エド・マーローが遺したテレビジャーナリズムと権力の攻防――テレビの側から政治家にすり寄る異常事態、バランスや公平ではなく事実と多様性の追求を

20160510 09
今、放送メディアで報道番組に携わる人たちにとって、ハリウッド映画『グッドナイト&グッドラック』(監督はジョージ・クルーニー/2005年公開)のような状況が目の前に現れているのかもしれない。1950年代のアメリカで吹き荒れた反共産主義運動。それを扇動したジョセフ・マッカーシー上院議員に対して、マスコミは自分たちが標的とされることを恐れた。しかし、当時のCBSテレビの人気番組『シー・イット・ナウ』で立ち向かったニュースキャスターのエドワード・ロスコー・マーロー(左写真)は、政府の圧力や罠、そして会社からの孤立とも闘った。後に“放送ジャーナリズムの父”“放送の良心”と称される彼は、マッカーシーを取り上げる放送をするかどうかを巡って躊躇するスタッフに向かって、こう語ったという。「我々の仕事は、放送したものによって評価される。しかし、放送しなかったものによっても評価されるのだ」。同映画中のシーン。番組スタッフが集まった部屋で、「君たちの中で共産党と関わりのある者はいるか?」と尋ねるプロデューサーに対して、「別れた女房が共産党の大会に出ていた」と打ち明けた1人は、世間から追及されることを恐れて、取材チームから降りることを申し出た。そして、マーローは呟く。「この部屋すら恐怖に支配されている」。現在の日本の放送メディアは、反共産主義運動ではなく、以下のような批判や声に囲まれる中、放送局の建物の部屋で、静かに淡々とやり過ごすのだろうか。「放送法を守れ」「公平・中立に放送しろ」「偏向報道を止めろ」――。元共同通信編集主幹の原寿雄は、1987年に出版した著書『新聞記者の処世術』(晩聲社)の中で、「ジャーナリズムは、権力と民衆の挟み撃ちにあっている」と指摘したが、まるで30年後の今の放送メディアの状況を予言しているかのようだ。総務省・高市早苗大臣による“電波停止”発言に代表されるような政府や自民党からの圧力と、それを背後から支える“世論”の声の両方が、ジリジリと放送現場を追い込んでいっている。更に、世論のほうは2つあって、政府・自民党を支持する層だけではなく、その逆の側からも、福島原発事故や安保法制報道等を巡って、「伝えるべきことを伝えていない」とメディアへの不信感が募ってきている現状もある。“政府・与党”と“市民・視聴者”の間の挟み撃ちの中で、この4月から、特に夜のニュース・報道番組の体制が大きく変わろうとしている。

筆者自身は放送局や番組制作プロダクションに所属している人間ではないが、民放のニュース番組やNHKのドキュメンタリー番組等を通じて、様々な映像リポート・報告に1990年代後半から携わってきた。テレビというメディアは、最も面白く、最も緊張感や充実感もあり、且つ様々な制約の下で影響力を発揮するメディアであったと思う。放送の内側からも外側からも、良い反響も悪い反応も、何かとゴチャゴチャ言われ続けてきたテレビジャーナリズムは、これからどんな方向に進んでいくのだろうか。放送メディアに時に携わる者として、一方でテレビが何を伝えるか常に注目している一視聴者としても、過去最高レベルで憂慮している。昨年12月に筆者は、立教大学の砂川浩慶准教授やジャーナリストの坂本衛氏と共に『日本外国特派員協会』で記者会見を開き、“放送法の誤った解釈を正し、言論・表現の自由を守る”ことを呼びかけるアピールを公表した。それ以前にも何度か同じような会見に参加したことはあるが、これは政府に向かってのアピールなのか、放送局への呼びかけなのか、或いは市民に向かって訴えているのか、その照準がわからなくなる。当時、会見で日本語・英語通訳を務める方に、筆者は控室で相談した。「“忖度”や“空気を読む”って、英語でどう訳すのですか?」。辞書的には、“忖度”=“guess、surmise、conjecture”といった単語が当てられているが、それでニュアンスが外国人に伝わるのかどうか、よくわからない。“空気を読む”も同じである。大きな権力や組織の支配から“圧力”や“弾圧”を受けて、強制的に黙り込まされるのではなく、自らの回避心や“事無かれ”反応から黙り込んでいくことこそ、メディアにとって最も危険な兆候だと思う。それは必ず周囲に連鎖し、習慣化・無自覚化し、そして“触れる”ことさえしなくなる。政治権力からすれば、これほど簡単な“報道規制”“言論統制”はない。協会での会見に先立って、テレビの特にニュース番組に携わる記者・ディレクター・デスク・プロデューサーらに会って、話を聞いて回った。『放送法』を巡っての法律的見解や専門家の意見はメディアで多数出ているが、実際の放送現場では今、何が伝えられて、何が伝えられないのか? 放送局の社員が、放送に関わることを公の場で自由に発言する“社内的言論の自由”は中々無い。番組制作の現状の“話し難いこと”を、自分自身も直面しているような気持ちで聞いた。ある民放の報道番組制作に携わるディレクターは、毎回の放送終了後から1時間以上、視聴者からの多数の抗議電話対応に追われるのだという。それは抗議電話というよりも、説教電話に近い。「クレーム対応でよく聞くキーワードとしては、『偏った報道であり、放送法に違反している』『反日的な報道はいい加減止めろ』『国益を損なっている』ですね。1回の電話が10分で終わったら良い方で、長い時は30分ぐらい同じ事を繰り返してくる」。その番組では、“18歳選挙権”をテーマにした特集で、『T-ns SOWL』という反安保法制の高校生グループを取材し放送したところ、「何故、賛成しているグループを取材しないのか?」という抗議が来たという。「圧倒的な力を持つ国家権力とのパワーバランスを考えても、報道機関がどちらに目を向けるべきかは自ずと決まってくるんですが…。『国益の為に放送はしていません』と言い返しますが、こういう身も蓋も無い批判は正直疲れます」と嘆く。事実関係の間違いに対する抗議や指摘よりも、扱う対象や伝え方が気にくわないという理由で執拗に攻撃してくるのが、今時の抗議の特徴だ。安倍政権に対して批判的なメディアは今、政治家からの圧力の前に、こうした“視聴者・市民”を名乗る人たちからの攻撃に日々晒されている。




20160510 11
2年前の2014年衆院選、自民党は在京テレビ局の自民党担当記者を個別に呼んで、ある文書を渡した。タイトルは、『選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い』。出演者の発言回数・時間や選定、街角インタビューや資料映像で、一方的な意見に偏る、或いは特定の政治的立場が強調されることのないようにと、その文書上の言葉でいくと“特段のご配慮を”要請するものだった。当時、この文面を読んだある民放の政治部長(当時)によると、「これまでとは異なる稚拙さ・咋さ・異常さを感じた」という。「昔は圧力のかけ方が巧妙だった。証拠が残らないような形で、陰で言ってきた。ところが今は、直接記者を呼び出して文書を渡す。彼らは、こんな方法でも大丈夫だと思っているのだろう」。こうした“配慮”や“要請”に対して、実際の選挙報道でも如実に変化が現れた。法政大学の水島宏明教授の調査では、当時の情報番組での選挙の扱いが極端に減り、街頭インタビューも大幅に減っている。民放の情報番組に当時所属していたディレクターは、「その前の選挙(2012年)の時と違って、選挙に関する企画を出しても提案が通らなくなった」という。提案が通らない“理由”が提示されないということも特徴的だ。NHKのある報道番組ディレクターは、「昨年、“SEALDs”の活動やメンバーを追う企画は何度も番組で提案されたが、一度も認められなかった。ところが、安保法案成立後になると急にOKとなった。これが不可解なんです」と言う。安保法制や憲法改正に反対する学生団体『SEALDs』の活動は、民放番組では何度も取り上げられたが、NHK番組では安保法案審議中は皆無だった。別のNHKディレクターは、こうも指摘する。「これから政治に関するニュースは、いつも選挙期間中のような報道になるよ。映像もインタビューも字幕テロップも、妙なバランスと配慮ばかり。どこを見て番組を作っているんだか」「ニュースを伝えた後のキャスターのコメントが微妙に変わってくるだろうね。特に、政府や与党の言い分に対しての反論や、『しかしながら…』とは言い辛くなる。頭のどこかにいつも“公平・中立”の言葉が浮かんでくるようになるのでは。その一方で、芸能・スポーツ・季節の話題は、逆にコメントも饒舌になるかもしれない。それらは公平も中立も関係ないし、大した抗議も来ないから」。無難なコメント、当たり障りの無い言葉、どこからも批判が来ないような締め括り…。“微妙なテーマ”、特に政治に関わる話題で、政府・与党から抗議が来るような内容を自ら“避ける”習性が、「取り敢えずバランスを…」という感覚が、知らず知らずに身に付いてくるとしたら…。それは、決して“彼ら”だけのことではなく、実際には筆者も含めて、心の中に芽生える自主規制や萎縮の“最終完成形”のような恐ろしさを感じる。細川護熙元首相は、2004年3月26日に放送された『ニュースステーション』(テレビ朝日系)最終回で、「どこにも当たり障りの無い、無害なニュース番組は、存在感・存在価値が無いと思う。少し彼方此方から突っ込まれるぐらいのほうがいいんじゃないですか」と語った。

久米宏キャスターの発言や伝え方を巡って、ニュースステーションが放送された18年間に様々な“騒動”が起きた。1989年7月、東京都内の料亭での会合で、通商産業省(現在の経済産業省)の梶山静六大臣(当時)が同番組のスポンサーだった『トヨタ自動車』の社長に対して、「あんたは久米の親戚か?」と非難し、トヨタは同番組のスポンサーを降りた。1992年7月、厚生省の山下徳夫大臣(当時)が同番組のPKO法案報道を批判し、番組スポンサー商品の不買を呼びかけた。1999年2月、「所沢産の野菜から高濃度のダイオキシン検出された」と同番組が報じたが、実際には煎茶からだったことが明らかになり、衆議院逓信委員会でテレビ朝日の社長が参考人招致され、久米氏の発言の責任追及がされた。2002年5月、同番組内で作家の城山三郎氏がメディア規制法案に対する反対発言をしたことに対して、自民党の山崎拓幹事長(当時)が「偏った内容だ」と文書で抗議をした。最終回の放送で久米氏は、「想像できないぐらいの厳しい批判・激しい抗議も受けました。勿論、こちらに非があるものも沢山あったのですが、こちらは理由がわからない、故無き批判としか思えないようなものも沢山ありました。が、今にして思えば、そういう厳しい批判をして下さる方が大勢いらっしゃったからこそ、こんなに長くできたんだとわかってます。これは皮肉でも、嫌みでも何でもありません。厳しい批判をして下さった方、本当にありがとうございました。感謝しています」と言って、瓶ビールの蓋を開けてコップで飲み干した。18年半続いたニュースステーションは、ここに終了した。2004年、久米氏はイラクに派遣された自衛隊のニュースを伝える前に、力を込めてこう話したことを、私は鮮明に覚えている。「私は今でもイラクへの自衛隊派遣は反対です」。若し今ならば、インターネットを中心に集中砲火を浴びて、政治家も問題視するだろう。『放送法』を持ち出して糾弾するに違いない。1980年代から1990年代前半にかけて、中学生から大学生の時期を過ごした私にとっては、特に民放のニュースキャスターというのは、久米宏や筑紫哲也に代表されるように、ニュースをわかり易く解説する司会者であると同時に、時に政府や政治家に対して“もの申す人”というイメージがある。キャスターやコメンテーターがそのニュースに対して、どんな発言をするかに注目したものだ。そして、番組キャスターもコメンテーターも、殆どがテレビ局のアナウンサーや社員ではなく、“外部の人”が務めるということが普通だった。テレビ局以外の人だからこそ言える“自由さ”と、それを許容するテレビ局の“度量”“いい加減さ”を感じたものだ。それがこのところ、“窮屈さ”“不自由さ”“無難さ”といったほうが目立つようになってきた。2000年代以降、インターネットやSNSの普及と共に、局内外からゴチャゴチャ突っ込まれることに、過剰な“防衛”反応と“萎縮”作用が現れている。“コンプライアンス(法令遵守)”という言葉がメディアの中でも定着した。テレビや放送に関する問題が起きた時、辞書のように読み返してきた1冊がある。『放送中止事件50年 テレビは何を伝えることを拒んだか』(花伝社)。1953年の日本での放送開始からの50年の間に起きた数々の“放送中止”の経緯を纏めたものだ。近年では、逢坂巌氏の『日本政治とメディア テレビの登場からネット時代まで』(中公新書)も興味深い。これらを読むと、NHKや民放の全国ネットから地方局まで、自民党から、スポンサーから、視聴者から、ありとあらゆるところから、日本のテレビは批判・介入・抗議を受けて、それに屈してきた歴史もあることがよくわかる。

20160510 12
自民党は安倍晋三政権になってからだけではなく、テレビ創世記から番組に介入を繰り返してきた。高市大臣の“電波停止”発言と同じようなフレーズは、政治家たちは何度か口にしている。1960年代当時の佐藤栄作首相は、『日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)』の副社長に対して、「この前のベトナム裁判の番組、きつく叱っておいた。番組を作るのはそちらの勝手だが、(放送)免許のことはこちらの勝手だからなと言っておいたよ」と語ったことを、佐藤の首席秘書官だった楠田實は日記に記している(『楠田實日記』中央公論新社)。中でも、佐藤政権での橋本登美三郎官房長官(当時)のやり方は露骨だ。日本テレビの『ベトナム海兵大隊戦記』(1965年)や、TBSテレビの『ハノイ 田英夫の証言』(1967年)への抗議は有名だが、1965年10月13日に放送したTBSテレビ『総理を囲んで』の番組では、当時の佐藤栄作首相と森繁久弥の対話部分の一部カットを、橋本は収録場所で直接ディレクターに命じている。しかし、テレビ局への“介入”“圧力”に対して、それに抵抗する放送局内の社員、そして市民レベルでそれを支援する人たちが多数いたことも、昔は救いだった。同書巻末の座談会で立教大学の服部孝章教授(当時)は、「最も気になるのは、圧力に対する社会的な反発力、メディア内部の反発力の衰退です」と指摘する。高市大臣の発言を受けて、ニュース番組の中でキャスターやコメンテーターが言及したのは私が知る限り、テレビ朝日系列の『報道ステーション』『羽鳥慎一モーニングショー』、TBSテレビ系列の『NEWS23』『サンデーモーニング』だった。『報道特集』は3月5日の放送で、企画としても大きく扱った。キー局以外では毎日放送(大阪府)等がある。しかし、もっと数多くの番組が反論すると思ったが、そうはいかなかったようだ。これについては、「総務相や自民党を敵に回したくないから、“触れない”“コメントスルー”という形で躱す訳です。放送法の解釈で反論して、政治家からの矛先が自分の局や番組に向けられて睨まれることを恐れている」とNHKのある記者は言う。政治家たちにとって最早、テレビは排除や敵の対象ではなく、いつでも容易に使える“政治の道具”になりつつあるのだろうか。しかし、政治家の問題というよりも、テレビの側から政治家にすり寄る動きと、テレビ内部の反発力の弱さの方が深刻さを増している。テレビ番組とは一体、誰の為に製作して、誰に向けて放送しているのか? 放送における“政治的公平”や“中立”とは何なのか? 私自身には、1つの指標となる言葉がある。「右だの左だのから“公平”“中立”であることを言うのではない。いかなる政治にも財界にも支配されない、干渉されない、影響されないという自主自立の確保ではないか」(『創』2001年5月号『NHK“女性国際戦犯法廷”番組改変騒動のその後』・西野瑠美子)

今に始まったことではない。いつの時代も、時の権力者や政治家は、メディアに対して圧力をかけてきた。一方で、彼らはそのメディアを上手く利用もしてきた。しかし、そんな権力や政治からの圧力や利用を様々な方法で撥ね返して、自らの“報道”を貫くのもメディアだった。ジャーナリズムは政治を監視する立場なのだから、政治とメディアは常に緊張関係にあって、攻防と鬩ぎ合いを繰り返す。それが民主主義社会の尺度を示すと思ってきた。メディアが反権力であることで、政治的公平性やバランスが社会の中で保たれると認識してきた。これまで何度も言ってきたことなのだが、若し政治家から「公平な報道を」と言われたら、こう言い返せばそれで済まないか。「貴方こそ“公平な政治”をやれ」。同じく、「放送法を守りなさい」と言われたら、こう言い返せばどうか。「放送法よりも、貴方は憲法を守れ」。これを以前、あるテレビ局の記者の方に言ったところ、「そんな単純な問題構造になっていないんですよ。新聞や雑誌と違って、そう言い返せないのがテレビなんです」と返ってきた。確かに、一部外者からの“単純な”反論かもしれない。だが、そうした反論をテレビの側からしない限り、放送法や“公平・中立”問題は延々と自縛し続けるのではないか。2000年に亡くなった元読売新聞記者でジャーナリストの黒田清氏は、生前にこう言っていた。報道やジャーナリズムを巡る問題が起きた時に、私は思い出す。「自分のための仕事せいよ。一枚岩の部分なんかになるなよ。会社のためなんかはたらくなよ。会社のためのジャーナリズムなんてないんやから」(『AERA』1992年7月7日号『現代の肖像』・執筆は鎌田慧)。“NHKの為の番組”“テレビ朝日の為のジャーナリズム”なんて、それは番組でもジャーナリズムでもない。勿論、“朝日新聞の為の紙面”“朝日新聞の為のジャーナリズム”もない。それは、日本テレビでもフジテレビでも、講談社や文藝春秋でも同じだ。しかし、“会社の為の”報道やジャーナリズムはなくても、個々の番組やキャスター・記者・ディレクター・カメラマンらが“社会に向けて放つ”報道やジャーナリズムは絶対にある。その1つの質問、その1つの映像、その1つのナレーション、その1つのコメントを放つ気概や情熱の積み重ねが、その放送への視聴者からの支持や反響に長年繋がってきたと信じている。『報道ステーション』が放つジャーナリズムがある。『NEWS23』が放つジャーナリズムもある。『クローズアップ現代』が放つジャーナリズムはある。たとえキャスターが代わっても、時の政権や政治に対して取るべきジャーナリズムのスタンスがある筈だ。

20160510 10
社会に向かってゴチャゴチャ言い続け、自らもゴチャゴチャ言われ続けることを、勲章に思ってほしい。無難な切り口ではなく、只管現実に切り込んで攻めてほしい。バランスや公平ではなく、事実と多様性を追求してほしい。抗議や批判には、正面から反論と、時には無視も貫いてほしい。先ず局内の制作現場で、徹底して自由な議論と勇気ある異議申し立てをする人たちを支えて、それを会社の“上の人たち”は認めてほしい。そして、“情報番組”ではなく、テレビジャーナリズムの“ど真ん中直球”を投げ続ける“報道番組”であり続けてほしい。自分の為に、そして社会の為に。「高市から、とやかく言われるまでもないです。それ以前から、うちのニュースの現場の上層部は萎縮と自粛をしているのだから」と自嘲気味に話すのは、あるNHKディレクター。「放送法や公平・中立を気にして、報道番組が作れますか? 今まで通り、うちのスタンスでやりますよ。4月から他の番組との違いが楽しみです」と逆に意気盛んなのは、ある民放プロデューサー。どちらも日本の放送メディアの現状かもしれない。何れにせよ、政治家たちは「テレビの足を掬ってやろう」と、そして「利用できるものは使おう」と、虎視眈々とニュース番組のモニター画面を常にチェックしている筈だ。政治家の背後にいるインターネット上でのシンパたちも同じだろう。“放送法”“政治的公平”を引き合いに出して抗議してくる人たちは、益々増えるだろう。しかし思うに…放送局内でモニター画面をチェックしている人たちのほうが、実は対応が厄介かもしれない。前述の映画『グッドナイト&グッドラック』。『シー・イット・ナウ』の番組スタッフ削減と放送日変更を告げるCBSの会長に対して、マーローが反論するやり取りは、政治と放送の関係性以上に、放送現場の政治性を物語る。

「問題の多い内容を扱われると胃が痛む」(CBS会長)
「立場的に当然でしょう」「我々の番組の内容はくだらない娯楽より…」(マーロー)
「“我々”じゃない。“君”だ」「私は内容を検閲したことはない」「放送ライセンス(免許)を守る為、政治家たちを必死で宥め、一度も君らに“NO”とは言わなかった。一度も」(CBS会長)
「私たちは持ちつ持たれつでしょう」「“報道のCBS”の名を確立させたのは我々です。“NO”を言わないのと検閲しないのは違う」(マーロー)
「ジャーナリズム論は余所でやれ」(CBS会長)

その後、CBSの会長室を出たマーローと番組プロデューサーは、苦笑と溜め息が交錯する中で、こう話す。「最後まで闘おう」――。日本の放送局の一室からは、これからどんな局内攻防や会話が聞こえてくるだろうか。それが実際の放送内容にも反映される。7年間で200本以上の番組を放送したマーローの番組『シー・イット・ナウ』が打ち切りとなってから3ヵ月後の1958年10月、放送界の報道責任者らが集まったシカゴでの総会の席上、マーローは渾身の力を込めてこう語った。「ワシントンからの声に屈服し、社会の誰彼の感情を害さないことばかりに腐心すれば、軈ては、それがこの国の放送の伝統になってしまう。テレビはカネを生む道具としてだけ使うほうが、容易で、トラブルも少ないだろう。しかし、それではテレビの力は幻だ」。同映画のエンディング。マーローは同じ席上で、こう締め括る。「『そんな番組は誰も観ない』『皆、現状に満足だ』と言われたら、こう答えます」「若し、テレビが娯楽と逃避の為だけの道具なら、元々、何の価値も無いということですから。テレビは人を教育し、啓発し、心さえ動かします。だが、それは飽く迄も使う者の自覚次第です。それが無ければ、テレビはメカの詰まった只の箱なのです」「グッドナイト、そしてグッドラック」。番組の終わりと同じいつもの言葉を最後に、マーローは静かに壇上から去った。聴衆からの拍手は無く、何の反応も聞こえない中で、映画はエンドロールが流れる。“メカの詰まった只の箱”。若し現在ならば、マーローは“液晶が入った只の横長のディスプレイ”と言っただろうか…。「いや違う! シー・イット・ナウ(これを見ろ)」。そんな強い反論が今、私の目の前のテレビ番組の中から、放送局の一室からも聞こえたが、幻聴だろうか? それとも…。全ては、これからの放送の中に“答え”がある。 《文中一部敬称略》


綿井健陽(わたい・たけはる) 映像ジャーナリスト・映画監督。1971年、大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。1998年からフリージャーナリスト集団『アジアプレスインターナショナル』に参加。ドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』(2005年)・『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014年)を公開・上映中。著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)。共著として『光市事件裁判を考える』(現代人文社)・『ジャーナリストはなぜ“戦場”へ行くのか 取材現場からの自己検証』(集英社新書)等。


キャプチャ  2016年4月号掲載

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