【中外時評】 金融安定、見えぬ道筋――規制強化論に落とし穴

「21世紀前半の世界の流れを作る節目になった出来事」――。2008年の金融危機は、将来の世界史の教科書にこう記されるかもしれない。危機の波紋が政治や社会にまで広がりつつあることが明らかになってきたからだ。ウォール街に代表される金融界への怒り。格差拡大への不満。そんな市民感情を煽る異端政治家の台頭は最早、一時的現象と片付けられない。金融危機の怖さを体感した世界の当局者は、金融規制強化による再発防止や経済刺激の為の金融緩和に力を注ぐ。だが、「二度とあのような混乱は起きまい」「金融は経済を支える本来の姿に戻った」と感じる経営者や消費者はどれだけいるだろうか。状況はあまり変わっていないと思い知らされたのが、人民元不安に端を発した昨夏と今年初めの市場の混乱だ。株価急落と国債等安全資産への質の逃避が急激に起きた。勿論、米欧の金融危機と今回の中国不安の程度は異なる。だが、債務膨張と資産バブルの崩壊が不安の根源である点は共通する。震源となる国や市場は変わっても危機は繰り返されるとの認識が強まっても不思議ではない。それでも、金融の安定へ向け世界的に正しい対応策が進みつつあるならいいが、どうもそうとは言えないようだ。

「戦艦大和や武蔵の装甲は抜群に分厚かったが、空からの攻撃には身を守れなかった」「何十人もの専門医が患者を取り囲んで異なる強い薬を注射したらどうなるか」。金融庁の森信親長官は、欧米主導で進む金融規制強化の流れに、巧みな比喩を使いながら疑念を示す。金融機関がどう反応するかへの洞察を欠いたまま規制を重ねれば、成長に悪影響を与えるだけでなく、却って金融を不安定にさせる恐れがある。最近の幾つかの講演でそうした問題点を突いている。金融機関が独自のリスク判断ではなく、規制で定めた画一的な係数に注目して投資や取引をするようになれば、市場を一方向に導く群衆行動を招きかねない。重い規制を嫌って市場取引から撤退する動きが強まると、金融システムに響く可能性もあるという。




欧米の規制の流れを見ると、金融危機防止よりも納税者の資金を絶対に使わないことを最大の目標にしていると思われる節もある。銀行の経営悪化時に債券保有者に一定の負担を求める仕組みを導入するのは、その一例だ。公的資金投入を避ける狙いはわかるが、金融安定に果たして役立つだろうか。そうした投資家の負担を前提に発行したドイツ銀行債の価格が年初に急落、市場の不安を増幅したのは記憶に新しい。金融の安定という観点からもう1つ気になるのは、世界的な超低金利の長期化だ。世界最大の運用会社『ブラックロック』のL・フィンク最高経営責任者(CEO)は先月、株主への手紙の中で「マイナス金利政策は貯蓄者を罰する上、投資家がより高い利回りを求めてリスクの度合いを高めることで、金融や経済に危険な結果を齎しかねない」と警告した。超低金利政策が続くのは、経済の勢いが世界的に尚鈍い為だ。だが、経済への一定のプラス効果の半面で、金融市場の流動性低下も含めて無視できない副作用があることも認識しておくべきだ。「金融安定には規制強化で対応し、金融政策は基本的に物価だけ見ていればよい」との認識は再考を迫られるだろう。

危機が国際的に波及・増幅し易い問題にも手が打たれていない。『国際通貨基金(IMF)』は3月の報告書で、「国際金融システム改革の機運が全般的に弱まっている」と警鐘を鳴らし、国際資本移動の管理の在り方や金融政策が他国に与える影響、危機時の世界的な安全網作りについて議論を深めることを促した。日本にとっては何が課題か。金融危機は経済に大打撃を与えたが、金融の安定は損なわれなかった。金融機関や企業に過剰債務はなく、寧ろリスク回避のほうが問題だ。だが、懸念が無い訳ではない。日銀は先月の報告書で、マイナス金利政策に伴い金融仲介機能が今後制約される可能性や国債市場の流動性低下について触れている。それ以上の不安は、政府債務の拡大に歯止めがかかる兆しが無いことだ。「金融システムの最大のリスクは財政の持続可能性。日銀が金融の安定度を測る指標に財政関連の項目が無いのはおかしい」と日銀のある有力OBは言う。金融危機の衝撃は誰もが痛感したが、教訓は未だ活かされていない。世界は未だそんな脆さを抱えたままだ。 (論説副委員長 実哲也)


≡日本経済新聞 2016年5月15日付掲載≡




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テーマ : 経済
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