葬式でぼったくる坊主の銭ゲバ錬金術――木魚をポクポク叩くだけで50万円! 舐め腐った商売には一銭も払うな!

お葬式の時だけノコノコやって来て、高額なお布施をぶん取っていく坊主という人種。納得いきませんよね? しかし、彼らの強欲さはこんなものじゃありません。宗教行為の名の下に荒稼ぎをする坊主の実態を見ていきましょう。これでも、貴方は坊主にお金を払いますか?

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何だかんだで、依然として不況感が続く日本列島。そんな中でも、我関せずとばかりにのほほんと暮らしている奴らがいる。坊主だ。現在、日本にある仏教寺院の数は、凡そ7万5000と言われている。一方、どこにでもあるような印象のコンビニは、上位7社を合計しても5万店舗をやや上回る程度。近くにライバル店がオープンしただけでコンビニオーナーは顔を青くするというのに、寺の乱立ぶりはどうだ? それだけ楽な商売で、ボロ儲けをしているということだ。実際、生活保護を受けるレベルの貧乏でもない限り、親兄弟が死ねば葬式ぐらいはあげるだろう。葬式なんかあげなくても、現実的な問題は一切無い。それでもあげずにはいられないのは、やはり世間体を気にしてしまう日本人の性格故だろう。また、不況で暮らしぶりが悪くなるほど、ご先祖様や仏様の助けを乞いたくなるのも人情というもの。そうした庶民の弱みにつけ込み、少額とは言えないカネを巻き上げて口に糊しているのが、坊主という人種なのだ。坊主どもの強欲さの象徴とも言えるのが“賽銭箱”だ。抑々、仏様に頭を下げ、叶うかどうかもわからないお願いをするだけで、何故カネを請求されなければならないのか? 仏様というのは、全ての煩悩を捨て去った究極の解脱者でありながら、そこまで欲が深いのか? いやいや、仏様は「願いを叶えてやるからカネをくれ」等とは一度たりとも言ってはいない。見返りにカネを求めるのは、欲に塗れた“人間”だ。坊主の理屈はこうだ。「お賽銭という行為によって、お金への執着を捨てる。謂わば、修行の1つなんです」。笑わせるじゃないか。ならば何故、賽銭泥棒を捕まえるのか? 賽銭箱に手を伸ばすなんて、本当に生活に困っているに違いない。カネへの執着が無いのならば、ほんの僅かな小銭ぐらい彼らに施してあげればいいだろう。元手や労働無しで人からくすねたカネを、人にくすねられると怒るというのはどういう理屈だ?

何の根拠も無いおみくじに、100円程のカネを支払わせるのも暴利極まりない。せめて、「おめでとうございます、大吉です。貴方のような素晴らしい人には、素晴らしい1日が待っています!」等と気持ちよくさせてくれるならまだしも、“凶”の文字で最悪の気分にさせられて、カネなど払いたくない。凶を引いた人は、その恐怖心から解放される為に祈祷をしてもらったり、おみくじを引き直したり、将又別途お守りを購入してみたり…。態々恐怖心を与えて購買を誘導する手口は、「この壷を買わないと孫の代まで崇られますよ」という霊感商法と変わりない。因みに、おみくじやお守りの類いは、幾ら売れても非課税だ。飽く迄も、宗教行為における“お布施”という考え方。賽銭も同様だ。では、境内で売っている線香や蝋燭は? 商品として売れば、当然ながら課税対象になる。だから、寺では“献灯”や“奉納”と書かれた紙袋に入れ、宗教行為の一部に見える形を取って頒布している。線香の横に木箱を置き、「ここに線香代をお入れ下さい」とやるのも、商品の売買ではなく“頒布と自発的なお布施”に見せかける為だ。観光地の寺等には、“拝観料”を取るところも少なくない。このカネを“見学料”や“観覧料”と呼ばないのも同じ理屈だ。“拝観”と呼んで宗教行為に位置付けることで、課税から逃げているのだ。しかし、観光地での寺巡りを宗教行為として行っている人がどれだけいるというのだ? 明らかに仏教徒ではない外国人も宗教行為だと? そんなに税金が払いたくないのか! どれだけ強欲なんだよ、坊主! 姑息な言い換えをしてまで税金逃れをするカネの亡者にとって、賽銭やおみくじで得る小口の収入など、実は大して興味が無いのかもしれない。本当にオイシイのは“葬式”だ。一般的な寺では、収入の7~8割を葬式関係から得ているという。ビジネスとしての葬式を旨味の大きいものにしている最大の理由は、“正価が無い”という点だ。“原価”という発想も無い。要は、言い値商売なのだ。わかり易い例が、葬儀の中で故人に与えられる“戒名”だ。本来、戒名というのは、仏門に入った者がその証として、師僧から授かる名前だ。世界の殆どの仏教国では、そのように扱われている。しかし、こと日本においては、“人は亡くなると成仏する=仏様になる”という死生観から、故人に戒名を与えるという風習が根付いていった。元々、師僧が与えるものだった為、故人に戒名を授けるという行為も、坊主だけに与えられた特権となった。




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寡占市場故に、戒名料に適正価格などある筈もない。“○○信士なら30~50万円、○○院居士だと100万円以上”と一応の相場はあるものの、その価格に根拠は無い。相手が「払う」と言うのなら、“信士”で数百万円取っても全く問題は無い。抑々、お布施の名目で支払った額が高いほど、“信士→居士→院信士→院居士”と位の高い名前が与えられるというシステムがゲス過ぎる。持ち金の多寡で人の上下を差別するなど、仏の道には背かないのだろうか? それも坊主に言わせれば、「戒名の位は、信仰の厚さによって決められる。信仰の厚さを量ることはできないので、お寺への貢献度としてお布施の額を基準にしている」といった理屈になるのだろうが、「2月14日にはチョコレートを贈る」という習慣を製菓会社が作り出したのとよく似ていて、何とも勝手な話だ。元手もかからず、ほんの1分もあればチャチャッと決められるようなものなのだから、信士だろうが大居士だろうが、故人や遺族が望む位を付けてあげればいいだろう。それも、世間一般の感覚で言えば、戒名料は数千円程度が妥当な金額だ。最近では、格安の戒名をインターネット上で与えるサービスもあるようだが、それこそ戒名料に根拠のある価格が存在しない証左だ。戒名授与と同じように、葬儀の中で坊主が重要な役割を果すのが“読経”だ。読経に対する“お布施”は、戒名料やお車代等とセットの場合が多いが、小1時間読経してもらうだけでも最低20万円、相場では50万円程らしい。素人には合っているかもわからない文言をモゴモゴと唱え、気が向いた時にでもチーンと鈴を鳴らすだけで時給50万円。こんな商売、止められる筈がない。葬儀における坊主の作業が“特殊技能”であるなら、ある程度の高額な料金も納得できる。しかし昨今、“派遣僧侶”や“アルバイト僧侶”が増えていることからもわかるように、彼らのやっていることは週末のアルバイト感覚で真似できることばかり。いや、きちんと真似をしていれば未だマシだ。中には碌な修行も積まず、読経すら真面にできないエセ僧侶も。そうしたエセ僧侶を幹旋し、自らは動かずに仲介料を中抜きして悠々と暮らす坊主も多い。また、葬儀に必要となる料理屋や花屋等を葬祭業者に紹介することで、葬祭業者からは紹介料、料理屋らからはキックバックを受け取る坊主も。こうなると、肩書きは僧侶ではなく“ブローカー”が正しい。葬儀が終わっても、坊主のビジネスチャンスはまだまだ続く。初七日・四十九日・一周忌・三回忌といった各法要から盆暮れの墓参りまで、事ある毎に勝手な風習をでっち上げ、お布施を搾り取る。こんなことだから、日本の仏教は“葬式仏教”と呼ばれ、坊主は“葬式芸者”と揶揄されるのだ。

我欲に塗れた坊主どもを更にブクブクと肥えさせているのが、“墓地”の存在だ。何せ墓地の運営は、『墓埋法』によって、行政と特別に認可された非営利法人にしか許されていない。極めて新規参入がし辛い、ズブズブの既得権益ビジネスなのだ。ただ、“○○寺墓地”と寺の名を冠していても、実際に寺が運営しているとは限らない。所謂“名義貸し”だ。造成・宣伝・維持管理等、面倒なことをせず、運営会社からは名義貸しのお礼を、檀信徒からは護持会費を受け取るという、坊主にとっては非常に楽な儲け方だ。宗教的なバックボーンを持たない墓地など、ただの“遺骨収容所”でしかない。こんな扱いを受けて、故人の魂は成仏するのだろうか? その上、坊主は石材屋ともがっちり癒着し、キックバックというお布施を得ている。鳴呼、生臭い生臭い。それもこれも、法律によって特権や優遇措置が与えられているからに他ならない。その中でも特に大きいのが、“納税の優遇”だ。不動産取得税・事業税・印紙税・市町村民税・道府県民税・固定資産税・都市計画税・登録免許税・所得税・法人税と、10種目もの納税が免除されている。「宗教行為として頒布したものは商品とは異なる」等の理屈があるなら未だ納得もし易いが、市町村民税や道府県民税までが免除されるというのは意味不明。最早、国民ですらないというのか? 一般庶民が必ず支払わなければならないカネとして、最も大きなものが“家”だろう。坊主は、これにもカネを出さない。坊主の家は、檀家の寄付によって建てられるからだ。殆どの坊主は、境内に家を建てる。ここがポイント。境内にあれば、それは住居ではなく、“庫裡”と呼ばれる寺管理の為の宿直室になるのだ。毎月、住宅ローンや家賃の支払いに四苦八苦する庶民の暮らしなど、坊主には理解できない。そんなご身分で、よくも庶民に「生き方を教えよう」等と思えるものだ。「住居を宿直室として扱ってもらえるぐらいだから、坊主は24時間、寺の務めに勤しんでいるのか?」と思いきや、全くそんなことはない。一般の会社員は、“副業”を持つことが許されない場合が多い。抑々、日々真面目に働いていれば、こっそり副業を持ったとしても、それから得る収入などたかが知れている。だが、坊主には副業を禁止する決まりが無いどころか、会社員・医者・弁護士・教師等、“本業”と言うべきサイドワークを持つ坊主も沢山いる。公務員は副業を許されていないのに、坊主が副業として公務員をすることはできる。悟りを開かぬ者にとって、彼らの優遇のされっぷりは全く理解し難い。

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こんなご時世では、リストラや転勤の心配が無いのも、世のサラリーマンにとっては羨ましいところだ。勿論、本人が「坊主辞めます」と言えばリタイアも可能。しかも、寺の“社長”とも言うべき住職には退職金まで支払われる。40年務めれば、退職金は2200万円。このお金は、寺にたっぷりと蓄積されたお布施から捻出される。既におわかりだと思うが、その退職金にも税金はかからない。つくづく“坊主丸儲け”とは、腹が立つぐらいによくできた言葉だ。寺関係者を揶揄する言葉には、“生臭坊主”というものがある。元々、仏門の身である僧侶は、獣の肉や魚等といった“生臭もの”を口にすることを禁じられていた。しかし、昔から厳しい戒律を破る不届き者がおり、彼らを生臭坊主と呼んだのだ。転じて、厳しい戒律を守る風習が少なくなった現代では、修行を疎かにし、カネのことばかり考える僧侶のことを指すようになったが、こんな生臭坊主が本当に多いのだ。法衣を着たままスクーターに跨り、葬儀から葬儀へとハシゴをする姿だけでも、“仏門”や“修行”といった言葉とはかけ離れた印象を持つが、昨今の坊主の生臭ぶりはそんなものではない。高級外車でキャバクラに乗り付け、肉・酒・女を食らうことなど当然で、領収書の必要無いカネを全て公営ギャンブルに注ぎ込む坊主も。彼らの指定席は、年間1000万円以上使う者に用意される“ロイヤルシート”だ。公営ギャンブル程度では我慢できないのか、2013年には高野山真言宗や金剛峯寺等、関連の5法人が資産運用に失敗し、含み損を合わせて21億円の損失を出したことが話題になった。これほど楽な商売ならば、「坊主になりたい」と思う人も少なくないだろう。しかし、残念。小間使いのペーペー僧侶なら兎も角、既得権益の権化たる住職は基本的に世襲制。副住職には住職の息子が就くのが通例で、息子がいなくても血縁者で回されるのが殆どだ。それだけ、他人には渡したくないオイシさが、坊主という職業にはあるのだ。カネと血が絡めば、当然の如く、不祥事や諍いごとが絶えない。寺を私物化する住職と檀家が衝突することも。寺内部は一般企業以上にドロドロで、心性は一般庶民以上にゲス。そんな坊主に貴方もなりたいですか?


キャプチャ  2016年5月号掲載




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