【どの面さげて】(04) アベノミクス生みの親の“不都合な真実”

昔の経済学者には偉い人が多かった。東京大学・京都大学・大阪大学・慶應義塾大学辺りには、メイド・イン・ジャパンの理論家がワンサカいた。稲田献一・宇沢弘文・森嶋通夫等、今思い出しても綺羅星の如く、覇を競っていた。この末席に、アベノミクス生みの親と言われる浜田宏一が座を占められるかは、微妙な問題である。微妙なというのは、浜田の半生に文字通り“微妙な”問題が絡み合っていて、俄かにクローズアップされた感のある浜田という学者の挙止に暗い影を落としているからなのだが、ここでは、世間一般の大マスコミではあまり顧みられることのない忘れられたエピソードを基に、この“ノーべル賞に現在最も近い経済学者”とも喧伝される人物の抱えた病理を垣間見ることにする。

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話の都合上、先ず森嶋通夫という類稀な男のことから書き始めなくてはならない。1923年、大阪市生まれ。1946年に京都大学経済学部卒。京都大学助教授(1951年辞任)、大阪大学教授(1969年辞任)、University of EssexのKeynes Visiting Professor, London School of EconomicsのSir John Hicks Professor of Economicsを歴任し、大阪大学・ロンドン大学の名誉教授を務め、2004年にイギリスで80歳で亡くなった数理経済学者である。レオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカードの研究に大きな業績を残し、特にワルラス理論の動学的定式化で、ノーベル経済学賞の候補に何度かその名が挙がったと言われる。無類の皮肉家で、同僚との衝突が絶えない人物だった。その為、大学を転々とし、仕舞いには日本を離れロンドンに研究の場を求めざるを得なかった。エセックス大学やロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(通称LSE)である。世界を舞台に活躍した経済学者の第1号とも言える。森嶋は膨大な専門書を遺し、それらを纏めた著作集が岩波書店から14冊刊行されている。それ以外にも、一般書の執筆も旺盛に熟し、中でも『終わりよければすべてよし』(朝日新聞社)は、ユーモアとアイロニーと独特の毒が全編に際立つ、一種の怪著である。その中に、本来収載される筈だったが、結局は見送られた浜田宏一についての文章がある。今は無き『論座』という雑誌に連載が公表された時には、我が国の経済学者たちが「ここまで書いてしまっていいのか?」と驚倒し、学界を震撼させたエッセイだが、一般の目にはそう触れられず、今では忘却の彼方である。「次に、以下の話はプライバシーに属する秘事であるべきで、公然と書物の中での話題にすべきことではないと思うが、すでに本人がこの件に関してエッセイを書いて公表しているので、私も臆せずに書くことにする。ただし本人および関係者を明記するのは非情だから、名は明かさない。これは本書が採用している実名主義に反するが、実名で書くことは余りにも酷である」(以下、『論座』2000年1月号)。こう始められる文章はしかし、実名で書かずとも一目で“浜田宏一”のことと知れるものである。確かに浜田自身、自ら筆を執ったエッセイの中で“事の顚末”をうっすらと書きはしたが、それは主治医が病の克服の為に書くことを奨めた一種の“治療”なのである。




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1985年、浜田(左写真)はイェール大学から教授のポスト就任を打診される。これが事の発端。東京大学教授として順風満帆の浜田は、自らの身の処し方を先輩である森嶋に相談した。「私よりも何歳も若い人が、アメリカの一流大学から正教授になってほしいとの申し込みを受け取った。彼は家庭内で相談し、同僚の意見も聞いたが、尚も本人は去就に迷った。それで遂に意を決して、『森嶋にも聞いてみよう』ということになった。彼は私を頭脳流出の大先輩だと勘違いして、日本からロンドンにまでやって来たのである」。こう続くエッセイは、その概略以下の如し。森嶋は言下に反対意見を表明し、外国の大学で経済学を説くことの困難を告げる。そして、「自分のように日本でいざこざを起こして行き詰った者が海外に出ることを選択肢に考えるのは致し方ないが、貴方のような優等生の場合は外国転出など考えるべきではない」と諄々と説いた。「にもかかわらず、その人はアメリカに移ることを決行した。アメリカに移ってからの彼の研究活動ぶりは華々しかった。彼の大学からLSEに来ている“お客さん”に会うたびに、私は『彼はどうしている』と聞き、『大活躍している』という答えを得て、ほっとしていた。しかし、しばらくして彼の長女が『アメリカのハイ・スクールはいやだ。日本の方がよい』と言って日本に帰っていったという話を聞いた。【中略】またしばらくたつと、今度は肝心の彼がうまく行っていないらしいという噂を聞いた。『日本にいる時から少し躁鬱の気があるんですよ。【中略】』と言う人もいた。やがてその話が単なる噂でないことをその大学の教授の口から聞いた。『奥さんが献身的に看病しているんだ。素晴らしい夫婦愛だ』ということも聞いた」。森嶋の許に憂慮すべき情報が次々に舞い込む。「やがて大悲劇爆発の火薬庫になりうるゴシップが私のところに聞こえて来た」。学生による学年末の“教授審査”で、浜田の講義における英語が拙いことを問題視する声が上がったのである。イェール大学側も事の重大性を憂慮して、何とプロフェッサー浜田に英語の発音を特訓する特別講義を課したのである。「早速女の先生について英語の特訓を受けた。『Lの発音はそうじゃないわよ。それではRとLの中間じゃないの、口を開けて。私が舌のまわり具合を調べてあげるから。身体をもっと私のところに寄せて、アーン。ハイ、エル、次にハイ、アール』。彼女がそういう風に教えたかどうかは知る由もないが、やがて彼が奥さんと離婚【中略】して、会話の女先生(大学のかなり高い地位のセクレタリーだという話である)と結婚してしまった。こうして、希望にあふれて渡米した一家は四散するという惨事に見舞われたのである」。

扨て、この徹底的に悪意に満ちた回想記の余話である。小生には森嶋と親しかった友人がいる。単行本化に当たって割愛せざるを得なかった連載の原稿にさえ書けなかったゴシップ話を、小生は友人を介して聞くことができたのである。――浜田は、森嶋に「何故、そうまでして日本を離れたいのか」と問われ、「このまま日本にいては、政治にコミットして経済政策に関わる愚を犯してしまいそうで、自分が怖い」と打ち明けたという。「そういう自分が怖いのだ」と。更に、浜田夫人がネイティブのように美しい英語を話す知的な美女だったこと。離婚は、正確には他の男性との出奔であり、イェール大学での講義で浜田の発音が悪いことが学生たちに問題視され、女性セクレタリーについてレッスンを受ける前に夫人から切り出されていたこと。実は、相手の男性は浜田と結婚する前に恋愛関係にあった外国人学者であること。東京では両親に猛反対され、浜田を結婚相手に決められた。1986年、浜田の決断でイェール大学に移ってきたところ、夫人と元カレは偶然再会して、やけぼっくいに火が付いた。浜田の鬱病の看病も一段落して離婚に踏み切った。こうしたゴシップを、小生は間接的に聞き知っていたのである。当時、浜田夫人を知っている者ならば誰しも「何故? あの浜田に?」と首を傾げるような知的で聡明な美女は、そうした事情で浜田の許を去って行った。それだけではない。長男は、学んでいたガラス工芸の教室で事故に遭い失明。その数年後に自殺している――。この話を聞かせた少壮気鋭の経済学者が、こう呟いた。「結局、浜田は自分でも怖れていた政治への接近という誘惑に抗えなくなったのだろう。それを安倍総理が利用した」。抑えが利かなくなった浜田は、自ら禁忌を破ってしまった。アべノミクスが一応の体裁を保っているのは“円安”のおかげだが、これは経済学者なら誰ひとり、浜田の言う“異次元の金融緩和”の成果だなんて考える者はいないという。「大震災で原発が止まって、エネルギー輸入量が増え、貿易収支が急激に悪化した為だ。そんな貿易赤字国の通貨が安くなるのは当然なのだ」。だが問題は、落職した浜田も昔は確かに偉い学者だったということにある。彼が「金融緩和が効いて円安を生み、アベノミクスは概ね順調に推移している」と言えば、それが政権の錦の御旗になってしまう。そこが大いに困ったところなのだ。

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今では、欧米の一流論文誌に論文を発表せず、経済学説史の二流学者やエコノミストと共著でつまらない一般書しか書かなくなった。学者として完全に“終わった人”になった浜田は、テレビで話している経済政策論も支離滅裂、自分の話を自身でも論理性のある文章にはできないだろう。つまり、薄っぺらなパンフレットにすらならない内容なのだという。「浜田は偉い学者なんだよ。最近まで論文だって書いていた。しかし、何が拙いって、それが拙いんだよ。信用する訳。市井の人々が。“噂のレべル”とは言え、極めて近しい人たちの間の話なので信憑性は高いのだけれど、学界の人々は最近の彼の言動を『浜田さん、どうしちゃったの?』と呆れ顔で、不安気に囁き合っている。完全にそういう状態。要するに、言っていることが無茶苦茶だということ。金融緩和の効果を説明するのに“ワルラスの法則”を持ち出したりするが、それはもう、一から間違っている。普通に動学を研究してる経済学者なら直ぐわかる話」(私立大学教授)。浜田が時の政権に近付き、経済政策に影響力を振るいたくなる自らの癖を戒める為、海外に活動の拠点を移したとすれば、学者として誠に妥当な決断だった。だが、その選択が齎した一家離散の悲劇が病理となり、自ら張った結界を破ってしまったとすれば? 「今の浜田は、相当に危うい精神状態にある」と経済学者たちは口を揃える。既に、浜田宏一名誉教授の“御意見番”としての内閣官房参与の職務は、事実上、有名無実化している。どうやら、安倍総理は賢明にも浜田を当初から“錦の御旗”としてのみ使う腹だった模様である。最後に付言するが、浜田宏一は、某出版社の本の腰巻に刷り込まれたように“ノーベル経済学賞に最も近い”学者などではない。「“ノーベル賞”に近付いたことなど、過去一度も無い。嘗ても無かったし、これからも無いだろう」と、学界に身を置く人々は異口同音である。嘗て、森嶋通夫がノーベル経済学賞に日本人としては最接近したことはあるが、浜田さんはとてもとても。ムッシュ・コキュは、そこまでの学者ではない。


樫原米紀(かたぎはら・べいき) 著述家。1927年、オランダ王国スケベニンゲン生まれ。慶應義塾大学卒。商社で主に中東に赴任。独立して生家の海運業を継ぎ、傍らソビエト連邦との貿易に携わる。


キャプチャ  2016年3月号掲載


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テーマ : 安倍政権
ジャンル : 政治・経済

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