台湾社会の成熟と閉塞感がもたらした政権交代――民進党・蔡英文政権誕生と中台両岸関係の行方

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今年1月16日に投開票が行われた第14代中華民国正副総統選挙は、野党『民主進歩党(民進党)』主席の蔡英文が689万4744票(得票率56.12%)、与党『中国国民党(国民党)』主席の朱立倫(381万3365票・得票率31.04%)、野党『親民党』主席の宋楚瑜(157万6861票・得票率12.84%)を下した。大量の票差で圧勝が確定した瞬間、台北市北平東路の選挙事務所前に詰め掛けた支持者から大歓声が上がり、直後に街頭で配られた号外には「蔡英文当選 華人初の女性総統」と書かれていた。同日投開票の第9期立法委員(国会議員)選挙でも、民進党が113議席中68議席(60.17%/内訳:地方区50議席、得票率44.58%、政党票18議席、44.06%)と過半数を占め、一方の国民党は35議席(30.97%/地方区24議席、38.88%、政党票11議席、26.91%)と大きく減らした。2014年の『ヒマワリ学生運動』の流れを継承する新政党の『時代力量』は、民進党との選挙協力が奏功して5議席(4.42%/地方区3議席、2.89%、政党票2議席、6.10%)、宋楚瑜派政党の親民党は3議席(2.65%/地方区議席無し、1.28%、政党票3議席、6.52%)だった。改選前は3議席だった李登輝派政党の『台湾団結連盟』は、議席を失った。国民党を中心に与野党のベテラン議員が多数落選し、その一方で青年層の支持を集めたとされる時代力量が躍進する等、議会は若年化が進んだ感が強い。大敗した朱立倫は党主席を辞し、行政院長(首相)の毛治国も辞意を表明した。民進党による政権担当は、2000年に発足した陳水扁政権に次いで2度目だが、国会で過半数を占めたのは初めてだ。行政と立法の双方を制したことで、名実共に民進党政権が発足する。これまで、青(国民党系政党、同党旗の色に因む)が緑(民進党系政党、以下同)をやや上回る比率で拮抗する構造にあった台湾政界の勢力図は、民進党と時代力量の躍進により大きく塗り替えられたことになる。一方の国民党は、一旦決まった女性の総統候補を間際で替える等、終始混乱続きで、選挙後も党分裂の可能性を残す厳しい状態にある。蔡英文は1956年、台北市出身。父親は屏東県出身の客家系台湾本省人で、駐台アメリカ軍向けの事業で財を成したという。国立台湾大学法学部を卒業後、コーネル大学で法学修士、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得し、帰国後は国立政治大学や東呉大学の教授を務めた。李登輝政権時に経済部や行政院大陸委員会の要職を歴任し、1999年に李登輝が台湾海峡両岸関係を「特殊な国と国の関係」と語った、所謂“二国論”の論述にも関わった。陳水扁政権下では大陸委員会主任委員と行政院副院長(副首相)を務め、立法委員も経験した。民進党が下野した2008年に民進党主席に就任したが、2012年の総統選挙で馬英九に敗れ、2014年に党主席に再任し、今回の選挙に臨んだ。

略歴が示すように、『美麗島事件』(1979年に雑誌『美麗島』が主催したデモが警官隊と衝突した事件。台湾の民主化を促した)を経て政界入りした陳水扁・呂秀蓮(元副総統)・謝長廷(元行政院長)らと異なり、蔡は学術界から政務を経験した後に政界入りしており、物静かで都会的なキャラクターは党内で異彩を放っていた。開票結果を踏まえた与野党双方の関係者や有権者の反応を総合すると、“概ね予想通り”だったと言えよう。各社の支持率調査でも蔡独走の状態が続き、昨年末の段階で与野党双方・地元メディアの間で、総統の得票率は“蔡六・朱三・宋一”、立法院の議席は“民進党60~68・国民党30~40”の観測が出ていた。国民党の関係者は「投票率が低いほど厳しい」と警戒していたが、今回の投票率は66.27%と、1996年の総統直接選挙実施以来、最低の数値となった。投票率は、初の政権与党交代が実現した2000年の82.69%をピークに、2008年の76.33%、2012年の74.38%と減少を続けていた。台湾の選挙と言えば、音楽や爆竹が派手に鳴り響く賑やかなイメージで知られるが、今回は選挙結果が早くから見えていたこともあり、全般的に静かだった。しかも、これまで2回の政権与党交代を経て、相当数の有権者が選挙に過度の期待を抱かなくなった点もある。投票率の推移からも、台湾の民主政治が選挙を重ねる毎に成熟を深めていることが窺える。当初から“蔡当選”が確実視された今回の選挙の焦点は、蔡の得票率と共に、議会における青と緑の消長だった。蔡が前回の得票から80万票上積みしたのに対し、朱立倫は馬英九の得票から300万票も落としている。民進党は蔡の得票目標として、馬英九が2008年の選挙で記録した史上最高得票率の58%を目指したが及ばず、今回の得票数689万は、馬の2012年時の数とほぼ同じだった。立法委員選挙でも、民進党の得票は地方区・政党票何れも4割半ばで、政党票に限定すれば、時代力量等緑系の得票を加えて5割強になる。ここ数年の得票が同党にとってのピークになるか否かは、蔡政権の今後次第だろう。民進党の関係者は、「初めて有権者となった青年層の政治参与での熱意が高く、その多くが民進党や時代力量に投票した。以前は青に投じた若い世代の中間票の一部も蔡に流れたのではないか」と分析する。一方で国民党の選対幹部は、「馬政権に失望した多くの国民党支持者が棄権、若しくは親民党や新党の候補に投票したようだ。青年層にも支持を訴えたが、相手にされなかった」と嘆く。棄権の全てが国民党支持票とは限らないが、両者の分析を総合すると、相当数の国民党の支持者が棄権、或いは親民党や新党、そして一部が蔡に流出し、その一方で民進党が若い有権者の支持取り付けに成功した構図が浮かび上がってくる。国民党一人負けの選挙結果は、馬政権の自滅を反映したものだった。この他に、若年層の支持と民進党との選挙協力で議席を得たとされる時代力量が、青年層の意見を反映できる第3の力として根付くか、それとも民進党の翼賛勢力に終わるかも興味深い。国民党という共通の敵が下野した今後、支持層の重なる民進党との棲み分けが課題になるのではないか。




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広汎な有権者が馬政権に背を向けた要因として、馬政権の推進する諸政策に対する有権者や関係者との意思疎通能力の低さと、これに起因する方向感の欠如、特定の側近にだけ信を置き、民意とのズレに終始鈍感であった点等が挙げられる。政敵で立法院長(国会議長)の王金平との党内闘争に感ける等、無用なオウンゴールの数々も政権の体力を奪った。馬政権が経済政策の目玉として掲げた中台両岸関係の改善と緊密化は、両岸間に安定と平和を齎した。しかし、台湾経済の形態転換が進まず、結果としてグローバリズムの齎す産業の空洞化が進み、大陸経済への依存が加速した一方で、台湾住民の収入増等目に見える“豊かさ”に結び付かなかったこと、更に強大化した大陸の台湾社会に対する影響力が増したことで、対中恐怖感が台湾社会を覆うようになった。これらは、日本や香港等といった他の社会でも見られるグローバリズムの現象なのだが、台湾では分断国家として長年敵対関係にあった大陸に対する不信感が根強く、台湾住民の大陸観は特殊な情緒に支配される傾向にある。しかも、2008年まで人為的に両岸交流を制限してきた反動と、馬政権が開放に舵を切った時期が、中国大陸の膨張と強大化が加速した時期と重なったことから、爆発的な速度とボリュームで、大陸が台湾内部での存在感を強めたように感じる。結果、本来なら2008年まで逐年対応できた筈の大陸の変化に短期間での順応を強いられ、台湾側が適合不良を起こしたのではないか。そのプロセスで台湾社会に充満するようになった閉塞感・挫折感・行き先の不透明感は、頼りない馬政権に対する不信感として、社会に広く共有されるようになった感がある。これまで、有権者を失望させた政党に対する制裁は、次の政権に対する有権者の希望と表裏の関係をなした。初の政権交代が実現した2000年の選挙には、「“暴力団や金権に頼った李登輝政権”を更送し、半世紀以上与党だった国民党を更迭して新時代を迎えたい」という有権者の願いがあった。2008年の選挙では、“両岸関係を悪化させ、金銭スキャンダルに塗れた陳水扁政権”を更迭し、両岸関係の改善によって齎されるであろう景気改善に期待する空気があった。今回の選挙にも、“馬政権更迭”という一貫したトレンドは存在した。しかし一方で、将来の両岸関係や経済構造の変革等で新たなビジョンが示されたとは言い難い。蔡英文は、民進党に付き纏う“台湾独立(台独)派政党”のイメージを緩和し、凡そ8割に達する両岸関係の現状維持を望む世論に応えるべく、現行の中華民国憲政体制への忠誠と両岸関係の“現状維持”を繰り返し誓った。一般に台湾住民の中では、「大陸に飲み込まれたくない」という分離志向と、「平和で安定した両岸関係を求める」というもう1つの側面が、常に微妙なバランスで混在している。そのモラトリアムな心理状態の行き着いた先が“現状維持”なのだ。“現状維持”の表象については、国民党と民進党の立場に殆ど差異は無く、蔡が“現状維持”の根幹となる両岸間の『九二共識』に対する態度表明を控え、曖昧な論述に終始したことから、与野党の政策論争にも熱が入らず、これといった政見の無い選挙となった印象が強い。

本稿執筆段階(1月下旬)で、内閣は総辞職した状態で、改選された立法委員が2月1日に就任した後も、蔡政権が正式に発足する5月20日まで、新政権や与野党双方の人事等が焦点になることはあっても、政策面で大きな変動があるとは想像し難い。陳水扁政権時代、議会が常に国民党等野党勢力の手中にあった経験から、民進党にとって議会での過半数確保は悲願だった。同党に議会を委ねた主流民意は、当然ながら様々な改革の実施に期待を寄せている。しかし、財政難や産業構造の形態転換、更には台湾海峡両岸関係等、蔡政権を待ち受ける道は中々険しそうだ。先ず、馬政権を更迭した台湾世論の背後は、“過度の中台接近”等、両岸関係だけで説明のつかない、より根源的な要因――台湾社会を覆う構造的な閉塞感がある。台湾では2013年から2014年にかけて、反原発や軍隊内部で発生した人身事故、土地収用を巡るトラブル等をきっかけに、数万人規模の大規模なデモや集会が断続的に発生しており、広汎な群衆の間で累積した不満は、巨大なエネルギーを持つようになっていた。それが最も象徴的な形で吹き出したのが、両岸サービス貿易協定への反対を前面に押し出したヒマワリ学生運動であった。これらの運動や抗議は、反馬政権の共通項以外、一見すると其々独立した議題のように見えるが、その背後には労働人口やイノベーションの老化、グローバリゼーションと産業の空洞化、進まぬ産業の形態転換や競争力の減退、そして、これらに起因する低賃金や雇用の不安定、少子高齢化社会が宿命的に抱える先行き不透明感等がある。この閉塞感は、歴代政権が積み重ねてきた通貨政策や租税政策等、新自由主義的な経済政策が招いたものでもある。蔡は当選直後の記者会見で、『環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)』参加に意欲を見せたが、中小企業が大多数を占める台湾の産業に、TPP加盟がどんな弊害を齎すかは推して知るべしではないか。蔡政権に深刻な現状を改める力と時間があるのか。複数の企業家や労働運動家らに話を聞いたが、僅かに「未知数」との好意的な回答を除き、何れも「難題山積」との回答だった。蔡らが、国民党下野に好感する世論と一定期間の蜜月を演出することは可能だ。1年から2年は、前政権の非を鳴らすことで有権者の不満を躱すことも許されるだろう。しかし、産業構造や社会体制に起因する雇用や社会保障の問題は、一朝一夕に解決できるものではない。台北市長の柯文哲が投票直前に「蔡に対する期待が高い分だけ、当選すれば施政満足度は低くなる」と皮肉ったように、閉塞感が更に長引けば、蔡に政権を齎した世論が、その批判の矛先を蔡らに向けない保証は無い。

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当面、蔡にとっての最大の課題は、恐らく台湾海峡関係であろう。馬政権は発足と共に、李登輝政権の後期から2期の陳水扁政権を経て悪化した両岸関係の改善に向け、『九二共識(1992年コンセンサス)』を基軸に据え、両岸対話を再開した。九二共識とは、台北側の対大陸民間窓口機構『海峡交流基金会』と、北京側のカウンターパートである『海峡両岸関係協会』による民間トップ会談に向け、1992年に香港で協議した際、両岸其々が“1つの中国”の原則を堅持するが、双方共に解釈権を保留することを口頭で確認した状態を指す。九二共識の名称は、初の政権交代を控えた2000年4月、当時の大陸委員会主任委員の蘇起が、「一個中国、各自表述(一中各表/1つの中国・其々の解釈)」の認識に基づき命名したものだ。謂わば、机を挟んで向き合った牧神と人魚が、目に見える上半身だけを認め合い、目視できない互いの下半身は敢えて問わないような微妙な状態が、両岸関係の基礎となっている。九二共識を踏まえて両岸関係の改善が進んだ結果、両岸間の三通(直接の通信・通行・通商)や大陸住民の台湾観光解禁、大陸籍学生の台湾留学受け入れ、『海峡両岸経済合作架構協議(ECFA)』に代表される経済関係も強化された。両岸関係の“改善と安定”の観点から見れば、馬政権は第1期で既に成果を上げており、アメリカ国務省や『アメリカ在台湾協会/アメリカ駐台代表部(AIT)』も折に触れ、これを高く評価してきた。低い支持率が続いた馬政権の施政の中で、対大陸政策だけが常に過半数の支持を集めたことに鑑みれば、関係拡大の速度や規模が不安視されたことはあっても、両岸関係の安定と平和という基調そのものは今日も変わっていない。苗字の“蔡”と“菜”が同音であることから、発言の中身の無さを揶揄して“空心菜”と渾名されるように、蔡は、これまで両岸関係等の重要課題に対して、立場や態度の明確化を極力避けてきた。蔡は、馬政権が両岸関係の基礎とする九二共識は否定するが、それに替えて台湾の主流民意とアメリカを納得させ、北京を黙らせる路線や姿勢は打ち出せていない。現段階では、主に両岸関係の“現状維持”を語り、時折、“1992年会談の精神”等の用語を使って、世論や北京側の対応を探るに留まっている。この“1992年会談”等の用語は、陳水扁政権時代にも持ち出されたが、北京側から相手にされなかった。蔡は昨年初夏の訪米に際し、ワシントンでシンクタンク『戦略国際問題研究所(CSIS)』の講演で、「現存する中華民国憲政の秩序の下、台湾海峡両岸関係の平和で安定した発展を推進する」と述べ、現体制と両岸平和の維持をアメリカに誓っている。

アメリカ国務省は、1月26日の蔡当選直後に発表した声明の中で、蔡の当選を祝った後、「馬英九総統がアメリカとの強固なパートナーシップの発展に尽力したことに感謝し、両岸関係改善で採った具体的な措置を賞賛する」と述べた。その上で、馬政権と次の政権に対し、「引き続き地域の平和と安定の促進」で協力するよう求めている。アメリカは、馬英九への感謝という異例の表現を通じて、蔡の両岸政策に釘を刺した格好だ。中東情勢の混迷やアメリカ内部の諸問題もあり、アメリカには南シナ海の紛糾や北朝鮮の核開発、中国大陸の膨張な等、事案山積みの東アジアに対して、以前のようなコストと関心を振り向ける余力が無い。両岸関係を悪化させてアメリカに嫌われた陳水扁政権の末路が示すように、アメリカは大陸を牽制するツールとしての台湾には期待を寄せるが、トラブルメーカーとなることは許さない。この構図は、日本にとっても同じだ。一般に抗日(日中)戦争を戦った歴史を持つ国民党と違い、大陸と距離を置こうとする民進党は、相対的に日本に親和的な態度を見せる。その経緯もあり、日本国内では蔡当選を「親日政権誕生」と燥ぐ向きもある。蔡が当選直後の会見で対日関係の重視を訴え、日本側も外務省や総理大臣の談話で蔡当選を祝福したことからも窺えるように、今後も関係拡大の動きは進むだろう。但し、双方の関係が真の拡大と進化を遂げる大前提は、台湾側が両岸関係を良好に維持できることにある。大まかに見て、台湾の対外貿易の4割、対外投資の6割は大陸向けだ。大陸から台湾を訪れる観光客は延べ約400万人と、開放初年の約33万人から12倍成長し、全体の約4割を占める。大陸に定住・長期滞在する台湾住民も、上海や福建を中心に100万人に達するとも言われる。蔡が両岸関係の現状維持を繰り返し強調する背景には、安全保障の問題もさることながら、後戻り不可能な規模にまで拡大した両岸間の経済関係や人的往来が控えているからだ。蔡の語る“現状維持”について、これまでに北京側は明確な反応は見せていないが、習近平は昨年3月4日、全国政治協商会議の対台湾部門との会合で、「九二共識は、両岸関係の改善と発展で重要な作用を発揮した」と評価した上で、「若し両岸相互信頼関係の基礎が揺らぐと、“地動山搖(大地が動き山が揺れる)”となる」と発言している。「台湾側が九二共識を遵守すれば柔軟に対応するが、一旦乖離したと判断すれば北京側は直ちに対応する」ということのようだ。

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開票終了直後の1月16日夜、新華社は『不畏浮雲遮望眼(浮雲が視界を遮るのを恐れない)――台湾の選挙の投票結果に対する見方を語る』と題した論評を配信した。標題は北宋・王安石の『登飛来峰』の一節で、「自縁身在最高層(我が身は最高峰にあり)」と続く。高見に立って、向こう4年の台湾を見据える中共の姿勢を表現しようとしているのだろう。中国共産党総書記の習近平が組長を務める『中共中央対台工作領導小組』の意向を反映した同論評は、台湾政局の変化を「眼前に漂う雲や煙のような一時的なもの」と断じた上で、「台湾の将来と両岸関係の行方を決するのは、大陸の発展と進歩であり、大陸がなすべきことをしっかりと処理すれば、台湾政局の変化にも泰然と向き合える」と結論付けるものだった。興味深いのは、「蔡英文は選挙期間中、公然と“九二共識”を否定できず、“現状維持”を主張して意図的に台独の議題を回避した。これは大陸の対台政策が失敗しなかったばかりか、台湾の民意を“独立できない”“独立しない”という共通認識の形成へ導いたことを意味する」と論じた行だ。これを中共の強がりと見るか自信と見るかは、見解の分かれるところだろう。ただ、北京側が選挙前に異様なまでに静かだったことを踏まえて読むと、習政権らしい強硬な意思を感じ取ることができる。北京側の対台湾部門担当者によると、1995~1996年のミサイル発射演習がアメリカ軍の介入を招き、面目を失ったとの反省から、北京側は自らの力を蓄えることと共に、“説到做到(有言実行)”を対台湾政策の基本姿勢に据えるようになったという。確かに、北京側の国力の増大と反比例するかのように、台湾に対する赤裸々な恫喝は影を潜める傾向にあるが、その一方で、自らの決定事項を有無を言わさず実施に移す強引さも持つようになった感がある。蔡当選を前後して、台湾を中心に、「北京は当面、蔡らの言動を観察した上で対応を決めるだろう」といった予測が聞かれる。しかし、筆者が昨年末に複数の大陸側対台湾部門の関係者から聞いた話は、習近平が台湾問題で、既に何らかの姿勢か方針を決定している可能性を想像させるものだった。北京のシンクタンクのある学者は、「台湾側の言動に対応しようとすれば、大陸側が受け身に回る。陳水扁政権の失敗を知る蔡は、意図的に北京を挑発しないが、台湾内部で分離独立志向の強化を図る為、引き伸ばせば統一は更に困難になる」と指摘した上で、「(習は)蔡に多くの時間を与えないのではないか」と予測する。つまり、両岸間の交流や折衝の場を通じて、北京側が蔡政権に九二共識、延いては“1つの中国”に対する態度表明を求め、蔡が満足の行く対応を見せなかった場合は、軍事力を用いず、一方的に北京側の決定を実行に移す可能性があるということなのだろう。

実際にそれを予感させる出来事が、昨年7月に相次いで発生した。1つは、台湾住民の大陸入境に必要な『台湾居民来往大陸通行証(台胞証)』がカード化され、大陸住民とほぼ同等の待遇が与えられることが一方的に発表された件だ。もう1つは、全人代が「国家の主権護持、統一と領土の保全は、香港・マカオ同胞と台湾同胞を含む全中国人民の共同の義務」と定める『国家安全法』を可決したことだ。台湾住民に最大限の便宜を図る一方、国家統一での義務を課すというこれらの措置は、蔡政権発足後の北京の態度を推し量る上で重要な指標になるのではないか。加えて、昨年11月7日にシンガポールで行われた馬英九・習近平による初の両岸トップ会談は、九二共識を基礎とする両岸関係を国際社会、とりわけアメリカに承認させ、担保させるものだった。この段階で、馬英九は国民党主席の座に無く、会談は“大陸地区と台湾地区の指導者”と、謂わば台湾を政治実体として黙認する形を取った。北京側としては、最大限の譲歩と善意を見せたことになる。アメリカ国務省とホワイトハウスは、会談に先立つ11月3日に其々歓迎を表明。国務省は会談直後にも、両岸関係改善を歓迎する旨の声明を発表している。北京側は、両岸関係を首脳会談が開催できるレベルにまで引き上げる一方で、将来、この関係が維持できなくなった場合は、原因を作った側――九二共識を認めない側が責任を負うという枠組みを描き出したことになる。投票前日に発生した“周子瑜謝罪事件”は、直近の台湾世論の在り方を窺う上で興味深い事例となったので、最後に特に紹介する。韓国の女性グループ『TWICE』のメンバーで台湾出身の周子瑜が、韓国で収録されたテレビ番組の中で中華民国旗を振る姿を見咎めた者が、インターネット上で周子瑜を「台独派だ」と糾弾したことで騒ぎとなり、所属事務所も大陸での仕事を全てキャンセルしたと発表した。そして投票前日の15日夜、憔悴した表情の周子瑜が「中国は1つ。海峡両岸は一体。私は中国人であることを誇りに思う」と謝罪する映像が公開されたことを受け、台湾内部でも「大陸の圧力だ」と反発が強まり、特に“天然独(生まれつき天然の台独派)”と呼ばれる若年層の野党への投票意欲を高めたと指摘されている。今回の一件は、両岸双方のインターネット空間に漂う不穏でヒステリックなナショナリズムのぶつかり合いに留まらず、中華民国体制下で生まれ育った天然独の青年を始め、嘗て『中華民国』に強いアレルギーを示した民進党とその支持者が、今日では『中華民国』と『台湾』を等符号で受け入れていることを印象付けるものでもあった。蔡英文が当選後の記者会見の席に中華民国旗を配し、演説の中でも中華民国を連呼していたことを合わせて考えてみると、台湾住民の中で現行の中華民国体制は既に血肉となり、大陸に対する分離意識も、中華民国体制を前提としたものに変質しつつある点が感じられる。

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今回、民進党が票を伸ばした背景の1つには、馬政権に対する失望に加え、これまで中華民国体制を否定する傾向が強かった民進党が、積極的に中華民国体制を受け入れ、両岸関係の“現状維持”を繰り返し誓うことで、従来まで民進党に懐疑的だった中間層からの支持を得た点が指摘されている。今の蔡英文・民進党は史上最も独立色が薄い、いわば“中華民進党”に近い状態にあると言えよう。仮に、北京側から“1つの中国”で態度表明を求められた場合、蔡は現行の中華民国体制を肯定する民意を盾に立ち向かおうとするであろう。そこで出現するのは台独ではなく、寧ろ“2つの中国”に近い構図ではないか。この状況について、北京側で民進党との交流に携わってきた人物は、個人的見解と断った上で、「九二共識の基礎としての中華民国は黙認できるが、台独運動の隠れ蓑とするなら断固否定する」との見方を示している。これによると、北京が台北に求めるのは、大陸の主権も含む“1つの中国”の中華民国であり、台湾・澎湖・金門・馬祖を統治する政治実体としての中華民国ではないということになる。馬政権の8年を振り返る中で、反体制作家の柏楊が生前に発した警告「統一は独立への道」を思い出した。民進党が完全な与党となったことで、中共政権と民進党政権が国民党というクッション無しに、海峡を挟んで直接対峙する局面が初めて出現する。先の柏楊の警告は、「独立は統一の門」で結ばれる。両岸関係は新たなステージを迎えたようだ。 《敬称略》


本田善彦(ほんだ・よしひこ) 在台ジャーナリスト。1966年、兵庫県生まれ。『中国広播公司(BCC中国ラジオ放送社)』の国際放送『自由中国之声』記者兼アナウンサー等を経てフリーに。著書に『台湾総統列伝 米中関係の裏面史』(中公新書ラクレ)・『人民解放軍は何を考えているのか 軍事ドラマで分析する中国』(光文社新書)等。


キャプチャ  2016年3月号掲載




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テーマ : 台湾
ジャンル : 政治・経済

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