【日曜に想う】 “E=MC2”刻むパンドラの箱

初夏の一日に訪ねた広島の平和記念公園は、柔らかな風と緑の中にあった。その外れに立つ不思議な慰霊碑を初めて見たのは、十数年前のことだ。花崗岩に3人の女生徒の姿が彫られ、中央の少女が抱える手箱には“E=MC2”と刻まれている。アインシュタイン博士が導いた名高い等式である。E、即ちエネルギーは、“質量(m)×光速(c)の2乗”に等しい。簡潔にして美しいその式は、一方で核爆弾の原拠でもあった。「とても小さな質量が、とても大きな量のエネルギーに変換されるかもしれないことを示しています」とは博士の言葉だ。天才の理論はアメリカによって実践され、広島と長崎は壊滅する。その惨事から3年後に造られた旧制広島市立高女の慰霊碑である。何故、慰霊碑にこの等式なのか。改めて調べると、占領軍の統制を受けて“原爆”の2文字が禁句視された戦後暫くの社会状況が浮かび上がる。惨状は伏せられ、直接的な表現は許されない時代だった。碑の原型を造った彫刻家は、京都に湯川秀樹博士を訪ねて原子力について教えを乞い、この式で原爆を象徴したと伝えられる。レリーフに込めたのは、悲痛な祈りと慰め、そしてぎりぎりに抑えた怒りであったろう。清らかに昇華された碑と裏腹に、女生徒らの最期は無残を極めた。碑の傍らに立って原爆ドーム上空を仰ぐと、その間近さに心が凍る。

「爆心から500m前後。今、中空で炸裂すれば、火の玉は瞬時に私を焼くだろう。あの朝、市立高女の1・2年生約540人は、建物疎開の動員でこの付近にいた。誰ひとり助かることはなかった。12歳から14歳ほどの少女たちだ。髪も焼け、口は裂け、目の飛び出た死骸となって折り重なっていた」――。翌日に付近を探し歩いた家族の証言が残る。材木町と呼ばれたその辺りには、他校の生徒も多数動員されていた。「恰も煮干魚を乾かしたように、誰ともわからない無数の死体が散乱していた」との目撃談がある。直截な表現に、悲しみと非人道への怒りが、きりきりと湧く。そこは今、平和記念公園になり、原爆資料館が立つ。今月27日には、原爆を落とした国の現職大統領が、71年を経て初めてやって来る。思惑含みの政治ショーではなく、無差別に消された幾多の命に“核廃絶”で報いる道程の、揺るがぬ足がかりとする決意は日米の政府にあるか――。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」で知られる原爆死没者慰霊碑も、旧材木町の域内に立つ。オバマ大統領は、ここで献花する予定と聞く。碑文の主語は誰なのかを巡って、嘗て論争があった。悔いと誓いの主語は日本なのか、アメリカなのか。物議を経て、今は“人類”ということで多くに受け入れられている。“人類”という主語には説得力がある。しかし、“皆の責任”は往々、誰の責任でも無くなりがちだ。7年前、プラハでの演説でオバマ氏は、「核を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある」と述べ、ノーベル賞を受けた。広島では、碑文の主語を自国と任ずるような言葉を聞きたい。それは、“核なき世界”を目指す行動の主語を、大統領自身が、退任後もずっと担っていく決意と重なる筈だ。そしてそのことは、先の戦争での責任に日本が真摯に向き合うことと一対である。被爆した詩人、故・栗原貞子さんの一節を思い出す。「〈ヒロシマ〉というとき/〈ああヒロシマ〉と/やさしくこたえてくれるだろうか/〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉/〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉…」。




両手を合わせて女生徒の碑に向き合うと、等式が刻まれた手箱は、かのパンドラの箱にも思えてくる。アインシュタインは後に、原爆製造を当時のルーズベルト大統領に促す手紙に署名したことを、「人生で大きな間違いを犯した」と悔いた。人間が開けてしまった箱は、人間が封じる他はない。歴史的訪問を歓迎し、核廃絶へ、山を動かす意志を新たにしたい5月である。 (編集委員 福島申二)


≡朝日新聞 2016年5月22日付掲載≡




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