【異論のススメ】(14) 巨大地震に襲われて…覚悟のいる“あきらめ”

日本が地震大国であることは誰もが肝に銘じていた筈なのだが、ここへきて、改めてそのことを知らされた。阪神淡路大地震から20年、東日本大地震から僅か5年。今度は、熊本・大分を中心とする九州中部の大地震である。その間にも幾つかの地震がこの列島を襲い、然して遠くない未来には、東南海や首都圏を襲うであろう地震による途方もない被害が想定されている。この列島中を活断層が走っている。何れ大地が鳴動することは間違いないものの、いつどこで生じるかわからない。ただ、一度生じれば、一瞬にして生命を奪われ、その生は断ち切られる。この瞬間を境目にして生の様相は一変し、生者と死者は不可避的に引き裂かれる。こういう不条理な不確定性の下に誰もが置かれ、その不安や不気味さから逃れることができない。しかも、この“生への脅威”は、富裕層であるとか貧困層であるとか、老人であるとか若者であるとか、都会人であるとか田舎人であるとかとは関係なく、誰に対しても平等に襲いかかる。如何に近代社会が、等しく人々の生命財産を保障するという原理を打ち立てても、この不条理は、近代社会の根幹を一気に破壊してしまう。それが今、我々が置かれた状況である。実際、活断層地図等というものを見せられると、生命尊重こそを繰り返して唱えてきた戦後日本が、実は何とも言い様の無い生命の危機を内包していることがよくわかる。そして、この事態を前にして我々は立ち竦む他ない。勿論、防災対策も被害の最小化への努力も早急になされねばならないし、地震予測の精度向上も期待される。緊急時の危機管理も整備されねばならない。しかし、どれだけ防災対策や危機管理を行おうと、この巨大な自然の鳴動を抑えることはできない。つまり、我々はどこかで“諦める”他ない。このような言い方は読者に幾分不快感を与えるだろうし、「被災者の苦しみを何と心得ているのか」というお叱りを受けるかもしれない。敗北主義と揶揄されるかもしれない。しかし、何と言おうとそれは現実である。そして実は、我々は現に“諦めて”いるのである。誰もが防災を口にし、可能な政策的対応の必要を訴える。しかし、我々は本気でそう思っているのだろうか。

東日本大震災は、我々に謂わば価値観の転換を迫った筈だった。抑々、近代社会とは、自然の内に潜むエネルギーを引き出し、それを人為的に操作し、変換されたエネルギーによって荒れ地を都会に作り変え、山を掘り崩して道路網を作り、農業を破壊して巨大工場や高層ビルを建て、自然と共にあった神々を追放していった。金銭的利益を生み出す競争と物的な富の蓄積、つまりイノベーションと経済成長こそが全ての問題を解決すると見做した。いつどこで、一瞬の内に生が遮断されるかもしれないという不安には蓋をしたのである。つまり、事実上“諦めた”のだ。極めて不安定な岩板(プレート)の上に日本列島が危なっかしく乗っかっていることを知りつつも、只々この岩板の変動が最小限に留まることを祈るだけということにしたのである。然もなければ、東日本大震災から1~2年も経てば当事者を除いて震災の記憶は薄れ、3年も経てばまたもや、あの手この手を尽くした成長戦略を打ち上げ、株価の動向に一喜一憂するという我々の不細工な自画像を描く必要は無かったであろう。そして5年も経てば、また、東京オリンピックで建設ラッシュになり、インバウンド観光客の急増で大都市は大変な賑わいになったと燥いでいる。あの巨大地震の恐怖は、あっという間に、経済成長への期待と不安に取って代わられたのであった。つまり、巨大地震については“諦めた”ことになる。




しかし、この“諦め”は、真の諦めではない。只の思考停止であり、不都合なものは存在しないことにしたという消極的なものである。確かに、ここまで私的な所有権が張り巡らされ、産業構造ができあがってしまった国で、根本的な防災対策は極めて難しい。現状を動かしようがないのである。とすれば、「来たら来たで仕方なかろう」というのもわからないではない。だが、本当の“諦め”は思考停止でもなければ敗北主義でもない。本当に“諦める”には覚悟が必要であり、それは容易なことではない。その覚悟とは、「人智を超えた巨大な自然の前にあっては、人間の生命など実にも禄も儚い」という自覚を持つことである。それは、生への過度な執着を断ち切り、幸福を物的な富の増大に委ねることの虚しさを知り、そして人の生も自然の手に委ねられた偶然の賜物であり、我々の生命は絶えず危機に晒されると知ることでもあろう。嘗て、哲学者の和辻哲郎は、日本人の精神的傾向として「戦闘的な恬淡」と言い、また「きれいなあきらめ」とも言い、それを極めて荒々しい日本の自然風土と結び付けた。確かに、日本人の“諦め”は、こうした人智を超えた“自然”への畏怖と不可分であった。それはまた、今日の我々を支配する“近代的”生活や価値観を見直すことでもある。これは、相当に“覚悟”のいる“諦め”なのである。

               ◇

佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年5月5日付掲載≡

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