【悪夢の21世紀】(02) 資本主義が死ぬとき

1997年。北海道拓殖銀行や山一證券が経営破綻し、日本の金融システムが大きく揺らぎ始めた年である。そして、日本の10年国債利回りが2%を初めて下回った年でもある。ちょうどその頃、私は証券会社のエコノミストとして、マクロ経済の調査に明け暮れていた。当初は景気の低迷によって、一時的に利回りが落ち込んだのではないかと分析していたが、いっこうに2%を超える気配がない。ITバブルで景気が回復しても、戦後最長の景気拡大を記録しても、国債の利回りだけは2%を超えなかったのである。一体なぜなのか?

超低金利がこれほど長く続く謎の解明に没頭するうちに、“歴史”の中に日本と同じように超低金利を体験している“国家”と“ひとつの時代”とが存在した事実に気付くことになった。それは“長い16世紀”のイタリア・ジェノヴァで起きた『利子率革命』である。このジェノヴァに出来した超低金利時代は、中世封建制の終焉と近代の幕開けを告げる時代の大転換期に現れている。だとすれば、日本に続く未曾有の超低金利もまた、何かの終焉の兆候なのではないか? そう直感した私は、その研究成果を『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(2011年・日本経済新聞出版社)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014年・集英社新書)といった形で上梓してきた。本稿の紙幅では論理を追って諄々と説くことは不可能なので、詳説は先に挙げた拙著に譲るとして、あらかじめ結論から述べるなら、資本主義の矛盾は、資本主義そのものの“終焉”一歩手前まで拡大して来ていると私は考える。では、資本主義は実際、いかにしてその“終焉”を迎えるのか。




資本主義とは、ヨーロッパの本質的な理念である“蒐集”にもっとも適した経済システムであった。西欧は“蒐集”のための最適のシステムとして、資本主義を発明したのである。その性格は時代によって『重商主義』『自由貿易主義』『帝国主義』『植民地主義』と変化してきた。そして、IT技術が飛躍的な進歩を遂げ、金融の自由化が遍く行き渡った21世紀には『グローバリゼーション』こそが、資本主義と同義となった。どの時代にあっても、資本主義の本質は、“中心=先進国”と“周辺=途上国”という二項対立軸の世界観である。富・資源・マネーを“周辺”から蒐集して“中心”に集中させることに変わりはない。21世紀のグローバル資本主義を表層的に眺めた場合、「グローバリゼーションによって、今まで先進国が独占してきた富が、途上国にも分配され、格差は縮小した。これは中心と周辺を分割するという従来の資本主義の本質論と矛盾するのではないか」という反論が聞こえてきそうだ。たしかに一見グローバリゼーションによって、経済的な意味で国境の壁は限りなく低くなり、先進国が独占してきた富を。中国・インドを始めとする新興国や資源国が取り戻そうとしているかに見える。実際、データを見ても先進国と新興国の平均所得格差は縮小している。“周辺”は消滅しつつある。

しかし、資本主義の本質は、失われた“周辺”に代わる新たな“周辺”を必ず別の何処かに設ける点にある。現在、日米欧の先進国で起きている現象の本質もそこにある。資本主義と結びついたグローバリゼーションは、たしかに別の“周辺”を生み出していた。グローバル資本主義とは、国家が伝統的に内包していた社会の均質性を消滅させ、国家の内側に“中心/周辺”を生み出していくシステムに変貌したのである。資本主義は資本が自己増殖するプロセスだから、いつも“利潤”を求めて新たなる“周辺”を生み出すものだと先に述べた。しかし、現在の先進国には海外にアフリカ大陸以外に“周辺”は存在していない。アフリカは残された最後のフロンティアだが“新興国”となるにはまだ時間がかかる。そこで資本は、国内に無理やり“周辺”をつくり出し、利潤を確保しようとする。象徴的な例が、アメリカのサブプライムローンであり、日本の労働規制緩和である。サブプライムローンでは国内の低所得者を“周辺”に追いやり、彼らに住宅ローンを貸し付け、それを証券化することでウォール街という“中心”が利益を独占した。日本では労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた社会保険や福利厚生のコストを利益とした。アメリカや日本に限らず、今や世界のあらゆる国で格差が拡大している。グローバル資本主義が必然的にもたらす現象なのだ。欲望がむき出しの資本主義のもとでは、少数者が利益を独占する。

現在の新自由主義者が唱える政策を推進すれば、国境を越える巨額の資本や超グローバル企業だけが勝者となり、ドメスティックな企業や中流階級は軒並み敗者に転落する。現代の新自由主義者は19世紀の自由主義者の系譜にあるのだから、最弱の貧者は自己責任で家を奪われ、最強の富者は公的資金で財産は保護されるのである。事実、日本ではアメリカの後を追う形で二極化が進行している。非正規雇用者が雇用者全体の3割を超え、年収200万円未満で働く人が給与所得者の24.1%(2013年)に達しているのである。近代資本主義の枠組みの中で、もはや覇権国の交代はありえない。中国が次の覇権国になるという見方もあるが、近代化のプロセスを忠実に辿っている限り、覇権国にはなりえない。なぜなら、近代資本主義を延命させるだけの“周辺=空間”がもはや残されていないからだ。こうした難しい転換期において、日本は新しい経済システムを生み出すポテンシャルという点で、世界でもっとも優位な立場にあると私は考えている。逆説的だが、先進国の中でもっとも早く資本主義の限界に直面したのは、アメリカでも英国でもなく、日本だったのである。いち早くバブルを体験し、1997年から現在に至るまで超低金利が続いていることが、それを何より雄弁に物語っている。日本は先進国グループの中でいち早く、資本主義の最終局面を迎えることになったのである。既存のシステムが機能不全に陥っているとき、生命維持装置を使ったところで早晩お終いである。アベノミクスの浮かれ声・インフレターゲット(第1の矢)・公共投資(第2の矢)・法人税減税や規制緩和(第3の矢)で経済成長を目指すというが、成果はまるで上がらず、その過程で中間層の没落が始まっている。“成長”を信奉する限り、近代システムの危機を乗り越えられないのだ。

私は、デフレも超低金利も経済低迷の元凶とは考えていない。どちらも資本主義が成熟し、さらに老朽化した証拠だから、退治すべきものではなく、新たな経済システムを構築するための“与件”として捉えなくてはいけない。現代の我々が直面しているのは経済の“長期停滞”などではなく、“定常状態”なのだ。“定常状態”とはゼロ成長社会と同義である。ゼロ成長という語感から後ろ向きで何もしないような、非常にマイナスイメージを連想しがちだがそうではない。今後世界的にマイナス成長さえ懸念されるなか、この定常状態の維持を実現できるアドバンテージを持っているのが、世界でもっとも早くゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレに突入した日本なのである。ただし、現在の日本は定常状態の必要条件は満たしていると考えることができるが、ゼロ金利だけでは十分といえない。国が巨額の債務を抱えていては、ゼロ成長下においては税負担だけが高まることになる。基礎的財政収支(プライマリーバランス)を均衡させておかなければ、日本の財政はクラッシュすることも想定される。それでは、日本発の資本主義からのソフトランディングも道半ばで挫折してしまう。そうさせないためにも、財政は是が非でも均衡させねばならない。しかし、最大の懸念は、政権与党に寄生する新自由主義者やリフレ論者たちの存在かもしれない。せっかくのゼロ金利・ゼロ成長・ゼロインフレという定常状態を迎える要件も、彼らには“豚に真珠”、哀しいかな、今なお近代資本主義にしがみつく成長至上主義者が日本を沈没させかねない主流派なのである。


水野和夫(みずの・かずお) 経済学者・日本大学教授。1953年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券などを経て、日本大学国際関係学部教授。著書に『資本主義という謎』など多数。


キャプチャ  2014年12月号掲載


スポンサーサイト
Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR