あなたが口にする「将来世代のため」という言葉、本心ですか?――日本の未来を考える提言

我が子や孫が生きる将来の日本の姿はどうあるべきか――。5年前の東日本大震災と福島第1原発事故、長引く景気の停滞、或いは国際情勢の不透明化を経験する中で、多くの人々の間でそうしたテーマの議論が喧しくなっている。しかし、その議論は往々にして、次世代への価値観や贖罪意識の“押し付け”となってしまうこともあるのではないか。国家や社会生活の10年後・20年後を考える上で忘れてはいけない姿勢とは何か、2人の識者へのインタビューと共に考えたい。

20160426 07
■“ベスト”の道を要求するより“ベター”を選ぶのが人間の賢明さ  作家・曽野綾子氏
最近、私が不思議に思うのは、世間を見ていれば誰にでもわかるようなことを、“頭のいい人”が認めないことです。一例を挙げれば、5年前の東日本大震災以来、「安心して暮らしたい」と口にする人が目立つようになったことですね。政治家も、教師も、NHKのアナウンサーも、家庭のお母さんも、口を揃えてそう言うんです。皆、嘘吐きね(笑)。“安心して暮らせる”ことだけはないんですよ。次に大地震はいつやって来るかわからない。新たな感染症が大流行するかもしれない。お父さんの会社が来月に潰れるかもしれないのにね。“安心して暮らせる”人生なんてある訳ないことだけは、はっきりしています。そうしたアクシデントが起きないことは理想です。しかし、この世のあらゆるものに事故やエラー(失策)が起こり得ることも納得しなければならない現実なのです。自動車が事故を起こすことを知りつつ、誰も「自動車を廃止せよ」とは言いません。自動車は人を殺す凶器であると同時に、救急車として人命を救う手段でもある。そうした二面性があることを忘れては、大人の議論はできません。多分、人生には“ベスト(最良)”という状態は滅多になく、“ベター(ややマシ)”を選択して生きる他ないんでしょうね。勿論、不安な状態より、安心できる状態がいいに決まっています。でも、この世の出来事は“単衣”ではなく“袷”なんです。トーマス・アクィナスが「全て存在するものは、良きものである」という言葉を残していますが、“悪の要素の無い善”や“善の素質の無い悪”は無いのです。ところが、日本ではそのような“悪=望まざることや理想と異なること”に全く意義を認めない空気を感じますね。原発側が周辺住民に「事故が起きた時の為に避難訓練をしましょう」と言えば、「そんな危ない発電所を作るな」と抗議が来る。それで、発電所側も「原発は絶対に大丈夫です」と言わざるを得なかったそうですね。どちら側も現実を直視しないで嘘を吐くのは、賢明ではないように思います。原発事故は、訓練さえすれば人命も殆ど救えるものらしいですから。将来的に原発を避けることには私も賛成ですが、「100%安全でないから直ぐに廃止せよ」というのは、経済性を考えた大人の議論ではないでしょう。存在し得ない“100%の安全”を求めるのは愚かなことですから、原発を止めた場合の地球温暖化の問題と双方を天評にかけて、“少し良いほう”を採ることにしないといけないと思いますね。

私の周りには、80歳を過ぎても未だアフリカの奥地で明るく働いている修道女たちがいます。温かいお湯さえ出ず、水浴さえままならないという土地で、電気が無い土地もあります。私は、そうした国々に数十年に亘って足を運びました。そんな経験からわかったのは、「電気が通っていないのに民主主義体制が機能している土地は、世界に1ヵ所も無い」ということです。電気の供給は、国民の民意を自由に言える民主主義の基本になっているんです。日本がそうした場所でないのは“幸せ”なことですが、それが永遠に保証された日本人の権利じゃありません。「幸せなことは永久に続く」と子供が思い込むのは、「不幸を教えない」という教育上の怠りを犯しています。ところが、不幸を体験している筈の大人でさえも、同じように“永遠の幸せ”を信じ、或いは要求する人がいるそうです。それは、やはり現実から目を背けているからでしょう。しかも、そうした人が往々にして、「自分たちは子供や孫の世代に幸せを残さなければならない」というような思い上がった言葉を口にすることもあります。良い響きだと思いますが、理想の世界のイメージを将来に引き継ぐと同時に、現実の世界の不幸も教訓として後世に残したほうが役に立ちます。尤も、私は“将来の為”なんてことはあまり考えません。冷たいんでしょうね。自分が生きる世界は自分で作るしかないのですから、次の世代が自分でベターな選択をしていく他ないとも考えているんです。それに、年寄りはそんなことを言う前に、自分の心と体を鍛えて、程々に働いて、気楽に他人に面倒を見てもらうのが当たり前だと思わないほうがいいんですね。いつまでも社長の地位にしがみ付く経営者が醜いように、次世代に価値観を押し付け、世話になりながら生に執着するのも私は好きじゃないんです。




20160426 08
■「もう成長は十分」「成長は悪」と思うことは「子や孫は貧乏に生きろ」と要求しているも同然  経済評論家・三橋貴明氏
現在の日本経済が抱える重大な問題を一言で表わすなら、「資本主義の前提が崩壊しつつある」ということです。換言すると、「“国富”の形成を諦めようとしている」とも表現できます。産業革命以前の国家経済における“国富”は土地と資源という有形資産だけでしたが、産業革命後は、これに“生産資産”が加わりました。つまり、資本(資金)を投じて生産性を高め、それを繰り返すことで国富を支えるようになった訳です。これが資本主義の前提、経済成長の基本です。ところが、今の日本経済は、肝心の生産資産の形成をしなくなりました。すると、どんなことが起きるでしょうか? 資本投下しなければ工場には新たな機械が入らなくなり、道路や電気等の社会インフラも整備されなくなる。「もう成長なんていらない」という考えに立てば、「それでいいじゃないか」という結論になる人もいるかもしれません。ですが、それは資本主義の基本に立てば大間違いなのです。新しい機械が導入されない工場の生産量は“現状維持”ではなく、“マイナス”になり、軈て“ゼロ”になります。最新の機械で作られない製品は売れないからです。インフラ整備が進まなければ、単に道路や電気が通じないだけでなく、それらの整備を想定して進められていた計画もゼロになる。経済が成長しないどころか、経済を衰退させることになってしまう訳です。有形資産(土地や資源)に頼れない日本の資本主義が成り立つ為には、「成長し、生産し続ける」ことが必須条件なのです。ところが、今の日本には「投資・生産はもう十分」という空気が色濃くなっています。私は世代論で物を語ったり、結論を導き出すことを好みませんが、特に(本誌の読者層である)社年層がそうした空気を醸成していることは憂慮しています。抑々、“成長を続ける日本”を実感しなかった若い世代がそうした考えを持つのは理解できなくもありませんが、“成長を続ける日本”を実感してきた世代が「もう成長しなくていい」と考えるようになることは、日本経済の没落に繋がりかねない重大リスクなのです。では何故、壮年層に“成長を敬遠する”雰囲気が醸成されているのでしょうか? 想像するに、「自分たちは成長の果実を味わってきたから、もう十分」という感覚があるように思うのです。そうした意見の中には、「自分たちが経験してきた経済成長は間違っていた。だから、将来に引き継いではならない」という勘違いさえ感じます。バブル崩壊の“痛い思い出”が影響しているのかもしれませんが、それは経済成長の恩恵に浴した人の“身勝手な反省”と言う他ありません。

日本人の実質賃金がバブル後の1997年以降、下がり続けていることは統計データがはっきりと示しています。つまり、「将来世代の為に成長至上主義と訣別しよう」という主張は、「子供や孫の世代は、どんどん貧乏になっていく生活をするのが幸せだ」と言っているに等しいのです。そうした“経済成長否定”を表わす現象の1つに、エネルギーの安全保障問題があります。東日本大震災から5年が過ぎましたが、この間、電力を何に求めるかは国民的な議論となってきました。当然、福島第1原発の事故による甚大な影響を考えれば、その主要テーマが「原発に頼るべきか否か」となることは当然でしょう。しかし、日本経済を考えた時、電力問題は原発の善悪論だけでは語れません。経済統計の常識として、GDP成長率と発電量は比例します。現代の社会構造や文明を前提とする限り、経済成長の為には電気が必要であることは自明です。その前提をすっ飛ばして、「原発を稼働すべきかどうか」の二者択一になるのは、価値観論争でしかありません。経済的議論であるならば、電力が経済成長に欠かせないことを認識した上で、「何に電力を求めるべきか」の意見を戦わせなくてはなりません。ところが、先の経済成長の議論と同様に、「事故で悲劇が起きたのだから、電力なんて程々でいいじゃないか」という意見が醸成されています。「バブル崩壊で痛い目に遭った。だから、経済成長は程々でいい」という論理と同じなのです。しかも、それを“電力の恩恵を過去に十分に受けてきた人々”が言うのだから、議論は複雑になります。私が望むのは、「日本経済の成長を実感してきた世代こそ、エネルギー問題を現実的・経済的な視点で考えてほしい」ということです。私は、「現状を前提とするなら、電力安定確保の為に原発の再稼働が必要だ」という立場です。しかし、「未来永劫、原発に頼るべきだ」という結論ではありません。原発に代わる安定的で、持続的で、環境的にも優れた代替エネルギーを論理的に模索することは、日本の将来を考える上で必要なことです。勿論、原発の安全性という問題がある以上、その安全性を高めていくというアプローチも必要でしょう。残念ながら、そうした“議論の質”の転換を呼びかけても、「原発は善か悪か」という議論に掻き消されてしまう現状があるように感じます。「公共事業は全て悪」「経済成長は不幸を招く」という価値観論争と同じ構図です。その背景には、現代日本人、それも社会的影響力の大きい壮年層が、世論の同調圧力に流され易いことも影響しているように思うのです。しかし、そうした世代の人々が「日本はどんどん貧乏になっていけばいい」という“沈滞志向”に染まってしまったとは思いません。現在の日本経済の危機的状況を現実として受け止め、今後も日本が成長し続ける方策を考えることが、“成長を謳歌してきた世代”の大切な役割です。今こそ、日本人は「成長することを諦めた国は資本主義経済から脱落する」という経済学の真実と向き合わなくてはならないと思うのです。


キャプチャ  2016年4月8日号掲載




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