【東京情報】 今時の猥褻

【東京発】ベルギー人記者が私の事務所を訪ねてきた。記事の執筆に関する相談があるという。「僕は日本オタクとして、それなりの自負があります。でも、どうしてもわからないのが、先日の“ろくでなし子”裁判なんです」。“ろくでなし子”をペンネームとする漫画家の五十嵐恵が、自分の性器を模った石膏を“作品”としてアダルトショップに展示したり、性器の形状を3Dプリンターで再現できるデータを配り、わいせつ物陳列罪・わいせつ電磁的記録等送信頒布罪に問われた件。事務所のソファーにふんぞり返り、コーヒーを飲んでいたフランス人記者が言う。「俺もあれについて記事を書いた。結果は一部無罪の有罪判決だ。東京地裁の女性裁判長は、『データは女性器を忠実に再現しており、性欲を刺激する猥褻物に当たる』として、罰金40万円を言い渡した。尚、石膏の陳列については『ビーズ等による装飾や着色が施される等しており、一見して女性器を連想させるものではない』と、無罪にしている」。ベルギー人記者が首を傾げる。「『女性器が猥褻か?』という議論は脇に置いたとしても、3Dプリンターで再現できるデータや石膏作品が猥褻な訳はないでしょう。抑々、この女性漫画家の性器なんて再現したくもないし、性欲も刺激されない。ろくでなし子というより“どうでもよし子”ですよ」。フランス人記者が同意する。「抑々、“既存の男性中心的な価値観を覆す芸術活動”等と言うからわけがわからなくなる。マ○コを模ったオナホール等、ディスカウントストアのドン・キホーテに行けば並べられているではないか」。

裁判長は「表現の自由は無制限のものではなく、公共の福祉や他人の権利等を不当に害するものは許されない」「フェミニズムアートという思想自体は否定できないが、社会の性的な道徳観念を害する危険性が低いとは言えない」と述べていたが、確かにしっくりこない。一体、どのように“公共の福祉や他人の権利”が侵害されたのか? こうした猥褻表現の是非を巡って裁判になるのは、欧米では近年、殆ど聞いたことがない。そこまで目くじらを立てる理由が、我々欧米人にはわからないのだ。ベルギー人記者が言う。「日本では昔、D・H・ロレンスの“チャタレイ夫人の恋人”を翻訳した伊藤整と版元の社長が、わいせつ物頒布罪で訴えられましたね。或いは、永井荷風の作とされる“四畳半襖の下張”を雑誌に掲載した野坂昭如と版元の社長が、わいせつ文書販売の罪に問われたこともありました」。谷崎潤一郎の『痴人の愛』は、“ナオミズム”という言葉が生まれるくらい読者の共感を集めたし、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は当初、発禁処分を受けたものの、今では代表作の1つに数えられている。天下の岩波文庫に収録されているくらいだ。フランス人記者が笑う。「そんなことを言ったら“源氏物語”はどうなるんだ。あれは光源氏というプレイボーイが、身分に拘らず手当たり次第、女とヤりまくる話じゃないか」。ベルギー人記者が領頷く。「“チャタレイ夫人の恋人”や“四畳半襖の下張”が裁判になった時は、表現の自由を訴える者もいれば、作品の本質を表すのに性描写は不要とする“良識派”もいた。でも、今回の石膏作品の件では、先頭に立って意見を表明する人が殆どいません。それは今回の件が、言論や表現の自由という重いテーマを背負っているとは思われていないからでしょう。要するに、彼女は自分の性器を公開したかっただけなのでは?」。だとしたら、付き合わされるほうはたまらない。女性器なんて、セックスをすれば嫌でも目につく。インターネット上には美女の無修正画像が犯濫している。誰でも容易に見ることができるものを、必死になって公開しようとするのが的外れなのだ。




フランス人記者が鼻を鳴らす。「大体、“猥褻”なんて言葉を使う日本人は今、いるのかね? 精々、アダルトビデオのタイトルくらいだろう。嘗て、商品の包み紙として日本から西欧に春画が渡り、ルノワールやゴッホに大きな影響を与えた。レンブラントを始め、西欧絵画では影の表現が重視されるが、春画は底抜けに明るい。男性器も女性器も、隠そうとする意図は全く感じられず、寧ろ誇張して表現されている。当時の西欧人はそれを見て、『日本人は全員巨根である』と思ったらしい。その誤解は長らく解けないままだった」。江戸時代、風紀の乱れが取り沙汰されたことはあったが、時の権力者たちが具体的に性に関する規制を始めたことは無かった。銭湯は混浴だったし、母親は人前でも赤ちゃんに乳を含ませていた。日本には、「性を厳しく取り締まる」という発想は無かったのだ。ところが、明治の開国により、“性=必要悪”というキリスト教的道徳観が入ってくる。その際、“性の解放=権力からの自由”というアンチの論理もそのまま輸入してしまった訳だ。戦時中、軍部に抵抗して、性の解放運動を展開する人物がいた。高橋鐵は、性の自由を謳った出版物を地下で刊行。戦後のエロ・グロ・ナンセンス時代には、『あまとりあ』という性風俗・性教育雑誌を出版して、一世を風靡した。ベルギー人記者が身を乗り出す。「確か、その雑誌は新婚夫婦の性生活の指南書として大評判になった筈です。ところが、女性議員らの反発により廃刊に追い込まれてしまう。女性のほうが性を害悪視していた訳ですね」。フランス人記者が纏めた。「“セックス=悪”というのがキリスト教的道徳観だとしたら、そこに拘る日本人が滑稽に見えるのは当然かもしれない。一方、『性の解放を唱えることが芸術だ』という発想も古臭いんだ。ヘアヌードだって昔はあんなに騒がれたのに、今では当たり前になっているではないか。篠山紀信が宮沢りえのヌードを撮った時、彼女は17歳だったとも言われている。その後、規制は厳しくなったものの、ロリコン文化は日本に根付いている。変に隠そうとするから猥褻に見えるんだ。そういう意味では、女優のヘアより、篠山紀信のカツラのほうがよっぽど猥褻ではないか」。流石にそれは言い過ぎだ。 (S・P・I特派員 ヤン・デンマン)


キャプチャ  2016年5月26日号掲載




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