【日曜に想う】 あの日からの熊本、彼の体験

震度7の激震の瞬間、熊本県総務部長の木村敬さん(41)は熊本市長と一緒だった。自分の送別会の最中だった。総務省官僚の彼は4年前、東大時代の恩師である蒲島郁夫県知事に呼ばれ、熊本県庁に出向した。知事の2期目を丸々付き合い、この3月の3選当選も見届けた。漸く本省に戻る人事が地元紙の朝刊に出たのが、その4月14日だった。市役所に向かう市長と別れ、県庁に急いだ。エレベーターは止まっていた。階段を駆けながら最初の後悔をした。「何で県の災害対策本部を10階にしたのか!」。以下は、被災後も熊本に残り連休明けに霞が関に戻った彼の体験談である――。

蒲島知事の最初の指示は、「火事は大丈夫か」と「益城町との直接のパイプはあるか」でした。消防署や市町村との連絡は私の担当です。幸い、火事は殆ど発生しておらず、益城町長とも直ぐ連絡がついた。県の先遣隊が着く前に、役場に住民が集まっている状況もわかった。だが、余震が収まらない。首相官邸等東京からは「青空避難所をどうにかせよ」との指示が来ましたが、益城町の状況は全然違う。7割方は屋内に何とか避難しても、3割は怖がって絶対中に入らない。最優先すべきは生命の安全です。それが現実でした。こうなりゃ、東京の圧力に抵抗しようかとも話し合いました。ただ、官邸の判断ミスだと言えるでしょうか。九州電力が頑張ってくれて、電気の一部復旧は予想外に早かった。それで一部の住民が家に戻り、却って本震で被害が拡大するとは…。阪神・東日本の両震災で得たマニュアルだけでは対応できない事態がある。生の一次情報を取ること、顔の見える形で関係者と意思の疎通を図ることが大切だと知りました。マニュアルで言えば、避難所運営のそれが無かった。大きな反省点です。最初、熊本市は益城町を支援する側でした。それが本震で電気とガスが止まって変わった。11万人もの市民が避難者となり、支援される側になった。市職員は避難所の運営に忙殺された。おにぎりが届かない、毛布が無い。優秀な職員ほど、苦情の対応で手一杯になった。九州・山口知事会の支援は手厚く、各県別に割り当てた県内市町村をその県が丸ごと支援するパートナー方式も円滑に進んだ。正直、役人の縦割り意識が功を奏する場合もあると思ったほどです。だが、最後の判断と指示は熊本県庁に聞いてくる。「自由裁量でやってくれ」と支援に入った県に言ってもそうはいかない。結果、県健康福祉部の筆頭課の20人前後の職員に、生活物資からボランティアまで膨大な量の業務判断の仕事が集中した。ここでも、目の前の要望や苦情を捌くので精一杯になったのです。霞が関が熊本に出向経験のある官僚を派遣してくれ、県庁も市町村に現地勤務の経験のある職員を送り、業務の集中は随分解消された。でも、それに1週間かかった。1週間もかかってしまった。だからこそ、住民が避難所を自主運営できるルールや練習を普段から準備しておく必要がある。ある熊本市の小学校の避難所の例です。校長先生が先導し、普段から学校運営で協力関係にあった自治会長らが支えた。避難者と共に自主運営し、必要な物資を日々リストアップしてくれた。そうすれば、役所としても連絡1つで現状がわかり、避難所側が車を仕立てれば、集積所から必要な物資を直ちに入手できるのです。危機に際し、行政のマンパワーには限界がある。住民の自主運営でそれを補ってくれれば、役人がもっと全体のことや先のことを考えられる筈です。




勿論、これは行政の側からの問題提起だ。避難した方々やボランティアの人々には、別の厳しい批判も行政に対してあるだろう。ただ、もっと大きな都市、それこそ首都で想像を絶する数の避難所と膨大な要望が生じる場合を考えると、避けては通れない問題ではなかろうか。自分たちで問題を解決する自主の取り組み。それは、住民の行政参加や若者の主権者教育とも根底で繋がる。極めて今日的な政治問題だと思う。 (編集委員 曽我豪)


≡朝日新聞 2016年5月15日付掲載≡




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テーマ : 地方自治
ジャンル : 政治・経済

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