新規事業に賭けるエプソン、“手の内”技術をフル活用――金儲けより価値の提供、全ては1本の電話から始まった

コピーやプリンター機能を備えた複合機事業が転機を迎えている。市場が成熟し、これまでのような成長が見込めなくなった。その中で、『セイコーエプソン』は新規事業を中心にして、増益傾向を続けている。カギになるのは既存技術の活用だ。 (松浦龍夫)

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セイコーエプソンは今年中に、社運を賭けた新製品を投入する。その名も『PaperLab(ペーパーラボ)』。使用済みのオフィス用紙を投入すると、約3分で新しい紙に再生させる世界初の機器だ。碓井稔社長は、「紙の使い方の概念を変えていく」と意気込む。ペーパーラボを初めて一般に披露したのは、昨年12月に東京ビッグサイトで行われた展示会『エコプロダクツ2015』。参考出展されていたペーパーラボを見ようと、エプソンのブースには隣の展示スペースにまで溢れるほどの黒山の人だかりができた。その後も大きな反響が続いている。発売時期や価格等の問い合わせが相次ぎ、「ウェブサイトのアクセス数が数十倍になった」(ペーパーラボ事業推進プロジェクトの市川和弘部長)。ニュースリリースを出したのは日本だけだが、環境意識の高いヨーロッパや、紙を作るのに必要な水が貴重な中東諸国等からも問い合わせがあるという。エプソンの主力製品は、コピー、プリンター、スキャナー、ファクシミリ機能を備えた複合機。『キヤノン』や『リコー』等、日本企業が圧倒的な存在感を示してきた分野だ。インク、トナー、プリンター用紙等を売る“消耗品ビジネス”によって、各社は安定的な収益を確保してきた。しかし、市場が頭打ち傾向になり、複合機等のビジネスに転機が訪れている。タブレットの普及等でペーパーレス化が顕著になってきた為だ。その為、複合機メーカー各社は新たな収益の柱を作るべく、新規事業の開発に注力している。その中でも目立つのが、従来にない新製品を打ち出しているエプソンだ。

ペーパーラボの開発が始まったのは2010年。研究開発部門に所属していた市川部長への1本の電話が発端となった。電話の相手は、当時、技術開発本部長だった福島米春常務取締役。「碓井社長から『オフィス内で紙をリサイクルできる機器を開発できないか』と打診されたんだ」。福島常務は、市川部長にそう伝えた。オフィスで紙をリサイクルする――。実現すれば環境に優しいだけでなく、自社製品であるプリンターや複合機を気兼ねなく使ってもらえる為、他の製品とのシナジー効果が見込める。コンセプトは理解できたが、提案は無謀にも思えるものだった。打診された市川部長も、「正直、どう実現するかは思いつかなかった」と振り返る。とは言え、社長の指示を無視する訳にはいかない。市川部長は先ず、紙のリサイクル機器にニーズがあるかどうかを把握することから始めた。エプソンの職場や長野県の地元企業を見学し、オフィス内の紙の流れを分析した。そうすると、金融機関や自治体等では情報漏洩を防ぐ為に、紙の廃棄に多額のコストをかけていることがわかった。リサイクル機器を開発するには、紙がどのような仕組みでできているかを知る必要がある。その為、市川部長は紙漉き職人の元を訪ねる等して、紙についての研究を重ねた。「ニーズはある。世の中に新しい価値を齎すこともできる」。調査を続ける中で、市川部長は手応えを感じていた。しかしながら、大きな課題があった。一般的な方法で紙を再生するには、大量の水が必要になるという事実だ。オフィスで大量の水を確保するのは至難の業。抑々、複合機等の電子機器は水分との相性が悪い。水を使わずに紙を再生する方法を考える必要があった。




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そこで市川部長が思いついたのが、紙に衝撃を与えて細かく砕き、綿状の繊維に戻す方法だった。「細かくした紙の繊維が一定以上長くないと紙に戻せない。詳しくは話せないが、砕き方は試行錯誤を繰り返した」(市川部長)。衝撃によって紙を砕いた後に、繊維からインク等の色を抜く。その後、結合剤を混ぜてくっつけ、圧力で成型するという流れだ。ペーパーラボの基礎技術を確立するまでに、社長の打診から1年を要した。そして2011年、市川部長が碓井社長や福島常務に成果を報告。「紙をリサイクルできないかとは言ったが、水を使わずにできるとは思っていなかった」(碓井社長)。製品化へのゴーサインが出た。紙を再生するレシピはできたものの、製品化には未だ長い道のりが残っていた。最大の課題は、厚みが均一で、簡単に破れたりしない安定した品質の紙を作れるかどうかだった。この難題に対してエプソンは、これまでの新規事業でも取り入れてきたある考え方を実践した。碓井社長が日頃から唱えていた「稼ぎながら技術を熟成する」というものだ。要素技術を開発する上で、研究室の中に閉じ籠っているのではなく、既存の製品や工場の力を生かしながら実用レベルに近付けていく。ペーパーラボでは、再生紙を何層にも重ねて厚い紙を作る技術がその対象となった。新たに開発した技術で吸収体を作り、自社製品であるプリンター内部で廃インクを染み込ませる部品として活用することにしたのだ。最終製品として量産することにより、生産技術や各部門のエンジニア等が次々にアイデアを出してくれる。研究室の限られた人数や金額の中で開発するよりも、品質やコストといった面で鍛えられる。「綿状になった紙は、軽くてフワフワして扱い難い。機械の中でそれをどのように運ぶか等、色々なアイデアを出してもらえた」と市川部長は語る。

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これまでもエプソンは、ペーパーラボのような世の中を驚かせる商品を送り出してきた。先駆けとなったのが、1968年に発売した世界初の小型軽量デジタルプリンター『EP-101』。その小ささと壊れ難さが評価され、世界で144万台を売り上げた。EPは“Electric Printer”の意味で、「“EPの子供(SON)”が沢山売れますように」という意味が、『EPSON(エプソン)』という社名の由来となった。この他にも、水晶振動子を取り入れて誤差を少なくしたクオーツ式時計『セイコークオーツアストロン35SQ』も大きなインパクトを与えた。それまで機械式が主流だった腕時計市場をクオーツ式が席巻するきっかけとなり、『セイコー』の名を世界に知らしめた。1982年にはテレビ付き腕時計『テレビウオッチ』を発売する等、挑戦的な商品を出し続けてきた。ただ、2000年代はそうした新製品が収益に繋がらなかった。『三洋電機』から2006年に買収した中小型の液晶事業は、2009年に『ソニー』に売却。半導体事業も工場を閉鎖し、縮小した。構造改革の費用により、2009年3月期は1000億円を超える最終赤字を出した。今年3月期の売上高は1兆924億円、営業利益が940億円。前期に年金制度改定に伴う300億円の利益が出た反動で減益となったが、ここ数年はウェアラブル機器等の新規分野の貢献により、増益基調が続いている。2008年に就任した碓井社長が事業撤退等に取り組む傍らで、新規事業の種蒔きを続けてきた成果が数字にも表れている。新規事業を立ち上げる場合、必要な技術や人材を短期間に揃える為に、他社を買収する手もある。しかし、碓井社長は飽く迄も社内のリソースを有効利用することを優先する。その上で、ペーパーラボのように、開発の現場にトップダウンで次世代の新製品の方向を示してきた。それが可能なのも、エプソンが幅広い製品を開発しながら蓄えてきた多岐に亘る技術があるからだ。時計のクオーツ全盛期であり、プリンターも飛ぶように売れていた1970~1980年代頃は、研究開発に多額の費用を投じていた。時計やプリンターに必要な機械の技術、クオーツで培った電子機器の技術、プロジェクターで培った光学技術や画像処理技術、インクで培った化学技術等が生まれ、エプソンを支えてきた。

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新規事業の立案に携わる井上茂樹常務取締役は、「やりたいことを開発に投げかけると、大概のことは『わかりました』とやってくれる。車ですらも作れと言えば作れてしまいそうな技術の厚みがある」と語る。しかしながら、2000年代中頃までは、そのことが副作用を生んでいた。技術・事業・製品の幅が広がり過ぎた為、組織全体で見れば非効率な部分が目立つようになっていたのだ。碓井社長は、そうした状況を解決しようと長期ビジョン『SE15』を策定し、構造改革を進めた。その中心となるのが、「保有する技術や販売の資産から新しい製品と事業を生み出す」という方針。社内のリソースを有効に活用し、エプソン流の新たな勝ちパターンを確立しようとしてきた。その成果の1つがペーパーラボだ。それ以外にも、画面を見ながら周りの状況を確認できる、民生用では世界初のスマートグラス『モベリオ』(左図)や、来年投入予定の『双腕ロボット』等、新製品が生まれている。モベリオは、両目のレンズ部分が透過型ディスプレーになっている製品で、2011年に販売を開始した。ディスプレーには高温ポリシリコンTFT液晶を使っている。中小型の液晶から撤退する中でも保有し続けていた技術だ。「液晶の技術を残す為の新製品を考えてほしい」という碓井社長の依頼が、モベリオ開発のきっかけとなった。モベリオは現在、実際の光景とディスプレー上に映る映像を重ね合わせて作業を効率化するAR(拡張現実)のツールとして販売している。映画鑑賞等の娯楽用途だけでなく、今後、エプソンが狙うのが企業向け需要だ。例えばビデオ会議。遠隔地の人と話す時にモベリオをかけると、実際の会議室の椅子に、遠隔地にいる筈の相手が座っているのが見えるイメージだ。「海外の人が話した内容を翻訳してディスプレー上に映してもいいし、イヤホンを通じて同時通訳の音声を流す形でもいい」と井上常務は話す。

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スマートグラスは他社の参入も盛んになる中、社内の技術を組み合わせることで、“稼ぎながら技術を高める”ことを目指している。例えば、スマートグラス向けに開発した光源の制御技術を、既存のプロジェクター等の技術と組み合わせ、家庭やオフィス等の照明関係のビジネスに乗り出そうとしている。家の中の照明がプロジェクターになり、部屋の壁にテレビを映し出せたり、好きな壁紙に変えたりといったものを想定している。机の上を叩くと新聞紙面を映し出す等、あらゆる場所をディスプレーとして使う。これから製品化する双腕ロボット(右図)は、短期的には工場の生産現場がターゲット。クオーツ式時計で培った水晶振動子の技術を応用することで、人間の手先と同じように微妙な力加減を再現しようとしている。鍵を鍵穴に入れ、感触を確かめながら鍵をずらして奥に入れていくといった動作ができるようになる。産業向けの次には、家庭も含めたより広い分野への進出を狙う。介護で人を優しく運んだり、ベッドメークでシーツを皺無く敷いたり、お皿を割れないように運んで洗ったりといった、人間と同じような動作ができるロボットを開発する。ロボットにAI(人工知能)を活用する研究も始まっている。設計図等を読み込ませて作業内容を理解させておけば、作業の手順や動きを予めインプットしなくてもロボットが自ら工夫し、考える。AIの実験では、人間が思いつかない方法や、人間の腕ではあり得ない角度に腕を曲げて作業するといった成果が生まれている。効率は高まるが、介護現場等では、動きに違和感を覚えた人間が緊急ボタンを押してしまう恐れがある。AI採用の今後の課題だ。

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エプソンが新規事業に取り組む中で、碓井社長ら経営陣や開発現場が改めて意識するようになったことがある。「自社ならではの価値を生み出せるかどうか」だ。井上常務は、低迷が続いた当時について、「『ビジネスをしたい』『お金を儲けたい』という考えが強くなり過ぎていた。新しい価値を提供するという発想が薄まってしまった」と振り返る。企業として利益を上げることは間違ってはいない。ただ、目先の売り上げに邁進するあまり、イノベーションを起こすことが疎かになっていた。事業毎にビジネスを進めていたことが非効率さも招いていた。「半導体は時計には供給していたが、プリンターには出していないし、液晶の技術を内部には供給していない。そんなもったいないことが起こっていた」(井上常務)。その反省から、2007~2008年にかけて、当時常務だった碓井社長と経営企画部長の井上常務は、其々の事業や要素技術を全て書き出し、各事業の関連を一目で見てわかるようにした。碓井社長は、「顧客の考えで自分たちの価値が決まってしまうような製品は止めようと決めた」と言う。エプソンのモットーは“省、小、精”(エネルギーを省く、モノを小さくする、精度を追求する)。これを追求する為に、社内の技術を棚卸しし、事業間の連携を進めて、無駄が少ない組織に作り直した。碓井社長がトップダウンで次に進むべき方向を示し、それを受け止めた開発現場が手の内にあるリソースを使いながら、最終製品まで作り上げる。顧客の声や市場のニーズを聞くだけでなく、自らの価値を徹底的に突き詰める。それこそがエプソン流イノベーションだ。


キャプチャ  2016年5月9日号掲載




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