川の若い世代はそうは考えなかった。何より、防潮堤に視界を閉ざされてしまえば、“港町”の雰囲気は台無しになる。彼らが考えたのは“持続可能な町づくり”だ。他の自治体がどうあれ、今後も多くの若者が女川を愛し、住み続けていく為に必要なものは維持する。“海”はその最たるものであり、避難道路の整備や情報の伝達法を工夫する“減災”で津波に対応することを選択した。商店街にしてもそう。若者ならではのセンスを随所に取り入れた。「震災をきっかけに、若い人主導での街づくりが進み、地域に一気に活気が出てきた。新しい発想がどんどん生まれている」。スペインタイルの製造販売を手掛ける『みなとまちセラミカ工房』で働く丹野富士子さんは、こう話す。例えば、駅舎や商店街の建築物を極力、木造でコンパクトにしたのも彼らの発想だ。「なるべく大規模なコンクリート製の箱モノを補助金で建造する」という古い考え方を改め、維持・管理費の負担を将来に亘って最小限に抑えることを優先した。1970年代の1万7000人から、2010年には1万人まで人口が減少。65歳以上の割合を示す高齢化率は右肩上がりを続け、現在35%(全国平均26%)。若者主導に依る復興は、そんな女川のイメージを着実に変えつつある。

被災地に限らず、人口流出が加速する日本の地方。その流れを変える方法は限られている。1つは、エリア外から新たに人を呼び込むことだ。その為には、“倒産経験者歓迎”のように、他の地域には無い魅力を明確に打ち出すことが欠かせない。そして、そうした“他に無い魅力”を考える上では、それまで地域では目立たなかった若い世代の発想力を如何に引き出すかも重要になる。倒産経験者と若者に依る新たな形の復興――。そこには、日本の地方全体を創生する為のヒントも鏤められている。


キャプチャ  2016年3月14日号掲載


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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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