【震災5年・あの時】(07) 「帰れない」新宿駅大混乱

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「ドアを開けろ!」――。2011年3月11日午後2時46分の地震直後、『京王電鉄』の新宿駅長だった山崎信重さん(60)は、事務室で激しい揺れを感じると、部下にすかさず叫んだ。駅員が閉じ込められる訳にはいかない。改札前の通路に出ると、お年寄りらが柱や壁の傍でしゃがみ込んでいる。「過去に経験した地震とは全く違う」と直感した。3時過ぎ、運転指令から連絡が入った。「駅の手前で1本止まっている」。通常、同社では地震でも最寄りの駅まで走らせるが、ホームの先400mのトンネル内で約350人を乗せた電車が立ち往生していた。乗客の誘導を指示された駅員が飛び出した。JR・私鉄・地下鉄が迷路のように重なり合い、1日で横浜市の人口に匹敵する約350万人が乗降する新宿駅。金曜多方のラッシュ時間を前に全路線が停止し、“滞留者”が空前の規模に膨れ上がり始めた。

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①14:46 停止
余震が続いていた。京王電鉄の新宿駅近くのトンネルで停止した電車に、同社営業主任の小林雅樹さん(48)は辿り着いた。避難誘導を急がなければならない。先頭車両の避難用ドアを開け、7人掛けの椅子のクッションを外してスロープにした。「これが無いと危ない」。線路に沿って発光スティックを並べた。コンサート等で使われる製品だが、いざという時の為に事務室に置いていた。黄色く光る筋に沿って乗客を誘導。全員が無事、改札の外に出た。だが、安堵も束の間だった。改札の外側で運行再開を待つ人混みは見る間に膨れ上がり、小林さんらはお年寄りらが床に座れるよう、毛布等を運ぶ作業に追われた。京王と同じ新宿駅西口にある『小田急電鉄』の改札前でも人が増え続けた。「JRがシャッターを閉めた」。小田急で対応を指揮した副駅長の杉村勝人さん(58)は、同僚の言葉を聞いて嫌な予感がした。「人が全部、うちに来てしまう」。




②18:20 混乱
『JR東日本』が終日運転休止を発表し、新宿駅のシャッターを閉め始めたのは午後6時20分頃。担当者は、「電車を動かさないと決めた以上、駅構内に人を入れると混乱が広がるという判断だった」と振り返り、「結果的に利用客を閉め出す形になって申し訳なかった」と話す。この結果、私鉄や地下鉄の再開を待つ人が駅周辺に溢れた。冷え込みが強まり、公園や新宿御苑等に避難していた人も駅に戻った為、膨大な数の滞留者が居場所を求めて彷徨い始めた。0歳の娘を抱いて都内の子育てセミナーに来ていた横浜市の主婦・高山由貴さん(45)は、仕事帰りの夫が合流するのを小田急百貨店で待っていた。ところが、同百貨店は午後6時頃に「臨時閉店します」とアナウンス。高級品売り場にも人が滞留し、已むを得ず店外に誘導したという。高山さんは近くの小田急電鉄の改札前に移動。JRが動く可能性も無くなり、人混みの中でパンフレットを敷いて座った。「行き場が無かった。物凄く寒かった」

③20:40 デマ
午後8時40分頃。駅西口から徒歩で10分ほどのところにある東京都庁が、「本庁舎で帰宅困難者を受け入れる」と関係先に情報提供した。「助かった」。小田急電鉄の杉村さんは思った。駅員が滞留者を都庁に誘導した。ツイッターでは、「都庁に行けば温かい食事や飲み物が出る」という書き込みが繰り返し転載され、拡散していた。デマだった。都庁内の滞留者は約5000人にまで膨れ上がった。庁内管理担当課長の赤木宏行さん(51)は、ロビーの壁際にびっしりと人が座り込んでいるのを見て焦った。「公共機関だから拒めないが、これ以上はもう厳しい」。近くの工学院大学も、学長の判断で受け入れを決めた。すると、約700人が続々と1階に流れ込んできた。『京王プラザホテル』も約1600人を受け入れた。多数の滞留者を受け入れた施設は、他には殆ど無かった。

④22:00 再開
高山さんは、都庁への誘導が始まる前に仕事帰りの夫と合流し、午後7時前、漸く連絡が取れた義母がいる京王百貨店に向かった。同百貨店は社内で協議し、午後6時過ぎに臨時閉店。店内の客をどうするかは会社として決めていなかったが、保安担当統括マネージャーの生駒重信さん(61)は、放送でこう呼びかけた。「店内のお客様は、交通機関の回復までいて頂いて結構です」。高山さんたちは、義母が既にいた為、家族として中に入れた。同百貨店で運転再開を待ったのは約2300人。売り場のパンも配られた。午後10時頃。京王電鉄新宿駅の事務室に運転再開の連絡が入った。駅長の山崎信重さん(60)が改札前で「間もなく動きます!」と知らせると、拍手が湧いた。12日午前0時頃には小田急線も再開し、滞留者の多くは帰宅の途に就くことができた。高山さんは、翌朝8時まで店内の授乳室等で過ごし、ゆっくり帰宅した。ただ、京王百貨店では地震後、女性客が1人急病で倒れたり、翌日未明まで残った従業員が一時意識を失って搬送されたりと、トラブルが続いた。生駒さんは言う。「近隣の百貨店と連携する余裕も無かった。これが首都直下地震だったら、滞留者を受け入れるどころではなかったのではないか」 《肩書は当時》

■液状化、まるでアリ地獄
東京都との境に位置する千葉県浦安市は、震度5強の揺れで8割以上の地域で液状化現象が起きた。家は傾き、水道も断たれた。「変な揺れ方だった。船のように大きく揺れるが、不安定な花瓶でも倒れない」。スポーツインストラクターの松田美奈子さん(50)は家の外に飛び出し、信じられない光景を見た。道路では、電柱の根元から水が1mぐらいの高さで噴き出している。家の壁と地面の隙間から泥水が広がり、近所のエアコンの室外機がアリ地獄のように地中に呑み込まれていく。傍にいた近所の男性の言葉で漸くわかった。「これは液状化だよ!」。地中の配管も寸断され、市内は上下水道やガスが止 まった。松田さん一家は約1ヵ月間、近くの公園の仮設トイレを使い、銭湯に通う生活を送った。「液状化が困るのは、自分の家もそうなる可能性があると思っても、対策の取りようがないこと」。松田さんは思い知った。液状化に依る同市内の家屋被害は約9000棟に上った。桜井利夫さんの自宅は土が削られ傾いた。床に物を置くと転がり、寝る時も傾きが気になった。家の土台をジャッキで持ち上げ、水平にするまで半年かかった。45年前から浦安に住んできたが、「液状化なんていう話は聞いたことがなかった」。東日本大震災では、千葉や神奈川等、東京湾岸の広い範囲で液状化が起きた。内陸部の葛飾区等の5区でも、液状化に依り住宅56棟が傾く等の被害が出た。これに依り、課題となったのが液状化の予測だ。都は2013年、液状化の可能性が高い地域を示す“液状化予測図”を、従来よりも詳細なデータを基に改訂し、公表した。千葉県も“液状化しやすさマップ”を作成。対策工事の必要性を判断したり、住む場所を決めたりするのに活用できる。対策の壁になるのが費用だ。浦安市は、液状化した地域で道路の地盤強化工事を行っている他、住宅地でも住民の合意を条件に地盤改良工事を計画している。しかし、最大200万円とされた住民負担の大きさから、地盤改良の合意形成は進まず、今年4月から着工できるのは当初予定の4103戸中、45戸だという。『日本損害保険協会』は震災後、地震保険の認定基準に液状化特有の建物の沈下を追加する等、基準を緩和。液状化被害も広くカバーできるようにした。

■放射性物質、浄水場にも
原発事故の放射性物質は、東京上空にもやって来た。乳児の摂取の暫定規制値を上回る放射性ヨウ素が、江戸川水系の浄水場で検出された。この水道水の供給先の23区6市では、安全性への懸念が広がった。「金町浄水場 210Bq」――。3月23日昼、都水道局浄水部長だった吉田永さん(60)に、放射性ヨウ素の濃度検査の結果が届いた。厚生労働省が定める乳児の暫定規制値(1kg当たり100Bq)を優に上回る数字。原発事故後、初の規制値超えだった。2日前に雨が降っており、放射性物質が降下して数値が上がることは、ある程度予期していた。実際に基準を超えたことで、「直ぐに公表し、正しい情報を提供しなければならない」と緊張を覚えた。金町浄水場(葛飾区)を含む江戸川水系の水の供給先を頭に叩き込み、発表に臨んだ。供給先に住む約8万人の乳児の母親たちにとって、この発表の影響は大きかった。2月に生まれたばかりの長男がいた杉並区の島恵子さん(42)は、近所のコンビニに行き、飲料水の棚が空っぽなのに気付いた。インターネットも“在庫なし”の表示。買い占めだった。「ずっと続いたら拙い」と焦った。スーパーでは、「店頭に残った水をカートに全部積んでほしい」と店員に頼んでいる高齢の女性を見た。売り場には“乳児優先”との注意書きがあり、店員が断ると、「私だって危険なものは飲みたくないのよ!」とどなり始めた。同区では不安を少しでも抑える為、約4000世帯の乳児家庭を区職員が自転車で回り、550ミリリットルのペットボトルを3本ずつ配るという独自の取り組みも実施した。24日には水は規制値以下となり、摂取制限も解除されたが、都や杉並区は水道水や保育園で出される給食等について放射性物質の測定を継続し、ツイッター等で発信し続けている。島さんは「普段から測っていることの安心感はある」と、取り組みを評価している。

■計画停電5回、生活直撃
原発事故を受けた各原発の停止に伴い、東京電力は3月13日、「電力需給が逼迫する恐れがある」として計画停電の実施を発表した。東京23区では荒川・足立・板橋の3区が計画停電の対象に。計5回の停電を経験した荒川区では、市民生活に大きな影響が出た。震災から1週間が過ぎていた。荒川区町屋で食品加工工場を経営する徳岡光洋さん(54)は、工場にある巨大な乾燥機をやりきれない思いで見つめた。予め知らされた停電時間は午後6時20分。乾燥機は急に電源が落ちると放熱できず、火災の危険性がある為、数時間前に止めた。予定時間になると、音も無く全ての電気が一斉に消え、真っ暗になった。実は、徳岡さんは13日から停電の予定時間を東電に問い合わせ続けていたが、電話が繋がらず、当日になって実施を知った。「振り回されてばっかりだ」。憤りがこみ上げた。計画停電は14~28日に東電管内の1都8県で実施され、延べ7000万軒が対象になった。JR東海道線等の鉄道も一時運転を休止する等、電力が都市の生命線であることをまざまざと見せつけた。荒川区は計画停電を教訓に、住民対象の節電キャンペーンを行ったり、庁舎内の電球をLED(発光ダイオード)に替えたりした。徳岡さんも、工場事務所のLED化やガス暖房の導入で電気使用量を減らした。将来は、太陽光エネルギーで工場の電力使用分を賄う計画だ。一方、東京都は2012年から、庁舎の電力の一部を東電とは別の業者で賄っている。電力供給元を分散化させることで、停電等のリスクを下げる狙いだ。都内の事業者に対しても、自家発電設備やLED等の導入に助成を行っている。

■高層マンション、缶詰め状態続く
ベイエリアに林立する高層マンションでは、エレベーターの停止で高層階が孤立。長周期地震動と見られる大きな揺れを感じた住民もいた。50階前後の超高層マンションが並ぶ中央区佃の『コーシャタワー佃』(37階)。最上階の自宅で寛いでいた女性(84)は、大きな揺れを感じて咄嗟にテーブルの脚に掴まった。エレベーターは停止。前年に心臓病で倒れており、「歩いて下りるなんて考えられない」と、翌日まで家を出なかった。マンション居住者が人口の8割以上を占める中央区の調査では、大規模マンションで震災当日にエレベーターが復旧したのは25%に留まった。12%は最長1週間以上停止。管理組合等で震災前から備蓄等をしていたのは16%に過ぎず、高齢者らが電気や水を断たれて“高層難民”化するリスクが浮かんだ。同区は震災後、マンションの自治組織を対象に、防災用の資材購入の助成制度を新設。各マンションでは簡易トイレや水の備蓄等、高層階でも1週間は自室で過ごせる体制作りを進めている。マンションへの取材では、中層階の住民らが「大きな船の中のような揺れ」と証言した。南海トラフ地震でも発生が予想される長周期地震動。超高層ビルは最大2~3m揺れるとされ、国土交通省は今後、建築の際は設計段階で長周期地震動を考慮するよう求めることも検討中だ。

■“新宿ルール”受け入れ協定、機能せず
東日本大震災時、都内では約352万人の帰宅困難者が発生した。新宿駅周辺では、高層ビル・商業施設・鉄道会社等が協力して帰宅困難者を受け入れる“新宿ルール”を取り決めていたが、機能しなかった。首都直下地震等に備え、反省を生かした取り組みが始まっている。新宿ルールの策定は2009年3月。震災時は、区役所や各施設の担当者が集まって現地本部を設置し、連携して避難誘導や収容を行う等と定めていた。ところが、2011年の震災では本部は設けられず、互いに他施設の状況を把握できなかった。工学院大学の村上正浩准教授(都市防災)は、「区も各施設も、膨大な数の帰宅困難者の対応で手一杯だった」と振り返る。ルールは今年夏頃、各施設の動き方を具体的に示した内容に変更されるという。村上准教授は、交通網が回復するまで企業や学校に留まる“帰宅抑制”が徹底されなかったことが、混乱の最大の要因と見る。2012年に国等が纏めた報告書に依ると、震災時、従業員に“原則帰宅”を呼びかけた企業は36%に上った。都総合防災部事業調整担当課の森永健二課長は、「震災をきっかけに、重点を“帰宅支援”から“帰宅抑制”に切り替えた」と話す。首都直下地震では、都内の帰宅困難者は推定約517万人。都は2013年、初の『帰宅困難者対策条例』を施行し、企業等に帰宅抑制の努力義務を課した。一方、都は民間のビル等に“一時滞在施設”の確保を進めている。JR東日本は、新宿等の一部の駅で受け入れ場所を確保する予定。小田急電鉄は、一時滞在施設マップを利用客に配布している。ただ、首都直下地震の帰宅困難者のうち、行き場を失う人が92万人と推定されるのに対し、現時点で確保できた施設は24万人分。「トラブルの責任を追及される」との不安が施設側に根強いと見られる。

■「地震災害、他人事と思わない」  明治大学特任教授・中林一樹氏(都市防災)
東日本大震災は、首都圏では最大震度6弱だが、東京では殆ど被害が無かった。鉄道や高層ビルのエレベーターが止まったのも、安全確保の為だ。それでも多方面で問題が生じたのは、東京という大都市特有の背景がある。東京区部の昼間人口は1500万人を超え、人々の足である鉄道網は3分間隔という世界一精密なシステムの上に成り立っている。それが止まると、世界に類を見ない混乱が起きてしまう。被害想定が甘かったことに加え、住民1人ひとりや企業が「自ら被災する」と考えていなかったことも問題だ。首都直下地震でも帰宅困難は必ず発生する。問題は、滞留者が落ち着いて行動できるかだ。急いで帰ろうとして火災や建築物の破損で負傷したり、地元住民の避難場所を圧迫したりする混乱も予想され、一時滞在場所の確保が重要になる。高層マンションでも、高層階での備蓄体制作りを進め、住民同士が顔くらいはわかるようにしておきたい。首都直下地震の影響は、首都圏が巨大化したことで関東大震災を上回ると想定される。首都圏等で14万人超の死傷者と約60万棟の被害が生じる点で、東日本大震災とは全く違う。しかも、政府や大企業も被災地の中で対応することになる。自らも被災する事態をイメージし、災害対策に取り組めているかが問題だ。震災は他人事ではなく、誰もが被災者になり得ることを示したのが東日本大震災だった。人々の防災意識は、災害があると高まり、時間と共に低下する。報道や訓練等で、災害を思い出す機会を継続することが大切だ。 =おわり


≡読売新聞 2016年2月22日付掲載≡


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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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