【お寺が足りない!】(下) 寺院が足りぬ首都圏に新拠点を作る住職・副住職の奮闘

伝統的な仏事が縮小化するとは言え、必ずお寺との繋がりを求める人もいる筈だ。その新たな可能性を探る為、敢えて首都圏に進出した地方寺院の住職や後継者がいる。地方の現状を目の当たりにしている僧侶たちが、都市開教の最前線で実感し、見えた展望とは一体何だったのか――。

前回、首都圏で開教に挑む住職たちの実践を紹介したところ、読者の住職から様々な反響を戴いた。「地元は人口50万人だが、うちの宗派寺院は我が寺1ヵ寺だけ。だからといって、宗旨不足が理由で過去四半世紀、檀家が爆発的に増えたかといえばそうではない。今や、寺と繋がりのある世帯でも、法要等の主催者が亡くなれば、それで縁が切れる時代。常に何らかの形で新しい檀家の増加を期待しなければ、将来運営はできなくなる」(関西の臨済宗寺院)。「首都圏の本宗寺院の数は、人口に比して確かに少ない。けれども、問題は数だけでなく、既存の寺院が門戸を開いているかどうかもあると思う。教えに触れる繋がりまでを持てているかは、地方・都市部変わらない」(関西の真宗大谷派寺院)。確かに、全国的に仏事は縮小し、お寺の数だけでは測れないところもある。しかし、どの宗派も、小誌正月号の統計通り、首都圏の人口に比して寺院数は地方の数倍も少ないことは確かなのだ。こうした中、新たな布教の可能性を求めて首都圏に打って出た地方寺院の住職や後継者がいる。私財を投じて拠点の維持運営に励む活動から見えたのは、地方のお寺の未来にも繋がる道だった。

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①奈良の古刹の東京拠点が大反響 奈良県・真言宗醍醐派十輪院
東京・神田神保町。日本有数の本の街として知られる同界隈は、古書店と飲食店が犇き、平日・休日問わず人通りが絶えない。その一画、白山通り沿いのビルの2階(約40㎡)を借りて、奈良市十輪院町の古刹である真言宗醍醐派十輪院が新拠点を開いたのは一昨年の6月。『みんなのお寺』こと『十輪院仏教相談センター』だ。入り口の看板(右写真)には、朝夕の勤行・写経・写仏・瞑想・回向・仏事相談・悩み傾聴、更に遺骨の粉骨までと活動内容が記載され、「僧侶と話しませんか」と呼びかける十輪院の橋本純信住職(67)の写真入りチラシもある。それに液晶画面が設置され、お寺の沿革やみんなの寺、各種供養についての解説ビデオも放映。中に入ると、本尊・大日如来を祀る仏間、それに瞑想や写経ができる簾で仕切られた空間まである。常時スタッフの僧侶がいて、定休日の木曜日を除く朝8時から夕方6時半までオープン。何とも異彩を放つ空間だが、橋本住職は笑顔でこう話す。「ここ神保町界隈には、他宗のお寺が1ヵ寺あるだけで、殆どお寺が無いんです。当初、訪れる方は月30人くらいでしたが、今では悩み相談から仏事相談、仏事や粉骨の依頼等、月100人近く来られます。近隣だけでなく横浜や千葉等、1時間かけて来られる方も少なくない。始めてみて、こんなに反響があるのかと驚いています」。橋本住職が赤字覚悟で首都圏に進出したのは、これまでの試行錯誤からだ。実は、神田神保町の『みんなのお寺』は第2号。第1号は、今から10年前の平成18(2006)年、地元の奈良の商店街に同様の場所を開いたのが始まりだ。背景には、お寺と仏教を巡る時代への強い危機感があった。

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きっかけは月参りだ。「坊さんは家までお参りに行くが、何故檀家はお寺に来ないのだろう?」と思った。お墓参りの檀家でも、本堂にお参りする人は少ない。「本堂があるのに来ないのは、お寺が真に必要とされていないのではないか?」――。時代の変化も感じた。以前は満中陰の法事を本堂で行ったが、料理屋で済ませる人が増えてきたのだ。何れ月参りも成り立たなくなる日が来ることは目に見えた。「今、檀家以外にもお寺の必要性を具体的に伝えなければ、もう間に合わない」。思いついたのが、街中に“お寺”のイメージと機能をコンパクトに伝える場を作ること。それが『みんなのお寺(仏教相談センター)』だったのだ。料金も明確化。瞑想(30分600円)、写経・写仏(1巻1000円)、仏事相談(30分1000円)、先祖供養(先祖回向5000円、年忌法要3万円)等。ユニークな発想、それに敷居の低さもあったのか。リピーターも絶えなかった。外で新たな縁を作る一方で、橋本住職はお寺で永代供養墓や海洋散骨葬を始め、マスコットキャラクターの製作や朝食会の行事等、次々と着手。そして、遂に東京へ。開所から1年半。メディアに注目され、橋本住職が常時いる訳ではないが、認知度が高まった。奈良との違いも感じる。「粉骨の依頼が案外多く、散骨を望んでいる方が割合おられるようです。しかし、死者供養よりも東京の方には、『仏教を今の自分の生き方に生かしたい』という姿勢が見られるのです。今日も日蓮宗の檀家だという男性が来て、『認知症の親を介護しているが、どれだけ尽くしても親は子供である自分のことすらわからない。それでも孝行と言えるのだろうか?』と相談に来られました」。何故、“ここ”なのか。お寺に来ていた四国出身の40代の男性に聞くと、「菩提寺は故郷にあるが、相談しようというほどの繋がりが無い。今、住んでいる家の近くのお寺は、相談に行っていいものかどうかもわからない。ここは、誰にでも開かれていることがわかり易く、安心です」という。橋本住職が語る。「今後はお寺も淘汰されるが、無くなることはないと思う。何故なら、仏教を求めている人はいるからです。東京に来て、仏教にこれほど関心の高い人が多いと実感できたのは嬉しいことでした。お寺も時代に応じて、繋がりを模索することが必要です。私も今、週3日、高野山東京別院で“臨床宗教師”の資格を取得すべく、勉強しています。これからの社会には、そんな接点が必要だと思うからです。死者供養だけではない場で僧侶が求められる時代を、僧侶自身が発信していく。その時、新たなお寺の形も生まれていくのではないでしょうか」。




②地方教区の出張所を作る時代  関西・真宗A寺東京布教所
その“お寺”は、都内の地下鉄駅から徒歩数分の、外観はごく普通のマンションの1室。だが、ドアを開けると美しい生け花、それに緋毛氈が敷かれた7畳ほどの仏間だ。隣室には仏壇が置かれ、長机が並ぶ。外界とは一線を画す、静謐な和の空間だ。ここは、関西の地方都市にある真宗寺院・A寺の東京布教所。代表を務めるのは、A寺の副住職であるB師(38)だ。B師が朗らかに語る。「東京で都市開教を志したのは11年前です。この場は私名義で、お寺に貸し付ける形で布教所として開いています。活動の中心は雅楽会や書道教室。小学生から大人まで、それに外国の方も学びに来ておられます。狭いところですが、少人数なら法事もできます。基本的に檀家を取っていませんが、仏事を縁にしたお付き合いも増えています。一昨年からは初めての試みとして、ホテルを会場に合同お盆法要を行いました。100名以上の方が来られて、とても盛況でした」。A寺は寺歴約300年と歴史のあるお寺だ。門徒は約40軒。近隣は高齢化が進み、今後、地元で門徒が増える見込みは無いという。師父である住職は、兼職しながらお寺を支えてきた。A寺の長男と て生まれたB師は大学卒業後、一般企業勤務を経て教師資格を取得。住職が健在だった為、東京のお寺で役僧として勤務した。そこでギャップを感じたという。「特に感じたのが、お寺との付き合いでした。田舎とは全然違う。田舎は代々、固定した門徒さんとの付き合いで支えられている。けれども、東京は決まっておらず、施主さんが“お寺を選ぶ”というのがとても強いということでした」。そこに可能性を見い出したことが、当時20代のB師を、宗派とは関わりなく、独自の都市開教に踏み切らせるきっかけになる。

1つが、お寺とは縁の薄い人に向けた発信だ。現在、東京布教所は浄土真宗系の葬儀や法事の“窓口”でもある。要望に応じて、同じく開教を志す仲間の真宗他派の僧侶が仏事を引き受けることもある。それも1つの縁として、先述したように雅楽や書道等、“日本文化に触れる場としてのお寺”の活動、新たなスタイルのお盆法要を始めた。敢えて宗派を全面に出さないのは戦略でもある。「東京の人は、○○宗というのは求めているようで、然程求めていない気がします。例えば田舎では、本山-お寺-門徒という関係性があり、本山参りが励行される。しかし東京では、お寺との関わりを求めながらも、そうした関係性は求めていない。寧ろ、“お寺”そのものを見ている。『自分は、このお寺だから付き合っていくんだ』というものです。つまり、“お寺の役割”が重視される。だからこそ、多様な発信が必要です。また、固定された付き合いが無いからこそ、自由に活動できる醍醐味があります」。もう1つが、地方出身者の人の仏縁を生かす橋渡し的な“位置”だった。「私自身が感じたことですが、仏事についても地方出身者には非常に戸惑うところがある。田舎だと、お斎までお坊さんが付き合うのは当たり前。でも都会だと、住職は忙しくてお参りだけという方が多い。月参りの習慣も無い。これが東京のやり方だと言われると結局、そこで途切れてしまうものがある。田舎の物差しを大事にする、ゆったりした立ち位置の場も必要ではないかと考えたのです」。謂わば、“物足りない”部分を補う形の都市開教。だが、その視点は当たっていた。多方面の窓口から縁が生まれ、100人もがお盆法要に来るようになり、更に文化活動を通じて子供や若者が布教所に足を運ぶようになったのだ。何れは自坊に戻るB師。その時、この布教所をどうするかは思案中だが、こうした場の必要性を痛感しているという。「一寺院が新寺建立するのはハードルが高い。寧ろ、今後は各地各教区が詰め所のような形で首都圏に拠点を置くのも1つではないかと思います。同郷の仏縁を繋ぐ場です。常駐のスタッフは交代でいいでしょう。都市部の現状を見ることは、将来の地元をイメージすることにも繋がる。何をすればいいのかと考える。田舎のような月参りは可能か。それを求める高齢者も少なくありませんが、毎日忙しく働く若者も多い首都圏で、お寺ができることは沢山ある筈です。私は今、マッサージの国家資格を取得すべく勉強中です。保険適用のマッサージがあって、1回数百円で使える。お参りがてらにマッサージができたら、介護側とも縁ができる。次の代ともご縁が繋がると期待しています。お寺が平板になり過ぎている。もっと何でもありでやっていくほうが、今後のお寺の生きていく道だと思います」

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③首都圏に聞法道場が必要な理由  千葉県・真宗大谷派流山開教所
「都市部では、『自分は無宗教だ』と言う方が凄く多い。けれども、身近な人を亡くされたことを機に、仏教について考え出す方もまた非常に多いのです。仏事の場だけではありません。居酒屋で隣り合った人でも、私が僧侶だとわかった途端、堰を切ったように自分の思いを話し出す。僧侶であることが、思いを話すきっかけになっている。そんな姿を見る内に、そういうことを話し合ったり、考えたりする場がここに必要とされているのではないかと思ったのです」。そう穏やかに話すのは、千葉県流山市の真宗大谷派流山開教所の不二門至浄代表(46)である。寺歴約400年の歴史を持つ三重県三重郡菰野町の同派源正寺の長男として生まれた不二門師が、故郷を離れ、千葉の地に新たな聞法道場の設立を志したのは、今から17年前の平成11(1999)年だった。28歳の時である。当初は3LDKの貸家からスタート。だが、3年後には現在地に土地建物を取得。ローン返済中なので未だ宗教法人ではないが、真摯な布教活動は地元でも知られるところだ。開教所では、春夏の法座や報恩講といった年中行事だけでなく、毎月のように『聞法会』『パーリ語勉強会』『真宗入門講座』と定例会も開催。自坊だけでなく、市川市の喫茶店を会場に聞法会も開く。現在、付き合いのある門信徒は約200軒に上る。一方、故郷の源正寺は、師父である住職(70代)と約60軒の門徒が支えてい る。不二門師時折、お寺に戻って法務を手伝っている。不二門師が都市開教を志したのは、前出のB師と同じく、教師資格取得後に都内のお寺で勤めたのがきっかけだ。20代前半のことである。当時、不二門青年はお寺の幼稚園で働きながら、勉強会にも積極的に参加。その縁で、千葉県柏市のお寺の住職に声をかけられた。「そこの住職さんから、『柏市は人口が36万人近くいるが、真宗大谷派の寺が1つしかない。君、柏駅の近くに布教所を作らないか?』と言われたのです。当時、私は実家のお寺に戻って、兼職しながら、この先やっていくかどうか迷っていた時期。『今あるお寺が活動していけばいいじゃないか』と思っていた。でも、実家のある町は人口約4万人に対して、大谷派だけで20ヵ寺近くある。人口からすると、柏市にお寺が足りないのは確かでした」。結局、柏駅前の布教所の話は消えたが、不二門青年の心には都市開教の火がついた。時を同じくして、練馬の真宗会館で開教実習がスタート。早速飛び込んだ。「父は堪えてくれたと思います」と振り返る。

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前回見た通り、現在、同派では宗派立の開教拠点作りに着手している。だが、そうでない当時、都市開教を志す僧侶への支援は、開教実習期間の月々3万5000円のみだったという。実習が終われば独り立ちだ。開教拠点を流山市と定めたのは、同派寺院が無かったこと。それに、首都圏のベッドタウンとして人口増加地域だったこともある。人口は現在、約17万6000人。平成27年度は、千葉県内でも人口増加率1位だった。お寺の縁や葬儀社・仏壇屋の紹介もあり、開教1年目から既に年間収入は1000万円だったというから凄い。「当時のほうが収入はありました。今はローン地獄」と笑う。しかし、不二門住職が何よりも力を入れたのが、聞法の場を開くことだった。「浄土真宗の教えは私にとって外せない。自分自身が伝える能力が無くとも、教えを聞く場を開く役割はできると思った」と振り返る。だが開教所は、人が集まるには狭い。不二門青年は地元のお寺に頼みに行った。「今度、流山で布教所を開いた者です。失礼ですが、法座の場所を貸してもらえませんか?」。熱意ある青年僧侶に、お寺も喜んでくれた。最初の法座が務まった。その後も、居酒屋の2階やライブハウスを会場にと、所構わず縁があれば聞法会を開催。縁が広がり、お寺に足を運ぶ人もできた。聴聞を大切にする真宗ならではの布教の特徴だろう。そんな姿勢こそ求められているのかもしれない。近頃、仏事の依頼が増えているというからだ。「四十九日や一周忌の依頼が来るのです。この間など、亡き奥さんの二七日からのお参りの依頼でした。聞けば、葬儀の時は葬儀社に頼んだお東を名乗る僧侶が来たそうです。奥さんを亡くしてから眠れなくなったという。インターネットで夜中の3時からお寺を探す内に、うちのホームページを見つけたそうです。去年の暮れに来た人は、『葬儀に来た僧侶は派遣で、事務局に電話しても連絡が取れないし、霊園を通じた僧侶も嫌だった。三回忌から頼みたい』という話でした」。最近は、故郷の門徒からも「帰ってきてほしい」という声もある。「2ヵ寺とも一生懸命やらしてもらおうと思います。最近感じるのは、教えの場が開かれたなら回っていくのだということ。市川の喫茶店でも、開教所でも僕がいない時、集まった人たちが自発的に教えの場にしてくれる。田舎のお寺も、お同行たちが行事の準備をして下さる。浄土真宗の核は聞法です。教えを継続していける場をどのように作っていくかだと思います」

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④離郷門信徒の為の新寺建立  神奈川県・浄土真宗本願寺派長徳寺
浄土真宗本願寺派の『第10回宗勢基本調査』中間報告によると、地元から離れた門信徒の娘や息子と菩提寺との繋がりが希薄化している実態が明らかになった。一方で、その繋がりの教化も視野に入れ、新寺建立されたお寺がある。人口約70万人の神奈川県相模原市に開かれた新寺である浄土真宗本願寺派長徳寺だ。同寺は、瀬戸内海に浮かぶ能美島(広島県)の同派長徳寺の長男である髙山和明師(36)が住職を務める。新寺建立の理由をこう話す。「都市開教の可能性も踏まえて、将来を総合的に考えてのことでした。故郷は過疎化が進み、小学校も中学校も幼稚園も閉校になっている。若い方がこれから増えていくというよりも、輪をかけて人口が減っている地域です。門徒さんの子供は地元を出て、首都圏で就職したり、家庭を築かれる方もおられ、何かあったら地元にお帰りになるという状況です。今は、実家のお寺は門徒さんがきちんと支えて下さっているけれど、長い目で見ると今後は厳しくなることが予想されました。こちらには離郷門信徒さんもおられるし、本山も都市開教に力を入れている。20年後に状況が厳しくなってから動くよりも、今の自分の歳でチャレンジするのも1つの方法かなと思ったのです」。髙山住職が相模原市を開教拠点と定めたのは、将来性を見込んだからだ。「リニア新幹線も含めた交通網の計画から、今後も人が増える可能性があったこと。浄土真宗が多いと言われている地域の出身者がそれなりにあったのも大きいです。相模原市は元々、人口10万人のところが70万人に増えた。増加した60万人には、浄土真宗の門徒も少なからずおられるのではないかと思いました」。本願寺派では、都市開教に手厚い制度がある。最初の4年間は月々の助成金、それに土地建物取得時の貸付制度等だ。当初、7万部のチラシを配ったというが、それも宗派の助成金からというから大きい。しかし、簡単な道程ではなかった。「一軒家を借りて始めましたが、最初の数ヵ月は参拝者ゼロ。外観を見て、上がらずに帰る人もいました。正直凹んで、『この先、大丈夫か?』と不安で堪らなかった。坊守は『考えてもしゃあないやん』と言ってくれ、それで何とかやってこられたところがあります」と振り返る。

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しかし、髙山住職もまた座して待たず、可能性にかけて外に出た。「『浄土真宗に興味があっても、お寺に行って法話を聞くことに抵抗があるのかな』と考えました。大切なのは、浄土真宗の教えを伝えること。それなら、『お寺じゃなくてもそういう場を作ればいい』と思ったのです。生活費は抑えても、そこにお金をかけたらいいと」。セミナールームを借り、講師を招いて定期的に浄土真宗を学ぶ公開講座を開催。反響はあり、足を運ぶ人が増えた。その縁で、お寺の行事にも参加する人も現れた。現在、未だ門信徒はいないというが、春秋のお彼岸・花まつり・降誕会・盂蘭盆法要・報恩講・常例法話会と年中行事と盛んに行っている。平成24(2012)年には、実家の長徳寺からの支援、それに宗派の貸付制度を利用して現在地に土地建物を取得。新寺建立にこぎつけた。貸付金は20年ローンで宗派に返済する予定だ。都市開教を始めて7年。故郷との違いを感じる一方で、可能性も見えたという。「実家のお寺ではお朝事があり、誰もが念珠を持ってきて、お勤めをする。それが当たり前の光景だと思っていました。でも、こちらではお寺とのご縁が薄くなり、作法そのものがわからない方が殆ど。仏縁に触れる機会が物凄く少ないんだなと実感します。でも、説明をしたら皆さん、されます。葬儀や法事の機会に懸命に法話をすると、反応もある。改めて感じたのは、実家のお寺の光景は代々、皆さんが受け継ぎ、繋げてきたからこその結果でした。こちらで仏事を依頼される方も、地方のお寺さんが種を植えてお育て下さっているから、『何かあったらお願いしよう』と言われるのです。でも、お寺が無くては頼めない。だからお寺が必要です。結局、全ては繋がっていると思うのです。私もまた、ご縁が途切れないよう、次の代に繋げていかなければと思う。10年・20年先を見て、ご門徒さんと共に育っていこうと思います。それが将来的に、田舎のお寺も支えることに繋がると思う」。日本全国に、網の目のようにお寺を如何に機能させていくかに、仏教の将来がかかっているのは間違いない。首都圏でも、お寺が直ぐ近くにあるような状況を作る必要があるのではないか。


キャプチャ  2016年3月号掲載




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