【ふるさと再訪】福島・いわき(13) 被災地と紡ぐ絆、新たな共生の道作る

先週末、“あわてん坊のサンタクロース”がいわき市内の被災地や仮設住宅に現れた。連載6回目に登場した双葉町出身の神田望美さん(33)が代表を務めるNPO法人『パワー・オブ・ジャパン』(千葉県松戸市)のボランティア約60人だ。サンタに扮するのは全国から参加した10~70代の男女。各地から届いたプレゼントと手紙を持って、1軒1軒回っていく。いわきニュータウン(中央台)の楢葉町仮設住宅。「メリークリスマス! また来たよ」「美人のサンタさんばっかりじゃ。俺もプレゼントすっからな」。高齢者が手作りの花のぼんぼりを手渡すと、「すごーい。おじいちゃん。ありがとう」。若い女性サンタらが感激している。被災の年から参加する東京の女性(77)は特に独り住まいの高齢者の話に耳を傾ける。私に「去年危なかったおじいちゃんが亡くなっていました。孤独死です」と悲しげにつぶやいた。「私ぐらいの歳だと仮設暮らしのつらさがわかります」。現在、日中のみ帰宅可能な楢葉町は“来春以降の帰還”を目指すが、実現性を疑う避難者は少なくない。自宅で着物などを盗まれた、と不安や不満を訴える高齢者も多い。若いサンタらが「来年もまた来るね」と声をかける姿に複雑な思いがする。一方、遠来のサンタに“本物の笑顔”を見せる人々に、不自由な暮らしの影が透けて見える。




いわきで取材を始める発端は昨年12月、東京・新宿の“見なし仮設”の都営住宅で、同ニュータウンから来た植木秀子さん(54)に会ったことだ。半壊した自宅に昨年3月、NPO法人『元気の素カンパニー以和貴』を立ち上げ、卓話会や映画上映などのイベントを開く。3.11から1ヵ月後のいわき震源の大地震後、東京の避難所を家族で転々とした。被災直後、ガソリン・食料など多くの物資も「いわきには行けない」と輸送を拒まれたこと、新旧住民の軋轢について語り、何度も言葉を詰まらせた。長い取材を終えたのは夕方だったが、「あまり東電を使いたくない」と電灯をつけない。

3.11以来、私は宮城・岩手・福島の被災地を何度か訪れたが、昨年2月、仙台在住の作家・熊谷達也さんをインタビューした際の言葉が心に突き刺さっていた。「被災地には歳月の区切りはない」「南北600kmにわたる被災地もみんな被災・復興状況が違う」。そんな中で収束しない原発問題を抱え、共生が課題の当地に焦点を定め、9月から本格取材を始めた。初めて分かった変化もある。いわき湯本温泉旅館協同組合理事長の『うお昭』・草野昭男社長(59)は「原発作業員らで満杯だった時期は被災後1年半ぐらい。既に広野町などに移動したのに、いまだ誤解され一般客が戻らない」と話す。従業員を大幅に減らし、手をかけた料理が出せない旅館もある。「原発・被災地視察など新たな観光スタイルをつくる必要がある」。サンタが仮設住宅を回った前日、市最大の泉中学校の体育館では全校生徒820人を集め『元気の素カンパニー』主催の『ふるさとがえり』上映会が開かれた。電話からは「生徒たちが感動してくれた」と植木さんのうれしそうな声が響いた。道のりは険しいが、人々の力が復興と共生を紡いでいく。 =おわり 《編集委員・嶋沢裕志(59)》


キャプチャ  2014年12月27日付夕刊掲載


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