【日曜に想う】 「助けてくれ」と言わせないで

「起きて見つ 寝て見つ 蚊帳の広さかな」――。10日前まで天声人語を書いていた身に、このコラムの敷地は随分広い。長年住み慣れた4畳半から、いきなり大広間の襖を開けたようで落ち着かない。とは言っても、字数のゆとりは有難く、これまでよりは急がぬ旅ができそうだ。途中に抽象画の小庭もある。窮屈だった木靴を脱いで、程良く道草も食いながら筆を進めていければと思う。扨て、海の向こう。アメリカからのニュースでその名を聞かぬ日は無い、不動産王のトランプ氏である。センセーショナリズム(扇情主義)全盛の昔、アメリカの名高い新聞経営者はこんな訓示をしたそうだ。「1面を眺めた読者が『これは凄い』と言い、2面を見て『これは大変だ』と言い、3面を見て『助けてくれ』と言うような新聞を作りたまえ」。大統領選を掻き回すトランプ氏の言動と旋風をそのまま書けば、訓示通りの紙面になる。先日のウィスコンシン州では相手候補に敗れたものの、尚も共和党指名争いの首位を走る。「助けてくれ」と叫びたいリベラル派は少なくないようだ。だが何よりも、暴言王の勢いに当の共和党内主流派が恐慌を来し、ゴジラの上陸を阻止する如き背水の陣を同州で敷いた。

尤も、過去のアメリカ大統領選を振り返れば、トランプ人気のような現象は強ち例外ではないらしい。アメリカには元来“反インテリ”の気風が根強い。実際、頭が良ければ大統領が務まるというものでもない。トランプ現象を予言したような『反知性主義』(新潮選書)という1冊を昨年著した国際基督教大学の森本あんり学務副学長は、第7代ジャクソン大統領を例に挙げる。生涯を通して本を読むことの稀だった人らしい。軍の英雄ながら“無学な荒くれ男”という評判だったが、名家の出でハーバード大教授も務めた現職のアダムズを破った。因みに、選挙制度改革を巡って昨今よく聞くアダムズ方式は、負けたほうの人物名に由来する。思い出すのは、特派員として取材した12年前の大統領選だ。現職だったブッシュ氏(共和党)と、折しも来日中のケリー国務長官(民主党)が争った。ギリシャ彫刻を思わせる風貌のケリー氏は、怜悧なエリートのイメージ。片やブッシュ氏は、スピーチの言葉をよく間違えた。インターネットのアニメには、簡単な足し算がちんぷんかんぷんのブッシュ氏を尻目に、難解な数式をすらすら解くケリー氏が登場して笑わせた。結果は、俗物風でわかり易い善悪二分法を得意とする現職が勝った。身に纏うエリート臭が、ケリー氏の有権者への浸透を阻んだ面は否めなかった。




とは言え今回は、やはり異形にして甚だしい。「トランプ氏のような人は、大衆社会に溜まった負のエネルギーを嗅ぎ取るセンスに長けている」と森本さんは見る。民衆の鬱憤や怒りを、憎悪と排除のレトリックで希望と熱狂に変えていく怪しい“魂の錬金術師”である。アメリカ国民は政治家に名演説を求め、政治家の言葉を楽しむ。心に響く言葉によって人々が連帯感を深め合う光景は、日本とは大分違うと、取材を通じて感じたものだ。大統領選が“民主主義の祭り”と呼ばれる所以でもある。しかし、憎悪と排除の言辞が人々を1つに束ねるとしたら、それは忌むべき光景だ。イギリスの作家・オーウェルが小説『1984年』で描いた全体主義社会を見るようで怖い。そこには日々、“二分間憎悪”という義務的儀式があり、参集した人々は口を極めて“敵”を悪罵し、怒号の中で高揚感に包まれる――。国力が翳ったとは言え、アメリカの大統領は世界で最も重い政治職の1つだろう。時に他国を地獄へも落とす。12年前、大統領選候補だったケリー国務長官は遊説で、「皆さんには世界に対する責任がある」とよく語っていた。11月の本選挙で世界に「助けてくれ」と言わせる勿れ。相応しいのは誰? 我がポケットに選択の1票が無いのが悔しい。 (編集委員 福島申二)


≡朝日新聞 2016年4月10日付掲載≡


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テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

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