【2015年の10大問題】(06) キヤノンが日本に生産拠点を戻す理由

グローバル経済が拡大するなか、多くの日本企業が生産拠点の海外移転を行なってきた。リーマン・ショック後の円高でその流れは急速に拡大し、安倍政権下で円安基調となった現在も、少子高齢化にともなう国内市場の縮小などもあって、とどまることを知らない勢いである。しかし、私はいま、海外工場の日本シフトを加速させようとしている。キヤノンの国内生産比率は2013年度の実績で43%だが、リーマン・ショックの前は60%あった。これを少なくとも50%以上に引き上げたいと考えている。時代の流れに逆行した判断だと思う人もあるかもしれないが、私はこれこそがキヤノンが国際的な企業として生き残る最良の道だと考えている。目先の理由としては、為替相場の円安基調がある。為替のメリットは、以前に比べれば薄まっている。また、いま世界的に政治の安定性が揺らいでいる。そのなかで暴動や戦争などのリスクが最も少ない国と言えば日本をおいて他にない。

そもそも日本企業が海外に生産拠点を移してきた最大の理由は、為替対策と人件費の抑制だった。しかし、2000年代に次々と進出した先の中国は、経済発展にともなって賃金が高騰している。中国政府の発表によれば、2013年の主な地方政府における法定最低賃金の平均上昇率は17%にのぼった。そうしたなかで注目を浴びることになったのがタイやベトナム・インドネシア、あるいはミャンマーといった国々だ。しかしながら歴史が教えているとおり、どの国もいずれは豊かになる。開発国は新興国に、新興国は先進国になる。日本も戦後は欧米製品の模倣から始まり、やがて世界一流の工業国になった。我々が経験してきた発展の歴史は、どの国にも起こり得ることだ。そのたびに日本企業は、新たな低賃金国を求めて彷徨うのだろうか。それは焼き畑農業のようなものではないだろうか。企業が永続的に利益をあげ繁栄を続けるためには、焼き畑農業から定置農業へと転換していく必要があると考えている。




そのようなことに思いをはせた時、改めて日本を見直す必要があるという思いに駆られている。それは生産現場の人材の質がきわめて高いからだ。国によって違いはあるが、一般的に、中国・東南アジア諸国では、まだ工場の生産現場の担い手は中学を卒業した社員の比率が高い。それに比べて日本国内の工場は、ほとんどが高校卒・高専卒の人々によって支えられており、知的レベルが高く、意志の伝達も的確で早い。しかも勤勉で、労働意欲が高い。これは、現場をよく知る人ならば共通した認識だろう。日本の教育レベルは大学・大学院では世界中から人材が集まる英米にかなわないかもしれないが、高校・高等専門学校については世界に冠たるものだと思う。

キヤノンでは、彼らの技術や技能を一層引き出すためにマイスター制度を設けている。2級・1級・スーパーとあり、スーパーマイスターになると全てのキヤノン工場でも年に5~6人しか認定されない高度な生産技術を持った人たちである。キヤノンでは、1990年代末からベルトコンベア式の生産方法をセル生産方式に転換してきた。複数の人間が円陣を組むようにして製品を作り上げるのだが、達成感があるため一人ひとりが作業方法を工夫するようになり、どんどん作業が早くなる。その結果、30人で組み立てていたものが、1年もすると20人ですむようになる。またスーパーマイスターが1人で組み立てたものは“一発完動”といって、組み立て終わった瞬間、全てが完璧に作動するのだ。そのためには、たとえばオフィス用の複写機になると3000枚もあるような作業標準が全て頭に入っていなければならない。こうなると、現場の最前線から「この作業は人間よりもロボットにやらせた方がいい」「ここの材質は変えた方がいい」「こういう新しい工具を作った方がいい」といった提案が上がってくるようになる。それを受けて、工場の生産技術グループは工具を提供したり、生産設備を開発したり、設計そのものを見直したりする。考えながら物を作る工場は成長する。日々、生産しながら開発しているようなものだ。

しかも、製造コストは生産現場の合理化・効率化により下がっていく。つまり、工場が生きているのだ。たとえば、カメラの生産量は10年前の3倍になっているが、生産に必要な人員は半分になっている。キヤノンの売上総利益率(連結)は2013年度実績で48.2%だが、国内の工場はその利益率に大きく貢献している。光学や医療などの最先端技術の開発・実用化においても、スーパーマイスターのような優れた生産技術者の存在が不可欠だ。キヤノンが並行して取り組んでいるのは生産設備の自社開発だ。必要な機能を突き詰めた設備をキヤノンで内製してしまおうというのだ。それによって生産性も上がり、開発と生産現場の間の高サイクルでのフィードバックも可能になる。日本の恵まれた環境でこうした工場のモデルを磨きあげれば、将来的には成熟した海外諸国でも同じような方式で展開できるだろう。このように、自ら成長する工場を作り上げていくことが、焼き畑農業的な海外生産に対する私なりの思いである。かくなる考えに至った背景には、キヤノン独自の企業文化がある。キヤノンの社是(行動指針)では、“三自”(自発・自治・自覚)の精神や“国際人主義”に加え、“実力主義”“新家族主義”“健康第一主義”ということを謳っている。初代社長である御手洗毅は医者であり、戦時中から社員に結核の集団検診を受けさせたり、早くから週5日制を採用するなど健康に気を遣ってきた。一方で自由闊達な実力主義を貫いてきた。そういう社員を大事にする社風は今も続いている。77年の歴史のなかで、ストライキやリストラもせずにこれたのは、社員とのコミュニケーションを密にしてきた結果でもある。

私は1966年から販売会社のキヤノンUSAに勤務し、1979年からは社長を務めた。そこでの人事は当然のことながら徹底してアメリカ流であった。アメリカは職務に対して給料を払うので、働く側からすればより良い給料をもらうにはキャリアを積み、あるいは仕事の内容を変えるために転職するしかない。会社もまた、業績や事業転換によって大胆に人員の整理を行なうのが常である。しかし、日本の風土にその方式は馴染まない。資本政策や研究・開発はグローバルベースで考えるべきものだが、人事・組織はその国の文化・伝統や社会制度に根差したローカルなものである。一般的にアメリカの労働市場は流動性が高く、労使関係が希薄であるが、それを前提にしたアメリカ式人事政策をそのまま持ち込んでも、農耕民族の文化を持ち、勤勉で協調意識の強い日本人の美質を活かすことはできないのではないか。私は1989年に帰国し、1995年にキヤノンの6代目の社長に就任した。そこで、日米での経験を踏まえ、キヤノンをより一層発展させるために年功序列型の人事制度は廃止するが、終身雇用は堅持すると宣言した。一方で、企業体質を強くするために、7つの不採算事業を廃止した。その時にほかの事業へ異動していった人材が、その後のカメラのデジタル化や、オフィス機器のネットワーク化というパラダイムシフトのなかで、大きな戦力となってくれている。2008年のリーマン・ショックの影響は我が社も無縁ではなかった。急激な円高のなかでは、利幅の大きなカメラの中級機の生産までも海外に出さざるを得なかったのだが、それを理由に解雇した社員は1人もいない。事業の転換や効率化によって生まれた人材は、研修の機会を用意し、新たな分野で活躍してもらっている。

金融・証券業界のように世界共通のシステムでオペレーションするビジネスと、国や地域の風土・文化というローカルなものを踏まえながら、技術が競争力の源泉となる製造業では、自ずと考え方が異なってくる。私は経営のスピードを上げるためには社員とのコミュニケーションが非常に大切であると考えている。一例を挙げれば、私は毎月の幹部会で、1000人を超す幹部社員に経営状態の説明をし、翌週には労働組合の中央執行委員約30人に対しても、毎月会社の経営状態や計画の進捗について直接説明し、透明度の高い経営を心掛けている。また、毎年年初には約1ヵ月をかけて十数ヵ所の拠点を回り、その年の方針を伝え、現場を見て意見交換をしている。そのおかげで、顔を知らない幹部社員はいない。常々、経営方針をスピーディーに、正確に全社に伝えるために、コミュニケーションの取り方には気を配っている。昨今、企業のバランスシート上の剰余金が多すぎるという批判も耳にする。言うまでもなく剰余金とは過去に積み上げられた利益の累計額であり、それに見合う全てを流動性のある現預金で持っているわけではない。そういう意味からすると剰余金とは投資余力を示すものであるとも言えるわけである。日本企業が得意とした半導体事業の軸が韓国・台湾に移動していった原因の1つは、投資力の差だったともいえる訳で、剰余金が過大という批判はあたらないと考えている。キヤノンは企業文化を守る一方で世界経済の流れを見ながら積極的にM&Aを行ない、事業を拡張するなど、大胆に変貌していく必要があると考えている。将来的には、アメリカ・ヨーロッパに日本とは異なる事業領域を持つヘッドクォーターを作り、三極体制で経営していくことになるだろう。20年後・30年後も今と同じ製品群で世界と闘っていくことが出来ないのは自明のことだ。その中で、日本では日本でしか出来ない製品を開発していく。

2015年で戦後70年を迎える日本も、世界で勝ち続けるためには、大きな戦略を立てなければならない。そのためにも、法人税の世界水準への引き下げとTPPへの参加は避けられない。私は経団連の会長時代から、法人税の引き下げを訴えてきた。これに対しては批判もいただいたが、何も自社の利益のために発言してきたわけではない。企業の使命は、雇用を増大させることで経済社会の発展に寄与することと、国家経営の財源の1つである法人税を納めることであり、それらは当然のことと考えている。経済発展には企業と政府の間で役割分担がある。巨大なインフラ整備や経済政策は、国でなければできない仕事だ。その財源としての税金はきちんと納めるべきだと思う。ではなぜ、法人税の引き下げを主張してきたかと言えば、ひとつには給料や福利厚生などの労務費を上げることができるからであり、いま一つは、海外企業の誘致が容易になるからだ。いま、世界経済のなかで、人口40億のポテンシャルを持つ市場であるアジアは成長の牽引車として注目を集めている。そして欧米から見た場合、時差が大きなアジアの経営に注力するためには、どこかの国にヘッドクォーターを設ける必要がある。その最有力候補は客観的に見て、やはり日本であろう。それは金融システムが整い、ビジネスパーソンのリソースがアジアで一番充実し、治安や政治の安定性も高いからである。従って我が国としては、この流れをしっかり掴むべきである。近年は、国際的な法人税引き下げの連鎖があった中で、日本の法人税率だけが国際水準からますます乖離していた。その問題が『アベノミクス』の中で本格的に見直され始めたことは大いに歓迎すべきことである。

日本は人口減少傾向にあるとはいえ、カリフォルニア1州とほぼ同じ面積にアメリカの3分の1強に相当する1億2000万人がいる過密な国で、なおかつめぼしい資源がない。金融や観光も注力すべき収入源ではあるが、輸出を中心としたモノづくりを柱に国を支えるしかないことは自明である。日本はこれまで以上に生産性をあげ、低賃金に頼らない高付加価値の製品を生み出していかなければならない。また同時にTPPなどによって国内に準ずる市場作りをしながら、“モノづくり立国”の道を歩むべきであるし、キヤノンもそのことに貢献していきたいと考えている。安倍政権下の日本は、ようやくその方向に向かいつつある。政治の更なるリーダーシップに期待したい。


御手洗富士夫(みたらい・ふじお) キヤノン代表取締役会長兼社長兼CEO。1935年生まれ。中央大学法学部卒業後、キヤノンに入社。1979年、キヤノンUSA社長。1995年に同社社長に。2006年に日本経済団体連合会会長・キヤノン会長に就任。2012年、社長を兼務。


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