【中外時評】 “ゆとり”は再生するか――授業変革へ過去を省みよ

“二条河原の落書”ではないが、この頃学校に流行るもの――と言えば『アクティブラーニング』である。略してAL。今、小中高校で教育委員会で、ちょっとした流行語なのだ。『アクティブラーニングって何?』『よくわかるアクティブラーニング』等という指南本も次々に登場している。このALなるもの、しかし定義がややこしい。取り敢えず文部科学省の説明を要約すれば、「一方通行でなく、教師と子供、子供同士の対話と協働を通した主体的な学びの形態」といったところになる。「社会に開かれた教育課程」でもあるという。どうやら、知識の詰め込みや暗記に偏る授業とは決別しようということらしい。考える学習や、討論型・体験型の授業を大いに進めようというのだ。こういう思想に基づいた新しい学習指導要領が、今年度中に出る中央教育審議会の答申を経て、2020年度から導入される。単に「カリキュラムが変わる」「何を教える」といった話ではない。各教科に亘る授業そのものの変革を促す訳だから、先生たちが身構え、先取りの動きが広がっているのも無理はなかろう。

尤も、ここまで読んだ読者の中には、「ALってどこかで聞いた考え方と似ているなぁ」と思った方がおられよう。そうなのだ。これは嘗て一世を風靡し、軈て文科省自身が封印に追い込まれていった『ゆとり教育』の理念にそっくりである。主体的な学び・対話や討論・体験の重視・脱知識詰め込み…。こうしたキーワードは、実はゆとりを提唱した1996年の中教審答申に共通するものだ。自ら課題を発見して解決する力を育てる。思考力や表現力を養う。掲げる目標も、往年のゆとりと瓜二つである。「これは若しや“ゆとり”の逆襲では」と前川喜平文部科学審議官に聞いてみると、案外率直な答えが返ってきた。「小中学校でやっている“総合的な学習”のイメージです。語弊を恐れずに言えば、新指導要領で“新ゆとり世代”を育てたい」




「ただ、以前の“ゆとり”は教える内容を削り過ぎた。教科書を薄くし過ぎた。現場への伝え方も誤った。その上で敢えて言います。これからのグローバル社会で活躍できる“人”を育てるには“ゆとり”が必要です」。知識だけでなく応用力が大切――とは抑々、1980年代の臨時教育審議会で示された方向性だ。成熟国家の教育の大きな流れでもある。そういう見地から考えれば、前川審議官の言葉も驚くにはあたらない。だからいっそ、ALを“新ゆとり”と銘打てばいいくらいなのだが、表だってはそうも言えぬ苦い過去が文科省にはある。「やれ台形の面積の公式を教えなくなったとか、円周率がどうとか、本来の理念を離れた非難が噴出しましたよね。丸暗記教育に毒された人々の思い込みは、それだけ強いんです」。こう語るのは、嘗て文部省でゆとりのPR役を務め、後に激しい批判に晒された京都造形芸術大学の寺脇研教授だ。「そういう経緯があるから、文科省は“ゆとり”を口にしない。だけど、以後の学習指導要領でも総合学習は残った。子供たちに考える力が付き、成果は確実に現れていると思います。リーマンショックや東日本大震災を経て、社会も“ゆとり”の大切さがわかってきた筈です」。

前川審議官と寺脇教授、2人の見解は大体同じである。曲折はあったが、この20年の教育行政の通奏低音というべき意識なのだろう。「なるほど」と思うのだが、それならゆとりの再生を狙うアクティブラーニングの意味を、文科省が教育現場にどこまで丁寧に、噛み砕いて説明していけるかが問われよう。そして、過去のゆとりの総括と再定義が、今こそ必要になる筈だ。『ゆとりですがなにか』。こんなタイトルのテレビドラマが、今日から日本テレビ系で始まるそうだ。ゆとり初期の教育を受けた世代の、恋や仕事や家族を描く人間ドラマという触れ込みだが、インターネットの予告編を見たらきついセリフがあった。曰く「お前らは文科省が生んだ欠陥商品だとか言われて…」。物語の展開は知らないが、嘗てのゆとりに対し、誤解も含めてであれ、世の中にこんな見方があることは確かだ。「ALですがなにか?」――そんな上から目線の教育行政を繰り返してはなるまい。 (論説副委員長 大島三緒)


≡日本経済新聞 2016年4月17日付掲載≡




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