【日日是薩婆訶】(09) 除染は福島県内でしか行われない特殊な事業なのだ

とうとう、丙申の新年を迎えた。これは自分の干支なので、私も遂に還暦ということになる。特に還暦についての感概は無いが、つくづくこの丙申が自分らしいと思うこの頃である。甲(かいわれ)で芽を出し、乙で一旦捻くれた新芽が、丙では更に内側に籠もっていく。謂わば、内側と外側に分裂するのである。“丙”という文字は元々、“一(陽気)”が“門”に“入”る意味合いである。内と外で陰と陽なら普通だが、内側にも陽気が籠もるから問題なのだ。しかも、今年は“申”で、これは何れの方向だとしても、エネルギーの伸長を意味する。自分らしいと思うのは、例えば僧侶として外に発散するだけでは足りず、内側に籠もる分を執筆エネルギーにしている気がするからである。小学生の頃は、活発で落ち着きが無い子供だった。また、剣道に励む活動的な中学生だった筈が、中学3年生で日本脳炎になり、その後は詩や童話等を書き出してしまった。これが、今に至る自分の内への分裂の端緒だと思うのである。今や、それが双方とも野放図に増長している。

同じことは、世界情勢を眺めても感じる。今年の一番の問題は、恐らく『IS(イスラミックステート)』との対峙であろう。今のこの国は連合国側に与するらしく、「我々の価値観への挑戦」等と首相は言うが、若しや我々こそが、西側の資本主義諸国とイスラム圏の仲を取り持てるのではないだろうか。無論、テロに賛同する訳ではないし、ISとイスラム教国全体を同一視している訳でもない。ただ、ISの発生やその拡張を許しているのは、根本的には西側諸国のイスラム圏へのあまりの無理解ではないかと思うのだ。政教一致のムスリムの人々は、我々とは抑々お金についての感覚が相当違う。何より、マーケットに並ぶ商品に値札がないのだが、恐らく資本主義社会に住む人々は戸惑うばかりだろう。例えば、1つの商品を1000円で買う人も2000円で買う人も3000円で買う人もいる。この事態が既に我々の理解を超えているが、我々ならば廉く買った人が賢く、高いお金を払った人は愚かだと思うだろう。ところが彼らは、最も高く買った人が寧ろそれを自慢する。つまり、それは“布施”と一緒だから、多い分は何れ神様を通して困窮する人々に廻っていく。だから、善いことをしたと思えるのである。商いをする人々が儲けをそんな風に神へ喜捨し、それが政教一致のシステムの中で福祉に還元される。そのことが信じられるなら、確かにその通りである。彼らは長年の間に、我々とは異質な、そんなシステムを築き上げてきたのである。政教一致がいいの悪いのということでは、最早ない。全く別な1つの完成したシステムと、我々がどう向き合うかが問われているのである。「未だ彼らはそういう段階だが、何れ同じような資本主義社会になる」と考える西側諸国は、傲慢と言うしかない。そう考えて対処する限り、世界の分裂は進むばかりである。同じような分裂は、何も世界を見渡さなくとも、吾が福島県にもある。低線量被曝を巡る解釈の違いから県内を出ていった人々が、微減はしたものの、未だ4万人以上いる。最早議論にもならないこの分裂は、乖離と言ったほうがいいかもしれない。家・町・地域等、どのスケールにも見られるこの手の乖離も、県民にとっては今後の大きな懸案である。




そんな見通しの中で始まった新年だが、年末からどういう訳か短編小説を2篇書いた。やはり、内に籠もるエネルギーが伸長しているのだろうか。贅沢を言えば、今年こそは震災前から待たせる長編も仕上げなくてはなるまい。一方で、外に向かうエネルギーもやはり伸長している気がする。庫裡の設計図面への確認申請が漸く通り、後は見積もりが出来るのを待って契約に向かう段階になった。今年はその普請があり、その前に引っ越しがある。実に厄介なことではあるが、百年の計と思えば已むを得ないだろう。今年に入っての大きな出来事は、確認申請が認められたことと、もう1つ、境内の“除染”が行われたことも報告しなくてはなるまい。除染とは、福島県内でしか行われない特殊な事業だから、説明しておこう。除染には、双葉郡の8町村で行われるような環境省による国直轄の除染と、比較的線量の低い周辺市町村の自主的な除染とがある。何が違うかというと、一番は直轄除染の場合はゼネコンが元請けになっていること。三春町な等周辺市町村の場合は、幾つかの地元業者が合同で除染組合等を設立し、飽く迄も地元の事業者が主体になっている。働く人々も違っていて、直轄除染の場合は全国から集まった人々だが、自主除染では地元の人々が多い。1月6日からお寺の境内や山林を除染してくれた作業員は6人だが、その内の3人は会津地方から通っており、残りの3人は地元、何れにしても県内の従業員しかいないという話であった。では一体、何をしてくれるのかというと、昨年の内に放射線量を測定に来ており、それを元に毎時0.23mSv以上の宅地・野原・建物から20m以内の山林までを綺麗にする。0.23mSvというのは、外に8時間いたとして年間被曝量が1mSvに達するという数字である。今や、農家の人々でも外に8時間もいることはない。それからすると、毎時0.5mSv程度以上でも構わない筈だが、兎に角、そういう数値に決まったのである。無論、雨樋が今では一番高いから、足場をかけて雨樋掃除もしてくれる。うちの場合はそれで、毎時0.63mSvだった雨樋が、0.16mSv程度まで下がった。地面は、希望すれば表土を5㎝まで剥ぎ取り、新たな山砂を入れてくれる。うちの場合は震災以後、結果的に除染になるような作業を色々してきているし、苔も大事なので、基本的に土は剥ぎ取らないよう頼んだ。

そうなると、できるのは雨樋掃除と地面の念入りな掃除のようなものだが、彼らは寒い中、実によくやってくれた。色んな大きさの熊手を使って枯れ葉や枯れ草を毟り取り、殆ど“徹底的なお掃除”をしてくれたのである。墓地から出たゴミ・卒塔婆・竹筒等を燃やしている焼却炉の周囲は流石に数値が高かったので、そこだけは表土を剥ぎ、5㎝の山砂を入れてもらった。除染については、私としても色々意見がある。例えば、全国の放射線量を見渡すと、うちの境内等は相当低い。私が修行していた京都の嵐山界隈に講演に行った際に線量計を持参し、測ったことがあるのだが、何と渡月橋の上は、うちの駐車場の5倍強あった。兎に角、国は放射線の問題は福島県だけのことにしたいのだ。それは『国際放射線防護委員会(ICRP)』の方針でもあり、「健康影響の無い範囲内での高い・低いは知らせるべきではない」との態度を貫いている。平時では尤もなことではあるが、そのせいで「こんなに低いのに除染なんて…」という状態が彼方此方で見られるのである。何よりの問題点は、除染の為の膨大な予算が他の目的には流用できないこと。それ故にもったいないし、もっと値が高いところは全国に幾らでもあると知りつつも、「折角だから…」と頼むほうも頼まれるほうも積極的にやるしかないという雰囲気なのだ。私としても、実際、どんな風にするのか知りたかったし、頼むことにしたのだが、彼らの働きぶりは全く申し分なかった。寒い中、休むこと無く実に勤勉に働いてくれた。当初は2週間と予定されたお寺周囲の除染は、「そこは不要」という場所も多かった為、10日弱で終わったのだが、その作業員たちの働きぶりは一陣の春風が吹き抜けた印象である。最後にしてくれたのがお寺の参道の両側の側溝だが、これは線量がボーダーラインの0.23mSv程度だったが、エアーコンプレッサーを使い、実に徹底的に汚れを洗い落としてくれた。近所の人々にしても、自己負担無しでそこまで掃除してくれる彼らに、自ずと御礼の言葉をかけるのであった。制度としては様々に問題はありながら、現場の人々の真面目さには感心する。まるで福祉の現場と一緒である。取り敢えず、個々の作業員たちに今回の「スヴァーハ!」を贈っておこう。しかしこれ、実はかなり居心地の悪い奇妙な後味なのである。

今月の講演は、群馬県の曹洞宗寺院を皮切りに、県内の東和町や東京と続いた。概して言えるのは、県外ではどんなテーマでもいいのだが、県内で話す場合には、必ず震災からの5年間を振り返ってしまうこと。必ずしもそれを要求される訳ではないのだが、どうしてもそうなってしまうのである。東京での講演は、1つはお寺、もう1ヵ所は一種の企画会社のような場所だった。企画会社のほうは、何か参考にでもなるかと思い『日本人の心のかたち』について、またお寺のほうは禅寺らしく、『頓悟漸修という生き方』というタイトルで話した。何れにも共通したのは、日本人が常に何かを絶対化せず、対概念を認めることで心の生産性を保ってきたということ。願わくば、ムスリム社会をそういった対概念としてもっと深く学んでほしいと思う。とりわけ、現在のISの指導者であるアブバクル・バグダーディの目指す“カリフ制度”は、所謂国家を横断する概念である点で注意を要する。グローバリズムという漠然とした呼びかけよりも、恐らくもっと強い紐帯を生み出す力を秘めているのではないだろうか。因みに“カリフ”とは、ムハンマド亡き後のイスラム共同体において、ムハンマドの代理人として共同体の行政を統括し、しかも信徒にイスラムの義務を遵守させる権限を持つ。ここでも、政教一致のパワーが存分に発揮されるのである。今月のスヴァーハ本は、様々な“桃太郎”である。小説『桃太郎のユーウツ』執筆の必要上、何冊も読み比べた。基本的には“鬼”がどんな悪事をしたのか、昔から訝しかったのだが、どうも低学年用と高学年用でも相当叙述内容が違う。詳しい検証結果と私の妄想については、『文學界』4月号掲載の『桃太郎のユーウツ』を御一読あれ!


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2016年3月号掲載

福島に生きる [ 玄侑宗久 ]
価格:864円(税込、送料無料)


桃太郎侍 [ 市川雷蔵 ]
価格:2000円(税込、送料無料)




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