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「肩書きもない、お金も稼いでいない…今の夫は、私が今まで会ったことのないタイプの男性だ」――職を失った夫を妻は愛せるか

私は今、オーストラリアと日本を行ったり来たりして暮らしている。家族と住むオーストラリアと、仕事のある日本。数週間ずつ滞在して、月に一度は飛行機に乗る。子どもたちは現地の学校に通い、私が日本にいるときは、夫が1人で彼らの弁当作りから宿題のサポートまでこなしている。食事はいつも夫が作る。私は庭仕事や掃除が得意。離れているときには、インターネットのテレビ電話を朝晩つないでお喋りする。時差が1時間しかないのに季節が逆で、パラレルワールドみたい。こんな風に暮らすようになるなんて、考えてもみなかった。何でこうなったかというと、そもそもは夫が仕事を辞めたからだ。今から1年半ほど前のこと。全く予想していなかったことだった。夫は、一度仕事を離れて充電したいと言った。20年以上も同じ会社で働いてきて、相応の立場で長くルーティンを果たしていたのだから、そんな気持ちになることもあろう。私も15年勤めた会社を辞めた身だ。きっと夫も、辞めるという結論に至るまでにはずいぶんと苦しんだはず。私が「会社を辞める!」と宣言したとき、夫は妻が無収入になるかも知れないことを甘受してくれた。だから今度は私の番。「うん、いいよ」って笑って言ってあげたかった。そうするべきだとは分かっていたけど……無理だった……。だって私は一度も「一家の大黒柱になる」なんて考えたことがなかったのだ。そんなこと、いきなり言われても困るよ!

今から20年前、男を年収で値踏みするような浅ましい女にはなりたくないと、男性と全く同じ待遇で働ける仕事を目指した。自分が持っているものを総動員して、結果手にしたのは『女子アナ』と呼ばれるテレビ局の正社員の座。男社会の甘い汁を吸う役回りであり、かつ、並みの男よりも高い年収を稼ぐ、おいしいとこどりの仕事だった。「ああこれで」とあのとき私は喜んだ。「これで親から自立できる。稼ぎのいい男を血眼で探す人生にもおさらばできる。私は好きな男と結婚しよう。好きになった男がたとえ一文無しでも、私は一家を養えるくらいの収入を得ているのだから、ためらうことなく結婚できるぞ!」と。だけどそのときは、たとえ話としてそう考えていただけで、まさか自分が将来、本当に夫と子供を養う立場になろうとは思ってもみなかった。自立心旺盛な若き日の私にとっては、言わば気持ちの保険として「たとえそうなっても大丈夫」と思えることが必要だったのであって、ほんとは無職の男と結婚する気なんて、さらさらなかったのだ。




私が好きになった相手は、世間が女子アナに期待するような華々しい王子様ではなかった。小さな会社のサラリーマンとの結婚を決めたとき、母はあからさまに不満げだったし、友達も拍子抜けしたような安堵したような顔を見せたけど、私は「どうだ、女子アナがみんな超玉の輿狙いだと思ったら大間違いだぞ!」とむしろ誇らしかった。当初の志を果たし、肩書きや年収最優先ではなく自分の好きな男と結婚できたのだから、めでたしめでたしだ。夫は一人暮らしの経験があるせいか家事も一通りできたし、男女の役割分担に全く無頓着な人だったので、家の中は上手く回った。仕事の話も相談できるし、互いに話題も豊富だし、共働き夫婦でよかったと思った。親と違う生き方を選んだことで自由になれた気がした。実際、私には性に合っていたと思う。私も夫も、一部上場企業に勤める父親と専業主婦の母親のもとに生まれ、郊外の一戸建てから満員電車に長時間揺られて中学から私学の一貫校に通った。当然のように“いい学校からいい会社へ”が人生のあるべき幸せと教えられて育ったけれど、2人ともいろいろな人との接点のあるマスコミ業界で働くことができたのは幸運だった。

「いろんな大人に『レールから外れたらおしまいだ』って聞かされて来たけど、嘘だったね。この世界には全然違うバックグラウンドからいろんな才能が集まって来て、肩書きもへったくれもなしに実力勝負で仕事している。あの長時間通学で私たちが必死にしがみついていた“あるべき幸せ”への切符がなくたって、人生はいろんな場所に開けていたんだね」と私たちはよく話したものだ。親は精一杯のことをしてくれたけど、親と同じ時代を生きることができなかった私たちは、大人になったとたん、なにが万人にとって自明の幸せかを見失った。大人の用意した正解を当てる訓練を積んで、いきなり自分で自分の正解を決めるのは難しい。けど私も夫も、毎朝夕の殺人的な満員電車に揺られながら、大人の用意した正解が現実とずれていることに、薄々気付いていた。何が自分にとって価値のあるものなのか、どうにか自分で決めたいともがき続けたという点では、夫も私もしんどい青春だったのかも知れない。

とはいえ私は自分がキャリア志向になるとは思ってもいなかった。やはり親の希望通り、父のような一部上場企業に勤める高給取りの男をつかまえて海外駐在生活を楽しむのが女の成功だと思っていたし、そうでなければ格落ちだと思っていた。それ以外の人生が、全く想像できなかったのだ。年の離れた姉がまさにそんな理想通りの結婚をしたのを見た15歳のときから、私は“ママやおねえちゃんみたいに幸せになれなかったらどうしよう病”になった。18歳の最初の失恋を機に、私は早々と玉の輿志向から宗旨替えした。みんなが羨む好条件の男を手に入れるには苛酷な競争に勝たなければならない。それは厳しすぎる。過干渉な親からも早く自立したかった。では、親から経済的に自立しつつ、男の経済力もあてにしない生き方を可能にするために必要なのは、ズバリ“私自身の経済力”という実に下らない理由ではあったけれどもはっきりとした必要に迫られて、私は稼ぐ女を目指した。人一倍の努力をした。研究の結果、自分の成績で目指せる唯一の男並みの稼ぎのある仕事は、面接と実技重視のアナウンサーであると判明。記念受験のミスコン上がりと違って「こちとら人生かかっとるんじゃ!」と鬼の形相で受験し、ミスコン無冠ながらなんとか内定した。

働き始めてから、経済的自立を意識し過ぎた私は、こう思っていた。「私は男と同等の待遇で働いている。だから男と対等である」と。ところが違ったのだ。男と同等の待遇を得ているからこそ「でも女子でーす」と従属の立場表明をしないと、男のプライドが許さない。ましてアナウンサーは出演者で、数ヵ月前まで学生だった女の子が、並みいるベテラン社員が頭を下げる大物ゲストと並んで親しく喋り、全国放送に映る。どんなに高学歴で優秀でも下積みから始めなければならない他の社員からしたら、いくら専門職とは言え複雑な思いがあるだろう。そういうことを敏感に察知して、敵を作らないように振る舞う能力が、若い女性アナウンサーには必要なのだった。総合的な知力というか、処世術。当時の私にはゼロだった。女が男並みに稼ぐことの誇らしさはまた一方で、私にある特権意識を抱かせていた。「私は他の女とは違う」という自負だ。もともとは玉の輿志向の私にとって、やはり男は権威の象徴だった。本来は当てにして、庇護してもらう相手として、男が想定されている。でも私は、敢えてそれを必要としない人生を選んだのだ、という自負があった。だから当時は「私、中身は男だから!」などと言ってみせたものだ。このように言う女性は少なくない。「女としてはがさつでダメですから」という体をとりながら、その実言いたいのは「私って、男と同じ階級なの。その辺の女とは違うの」ということだ。男の権威に自分を寄せて行くことで格上げを図ろうという心理は、彼女が男社会で悔しい思いをして来た結果であろうが、同時にその構造に自ら権威づけをしてしまっていることの証明でもある。だから、私はこの手の女を信用しない。古い権威に肖って自分の価値を語る者には、新しい世界を作ることはできないからだ。

自分はもうそんなみっともない真似はしないと思っていた。でもやっぱり嫌らしい女だったんだと気がついたのは、夫が仕事を辞めてからだ。無職になった夫を前にして、私は激しく動揺した。自分の一部が崩れてしまったような不安と、それが夫のせいであると責めたい気持ちでいっぱいになった。私1人が稼ぎ手になるのは、貧乏くじを引いたような気持ちだった。「働きながら育児や家事をする。このしんどさを2人で語ろうね」と言える相手がいなくなってしまった。「あなただけ降りたの?」と詰りたくなった。「ずるい、あなただけ楽になって」。だから不安に駆られて夫に当たった。「あなたが仕事を辞めたから私はこんなに大変!」「仕事の辛さはあなたには分からないでしょうね」「誰のお金だと思っているの?」……最低の発言の連発。私が最も嫌悪していた、妻にいばりちらすオヤジが、私の中に棲んでいたのだ。今まで軽蔑し、憎んで、闘って来た男社会の権威を振りかざすクソオヤジが、私の本性だったのか!? それはとてもショックな発見だった。そうか、私は自分をすごく特別な女だと思っていたのだ。だから、「特別な私には特別な男じゃなきゃ釣り合わない」って思っていたんだ。夫の肩書きや年収を自分の手柄にするような下品な女を軽蔑しながら、私は私で密かに夫の仕事ぶりを値踏みしていたのだ。つまり、私から見て「彼は私という特別な女に見合うほど立派な男かどうか」と。他人の目に照らすか自分の目で判断するかの違いはあっても、結局はそれは相手を値踏みすることに変わりはない。すごく、すごく下品なことだった。

夫が仕事を辞めて私が不安になったのは、働いていない男の価値をはからなくてはならなくなったことにパニックになったからだ。一銭もお金を稼がない男の価値をどのようにはかればいいか、私には分からなかった。つまり、そうではないと言いながら、結局は夫がなにがしかお金を稼いでいるという事実が、私にとっては彼の社会的な価値の証明となっていたということだ。「稼がない男に社会的な価値はあるのか?」という根本的な問いの重さに、私は負けた。だから不安になって、取り乱したのだ。取り乱した私の中から出てきたのは、私が深い深いところで囚われていた内面化した男の視点だった。その視点は何度も私を苛んでいた。「女のくせに子どもを預けるなんて」「女のくせに家事を夫にもやらせるなんて」。女のくせに。その同じ問いを、夫に向けたのだ。「男のくせに、お前、働かないのか?」って。思い返せば、そのオヤジはずっと私の中にいた。男受けする女子アナらしく振る舞えない自分に罵詈雑言を浴びせ、ダメ出しし続けていたのも、そいつだった。「今日もブスだった」「生意気だった」「みっともなかった」と執拗に自分を苛めて、過食嘔吐でぼろぼろになってもその声が鳴り止むことはなかった。大きな賞をもらっても、信頼できる仲間が増えても、夫がそばにいてくれても、「こんな女ろくでもない」ってあざ笑うのは、私の中のマッチョなオヤジや、ひねくれたダメ男だ。どこで私はこの男たちを拾って来てしまったのだろう? いつから彼らは私の中に棲みついたのか。




女性誌の見出しには“愛されワンピ”“モテメイク”などの見出しが躍る。実際に愛されたりもてたりするためでもあるが、それ以上に女は「男の品定めで最上級とされる女の条件をクリアしている自分は、他の女よりもいけている」という点で満足する。いかにも男に求められそうな要素の多い女ほど、仲間内では強い女となる。しかしそのいかにも男に求められそうな、というのは女が内面化した男の視点なので、必ずしも実際の男の視点とは一致しない。モテメイクで洗練された愛され服の女よりも、ちょっとださくてメイクも垢抜けない女の方がはるかにもてる。本当に男を獲りに行っている賢い女はそれを知っているので、決して流行を追ったりはしないものだ。女たちの内なる男は、もしかしたら営々と受け継がれて来た女系の遺産かも知れない。私が「ママやお姉ちゃんのような幸せを手にできなかったらどうしよう」と怯えたのは、彼女たちが理想化した男性像を受け継いで、それにピッタリと合うかそれ以上の生身の男性に出会えなければいい人生を手にできないと信じ込んだからだ。それを自ら放棄したつもりでいたけれど、かしずく奥さんを求める男像は長らく私の中に巣くっており、夫に対して「こんな妻で気の毒だわね」「どうせ私に愛想つかしているんでしょ」などとよく言いがかりをつけたものだ。夫には何度も何度も言われた。「俺はそんなことを思っていない。思ってもいないことで責められるのは困る」と。でもどうしても信じられなかった。

それがピークに達したのは、夫が仕事を辞めた直後のことだった。「あなたはきっと今まで、私に対して不満をたくさん溜めて来たんでしょ? きっと私が子どもを産んでも働き続けたり、手料理を毎日作らなかったり、あなたに家事をやらせたりしたことをあなたは恨んでいるんでしょ? だから私への復讐で仕事を辞めて、こんなに不安にさせたのよね? これって嫌がらせよね? どうせ私はダメな妻よ!! だけどね、そんなことを妻に求めるあなたは最低の男よ!!」……さすがにめちゃくちゃなことを言っているのは分かったけど、止まらなかった。「これは夫じゃない、誰かに向かって叫んでるんだ」と途中で気がついた。今まで私が出会って来た、女を役割でしか見ない男たちだ。父は一生懸命働いて私を大学まで出してくれたけど、専業主婦で学歴も高くない母を見下しているところがあった。私に対しても、ときどき目つきが気に入らないと怒鳴ることがあった。食事のときにお茶のお替わりをするのに箸で空の茶碗を指すだけの父に、私はよく猛然と言ったものだ。「パパ、ちゃんと言葉で頼みなよ、ママは使用人じゃないんだから」。母と喧嘩した私に「あまりママを苛めないで。パパのママなんだから」と言った父に「人は誰のことも自分のものになんてできない」と密かに怒りを募らせていた。

自分の中にはそうした男たちが刷り込まれている。それと同時に、反発する自分も、反発できない自分もいる。いつもそれがぐるぐると入れ替わっては、かしずく奥さんじゃない自分を責め、生意気な自分を責め、意気地なしの自分を責め、どこにもこれで良しという自分の居場所を作ろうとはしない。目の前の夫と子どもたちだけは、私にそのままそこにいていいと言ってくれる。それが救いだった。そうと分かっているのに、私は仕事を辞めた夫を、私を抑圧した男たちの身代わりにしたのだ。立場が弱くなった男に、今までの恨みをぶつけた。夫はただの、男の形をしたサンドバッグだった。夫は、私の言葉に深く傷つきながらも、何が起きているかをよく分かってくれた。私を大好きでいてくれる人をそのような身代りに使うことでしか、自分の内面化した男を殺すことができないことに私もひどく傷つき、苦しんだ。額の生え際の毛が大量に抜け、腰を痛め、インフルエンザになった。自分の邪気に当てられて、暗い底まで落ちていった。底を打って上がってはまた落ちての繰り返しだった。

そんな修羅場のやりとりをしながらも、私たちは夫婦でたくさん話をした。せっかく仕事を辞めたのだから、あなたが仕事をしていたらできなかったことをしよう。その結果出した答えが「オーストラリアに引っ越す!」だった。2人とも東京で仕事をしている。それはこの先もずっと変わらないと思っていた。けど、辞めちゃったなら、私が行き来さえできれば、どこにだって住める。話し合った結果、子どもをのびのび育てたいこともあり、私の生まれ故郷のオーストラリアに住むことにした。夫は異国で家事専業、私は日豪往復の出稼ぎ。結婚して14年、夫も私も、今まで全く予想もしなかった、それまでと全然違うかたちの生活が始まった。「人生にこんな思いがけないことが起きるなんて」と2人でしみじみ話し合った。こんな将来、考えたこともなかった。幸い、子どもたちはオーストラリアが性に合っているらしく、現地の学校での友達もたくさんできた。豪州生活が半年を過ぎる頃、私は自分の中のオヤジがいなくなっていることに気がついた。

私がいない間、家事専業で子どもたちと真剣に向き合っている夫は、カッコいい。英語は上手じゃないけど、ばっちり暮らせている生命力が素晴らしい。慣れない環境で、1人で子育てするのはすごく大変だと思う。私には怖くてできない。絶対無理。それをやってのけている彼はすごいと素直に思う。我が家のリーダーはやっぱり彼しかいないし、彼とじゃなかったらこんな面白い展開、あり得なかった。「ああそうか、彼が私をここに連れて来てくれたんだ」とオーストラリアの青い空を見上げて思う。何でも自分で決めるのがいいんだと思って来たけど、ひとの人生に巻き込まれてみるのって、悪くないな。今の夫は、私が今まで会ったことのないタイプの男性だ。肩書きがない。お金も稼いでいない。だけど自分のことは自分でできて、家族を守れて、新しいことに挑戦して、孤独にも耐えて、年齢や環境を言い訳にせず、変化に合わせて自分を更新できる。そしてなんだか存在が大きい。「わあ、そういう男もいたんだ!」って大発見だ。50近くなって、仕事を辞めて異国に住むって相当な決意だし、妻の稼ぎを信じているっていうのもすごい。私はそこまで人を信じられない。だから共働きで保険をかけちゃうだろうけど、夫は、私を信じている。おお、それってすごくないか。

夫が教えてくれた新しい男性像の他にも、発見があった。飛行機で往復しながらふと思ったのだ。商社マンだった父は、どんな気持ちで飛行機に乗っていたのかな。家族のこと、仕事のこと、きっと不安もあっただろう。出張先からハガキをくれたりお土産を買って来てくれたけど、どんな気持ちで働いていたのかな。大黒柱のプレッシャーでブルブルしている私には、やっと父の大変さが実感できた。ああ、家族を養うってとても大変なことなんだ。それは私がようやく身にしみて知ったしみじみとした父への労りの気持ちであり、感謝だった。異国で私を産んだ母の大変さも、現地校に通った姉のしんどさも、私は何も分かっていなかったんだな……。

内面化したオヤジの死によって、私は1つ大きなことを学んだ。もう男性を自由にしなくちゃいけない。私は女だから、働くことも産むことも“選択”できた。休んだり辞めたりすることも選べた。でも彼らは今まで、選択することはできなかったのだ。良き稼ぎ手になることだけを前提に人生を設計しなくてはならなかった。だけど、男も女も、働いたり働かなかったり、働き方を変えたりできた方がいい。夫の幸せそうな姿を見て、心底そう思った。1人で放り出されたら生活する術がないのはリスクが大きいけれど、仕事に就いたら働き方を変えることもままならない人生も生きづらい。夫が仕事を辞めたことで私たち夫婦が大きく生活を変えたように、夫婦それぞれに人生のステージで挑戦したり休憩したりしてもいいのだ。病気や介護や育児で、それまでの生活を変えざるを得ないこともある。男だろうと女だろうと、いつどのような形で働くか、働かないかは自分で決めていいはずだ。女の先達が「男並みの自由を」と声を上げて、私たちは働く自由を手にしたけれど、これからは「誰であれ自由に」って私たちが言う出番だ。私の中のオヤジの殲滅は、私の中のヨメの克服でもあった。女が人生の選択肢を増やしつつも手放さなかった「男は良き稼ぎ手であれ」という思い込みを捨てて男を解放すれば、男の働き方が多様になる。結果として、「女は良き支えであれ」という抑圧の構造から、働く女もそうでない女も自由になるのだ。今度帰ったら、夫を思い切り抱きしめようと思う。


小島慶子(こじま・けいこ) タレント・エッセイスト。1972年オーストラリア生まれ。小学生時代をシンガポールと香港で暮らす。学習院大学法学部卒。1995年TBS入社。2010年よりフリー。近著に『解縛 しんどい親から自由になる』(小社刊)。


キャプチャ  2014年12月号掲載


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