【連鎖地震・検証】(01) “想定外”本震で混乱

21日で発生から1週間が経過した熊本地震。“前震”の28時間後に阪神大震災級の“本震”が襲ったことで、犠牲者は5倍以上に増え、その後も強い余震が止まずに、避難者は21日時点でも一時10万人を超えた。常識を覆す“連鎖地震”が地震列島に突き付けた課題を追う。

20160425 08
14日夜の最大震度7の地震から一夜明けた15日。熊本県益城町等で多数の家屋が倒壊し、死者は9人に上ったが、安否不明者の情報は無かった。“余震”も減り、永田町には“収束ムード”が漂い始めた。午後4時過ぎ、首相官邸での非常災害対策本部会議で、安倍晋三首相は翌16日に現地視察する考えを表明。河野太郎防災担当大臣は会議後、記者団に「救命救急のフェーズから、生活支援・再建のフェーズに入った」と語った。2011年の東日本大震災で東北地方の広域に展開した各都道府県・政令市の緊急消防援助隊は、14日の地震を受けて出動態勢を取った。だが、「被害は局所的」と判断した総務省消防庁は、派遣を11県市の消防隊に絞り、東京・大阪・神戸には待機を指示。陸路で西に向かった神戸の隊員は、15日未明までに引き返した。同日夜、益城町役場には警察・消防・陸上自衛隊等の責任者が集まった。翌朝からの支援態勢を協議していた16日午前1時25分、激しく揺れた。発表された最大震度は6強。マグニチュード(M)は7.3。庁舎は停電し、陸自幹部は暗闇の中で「経験の無い事態だ」と即座に悟った。「余震がこんなに大きいとは。どれだけ被害が出るのか」。政府は阪神大震災の教訓から、1996年に危機管理センターを官邸内に開設。ただ、「余震の場合は首相や閣僚までセンターに詰める必要はない」とされ、河野氏が1時46分に議員宿舎から駆け付けたものの、7分後には官邸を後にした。

ところが、生き埋めや土砂崩れ等の情報が次々に官邸に伝わり、一報を聞いた首相は2時38分、公邸から対応を指示。3時28分になって菅義偉官房長官が緊急記者会見を開き、「甚大な被害が発生」と述べた。首相は現地視察を取り止めた。気象庁にとって、最初の大きな地震を本震と見做すのは長年の“常識”で、余震への警戒を呼び掛ける際は、本震より低い震度を例示してきた。3時40分頃から会見した同庁地震津波監視課の青木元課長が「今回が本震」と硬い表情で説明すると、報道陣はどよめいた。「余震は小さい」という思い込みの代償は大きかった。益城町では、避難住民が帰宅した後に“本震”で倒壊に巻き込まれるケースが続発。被害は南阿蘇村等に広がり、益城町に集結していた関係機関は情報収集に追われた。消防庁は16日、600人に抑えていた派遣規模を一転して2000人に拡大した。15日時点で4万人超から約7000人まで減っていた熊本県内の避難者は、最大約18万人に。物資輸送は後手に回り、多くの避難所で水や食料が枯渇した。地震の少ない九州の内陸という地域性も、住民や自治体の油断を招いた。熊本県で多数の死者が出た地震は1889年(M6.3)まで遡り、東日本大震災後の国民の防災意識は津波に偏っていた。“本震”の最大震度は、20日になって“7”に修正された。「『地震活動が時間の経過と共に徐々に収まる』という常識は崩れた」とする東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授(災害リスク学)は、こう指摘する。「終わりを見通せない住民の不安感や、長期避難のストレスに対応できる防災対策を整えなければいけない」


≡読売新聞 2016年4月22日付掲載≡




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テーマ : 地震・天災・自然災害
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