【随筆】 性と生

1990年代後半、私は県立の衛生看護科の女子高生だった。当時の高校は、成績の良い生徒しかアルバイトが許されなかったので、頭が悪い私は学校に見つからないよう、裏方のバイトを転々としていた。そんな中、偶然母が見つけてきた産婦人科医での見習いアルバイトを、1997年の夏休みから始めることになる。これが『透明なゆりかご』が生まれるきっかけとなった。その後、私は正看護師になるのだが、この体験は“今までやってきたバイトの中の1つ”として完全に忘れていたし、更に漫画家になっても特に思い出すことはなかった。描いていたのは、自分の身の回りのことを面白可笑しく表現する4コマ漫画。愈々、講談社で初のストーリー漫画の連載が決まった時、いきなり8ページから24ページに原稿量が増えたことで、スランプに陥ってしまった。「何か別のエピソードがなかったか」。記憶を辿っていたら、「…そういえば昔、産科でアルバイトしてたっけ」と思い出したのだ。発作的に1話分だけネームにして、「この話に変えてくれ」と担当に頼んだものの、「じゃあ、この連載が終わったらやりましょう」とサラッと返され、前記の連載終了後に『透明なゆりかご』を描くことになった。暫くして予想外の反響とファンレターに驚いた反面、「沖田さんは優しい方なんですね」という一文を見て大いに戸惑った。いや、だって描いている本人はと言えば、昔から妊娠・出産・育児という女性の一大イベントに全く興味がなく、それは37歳になった今も変わることはない。自分の人生から最も離れているテーマなので、当然ながら“子を産む女性の気持ち”も“母性”もわからず、子持ちの同級生にどれだけ子供が素晴らしいかを熱弁されてもピンと来なかった。多分、“子に優しくない”部類の人間だと思う。

それなのに妊娠云々を語ること自体、烏滸がましいことなのではないか? 「若し、私だったら嫌だな。何も知らないのに偉そうに…」と思ってしまう。「今まで自分で経験してきたことしか漫画にしなかった私にとって、これは如何なものか?」と自問自答するその一方で、妊娠・出産物のドラマを観ては首を傾げることに気付いた。「赤ちゃん可愛い! 感動!」「色々あったけど産んで良かった。有難う!」で物語が終わってしまうからだ。勿論、そういうほうが殆どだからだと思うが、少なくとも私の記憶にあるのは「産んで幸せじゃなくなった」「妊娠したことを後悔している。死にたい…」と、様々な事情を抱えながら人知れず苦しんでいる女性たちの姿だ。「愛情だけでは子供を生かしておくことができない」「自分1人だけでは子供を育てられない」と理解しているからこそ、苦渋の決断を下す。結果、それが中絶だったとしても、誰も本人を責めることなどできない。それ以前に、1人で子供は作れないのにも拘らず、子の命を宿し、管理する立場になった瞬間から、周りの人間は全ての責任を女性に押し付けてしまう。妊娠しては責められ、出産・育児をしても責められ…この世の中は何て理不尽なんだろうと思う。それはニュースを観ても同じ。「赤ちゃんポストは非人道的だから撤去しろ」「勝手に自宅出産して路上に全裸の新生児を投げ捨てるなんて…人間じゃない!」と憤る人々…。でも私は、助けを求める女性から逃げて、何食わぬ顔で生活を続ける男性がいることも知っている。「母親1人だけが全ての責任を背負い、子の人生に手を下さざるを得ない状況」――。この事実を、一体どれだけの人が理解しているのだろうか。




私が子供の頃から、SEXについての情報や知識は巷に溢れていたが、実際のところは、同級生の中絶手術にカンパすることになっても、内心は「本人たちが悪い」としか思わなかった。性についても雑誌で齧った知識しかなく、「妊娠したら本当はどうなるのか」ということさえ何にもわかっていなかった。産科のアルバイトをして初めて、望まれない赤ちゃん・死産・流産を、時には出産よりも多く見ることになった。私は看護免許も無く、雑用しかできなかったから、出産は見学だけで、新生児には一切触れられなかった。偶々振り当てられた“中絶の後処理”は、唯一、赤ちゃんと向き合って独り占めできる貴重な仕事であり、時間だった。今でもよく覚えているのは、子宮内に避妊リングを装着していたのに、僅か数%の確率で妊娠した女性から、避妊リングと一緒に出てきた12週の赤ちゃんのこと。リングは魚の骨のような形をしていて胎児と絡み付いていたので、アルコールで綺麗にしてから一緒にケースに入れた。この後は、赤ちゃんを業者さんに渡さなくてはならない。ふと、ケースを抓んで窓辺に翳すと、日に照らされた赤ちゃんは穏やかに眠りながら羽に掴まり、まるで空を飛んでいるように見えて、とても綺麗だった。「羽と一緒なら怖くないよね。今度は生まれますように」と呟いたこと。それ以来、数十分前までは生きていた命に話しかけ、空を見せて、時には童謡を歌ったりするようになった。それは、医療側にとって何の意味も無い行為なのかもしれない。しかしそれでも、このエピソードに読者さんたちが涙するのは、“性に無知な10代女子と寡黙な胎児との会話”の物語だからだと思う。「たとえ人の気持ちがわからなくても、母性が一生理解できなくても、“起こっている事実”を伝えることによって、妊娠・出産で悩んでいる女性に少しでも目を向けてもらえたら…。もっと安心して子供を産み、育てられる社会になるのではないか」と思いながら、今日も描いている。


沖田×華(おきた・ばっか) 漫画家。1979年、富山県生まれ。高校在学中に准看護師の資格を取得。看護師・風俗嬢を経て、2005年に漫画家デビュー。主な作品に『こんなアホでも幸せになりたい』(サン出版)・『ガキのためいき』(講談社)・『毎日やらかしてます。』(ぶんか社)等。現在、『蜃気楼家族』(幻冬舎)・『透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記』(講談社)を連載中。


キャプチャ  2016年3月号掲載




スポンサーサイト

テーマ : 子育て
ジャンル : 育児

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR