会員は本当に増えているのか? 本尊や教義はもう不要なのか? 高齢社会に対応して1人暮らしの人々を取り込む創価学会の有効活動の実態

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宗教の興隆は布教活動が原点である。布教を疎かにした教団には、未来の展望は望めない。衰退の一途である。その点、『創価学会』は戦後、安穏としていた伝統仏教を横目にしながら、怒涛の布教活動を展開してきた。それも、あまりの激しさに度々社会問題化し、日蓮系に属する今日の『冨士大石寺顕正会』に見るような新聞社会面を賑わすほどの“折伏”ぶりだった。だが表面的には、創価学会からそうした過激な布教活動が消えて久しい。まるで巨象から牙が抜け落ちたような鹽らしい教団になったかに見える。さらには一昨年の10月、今度は“本尊”というその巨象を動かしていた心臓部まで取り除いてしまったのである。取り除いても、強固な新たな心臓を移植する方法もある。だが、血液を末梢まで休むこと無く送る巨大組織の心臓移植は、容易なことではない。若し下手をすれば、心筋梗塞を起こしかねないからだ。これから先、公称827万世帯の巨大組織をどのようにして誇示し、宗教団体としてどんな進路を選択するのか。まさに今、創価学会は創始以来の岐路に立たされている。東京の下町の集合住宅に住む主婦のAさん(70代)は、創価学会員ではない。寧ろ、同会には批判的である。これまで、公明党には1票も投じたことがなかった。極普通の主婦であるAさんが一般市民のような目で、創価学会の方向性を予見するような、こんなことを言う。「私の近隣に住む住民と創価学会員の関係を見ていますと、『なるほど』と思うことがあります。私が住む住宅の全戸数の内、約半数がパートナーに先立たれているとか、子供とも同居していない独り身の孤独な生活を送っています。そこに、同じ集合住宅に住む顔見知りの創価学会 員が月に1~2度訪ねて来ます。毎日の訪問ではありませんから、そう煩わしくないし、布教する訳ではありません。ただ、『聖教新聞を置いていくから読んでね。テレビ番組欄もあるから』。そんな単純な会話だけです。これが選挙近くになりますと、訪問の回数も増えますが、政治問題等の余計なことを言わないで、ただ、『今度の選挙で公明党をお願いします』だけ。こんな学会の活動を見聞していますと、見方によっては年寄りの安否を気遣う社会福祉活動に似ていますし、日常、身内の家族がやらないことを代わってやっているようなものですね。誰も訪ねて来ない孤独な老人にとっては、顔見知りの訪問は危険性が無いし、寧ろ友人が訪ねて来るような歓待の気持ちが強いのでしょうか。こうなると、たとえ学会に入会しなくても、批判的な態度だけは見せなくなりますよね」

似たような意見を持つ、もう1人の声を紹介してみよう。東京都郊外に住むBさん(50代)は、大手企業に勤務するエリートサラリーマンである。学生時代から大が付くほどの創価学会嫌いだったが、已む無く学会と深く関わるようになってしまう。きっかけは、年老いた母親との同居だった。長年、地方の生家に1人で住んでいた母親が、いつの間にか創価学会に入会していたらしい。息子の住まいにトラックで引っ越ししてきた時、同時に、同会から受けた本尊を安置する仏壇も運び入れたのである。当初、無宗教のBさんは驚いた。だが、同居したばかりで近所の手前、親子喧嘩も大人気ない。母親に、「どんな宗教を信じようとも反対はしない。ただ、教団にお金は出さないことと、学会員を自宅に連れて来ないことは守って下さい」等、幾つかの条件を出し、母親の部屋に仏壇を置くことを認め、学会信仰を許した。Bさん夫婦は共稼ぎである。昼は、自宅に母親が1人になる。少し不安だったが、それが少しずつ解消されるようになった。母親は詳しいことは言わないが、創価学会組織には1人ひとりの氏名・住所・年齡・電話番号・組織役職名・家族構成等が明記された“会員カード”が存在し、コンピューター化されている。その為、会員が都心部や、逆に地方に引っ越し、転勤した場合でも組織を通じて、新住所に地域の幹部が訪ねて来るという水も漏らさぬ体制を形成している。Bさんの母親も、近所に住む学会員から連絡を受けて地域組織の一員になり、直ぐ親しくなった。昼に開かれる集会(学会では“会合”と言う)によく誘われて参加するようになった。集会が無くても学会員は、よく自宅を訪ねて来ているようだ。白昼、暇を持て余していた孤独な老人に、茶飲み友達ができたのである。受給している年金をどのように使っているかはわからないし、詮索もしない。だがBさんは、「まぁ、私たち夫婦に代わって学会が無料で子守役を務めてくれるというか、その点、正直、都合がいいですね。ただ、選挙日等、車で迎えに来てくれることに少々抵抗感もあります。でも、このくらいはしょうがないかなと思っています」と語る。全国の地域毎に行っている創価学会のこうした組織活動を“有効活動”という。しかし、学会に入会するといった直接的な成果に結び付くことは殆ど無い。だが、地域住民との“友好”を深めることによって創価学会への理解を得て、軈て『聖教新聞』の定期購読者が増え、公明党への一票にも結び付くことになる。“社会福祉”的な、柔軟な布教活動ということだろうか。




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日本は世界一の高齢化社会に突入しており、2015年現在、高齡者(65歳以上)は4人に1人。これが20年後の2035年になると、高齢者は更に3人に1人になると推計されている。まさに、国から若者が消えてしまうような老人大国だ。創価学会組織も例外ではない。会員の高齢化が急速に進んでおり、高齢化は即、組織活動のパワーを減速させる。同会が1930年の創始以来、会員数を破竹の勢いで伸ばした年代は戦後である。倍々ゲームのような伸張ぶりで、戦後、雨後の竹の子のように産声を上げた新興宗教団体の中でトップに躍り出る。しかし、その限界を迎えたのが1970年。公称信者数755万世帯を数えて頭打ちになった。原因の1つは、同年に起こした“言論出版妨害事件”である。社会やマスコミに激しく追及されて四面楚歌になり、降りかかる批判の嵐は“過激な折伏”という布教活動にも及ぶ。以来、“折伏”という名称が消え、布教も“仏法対話”といった優しい用語に切り替えた。振り返って、創価学会が最も興隆した1960~1970年代前半、組織を支え“折伏の闘士”と言われた会員たちは、戦後の5000世帯ほどから、1970年までの四半世紀の間に750万世帯まで拡大させた。毎年平均、30万世帯ずつ増えた勘定である。現在では、その闘士たちは年齢が60代後半から70代・80代という高齢になった。鬼籍に入った会員も勿論多い。前述したが、2016年現在、創価学会の公称会員数は827万世帯。1970年から2016年までの47年の間に、増加した会員世帯数は僅か77万世帯である。先の毎年30万世帯の増加に比較して、近年の半世紀は年間平均で2万世帯の微増。布教パワーが草創期時代に比べて、ざっと10分の1以下に落ちた。如何に減速してきたかは明らかだ。

尤も、宗教団体の信者数(会員)は飽く迄も自己申告の公称信者数で、実態数にプラスすることがあっても減らすことはない。ただ、創価学会の場合、選挙で獲得した公明党票数は隠せない。同会が公称する世帯数は、1970年以降も、前述したように年間平均で2万世帯ずつ増え続けているのが事実なら、合わせて公明党支持票も並行して増えるのが自然である。組織に所属する学会員が、公明党に反発することは考えられないからだ。だが、2005年の衆院選で、党史上最高得票の890万票を得た時、池田大作名誉会長は「目標! 1000万」と号令をかけた。ところが、意に反してその後、得票総数は減少の傾向にある。自民党と連立を組み、同党の選挙協力で票積みがあっても、2014年の衆院選は700万票を少し上回った程度だった。加えて、布教が停滞し、会員の増加も望めなくなった創価学会を襲った新たな問題は、人間で言えば心臓ともいうべき本尊の否定であった。否定した理由は既に本誌でも既報しており、ここでは割愛するが、嘗て、827万世帯が信仰の対象にしてきた本尊について、こう述べていたのである。「日蓮大聖人は宇宙を動かしている大生命の本質、根源の力が“南無妙法蓮華経”であることを究明し、その実態を一幅の“曼荼羅(御本尊)”としてご図顕されました。そして、この御本尊を信じ、唱題することによって、自身の生命の中に大宇宙の根源の力、幸福な人生を開く本源力となる“仏”の生命を通現させることが可能であることを示されたのです。この御本尊が…弘安2年10月12日建立の大御本尊です」(『創価学会を知るために』・聖教新聞社)。創価学会が“大宇宙の根源の力”と説き、会員を急増させてきた“本尊”を一昨年10月、同会はあっさりと捨ててしまった。教団にとって崇拝の対象を消すことは、組織を揺るがすような重大事件である。長年、それまで信仰してきた教義さえも否定したことにもなる。しかも、組織の最高指導者である池田大作名誉会長は、この本尊否定について何故か未だ一言も発していないのだ。

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組織内から反発や疑問視するような声が上がっても当然だが、多くの会員は本部による本尊否定の声明を冷静に受け止めたかに見える。何故だろうか。凡そ2点の理由が推測される。古参の元幹部は「昔の創価学会ではなくなった。昔、“広宣流布”という言葉を聞いただけで奮い立ったことがあるけど、そうした宗教性から遠ざかり、学会も俗化したのでしょう」と語っていたが、理由の1つは、池田大作名誉会長の時代に入って、“教義”が次第に薄まってきたことである。750万世帯まで増やした元“学会闘士”たちも老齢化し、現在の学会組織を支えている幹部は、昔の教義等の薫陶を受けていないその2世・3世の会員である。合わせて、“友好活動”が縁で組織に入会してきた近年の会員は、創価学会が説く信仰の教義に共鳴するよりも、寧ろ池田大作名誉会長が説く“平和思想”に魅力を感じている。会員にとって必読の『聖教新聞』にしても、連日の一面記事は、教団にとっては欠かせない本尊や教義ではない。世界中から種々雑多な勲章が贈られている池田大作名誉会長の行動が紹介されている。要するに、難解な教義等に関心を持つエネルギーが弱体化し、極端な話、信仰の対象にしている“本尊”等はどうでもいいということだろうか。もう1点は、組織の形態にある。創価学会は、軍隊組織を模倣したと言われる組織形態が長く続いた。分隊長・隊長・部隊長・参謀といった幹部の役職名が、1970年代以降になってブロック長・支部長・圏長に切り替えられた。だが、役職名は変わっても、池田大作名誉会長を頂点にするピラミッド型の組織形態は不変である。会員の活動方針はトップダウンで、常に上から下に降り、しかも幹部の指導は絶対である。若し逆らうような態度を示せば組織にはいられず、爪弾きにされてしまう。「私は学会員ですが、支持政党は日本共産党です」等と話したら、周囲の会員からもう声もかけられない。布教活動が停滞し、教団の屋台骨であった本尊も否定した。学会本部中枢は、組織をこれからどのように動かし、どう変貌させていくのだろうか。難題な本尊問題は未だ尾を引くとしても、冒頭で紹介した“社会福祉”的な組織活動は、高齢化社会にマッチした布教態様ではある。宗教色を薄めながら、創価学会は“公明党支援組織”或いは“平和団体”として、社会に根付いていくことを模索しているようだ。


段勲(だん・いさお) フリージャーナリスト。1947年、宮城県生まれ。東洋大学文学部卒。『週刊ポスト』記者を経てフリーに。宗教・社会問題・人物・健康等について幅広く執筆。著書に『千昌夫の教訓』(小学館文庫)・『創価学会インタナショナルの実像 池田会長が顕彰を求める理由』『反人間革命 創価学会へ入信した男の一生』(共にリム出版新社)・『定ときみ江 “差別の病”を生きる』(九天社)等。


キャプチャ  2016年3月号掲載




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テーマ : 創価学会・公明党
ジャンル : 政治・経済

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