【2015年の10大問題】(05) 慰安婦問題・吉田調書…当事者能力を喪失した朝日新聞

朝日新聞という“戦後レジーム”の1つの象徴がいま、七転八倒しながら潰走している。これは直接的には連続した誤報や歪曲・捏造報道による自滅だが、“戦後”という1つの時代が転換点を迎えていることとも無関係ではあるまい。憲法は不磨の大典、9条が日本の平和を護った、左翼はインテリ、中国・韓国とは分かり合える、自衛隊の海外派遣は危険……など、戦後を生ぬるく支配してきた“朝日的なもの”の偽善と虚構が現在、音を立てて崩れつつあるのだ。そのことを示す格好のセレモニーが、朝日新聞が2014年9月11日、東京・築地の東京本社で開いた緊急記者会見だった。この場で木村伊量社長は、福島第1原子力発電所事故に関する『吉田(昌郎元所長)調書』報道と、慰安婦問題での『吉田(清治)証言』をめぐる誤報についてこう謝罪した。「吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、命令違反で撤退という表現を使った結果、多くの東電社員らがその場から逃げだしたかのような印象を与える間違った記事だと判断致しました。『命令違反で撤退』の表現を取り消すとともに、読者および東電のみなさまに深くおわびを申し上げます」。また8月5日付の特集記事で、慰安婦問題の吉田清治氏の「証言は虚偽と判断し取り消しました」と述べ、「ただ、記事を取り消しながら謝罪がなく批判をいただきました。反省するとしましたが、事実を旨とする報道であるべきでした。誤った報道と謝罪が遅れたことにおわび申し上げます」とした。さらに、朝日新聞の慰安婦報道を批判したジャーナリスト・池上彰氏の連載コラムを不掲載とした問題に関しても「読者の信頼を損なう結果になったことには私も社長として責任を痛感している」と謝罪した。

自分たちに都合の悪い言論は封じ込めてしまおうという朝日新聞の体質を、図らずも露呈してしまった形だ。安易な組織防衛に走った揚げ句に社内外からの反発にうろたえて不掲載との方針を取り下げ、かえって組織の脆弱さをさらしてしまった。自らのニュース価値判断・報道内容、それに対する検証のあり方から外部執筆者の原稿の取り扱いまで、片っ端から間違っていたと認めたのである。しかも、何が問題なのか木村社長が実は全く理解していないことが、次の「思いもよらぬ」との言葉に表れている。「言論の自由の封殺であるという、私にとっては思いもよらぬ批判をちょうだいしました」。進歩派の旗手として、それまで自分たちが無謬の存在であるかのように傍若無人に振る舞ってきた朝日新聞の金メッキがはがれ、荒涼とした素顔をさらした瞬間だった。まさに“正体見たり 枯れ尾花”だった。もう朝日新聞は、かつてそうだったような日本の報道・言論の牽引役とはなれないだろう。いったん失った“権威”はそうそう取り戻せるものではない。




どうしてこんなことになったのか。朝日新聞としては誤報を潔く認めて反転攻勢を図るつもりだったのだろうが、実際は全然そうなっていない。それどころか、長年の朝日新聞読者が、もうこれ以上は我慢できないと購読を中止する事例が相次いでいる。朝日新聞の謝罪は結局、誰の納得も満足も得られず、かえって事態を悪化させたのだ。もともと吉田調書問題や慰安婦問題で朝日新聞を批判してきた人たちから見れば、今回の謝罪はいかにも中途半端で物足りない。木村社長らは思い込みやチェック不足による単なるケアレスミスであることを強調し、一連の報道の捏造や歪曲は頑として認めなかったのだから当然である。記者会見でも、木村社長ら居並ぶ役員は妙に余裕綽々で、本気で悪いと思って反省しているのではないのがうかがえた。とりあえず批判されているから、謝って、なかったことにしようという本音が見え見えだった。そもそも何らかの誘導意図がなければ、吉田調書を読んで『所長命令に違反、原発撤退』(2014年5月20日付朝日新聞朝刊1面トップ)などという見出しにはならない。歪曲記事の背景に、原発や東電をたたく目的があったことは想像に難くない。朝日新聞が記事で、吉田昌郎所長が「馬鹿野郎と私は言いたい」とまで口を極めて非難した菅直人元首相をはじめ、当時の菅官邸への批判部分をきれいにカットしたのも不自然だ。そこに政治的意図の存在を見ない方がおかしいと言えよう。また、朝日新聞は慰安婦報道では吉田証言は取り消したものの、植村隆元記者が母親にキーセンに売られた韓国人元慰安婦を「女子挺身隊などの名で前線に動員され」と書いた捏造記事や、全く別物である女子挺身隊と慰安婦の混同、根拠なき20万人強制連行説の流布などは謝罪していない。

今回の謝罪は一方で、年来の朝日新聞のファンや、朝日の権威にすがってきた左派文化人らを失望・落胆させる結果となった。中には、明々白々な誤報を掲載してきた朝日新聞に対し、「謝るべきではなかった」と指摘する者さえいる。さらに朝日新聞は恥の上塗りをした。記者会見で木村社長が「大変大きな自信を持っている」と胸を張った8月の特集記事『慰安婦問題を考える』について、9月29日付朝刊で次のように訂正を出したのだ。「(吉田清治証言に関する)初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、『執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す』と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します」。いわば“訂正の訂正”だ。これでは、いよいよ朝日新聞の本気度も、記事の信憑性も疑われる。この元記者は、自分が見てもいない講演について「話の内容は具体的かつ詳細」と述べ、書いてもいない記事を当初、自分の記事だと錯覚したのか。これでは、朝日新聞の検証能力・当事者能力も信用できない。社長の言葉も軽きこと鴻毛の如し、ということになる。他紙のことを言えた義理ではないが、率直にみっともない。社内でかなりの混乱があるのだろう。

こうなった理由は、1つには朝日新聞が時代の変化に気づかないか無視を決め込み、無知な読者を善導し、世論をつくるのは我々だという根拠不明の増上慢に安住していたことだろう。そして何より、インターネットの急速な浸透が大きい。つい数年前まで、マスメディア間での相互批判や論争は珍しかった。互いのスクープ記事や論調は気にしつつも、表向きは知らん顔で干渉しないのが普通だった。慰安婦問題をめぐっては1997年ごろ、産経新聞と朝日新聞が論争したことがあったが、他紙は概ね傍観して議論に加わろうとしなかった。朝日新聞はここ何十年間も雑誌メディアには批判されることが多かったが、これもほぼ黙殺し、メディア全体を巻き込むような論争の類はまず見られなかった。ところが、インターネットの普及がこうした長年の構図を一変させた。メディア同士が率先して議論せずとも、ネット上で各紙の社説や論調が瞬時に比較され、論じられる時代が到来したのである。ネットのユーザーは年々増え、各メディアがネット事業に取り組むようになると、その影響力は一段と強くなる。産経新聞という部数のそう大きくない会社にいると、ネットでの発信を通じて部数以上に書いた記事が広がっていくのを実感できる。こうなると、以前ならその新聞の読者にしか伝わらなかった記事も社説も、読者以外の国民の監視対象となってくる。それまでは見逃されていた間違いや偏向報道に不特定多数の国民が目を向け、批判するようになった。当然、メディア同士も今まで以上に相互で監視するようになり、他紙の記事やコラムに言及し、批判する場面が増えている。ネットにより、誰でも情報を発信できるようになったことも言論空間を変えていった。

朝日新聞が今回、謝罪に追い込まれたのも、謝罪後も朝日新聞批判がやまないのもネットを抜きには考えられない。「一部の論壇やネット上には『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判がおきています。【中略】読者の皆様からは『本当か』『なぜ反論しない』と問い合わせが寄せられるようになりました」。朝日新聞自身、8月5日付朝刊の杉浦信之編集担当(当時)の署名記事『慰安婦問題の本質 直視を』でこうネットに言及していた。必ずしも“いわれなき批判”だとは思えないが、とにかくネットの影響力は誰も無視できないようになったのだ。新聞読者もネットを利用するのだから、ごく当たり前の話である。もう読者を囲い込んだり、情報を独占したりすることは、大新聞といえど到底できはしない。いわゆる“朝日たたき”という現象も、こうした新しい情報・言論環境とネットによる情報共有が背景にある。ある月刊誌編集長は「長年の読者から『朝日に甘いから購読をやめる』と契約を切られた」という。一部の熱心な左派や“朝日教信者”を除き、朝日新聞の一連の誤報とその後始末のやり方は誰が見ても不十分でおかしいのであり、そこをきちんと批判しないと読者に叱られるのだ。メディア同士がなあなあでいられた時代はすでに終わったのだと思う。メディアの当事者にとっては厳しい時代だが、本来、メディアの相互監視や相互批判はどんどんやるべきものだ。“朝日たたき”を戒める向きもあるが、ダメなものはダメだと指摘する社会の方が健全だろう。朝日新聞が旧態依然とした価値観に囚われ、ぼやぼやしているうちに社会は変わり、朝日新聞の体質や正体も多くの人の知るところとなったのである。

「朝日新聞は戦前はあれだけ戦争をけしかけ、戦後はサンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約・国連平和維持活動(PKO)などでの自衛隊の海外派遣に反対してきた。日本は戦後、全部朝日新聞の考えと反対をやってうまくいってきた。これだけ反対されると、逆に政府は正しいと確信が持てる」。このセリフは2013年11月、特定秘密保護法案が国会で審議されている最中に、外務省幹部の1人が語ったものだ。当時、朝日新聞は連日、誌面を大きく割いて「国民主権と三権分立を揺るがす」などとおどろおどろしく法案反対のキャンペーンを張っていた。このとき、朝日新聞やその論調に追随するテレビなどメディアが「民主主義の否定だ」などと煽りに煽った結果、安倍晋三内閣の支持率は一時10ポイント前後下がったが、やがて元に戻った。2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定の際も朝日新聞をはじめとする左派メディアは反対の論陣を張ったが、内閣支持率は5ポイント前後の減少にとどまり、これもほぼ持ち直した。つまり、朝日新聞やその同調者たちがいかに旗を振ろうと、もう5~10%程度の有権者しか影響されず、それもごく一時的なものなのである。これは安倍内閣が強いのではなく、マスメディアがもはやその程度の存在に過ぎないということではないか。連合国軍総司令部(GHQ)がレールを敷いた戦後民主主義や空想的平和主義・進歩主義幻想・根っこのない市民主義や自虐史観といった“戦後レジーム”の呪縛から、国民はすでに覚醒を始めている。冷戦後、むき出しの国益と国益がぶつかる国際社会に直面し、中国や韓国から物理的・精神的な恫喝を受け続けているのだから、目が覚めない方がおかしい。そんな中で、朝日新聞は昔の夢を見続け、“朝日的な正義”を追い求めた。あるがままの“事実”を受け入れず、自分たちの理想や目的に合うようねじ曲げてきた。そして現在、“事実”に復讐・反撃されてのたうち回っている。自業自得というほかない。


阿比留瑠比(あびる・るい) 産経新聞政治部編集委員。1966年生まれ。1990年産経新聞入社、1998年から政治部。著書に『決定版 民主党と日教組』(産経新聞出版)、『政権交代の悪夢』(新潮新書)など。


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