【働きかたNext】第9部・老いに克つ(05) “次世代シニア”1500万人――失業の備え、40代から

20160421 01
大手精密機器メーカーの営業部長だった臼井清(54・右写真)は3年前、突然、社内で“失業”した。事業縮小で部署が丸ごと無くなったのだ。人事部預かりになり、出された指令は「やることを探せ」。余剰人員を活用した新事業の開発だった。「社内だけで通用する会社人ではなく、社外で活躍する社会人でありたい」。昨年末に思い切って会社を辞めると、ミドルに学びの場を提供する会社を立ち上げた。「セカンドキャリアの準備は早いほうがいい」。2015年9月下旬に始めたキャリア講座で、臼井は40~50代のビジネスマンを前に訴えた。地域や農業等、新たな分野への取り組み方を説明。ミドルの視線を社外に向け、第2の人生への準備を促す。“次世代シニア”――。『リクルートワークス研究所』は、1967年から1974年生まれの40代をこう名付けた。バブル世代と団塊ジュニアを合わせた層で、人数は約1500万人。団塊世代の2倍の規模だ。「彼らが65歳になる2030年代にはミスマッチが広がり、働きたいのに職が無い人が190万人生まれる可能性がある」(主任研究員の戸田淳仁)。企業の人員構成の“瘤”を形成する次世代シニア。10~20年後に困らないように、どう備えるか。2006年にカメラ事業から撤退する等、事業内容が様変わりした『コニカミノルタ』。「従来の経験やスキルを生かせない人が多い」(人事部の村上裕之・56)と見て、ミドルの働き方支援に乗り出した。

自分に何ができるのか。将来を見据え、キャリアの棚卸しを促す。村上がモデルとするのが、技術畑を歩んだ中山昌彦(62)だ。再雇用で就いた職はプラネタリウムの支配人。初の仕事に戸惑ったが、次第に共通点に気付いた。「機械の扱いやクレーム対応は得意。自分にもできる筈だ」。自分の強みを見極めればシニアになっても生かせると説く。60代まで働く“会社人生50年時代”。老後を充実させるには、ミドルからの備えが重要になる。『キリンビール』に勤めていた栗原邦夫(57)が“自分の履歴書”を書き始めたのは47歳の時。母親の入院がきっかけだった。ノートに職歴や特技を書き連ね、今後の人生でやりたいことを考えた。「将来は九州に戻り、教育現場で社会に貢献したい」。周囲に「何れ転職する」と宣言し、実際に学校も調べた。実行したのは2015年4月。子供の就職を機に長崎国際大学(長崎県佐世保市)の地域連携室長に転じた。最後の肩書は執行役員でやりがいもあったが、夢への思いが背中を押した。『三菱総合研究所』の松田智生(48)は、「どこでも通用するシニアは極一部。ミドルの内に準備を始めるべきだ」と訴える。会社に残るか、外に飛び出すか。来る大量“失業”時代を乗り越えるには、ミドルの覚醒が欠かせない。 《敬称略》




「シニアになったら“隣のお節介おじさん・おばさん=TOO」”になろう」――。サントリーグループの清涼飲料販売会社『サントリーフーズ』(東京都中央区)で、ユニークな活動が始まっている。「顔色悪いけど、どうしたんや?」。サントリーフーズ近畿支社の三好康之さん(63)は、毎日出社すると職場全体に目を配る。落ち込んだ様子の社員はいないか。忙し過ぎる人はいないか。環境が変わったばかりの若い社員・転職者・転籍者は特に気にかけている。子会社の常務や支店長を経験した三好さんの現在の肩書はTOO。“隣のお節介おじさん”の略称だ。社内の稟議書の管理等、通常業務の傍ら、社員1人ひとりの相談役として職場全体に目を光らせている。三好さんがこの活動を始めたのは4年前。支店長を勇退してからだ。支店長から一社員に戻った瞬間、それまで毎日100通ほど届いていたメールが激減し、会議にも出なくなった。「会社に貢献したい。後輩に自分の経験を伝えたい」。そんな思いが募り、シニア社員3人で相談係業務を自主的にスタートした。単なる“相談おじさん”ではない。三好さんは定年後、心理学・キャリアデザイン・コーチングを猛勉強し、メンタルヘルスマネジメントの資格も取得した。「やるからには“裏付けのある存在”になろう」。周囲のシニア社員にもそう呼びかけている。近畿支社の活動は、本社からも認められた。2014年10月には、それまで“相談係”等と呼んでいた三好さんの活動をTOOと命名。8人にTOOの肩書を付与した。現在では11人がTOOとして活動している。

「シニア社員にとって新たな活躍の場となり、モチベーション向上にも繋がっていく」。『サントリーホールディングス』キャリアサポート室の山田昇さん(63)は、TOO活動の意義をこう捉える。忙し過ぎて目が行き届かない管理職と若手社員との間に入り、個人が抱える問題を早期に摘み取る。人材育成の後押しもする。「TOOは、これからのマネジメントに不可欠な存在になる」。2015年10月、宮城県仙台市でTOOの研修会が行われた。全国から11人が集まり、活動を報告。TOOとしてできることや課題を話し合った。前月から高松市の四国支店でTOOに任命された福地大介さん(58)は、「誰と誰が一緒に食事をしているか等、人の動きを観察している」と話す。四国支店には元々『支店をよくする会』があり、職場環境に対する意識が高かった。入り口の壁には大きな紙が張ってあり、最近良かったこと・楽しかったことを自由に記入できるようになっている。福地さんは、この紙に注目。書いたことが無い人を中心に話を聞くよう心がけている。普段と違う変化に気付くかどうか。TOOとして腕の見せどころだ。TOOの誕生は、ミドル社員の意識を変えつつある。「将来はTOOになりたい」。キャリアサポート室には、そんな管理職の声が寄せられるようになった。サントリーグループは2013年、それまで60歳だった定年を65歳に延長した。役職を終えてから定年を迎えるまでの期間が延び、シニア社員の戦力化が今まで以上に求められるようになる。職場の“お節介おじさん”から目指すべき存在へ――。TOOの活躍は、シニア社員の処遇に悩む企業にも参考になりそうだ。 (河尻定・植出勇輝)

               ◇

10年後、日本の労働市場はどうなるか。リクルートワークス研究所の試算では、最悪の場合、仕事と働き手のミスマッチが深刻化し、就業者が今より550万人減り、無業者が500万人増えるという。働き手への意識調査や雇用関連の統計から将来市場を占った。悲観ケースは女性等労働市場への参加率を今の半分、離職率を2倍に設定した。自動化や海外移転で製造業で職を失う人が増加。仕事が過酷な飲食業や医療・福祉では離職率が上昇し、人材不足が深刻化する。介護等を抱え、「仕事があっても働けない」人も増える。日本全体では、人手が足りないのに失業者が増える現象が起こる。一方、女性等の労働参加率を2倍、シニア等の離職率を半分にした楽観ケースでは、就業者が微増で無業者は減る。試算した戸田淳仁主任研究員は、「ミスマッチの解消には、企業が多様な働き方を認めること、全国規模でミドル人材が移動できる労働市場を整備すること、ミドル層のキャリア形成を支援することが必要」と訴えている。

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世界に類を見ない速さで高齢化が進む日本。社会保障制度を維持する為には、60歳を超えて働き続けられる環境の整備が課題となる。企業や働き手が今後取り組むべきことは何か。政府の社会保障制度改革推進会議議長を務める慶應義塾大学の清家篤塾長に聞いた。

――社会保障制度を支える為に高齢者の就労促進を唱えています。
「年金に限らず、日本の経済社会を持続可能にするには高齢者の就業が不可欠だ。今は団塊の世代が65~74歳の前期高齢者だが、10年後には75歳以上の後期高齢者になる。65~74歳が社会を支える側に回らないと、経済社会が立ち行かなくなる」
「日本の高齢者は労働意欲が高い。60~64歳男性の働く人の割合は7割を超え、アメリカ(6割)やヨーロッパ(2~5割)を上回る。これを生かして就労促進をすべきだ。2012年に6555万人いた労働力人口は、何もしないと2030年に5683万人に減る。一方で、高齢者と女性の就労を促せば、6285万人は維持できるという推計がある」

――具体的にどうしたらいいのでしょうか?
「企業は定年を60歳から65歳に引き上げ、働く意欲のある65歳以上にも就労機会を与えるべきだ。2025年に厚生年金の支給開始が65歳になる。定年と年金が接続するのが理想だ。ただ、定年引き上げに伴い、賃金制度も変える必要がある。現在は年功序列が色濃く、50歳まで賃金が上がる。60歳の再雇用で6割の水準に一気に減る為、働き手のモチベーションが下がる。40歳以上は成果主義でいいと思う。長時間労働の是正も課題だ」
「労働者は『65歳まで働くのは当たり前で、その後も能力と意欲があれば働き続ける』という意識を持つべきだ。2015年4月に導入した“マクロ経済スライド”は、若者世代の負担をこれ以上重くしない為に必要だった。年金支給額を物価上昇率よりも低く抑える制度で、年金が実質目減りする。高齢まで働き、年金の支給開始を遅らせることで、年金の減少額を抑え、豊かな老後を送るという生活設計をするべきだ」

――定年延長は企業の社会保障負担が増える為、反発が強そうです。
「どこにも打ち出の小槌は無い。誰かが負担をしなくてはならない。消費税率の引き上げでは企業だけでなく、労働者の負担も増えた。ただ、多くの正社員を雇う企業だけに負担を押しつけるのは公平ではない。非正規社員も厚生年金の対象にすべきだ」

――高齢でも活躍するには、どうしたらいいでしょうか?
「経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の国際成人力は先進国で圧倒的に高い。企業内教育が機能し、能力が高い中高年が多いことを示している。企業によって仕事の進め方が異なる為、定年後も同じ会社で働き続けるのが効率的だ。『年を重ねると生産性が下がる』という意見を良く聞くが、それは大企業特有のもの。中小企業は、年配の社員が戦力となっている。グローバルニッチトップ企業は受注生産で仕事がマニュアル化されていなく、シニアの経験が生きる。小売りでも、ベテラン販売員はきめ細かい接客ができる」
「起業も選択肢の1つだ。今の会社で活躍できないなら、技能を生かしての独立や、中小・ベンチャーで働くのもいいだろう。一般社団法人“ビジネスライブの会”(大阪市)は、シニア人材と中小企業のマッチングをしている。例えば、東欧諸国との輸出入のノウハウと人脈を持つ元商社マンが複数の企業を支援している。中小企業は特殊なスキルを持つ人材を自前で育てる余力が無く、経験豊富なシニア人材の需要が高い」 (聞き手/阿曽村雄太)

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国民的ヒット作の人気漫画『釣りバカ日誌』。実は、主人公のハマちゃんこと浜崎伝助氏のモデルになった人物がいる。元『小学館』編集者の黒笹慈幾氏(65)だ。3年前の定年退職を機に家族で高知に移り住んだが、地方移住の理由は“釣り”だけではなかった。40代のある“事件”が、第2の人生を考える転機となった。

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「そりゃあ、釣り場が沢山あるからでしょ。ここは釣り天国ですから」――。黒笹氏は、高知を選んだ理由についてこう話すと、屈託の無い笑顔を見せた。小学館を定年退職し、密かに温めていた計画を実行に移したのは2012年春。年30回以上釣りに出かけたこともあるという自他共に認める“釣りバカ”。第2の人生は高知で始動した。ただ、本物のハマちゃんと違い、黒笹氏のサラリーマン時代は激務そのもの。特に、若い時は趣味の釣りに殆ど行けないほどの売れっ子編集者で、日々不規則な生活が続いた。体力には自信はあったが、41歳の時に突如、大病に襲われる。病院に緊急搬送され、緊急手術後には一時生死の境を彷徨ったという。黒笹氏は、ベッドで白い天井を見ながら考えた。「『俺がいなきゃ会社は回らない』と思っていたが、そんなことはなかったな」。40歳は会社人生の折り返し地点。大病が自らの人生を見直すきっかけになった。それまで考えもしなかった会社生活の残りの週末の数も数えたという。「自分が思ってた以上に少なくてショックだった」。黒笹氏は、田舎の生活に憧れがあった。小学生の頃、夏休みが来る度に電車に乗って、1人で母親の実家のある広島県に向かった。見上げると抜けるような青空が広がり、山深くの清流で水泳や釣りを楽しんだ。その頃の体験が体に染み付いているという。創刊から携わったのが、アウトドア雑誌の『ビーパル』。編集長として全国を飛び回りながら、少年の日の思い出を胸に、実は移住先の“下見”をしていた。実際に当時、妻と小学5年生の息子に真面目な顔で説得した。「日本語が通じる海外に行こう。絶対楽しいから」。妻は「パパがそこまで言うのなら」と苦笑いで承諾してくれた。東京在住中に地域振興やシルバー人材の“Iターン”を提言する『南国生活技術研究所』を立ち上げ、マンションも売り払って退路を断った。

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友人の紹介で高知県庁と関係を深めた黒笹氏は現在、県のアドバイザーとしての仕事・講演会・地元紙への執筆活動等で多忙な日を過ごす。2015年4月には、高知大学地域協働学部の特任教授に就任した。3日働いて4日釣りを楽しむ“3勤4釣”が理想だったが、「忙しくて、釣りは月に3回行けるくらい」と笑う。「定年退職後の移住は、結婚と同じく、人生最大の決断だ」と黒笹氏は断言する。悠々自適に田舎でただ暮らしたいという思いだけでは、軈て上手くいかなくなる。老後のビジョンをしっかり持ち、「誰かの役に立っているという実感を持てるかが何より大事」という。移住成功には、「自分のこれまでのスキルが生かせるかも重要だ」。60歳を過ぎて、全く新しい分野に挑戦することは容易ではない。体力や気力も若い頃とは違う。黒笹氏の場合は、編集者OBという経歴と、早くからの準備が生きたようだ。地方は東京とは違い物価も安く、精神的にもゆったり暮らせる。黒笹氏は他のシニアにも移住を呼びかけるが、気になるのはどの程度のお金が必要かだ。求める生活水準にもよるが、黒笹氏は「ローンが無ければ、夫婦2人が少し働きながら年300万円もあれば十分やっていける」と話す。黒笹氏の場合、移住で新たな趣味も生まれた。お遍路さんとして2014年5月から始めた“四国霊場88ヵ所巡り”だ。若者や外国人にも魅力を伝えようと自身が企画したプロジェクトで、既に1200kmを歩いた。「釣りよりももっと面白いものを見つけちゃった」。その黒笹氏も、2015年11月に65歳になった。お遍路の楽しさも、「自分が主体的にスイッチを入れ替えたことで見つけられたのだと思う」と振り返る。2016年3月までのお遍路を通じ、70歳までの人生をどう楽しんでいくか、これから考えるつもりだ。「趣味は趣味として楽しむが、高知の為に何ができるか真面目に考えていきたい」――。「誰かの役に立ちたい」という純粋な思いが、黒笹氏の新たな人生を支えている。 (大西智也) =おわり

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宮東治彦・柳瀬和央・銀木晃・田村明彦・河尻定・岩村高信・北西厚一・藤野逸郎・阿曽村雄太・松本史・小川望・大西智也・江里直哉・奥田宏二・木寺もも子・若杉朋子・学頭貴子・諸富聡・植出勇輝・龍元秀明が担当しました。


≡日本経済新聞 2015年12月18日付掲載≡

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テーマ : 働き方
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