1日1600万円稼いだ伝説のカリスマホスト・井上敬一が明かした「俺が見た地獄」

「ホストの前に人間やろ!」と叫び、ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)に何度も取り上げられた名物ホスト・井上敬一。その波瀾万丈過ぎる半生を本人が明かす。 (取材・文/フリーライター 伊藤亮)

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井上敬一。恐らく、ホスト業界で彼の名を知らぬ者はいない。嘗て、ホスト激戦区である大阪のミナミで名を馳せ、引退後は経営面で辣腕を振るった伝説の人物である。その生き様は、毎週日曜日昼放送の異色のドキュメント番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)で取り上げられ、一躍全国区となった。第6弾まで放送された彼の番組では、「ホストの前に人間やろ!」という名文句も生まれた。しかし、最後は誰もが予期できないものとなる。まさかの脱税で借金1億円。折しも、「水商売やってたら何でもできる!」と豪語し、ホスト業界から離れた直後で、他の事業で借金を返そうと試みるが、どれも鳴かず飛ばず。まさに人生急降下というところで、放送は終わった。夜の世界で栄光を極めた男がドン底に墜ちる。まるでドラマのような話である。しかし、放送は終わっても彼の人生は終わらない。あのイケイケだった井上敬一は、そして最後に項垂れていた井上敬一は今、どうしているのか。

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井上敬一は東京にいた。お洒落なブルー地チェックのスーツに白の開襟シャツは、ヤリ手の実業家という出で立ち。ただ、浅黒い肌と襟元に覗くクロスのシルバーネックレスが、ホスト時代の名残りを感じさせる。現在の肩書きは“ブランディングコミュニケーションデザイナー”。ホスト時代に培ったコミュニケーション術を説くセミナー等、講師業を中心に、複数の仕事を掛け持ちする。「借金を返す為に、周りからは『またホストやれや』と散々言われました。でも、自分はもう引退して次の道を作ると決めていたので。現役ホストの悩みは“将来”なんです。『結婚できるのか?』『昼間の仕事ができるのか?』というのが一番の悩み。そこで、『後輩たちの為に、自分が新たな道を切り拓かなければ』と思ったんです。そう決意した瞬間に、あの事件があったんです」。正直、返済は苦しい。税理士に任せっ切りだった為、本人からすれば“青天の霹靂”で背負った借金。重加算税も加わり1億円。当初は、これに毎日約4万円の延滞税が付いた。これまでの蓄えで返済し、現在は月給28万円の給料から毎月1~2万円を返している。事件から2年超、返済できたのは約3000万円…。「返済計画は、国税の人と相談しながら進めています。担当の方も番組を見ていてくれたので、優しくしてくれます(笑)」。ホストに戻れば、今ほど苦労無く借金を完済することは可能だろう。しかし、自分が啖呵を切ったことに責任を持つ。嘗ての関係者からは「何を考えとんねん」という呆れた視線も浴びた。それでも仁義を貫くのが井上敬一なのだ。「誕生日等の花形イベントの時は、お客さんがある程度お金を貯めてきてくれるんです。あの時は最高で600万円ぐらい持って来てくれた人がいた。そんな金額に見合うお酒なんてありませんから、酒樽を3つ用意して『1つ200万円でどうですか?』と」。井上敬一が1日で1600万円を売り上げ、記録を作った時の話だ。おっさんがキャバ嬢にチョコチョコ貢ぐのが可愛く見えてくる数字である。この快挙を井上は、ホストを始めて4年目、僅か24歳の若さで達成する。そして、長らくNo.1の称号を引っ提げ、店長として徐々に経営にシフトしつつ、推し進めてきたことは、どれもこれもが異色だった。「ホストに市民権を」を合い言葉に、風紀を正す組合を作ったり、従業員で募金活動・ゴミ清掃もしたりした。人材育成の為、従業員のケアは勿論、その親へも挨拶に出向き、店で親子参観をしたこともあった。従業員が仕出かした不始末に関しては、その場で土下座は当たり前。丸坊主にして謝りに行ったこともある。これだけを見れば、「何て模範的な好人物なんだろう」と思うだろう。だが、実際に活動を始められたのは、飽く迄もNo.1になり、経営に携わるようになってからのことだった。




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事実、25歳でホストを引退するまでは、綺麗事など言ってられなかった。蛇の道は蛇。ホスト業界の壮絶な営業にドップリである。「オカンが保証人で多額の借金を背負って、その返済の為に立命館大学を中退してホストを始めました。その初日、キャッチで女の子を呼べたんです。先輩たちが『敬一、凄いな~。俺らが盛り上げたるから任せとけ』って。実際、凄い盛り上がって、女の子たちもテンション上がってシャンパンも入れてくれた。『凄いな』と思ったら、後から聞いた話、シャブを入れていたらしく、道理で銀紙が一杯あったなと。でも、当時の僕には銀紙の意味すらわからなかった。仕舞いには、3000円で呼んだのに支払いが7万7000円になっている。その無茶苦茶ぶりはカルチャーショックでした」。つい数日前まで、クスリは勿論、酒も煙草もやらずにサッカーを好む哲学科の大学生だった。そりゃ怖い。でも、後には引けない。肚を括ったのは、アルバイトから社員になりたての頃、同期と系列店に赴いた時のことだ。「椅子に片足乗っけて仰け反っている先輩が、極太のバイブを見せるんですよ。で、『こういうモンやから、女は』って言う。いや、どういうことやねんと(笑)。結局、『女はヤッてもたらいい』ということ。で、『数字(支払い)はナンボにしてもええ。後で回収したるから、兎に角行け』って。その時、同期は気が引けていた。でも、僕は逆に肚を括りました。大学も辞めてお金も必要だったので、ドップリ浸かろうと決めたんです」。入店から3ヵ月は、お客をヤリ倒したという。店の非常階段に連れ出して、兎に角ヤる。そうすれば指名が増えると思っていた。「でも3ヵ月経って、誰1人残らないんです。結局、キャバクラと一緒で、ヤれちゃうとそれで終わりなんですよね。だから辞めました。でも、営業活動でどうしてもお客さんの部屋に行かなアカン時がある。そういう時は、事前にトイレでヌイていました。『オレはプロだ。ゴルゴ13だ』とね。当時はヤリたい盛りですから、遊べなかったのは辛かったですね」。

以来、自分流の営業法を考えた。他のホストは、キャバクラや風俗へ営業に出向く。しかし、そんなカネは無い。そこで、当時は未だ隆盛だった伝言ダイヤルに、ホストであることを先に吹き込んで、反応のあった女の子とお茶をしながら営業した。「自分は同じ喫茶店の同じ席にいて動かずに、時間毎に女の子が入れ替わるという。何かの面接みたいですよね」。更に、出会い系雑誌でお客さんを探すなどし、独自路線で客層を拡大していった。「自信は何故か昔からありましたね。保育園の頃から徒競走で2番になった自分が信じられなかったですし(笑)。何でも1番だった親父の背中を見てきた影響もある。親父の渾名は、麻雀のピンズから取った“ピンちゃん”でしたから」。そしてもう1つ、反骨精神から来る並々ならぬ野望があった。「尼崎で育った小学校時代は、家にトイレも風呂も無かった。周りも皆同じなので、それが当たり前の中流家庭だと思っていたら、中学・高校と他の地域から人が集まってきて、『ウチ、ちょっとヤバいかもしれん』と思うようになったんです。だから、『自分でお金を稼いで、シャワーもトイレもあるマンションで1人暮らししたる』と思ったんです」。加えて、水商売で失敗した母親の仇を討つという思いも強かった。「『オカン、見とけ。俺を育てた水商売、オカンがやっていた水商売。それを俺の才能・やり方で証明したる』と」。心を鬼にした。最初は桁違いの金額が怖かったが、100万だろうが200万だろうがビビらない。お金はお金として執着した。「最初の頃は『オモロイことできんのか』と言われて、全裸で接客もしていました。次第にそれが癖になって、No.1になっても脱いでいたから、周りのホストも脱き出した(笑)。あと、固定客を増やす為に、敢えてクレーマーに付くようにしていました。厄介なお客さんは、しっかり掴んだら浮気しないんです」。その自分の全てを曝け出して挑んだ結実が、ホスト4年目に打ち立てた“1日売り上げ1600万円”という記録だった。

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ホスト全盛時はさぞ派手な生活をしていたかというと、そうでもない。1年目にベンツを買って、その後、フェラーリと車に凝ったぐらい。それもスタッフをモチベートする為で、他の儲けは全て人材育成・広告宣伝に注ぎ込んだ。「全部投資する感覚でした。兎に角、自分が目立って一番になって、居心地のいい世界を作りたかった。男ってそういうものじゃないですか」。所詮、「どうせホストやんけ」「ホストやからな」と偏見を持たれていることはわかっていた。だから余計、反骨精神に火が付いた。「“直引き”って言葉があるんです。お客さんから直でお金やプレゼントを貰う行為ですね。『それは絶対にやったらアカン。自分らはヒモちゃう。接客というプレーの対価を貰ってナンボのプロなんやから。プレゼント貰うぐらいなら店に使ってもらえ』と教えていました」。ノリは体育会系の部活、例えるなら漫画『魅!!男塾』。兎に角、わかり易く示す。社員研修と称して京都の萬福寺で座禅を組み、富士山にも登る。東日本大震災のボランティアにも積極的に参加した。従業員もお客さんも家族。そんなファミリー気質で本音をぶつけ合い、強い絆で結び付く。だから国定客も増え、売り上げも伸びた。「何があろうが誰も離れない」――そう確信していた。だからこそ、借金を背負った時、1人、また1人と自分から離れていくのが何より辛かった。「税理士の先生が逮捕されてから、毎日、検察庁に呼ばれて尋問されるのも辛かったですけど、そこにスタッフも呼ばれたのが申し訳なくて。個人的には、こんな事件があっても『よっしゃ、やったる!』って思っていた。でも、命をかけてきた、家族だと思っていた連中が辞めていって、店舗ごと独立されて…。あれはキツかった」。自分が落ち込んでいると気付いたのは、眠れなくなり、食事も喉を通らず痩せ始めて、大分経った頃だった。幸い、全員が離れた訳ではなかった。それが救いになった。「番組の影響があったのか、周回の期待に乗せられているみたいな感覚があったんです。だったら、『皆が自分に抱いているイメージを外してガッカリさせたろう』と思ったんです」。

そこでやったのが“井上敬一復活祭”だ。「北海道から九州まで、先輩や後輩に『困っているから来てくれ』と声をかけて、皆に集まってもらって『お金貸して下さい』と正直に言ったんです。『貸してくれる人、手を挙げて下さい』『いくら貸してくれるか書いてください』ってね。どこが復活祭だよという話なんですが(笑)」。その日は丁度サッカーW杯ブラジル大会で、日本代表の初戦が始まろうとしていた。そんな時に呼び出され、カネを無心された側はたまったもんじゃない…筈だ。だが、21人が手を挙げ、合計4250万円が集まった。勿論、無担保である。「若し1億円借りられれば、それで借金を完済して、残ったお金で事業を興そうと思ったんですけど。いや~、1億円借りられなかったのがショックで…っておかしいですかね?」。間違いなく認識がおかしい。4250万円集まったことのほうが奇跡だ。だが、この大胆不敵さこそが井上敬一の真骨頂である。今だって状況は厳しい。だが元気だ。その眼は輝きを帯びている。復調のきっかけは、今年の春に“ムカついた”ことだ。「番組では可哀想な奴に描かれ、実際に悩みました。『先ずは一般常識やビジネスを学ぼう』と色んなところに頭を下げに行ったんです。それで1年ぐらい勉強をしていたら、急にムカついてきまして。『何かエラそうに言うてるけど、俺のほうがやってきたんちゃうんか?』と感じ始めた。取り敢えず、執行猶予が解けたらムカついた奴を殴りに行きます(笑)」


キャプチャ  2016年1月12日増刊号掲載




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