【特別寄稿】 「世界の真の敵はイスラム恐怖症である」――“現代最高の知性”エマニュエル・トッドが読み解くヨーロッパの病理

20160405 01
昨年、フランスでは社会を揺るがす2回のテロがありました。1月7日の『シャルリーエブド』襲撃事件と、11月13日の『パリ同時多発テロ』です。現在、フランスは“闇の中”に沈没しつつあります。それを齎しているのは、多くの犠牲者を出したテロそのものではありません。非常に力を持っている中産階級(社会全体の上位半分)が、移民や若者といった下位の階級の人々に対して利己的な態度を取ることによって、社会がそういった人々を吸収・統合する能力を失っている現象に他なりません。“自由・平等・友愛”というフランス革命以来の標語に基づく共和国の在り方は消えつつあるのです。フランスを始めとするヨーロッパの中産階級には、ヒステリックなイスラム恐怖症が蔓延しています。しかし、そこで悪魔のように語られるイスラム教徒は、実像を反映したものではなく、人々が極めて観念的に作り上げたフィクションです。失業率が10%を超えているフランスは、経済的な苦境に立たされています。そして、全ての先進国に共通する特徴の1つは、若者たちが社会的にも経済的にも押し潰されようとしていること。中でも厳しい状況に置かれているのが、イスラム圏を出身地とする若者たちです。イスラム恐怖症は、経済的に抑圧された若者を社会から疎外させ、事態をより深刻にしています。フランスの社会的メカニズムの一部となりつつある不平等さ・不寛容さが、フランスの若者をテロリズムに導くことに繋がっているのです。シャルリーエブド事件の直後、パリ市内、そしてフランス各地の街角で「私はシャルリー」(Je suis Charlie)とメッセージを掲げる数百万人の市民が繰り広げたデモ行進は、まさにそうした無自覚な差別主義の発露でした。差別されている弱者グループの宗教の中心人物であるムハンマドを冒涜することは、宗教的・民族的・人種的憎悪の教唆と見做さなければなりません。大いに美化された“表現の自由”を訴える。“シャルリー”たちの主張からは、観念的なイスラム恐怖症が見え隠れし、平等や友愛の精神は置き去りにされていたのです。ヒステリックな反応の嵐が吹き荒れる中、シャルリー現象への僅かな疑いすら述べることが許されない風潮がありました。いつの間にか、「私はシャルリー」という決まり文句は「私はフランス人」と同義になり、ムハンマドへの冒涜はフランス人の“権利”ではなく“義務”となっていたのです。ムハンマドの風刺をフランス社会の真の優先事項と見做さなかった私は、昨年1月の事件の後、演出された挙国一致の世情に嫌気が差して、数ヵ月間に亘ってフランス国内メディアからのインタビュー依頼を全て拒否しました。尤も、「私はシャルリー」と声高に叫ぶ人々は、「自分たちこそがフランス革命の理念の体現者である」と信じて疑わなかった訳ですが。

こういった一連の事象の背景にあるものとして、現代フランスにおける宗教的危機の状況を強調しない訳にはいきません。つまり、集団的信仰としての宗教が消えてしまったということ。嘗て、フランスにおいて中心的だったカトリックは、すっかり社会の本流からは消滅してしまいました。結果として、個人は益々超個人主義的になって孤立しています。こうした精神的な空白から、拠り所を失ったフランスの支配階級は、自己陶酔的な肯定の場を“反イスラム”に求めているのです。都市郊外の若者や一般の労働者は、昨年1月11日にフランス各地で行われた巨大デモには殆ど参加しませんでした。逆に、シャルリー運動に高いパーセンテージで参加していたのは、最近までカトリックだったが今はそうでない諸地域の人々だったことが、各種の調査から明らかになっています。宗教的危機と経済問題で顕著になっている社会の統合能力の低下を前にして、指導者だけではなく、中産階級全体が本来取り組むべき問題を解決しようという気持ちを失っています。寧ろ、危機の本質から逃れる為に、「フランス全体がイスラムに対して戦争状態にある」と信じさせようとしています。「イスラム教をスケープゴートに仕立て上げることで統治をしよう」と政府が(無意識かもしれませんが)動いており、国民もある程度は追随している状態にあります。1年前のテロの際には、宗教的危機に便乗する形で、政府が心理的ショックを利用して一致団結を演出しました。オランド大統領は大規模なデモの実施を決め、全国的な動員へと繋がりました。そして、休刊を余儀なくされたシャルリーエブドは、政府の助成金によって特別号を発刊しました。再びムハンマドを冒涜する表紙と共に――。“自由の国”フランスは、暗い歴史を背負っています。例えば、第2次世界大戦中にナチスドイツに協力したヴィシー政権は、それまでの共和国的な価値観を放棄して全体主義的な政体を築きました。このままの歩みを続ければ、フランスは近い将来、再び同じような変容を迎えることになりかねません。これは誤解してほしくない点ですが、私は決して心楽しく、「祖国が夜の闇にのめり込んでいる」と指摘している訳ではありません。こう発言せざるを得ないことは、自分にとって気持ちの上でとても辛いことです。自分の知っているフランス、そして自分の愛する世界が失われてしまう訳ですから。




20160405 02
こうした社会崩壊のプロセスを分析し、また危惧の念を表明したのが、昨年5月に発表した『シャルリとは誰か?』です。私の言説は多くのフランス人にショックを与えたようで、ヒステリックな反発も受けました。マニュエル・ヴァルス首相(左写真)は書籍の発売当日に、『いや、1月11日のフランスは欺瞞ではない』と題する長い論評を『ル・モンド』(5月7日付)の1面に寄稿して、私を公然と批判しました。政治指導者の本来の役割は、失業率が高止まりしている目の前の経済状況を好転させることにある筈なのですが…。残念ながら、『シャルリとは誰か?』で示した不安は最早、杞憂とは言えなくなりました。現在、オランド政権は、二重国籍のフランス人がテロリストとして有罪となった場合、フランス国籍を剥奪するという条項を憲法に書き込もうとしています。国民の間に2つのカテゴリーを作って、両者に法律的な差を設けようというのです。これは、ヴィシー政権が国内のユダヤ人からフランス国籍を剥奪した過去を彷彿とさせます。若し現代のフランスでもそんなことが起きれば、それはあらゆる市民が平等であるという普遍主義的共和国の終焉に他なりません。フランスで大きな議論を巻き起こしているこの問題からは、私は一種の狂気のようなものを感じます。というのも、実際的なテロ防止には何の効果も発揮しないことが明白だからです。命懸けでテロを企てている若者が、国籍を剥奪されるからといって犯行を思い留まるでしょうか。ところが、政府は恰も憲法改定を反テロの象徴であるかの如く振り翳している。中世の魔法使いが、雨を降らせる為に行っていた儀式と殆ど変わりありません。現在、フランスには約300万人の二重国籍者がいます。多くはモロッコやアルジェリアといったマグレブ諸国出身で、然程熱心でない人も含めて大半はイスラム教徒が占めています。こうした人々を危険なカテゴリーに押し込め、テロリストになる候補者として扱うことは、国民の分断を招くだけで全く馬鹿げた行為であると言えます。或いは、支配階級や為政者たちは、無自覚の内にフランス社会の倒錯的な欲求を示しているのかもしれません。要するに、「イスラムなる“敵”と対決したい」という欲求です。それが顕在化したのが、「私はシャルリー」デモだったのです。しかし、それは当然ながら国民の約1割を占めるイスラム系の市民と対立し、彼らを排除することに繋がります。更には、眠っていた反ユダヤ主義も呼び起こしつつあります。この分断を私は“夜の闇”と呼んでいるのです。

近年、排外主義を掲げる政党『国民戦線』の躍進がフランス内外で話題になっています。確かに、国民戦線は外国人嫌いの傾向が強い政党であることは間違いありません。しかし、フランスの主要政党を見渡すと、どの政党も今や“ライシテ(世俗性)”を強調しています。元々、政教分離と国家の宗教的中立性を意味していたライシテは、今ではイスラム恐怖症のコードネームのようになっています。国民戦線の主張が“主観的外国人恐怖症”であるとすれば、社会党や保守派の共和党は“客観的外国人恐怖症”であるとも言えます。イスラム系の若者は、左派の社会党に投票することが多い訳ですが、社会党が実は移民に好意的ではないことを敏感に感じ取っています。例えば、フランス北部のリールという街で出会った若者は、社会党が客観的外国人恐怖症であるという私の指摘に対して、「実際、そうだと思う」と語ってくれました。社会党の党内組織には、マグレブ系の若者が殆ど受け入れられていないと言うのです。実際に党幹部のメンバー構成を見ても、信仰を失ったカトリック文化出身者の勢力が非常に強いことがわかります。つまり、フランスにおける差別主義は最早、“極右”である国民戦線に限定された病根とは言えないのです。多くの若者たちにとって、現状が耐え難いことは想像に難くありません。若しもフランス共産党が生き延びていれば、社会の統合という点では役に立つ政党であっただろうと思います。フランスではよく言われる冗談ですが、共産主義は1つの普遍主義であって、国民全員を等しく強制収容所に入れるという思想ですから。

20160405 03
第2のテロ、即ち11月13日のパリ同時多発テロは、まさに私が危惧した形で発生しました。都市郊外で育ったフランスとベルギー国籍の若者たちによって引き起こされたテロは、130名もの犠牲者を出しました。ジャーナリスト・警察官・ユダヤ教徒といった特定の人々をイデオロギー的な理由で狙ったシャルリーエブド事件とは違って、無差別に行われた犯行は、殺す為に殺している、純粋なニヒリズムを感じるような行為でした。従って、テロの後には、反イスラムやライシテといったイデオロギーの問題に転化するような現象が起こらなかったのです。寧ろ、多くの人々はショックを受け、茫然自失となっていました。テロの現場となったパリ11区は、パリ市内でも最も自由で活発な雰囲気があり、若い世代が集う国際的な街でした。私自身も多くの思い出がある場所です。第2のテロを受けての反応は、「私はシャルリー」の行進ではなく、政府による“戦争”の布告でした。フランスの空母『シャルル・ドゴール』から飛び立った戦闘爆撃機が、『IS(イスラミックステート)』が拠点としているシリアやイラクを攻撃したのです。確かに、ISはフランスを含めた西洋文明を敵視しています。過激派によるテロがパリ市内で起きた。また次なるテロが起きるかもしれない状況において、私たちはどうしても反知性主義的な反応を示すようになる。それが戦争にのめり込んでいく原因となるのです。ここで、私たちは少し理性的に状況を整理しなければならないでしょう。抑々、ISは悪魔のように言われていますが、歴史家・社会学者の観点から見れば、広範な意味において西洋が生み出したものなのです。特にアメリカは、近年の歴史において、中東を破壊する戦争に荷担してきた。勿論、アメリカだけではありませんが、そこに欧米の責任があることを忘れてはなりません。しかも、ISの中のジハード戦士たちは、西洋から現地入りした若者が大きな部分を占めています。アルジェリア人からこんな話を聞いたことがあります。くだけた表現ですが、「何でヨーロッパ諸国は、あなた方の“クソみたいなもの”をこっちへ送ってくるのか」と。ジハード戦士をイスラム社会から出てきたものとは見做していない訳です。シリアを中心とする中東の混乱を巡る問題で、当事者となり得る国は、イラン、トルコ、サウジアラビアです。それに加えて、決定的な軍事力を持っている国がアメリカとロシア。私が思うに、紛争はこの5ヵ国間で解決させるべきです。その上で、今のフランスには、そのオペレーションの場において結果を伴う行動を取るだけの能力は無い。従って、フランスが軍事的にやっていることは無意味なのです。寧ろフランスが行うべきなのは、イスラム恐怖症、或いは反ユダヤ主義に蝕まれている状況にある国内を再建することです。

今の状況でフランスが国外へ介入すると、力を尽くさなければならない国内の状況を寧ろ悪化させてしまう結果になってしまいます。実は、私がこうした意見を表明するのは初めてのことです。恐らく、フランスでは一種の裏切り者・敗北主義者と見做されてしまうでしょう。確かに歴史を振り返ると、フランスには普遍的な価値を掲げて、大きな役割を果たした時代がありました。イスラエルやシリアの情勢についても、フランスが介入して意味のある時期もあった。しかしながら、現在のフランスには国際的な道義や規範に関して発言する資格はありません。友人たちは「その通りだ」と言ってくれると思いますが、私は愛国者です。しかし、自国に十分な能力が無い時には、それを率直に認め、能力が無いことを直言することこそ愛国者の務めだと信じています。今のところ、発表されている世論調査等を見る限 り、フランス国内でISへの爆撃は概ね肯定されているように見受けられます。しかし、一部では風向きが変わりつつある。あるフランスのトーク番組にヴァルス首相が出向いた時、社会批評を行うユーモリスト(漫談師)が「それは“あなたの戦争”であって、“私の戦争”ではない」と言ってのけたのです。こうした意識は広がっていく可能性があるでしょう。「国の為に戦争で死ぬ覚悟があるか」という国際世論調査に対しても、フランスでは決して好戦的な結果は出てこなかった。このことからも、フランスにおける反イスラムの動きが極めて観念的であることが窺えます。因みに、余談になりますが、他国と比べて日本人で突出して多かったのが「わからない」という回答でした。これは以前から気になっていた傾向ですが、日本では自分の意見を留保しておくという態度が非常に多いことは大変興味深いです。日本もまた、ISから名指しで標的にされている先進国の一員です。私は日本外交の専門家ではありませんが、日本が中東の原油に依存していることは理解しています。従って、中東が戦略的に重要な地域であることは間違いない。しかし、日本もフランスと同様に、あの地域に平和や安定を築けるだけの軍事力を保持しているとは思えません。今、中東で進行している事態は、イスラム教スンニ派の盟主であるサウジアラビアの崩壊です。今後、スンニ派地域は国家崩壊のゾーンになるでしょう。若し私が日本人ならば、これから安定の極になるであろうシーア派国家・イランと良好な関係を築きます。

20160405 04
昨年、テロと共にヨーロッパを大きく揺るがしたのは、大量に流入してきたシリア難民の問題です。イスラム恐怖症が蔓延するフランスを尻目に、ドイツは大々的に難民への門戸を開きました。このニュースに接した時、私は「とても立派ではあるが冒険的で危険な選択だ」と感じました。勿論、私は基本的には移民の受け入れに賛成の立場です。しかしながら、移民の受け入れは、人々の文化的な差異に注意しながら慎重に進めるベき事柄であることも事実なのです。経済的な基盤が他のヨーロッパ諸国よりも強固なドイツは、外から来る者を経済的に受け入れる能力は高い。底辺の労働力を求めているからです。ところが、既にドイツに多数存在する移民を見ると、残念ながら必ずしも統合に成功しているとは言えません。ユーゴスラビア、ロシア、ギリシャからの移民はある程度上手くいっていますが、イスラム系のトルコ移民はあまり社会に溶け込めていないのです。私は集団の社会文化に大きな影響を与える家族形態を長年研究していますが、イスラム社会とヨーロッパでは内婚率(部族内の従兄妹同士の結婚等)に大きな差異があります。“従兄妹婚”がドイツでは皆無であるのに対して、トルコの場合は約10%となっています。それでもドイツとは文化的背景に大きな違いがある訳ですが、シリアの内婚率は約35%と更に高くなっています。従って、アンゲラ・メルケル首相の難民受け入れ政策は、倫理的には立派で、経済的には合理的。しかしながら、人類学者の観点から付言すれば、非現実的で非合理的なのです。フランスとドイツには其々に違う問題がありますが、フランスにとって望みの綱は、フランス人が所謂“生真面目精神”の持ち主ではないことです。その点、ドイツ人は徹底して真面目なので、そこにリスクが伴います。移民や難民が関わった昨年大晦日のケルン駅前広場で起こった集団暴行のような事件に対して、ドイツ人がどのようなリアクションを取るのか見極めが難しい。ドイツ文化を考えると、何らかの“徹底したリアクション”が起こることも考えられます。ドイツでは、難民への敵対行為が事件に発展する可能性が他のどの国よりも高く、歴史における新たな危険の始まりであると言えます。ヨーロッパから外に目を向けると、アメリカの大統領選では、反イスラムの主張を掲げるドナルド・トランプという候補に注目が集まっています。私はトランプ現象を詳しく追っていませんが、アメリカにはイスラム系の移民は比率的に多くありません。

今、世界で一番危なっかしいのは、やはりアメリカではなくヨーロッパなのです。これまでの近代的なデモクラシーを中心とした社会の構造が瓦解していく可能性が高く、既にそのプロセスに入っています。フランスは変化を拒否している状態にあり、経済強国になったドイツは更にその版図を拡大しようと冒険的な姿勢に入ってきている。イギリスも、スコットランドの独立運動を始め、大変な問題を抱え込んでしまっています。東欧諸国が難民の受け入れを拒否しているという状況もある。これからの20年は、統合の歴史を歩んできたヨーロッパが瓦解する可能性が高い期間になるでしょう。日本の場合は、国内にイスラム教徒が少ないこともあって、ヨーロッパのようなイスラム恐怖症は存在しません。ただ、在日韓国人(フランスでは“韓国系日本人”と呼んでいます)との関係、それから国内での外国人問題は日本にとって永遠の課題でしょう。一般的に、日本は外国に対して寛容です。一方、社会に外国人を統合していく、一緒に生きていくという点では、客観的に成功しているとは言い難いことは確かです。しかし、歴史人口学者としての見解を述べさせてもらうと、出生率の低下と人口減少は、日本における最大にして唯一の課題です。そして、少子高齢化が解決できない中で、一定数の移民が必要になる筈です。欧米の知識人はよく、「日本は非常に排外的で差別主義的だ」と言う。しかし、私は少し裏側から物事を見なければいけないのではないかと思います。日本人は、決して異質な人間を憎んでいる訳ではなく、仲間同士で暮らしている状態が非常に幸せなので、その現状を守ろうとしているだけではないのでしょうか。日本の社会はお互いのことを慮り、迷惑をかけないようにする――。そういう意味では、完成されたパーフェクトな世界だからです。フランスの場合は抑々国内が無秩序で、フランス人同士でも互いにいざこざは絶えません。つまり、外国から異質な人が入ってきたところで、抑々失う“パーフェクトな状態”が無いタフな社会です。同じことはアメリカにも言えるでしょう。子供という存在は抑々、無秩序なものです。そして、外国人も移民も社会にある種の無秩序を齎します。日本人は、日本が存続し続ける為に、こうした一定の無秩序・混乱・完璧ではないことを受け入れる必要がある。私たち日本好きの人間にとっては、日本が人口減少で没落していくのは残念なことです。より徹底した少子化対策の実行と移民受け入れは、明治維新にも匹敵する国家的改革になりますが、国として存続できる道を真剣に探ってほしいと考えています。

20160405 05
私は『シャルリとは誰か?』の中で、主としてフランスの現象を取り上げましたが、これは日本も含めた先進国における普遍的な課題だと考えています。急速なグローバリゼーションを受けて、貿易はどんどん開かれた状態になり、各国間の経済波及効果は未だ嘗てないレベ ルにまで高まっています。それは基本的には良いことだと思いますが、あまりに性急だった感は否めません。所得格差は拡大し、高等教育の発展によって市民集団の同質性は溶解しました。グローバリゼーションによって利益を引き出しているエリート層はどの社会にも存在します。高学歴者と高齢者から成る支配的な中産階級です。彼らこそ、各国で君臨している“シャルリー”に他なりません。時に彼らは、社会の周縁に追いやられている労働者や移民2世に対して自分たちの特権を守ることも厭いません。責任感の無い世界のエリートたちは、開放をヒステリックに実行している。そして、宗教的危機によって精神的空白が生まれ、従来の宗教に代わる価値としてお金や株価を追いかける空虚な文化が蔓延るのです。社会と国際関係の安定を望む民衆は、過剰なまでのグローバリズムの進展に小休止を呼びかける権利を持っているのではないでしょうか。先に述べた通り、経済的格差の拡大こそ、スケープゴートを求めてイスラム恐怖症という妄想のカテゴリーを生み出します。イスラム恐怖症をこれ以上蔓延させない為には、そういった民衆の希望を考慮する必要がある筈です。従って、グローバリゼーションに対する一定のレギュレーション(規制)が求められます。自由貿易問題にしても、移民の受け入れにしても、国境を閉じて鎖国する訳ではないですが、過剰な流動性はコントロールしなければならない。つまり、リーズナブルで実際的な政策態度を取るべきなのです。私は、世間からはイスラム教の擁護者であると見做されているようです。確かに、私の娘の1人はアルジェリア系フランス人と結婚していますし、私はイスラム恐怖症に与する1人ではないでしょう。元を辿れば、私の祖父の1人はブルターニュ系ですし、自分の家系の中心は東欧にあるユダヤ系。更に私の祖母はイギリスからフランスに渡ってきた訳ですから、全て外国系のルーツを持っています。息子の1人はイギリス国籍を取ってイギリスで暮らしています。そして、私はイスラム擁護論者である前に、自分の属する社会の現状に苛立つ、普遍主義的な考え方のフランス人です。宗教的危機によって、バラバラで絶対的なウルトラ個人主義者たちがあらゆる先進国を徘徊する中、考えるべき喫緊の課題はイスラムではなく、瓦解に直面した社会の立て直し方なのです。 (通訳/掘茂樹)


キャプチャ  2016年3月号掲載


スポンサーサイト

テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR