【偽善の逆襲】(04) フランスがそんなにエラいか

20160323 01
“学者バカ”は稚気愛でるべきものであるが、“バカ学者”は如何ともし難い。勤勉だけを頼りに生きてきたバカほど始末に負えないものはない。昨今の世界情勢、風雲急を告げたかの感ありだが、何か事態の急変が出来する度に、朝から晩までテレビでは、この手合いの揃い踏み、同じ顔が登場する。『スッキリ!!』(日本テレビ系)・『白熱ライブ ビビット』(TBSテレビ系)・『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系)・『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ/日本テレビ系)から、夕方の『news every.』(日本テレビ系)・『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日系)・『Nスタ』(TBSテレビ系)と、録画した映像を早送りすると、同じ顔ぶれが所変われど雁首揃えての御出演と知れる。どことなくシャビイな感じのする“専門家”、つまり大学や研究機関の先生方である。MCから「では、北朝鮮問題に造詣の深いS大学のI先生にお話を伺いましょう」と振られた専門家氏は、「非常に危険な兆候で、国際社会は今後の展開をより一層、注意深く見ていかねばならんでしょう」とコメントしてすまし顔でいたが、小生が通う床屋『バーバー・キング』のオカマ主人・シゲさんだって、もっと気の利いた筋金入りの“床屋談義”を披露してくれる。中東や北朝鮮の専門バカは、それでも未だ赦せる。問題は、フランスで起こった一連のテロに関する東京大学のフランス語文化人たちの生態である。私が敬愛して止まぬ“本物”の学者に平川祐弘がいる。苦み走った、骨の髄まで本物の学者で、お書きになった評論『幻想を振りまいた仏文学者の知的群像』にこんな一節がある。「東大の南原繁、丸山真男、マルクス経済学者の大内兵衛、都留重人などは千九百五十年代初め、岩波の雑誌や“朝日新聞”紙上で全面講和論を展開し、直接、間接に社会主義勢力を支持した。論壇を支配した勢力は一九六〇年には安保反対を唱えた。東大仏文の渡辺一夫も、『今こそ国会へ』と学生のデモを支持した。デモの一部は暴走し、仏文科の助手清水徹は警官の警棒で頭を割られた。国会前で女子学生が死亡するや、興奮は絶頂に達した。【中略】では、なぜそんなナイーヴな国際政治認識の渡辺発言が世に重んぜられたのか。それはラブレー研究の仏文学者の後光がさしていたからだろう。戦後はフランスに関することは大人気で、秀才が仏文に集まった」(『日本の正論』・河出青房新社)。平川が名を列挙した戦後東大の左翼思想に染まった学者たちの系譜は、未だにその弊害を残している。残滓とも言うべき存在に、政治学の姜尚中・哲学の高橋哲哉・国文学の小森陽一を挙げておけば充分だろうが、序でに書けば、文人にはノーベル文学賞受賞者の大江健三郎もいる。それでも、これらの者たちは「左翼思想に殉ずる」という信仰告白を旗幟鮮明にしてきた点で、未だしもある種の潔さがあることは認めよう。

だが一方で、鵺のように変わり身早く、何を言いたいのか意味不明な東大フランス語圏文化人がいることは嘆かわしい限りである。「パリのテロについて『これは9.11と同質のものか?』という質問を何度か受けた。私は『違うと思う』と答えた。9.11テロとの最大の違いは、フランス人には“心の準備”があったはずだということである。国内に500万人のムスリムを抱え、彼らを“郊外”のスラムに押し込め、文化資本獲得の機会から制度的に隔離してきたことをフランス人自身は知っている。【中略】フランス人たちはこれまで中東やアフリカで、さらには“郊外”で自分たちが何をしてきたのかを知っている。忘れようとしているが、知っている。だから“報復されるリスクがある”ということも知っていた。その点がアメリカとは違う。【中略】“正義のアメリカと邪悪なテロリスト”の戦いでの完全勝利をめざす国と、“邪悪なフランスと邪悪なテロリスト”の不毛な傷つけ合いの“おとしどころ”を探る国のいずれが、これから先テロを効果的に抑制できるか、私たちは注意深く見つめてゆく必要がある」(内田樹「パリのテロと9.11は同質か? 加害者の自覚あるフランス人」…『AERA』2015年12月28日・2016年1月4日合併増大号)。長い引用になったが、語尾の「私たちは注意深く見つめてゆく必要がある」と言われても、小生はこの“私たち”の中には金輪際入れて頂く気持ちの無いことを先ず申し入れておく。“みんな”とか“私たち”を気安く使うこの馴れ馴れしさ。ご本人は酒落たお喋りのつもりだろうが、中味は空源で空虚。要するに、「フランス人には罪の意識があるから、テロを巧く収束させられるだろう」という“フランス万歳”の滑稽話でしかない。百歩を譲って「イスラム教徒を差別してきたことを知っていた」自覚があるとして、それがどうしたというのだ? 貴方のような仏インテリ学者が「知っていた」として、同胞のフランス人を「人として赦されざる差別を為している」と今回一度でもフランス知識人は声を上げたことがあるとでも言うのか? テロの後、イスラム人を殴り、足蹴にして差別を一層キツくした市井のパリ市民は「知っている」が、知らないふりをしているとでも言うのか? 知らずにやりたい放題を行うアメ公を貴方は見下すが、知らずに加担しているほうが罪は未だ軽い。ここにあるものは、フランス人の考えること行うこと全てに条件反射的に下卑た礼賛の姿勢を取りたがる、時代遅れで安っぽい“おフランス、万歳ざます”主義なのである。




20160323 02
フランス国民には、“アフリカの植民地”という自ら手を汚した“過去”の清算に苦く大きな代償を払った歴史がある。1960年を跨いだ数年に亘って戦われた『アルジェリア独立戦争』である。この時も、植民地をフランス固有の領土として独立を阻止しようとした軍人・政治家は、この内戦をヨーロッパ文明と野蛮の戦いと位置付けた。フランス知識人たち(サルトルを筆頭に芸術家からジャーナリスト・公務員まで)は、この時、『121人宣言』を出した。サルトルは大いに盛名を馳せるところとなったが、無論、“栄光”はジャーナリズムという狭い世界における話である。一般のフランス国民は、それ以後、このチビでルンペン然とした格好の60歳間近の老人を決して理解しようとはしなかった。フランスで“知識人”という言葉が連想させるものは、アルジェリア独立戦争におけるサルトルの栄光と悲惨なのである。今次のパリ同時多発テロでエマニュエル・トッドやトマ・ピケティが表立って何も意見を表明しないのも、サルトルのトラウマである。1961年1月、ド・ゴール大統領の下で行われた“独立賛否”を問うた国民投票では、75%がアルジェリアの民族自決を、つまりド・ゴールの“植民地独立政策”に「ウィ」で支持を表明した。しかし、これは“過去の清算”に国民が理性的判断を下した結果ではない。アルジェのべルベル人より、フランス軍人がクーデターを起こしてパリを舞台に内戦が勃発する悪夢に怯えたせいである。フランス人の民主主義とはそうしたものである。パリ同時多発テロの後、オランドを先頭に、パリ市民は国歌と共にデモ行進した。これは、「自分たちには一点の非も無い」という示威行為である。国家国民たるもの、これで良いと小生は思う。爺さんたちの世代が中東で行った悪辣非道や、700年も大昔の宗教戦争の罪科をならず者たちに指弾される謂れなどあろう筈がない。どうせ脛に傷を持つ者同士なのだ。「目には目を」で一層激しい空爆を行い、『IS(イスラミックステート)』にいる無辜のアラブ市民を殺すくらいでなければ、パリでやられた腹の虫は治まるまい。「テロの遠因は、自分たちの非人道的な行為にある」等と反省している場合ではないのである。ISと地続きにあるフランス人には「殺るか、殺られるか」の問題である。簡単に謝ってはいけないのである。国家国民たる者、異文化・異人種にはそう簡単に頭を下げてはならないのだ。無論、フランス人の移民に対して行ってきた傲慢なまでに無自覚な暴力は、誰もが知るところである。故に、日本人と世界中の人々は、「フランス人がテロに遭って当然」と思っている。だが、フランス人には謝る謂れはないことも承知である。この点で、安倍総理は決定的な過ちを犯してしまった。韓国にあんな具合に謝っては、今後100年、時の宰相が間歇的に頭を下げ続けねばならない。韓国政府が半永久的に謝罪を要求し続けることは、“不可逆的に”固定されてしまった。世界は、思うさま腹黒いのである。


樫原米紀(かたぎはら・べいき) 著述家。1927年、オランダ王国スケベニンゲン生まれ。慶應義塾大学卒。商社で主に中東に赴任。独立して生家の海運業を継ぎ、傍らソビエト連邦との貿易に携わる。


キャプチャ  2016年2月号掲載
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