【殺人事件からわかる子供の生と死】(下) 子供の「死にたい」という欲動が現実行動に繋がるのは何故か?

思春期には多くの場合、自殺願望を抱く子供がいるものだが、それが現実行動になるのはどういう場合か。子供たちを襲う“死にたいという欲動”と他者を破壊する殺人とは、どのように繋がるのか。 (評論家 芹沢俊介)

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広島県呉市の男女7人による集団暴行事件を考えてみよう。2013年6月28日、1人の16歳少女を、同じ16歳の男女7人(21歳の男性が1人交じっている)が集団暴行によって殺害し、その遺体を広島県呉市の灰ヶ峰の山中に遺棄した事件である。先ず確認しよう。暴行事件の主人公は2人、暴行を企て実行した中心人物の16歳加害少女と、被害者となった16歳少女である。両者は共に、嘗て在学した専修学校時代の知り合いである。伝えられている事件の原因のうち、動かし難い要因は1つである。即ち、2人の関係が修復し難く、拗れたことである。報道が拗れの原因として挙げているのは、インターネットのLINE上における2人のやり取りである。2人はLINE上で、お互い口汚く罵りあったのだという。加害少女は、その相手の言葉に殺したいほど立腹し、愚行を思い立った――。それが動機だというのである。他の見方もある。2人は接客業に従事しており、それに関わる金銭上のトラブルが生じたというのである。男女関係の縺れを取り沙汰する報道もあった。2人の間だけのトラブルであるにも拘らず、加害少女は、暴行を決めると直ぐに援軍を思い立っている。一緒に暴行に加わる“友人”を求めたのだ。加害少女の意図は、相手の少女に対する暴力による完全制圧であり、それは、「相手を死に至らしめるまで破壊したい」という願望と結び付いていた。扨て、加害少女の暴行への加担の呼びかけに応じて集まった“友人”たち6人に関して、興味深い事実が明らかになっている。興味深いことの第一は、16歳の男女5人と21歳の男1人の計6人を横に繋ぐ紐帯は何ひとつ無いということ。6人は普段からの仲間でもなければ、知り合いでもなく、住まいも広島・鳥取・住所不定等というように分散しており、加害少女の要請が無ければ顔を合わせることは無かったのである。即ち、俄か暴行集団だったのである。興味深いことの第二は、6人には、被害少女との間に直接的な接点は無かったということ。従って、利害関係や感情面での拗れ等も無かったということである。つまりは、6人が6人、“友人”の呼びかけというだけの理由で、自分に何ら関わりの無い人に暴行を加えようという誘いに乗ったということだ。このことは、私たちに何を告げているのだろうか?

筆者の理解は、こうだ。即ち、6人が主犯少女の呼びかけに応じた理由は、人に暴行を加えたかったのである。加害少女の誘いが、他の6人の中に眠っていた暴力(破壊)衝動を覚醒させてしまったのである。だとすれば、6人が加害少女の指定した場所に集合したその時点で、もう暴行は殆ど制御不能状態になっていた――。そう思わざるを得ない。覚醒した6人の制御不能なくらいに激しい破壊衝動の表出については、加害少女の次の供述から感じとることができよう。車の中で暴行が始まった時、被害少女が助けてほしそうな表情をしたのを、加害少女は読み取った。だが、既に手遅れだった。「もう、私には何もできないと思った。『助けたら今度は自分がやられる』と思い、暴行から目を逸らした」「許そうとしたが、(共犯者たちに)捨てられると思い、できなかった」。ここには、主犯の加害少女さえ自己防衛的にならざるを得ない程の破壊的な事態が進行していたのである。ところで、この論考が拠って立つ仮説 は、暴力、即ち破壊行動と“死にたいという欲動”とは表裏一体であるということであった。一方はその原因であり、他方はその現れ・結果である。この観点から見ると、加害少女の取った破壊行動の凄まじさは、彼女の内部に醸成されていた“死にたいという欲動”の強さと見合っている――。そういう見方が可能になる。裁判過程で明らかにされた加害少女の養育歴によると、彼女は子供の頃から親の暴力を継続的に受けてきた被虐待児であった。言うまでもなく、虐待は、子供の“今ここに・安心して・安定的に・自分が自分であっていい”という存在感覚、“ある”を根底から奪い取る。“ある”を奪われている点で常に不安であり、親に疎まれているという点で常に孤独である。そうした寄る辺なき状態が、被虐待児の内面の現実である。こうした寄る辺なさが、誰によっても慰撫されることなく放置される時に、“死にたいという欲動”が生じる。この“死にたいという欲動”こそが、破壊行動の起源である。自殺という自己破壊行動、それと一見、正反対の現れのように見える人を傷付け、殺そうとする他者破壊行動――。どちらも、同一の欲動の異なる現れに過ぎないのである。このことについては前回、大まかに触れた。このような見方から、暴行に加わった6人の惨憺たる内面を推し量ることができるだろう。寄る辺なき状態という点において、主犯少女と同様の境遇下に育ち、改善されることのないまま、ここに至ったに違いないのだ。以下では、角度を変え、主に被害少年に焦点を当て、更に“死にたいという欲動”という問題の理解を深めたい。




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昨年2月20日、13歳(中学1年生)の少年が、年長の少年3人によって、神奈川県川崎市内を流れる多摩川の河川敷で殺害された。暴行の主役は18歳少年であり、それに17歳少年2人が加わったとされている。この事件を呉集団暴行事件と比較してみよう。そこに何が見えてくるであろうか。両者の間の最大の相違点は、被害少年が、18歳少年がリーダーシップを握る十数人の異年齢集団の一員であったことである。10代前半から20歳前後までの少年たちがそのメンバーであり、被害少年はそのグループの最年少者で且つ新参者だったのである。要するに、事件の当事者である被害者・加害者共に同一集団のメンバーであり、しかもよく見知った者同士であったのだ。共通点もある。集団暴行の形を取っているものの、実態は1対1の個人間の感情の拗れであったことだ。これに関しては、直ぐ後に述べる。加害少年たち3人の関係は、普段、一緒に行動しながらも対等ではなく、主犯格の18歳少年に他の2人が追従するというものであった。だが、暴行場面においては、呉の事件と同様なことが起こったのである。被害少年に深い恨みも怒りも抱いていない2人が、主犯となった少年の破壊行動に劣らない暴力を、13歳少年に振るったのである。出来事の発端は、リーダー格の18歳少年が、最年少の新参者に、グループへの加入儀式として万引きを命じたところ、その命令を新参者である13歳少年が拒んだことにあった――。そう推測できる。結束の確かなグループであれば、この時点で13歳少年はグループ全員による制裁を受けたに相違ない。そうなっていたら、事態はまるで別の展開を見せていた筈である。だが、幸か不幸か、グループの結束力は弱かった。それ故に、リンチという形の集団制裁には至らなかった。このことは、視点を変えれば、グループにおける18歳少年のリーダーシップの欠如を告げていた。

リーダーの統率力が弱いということは、グループの結束力が弱いということである。こうして、収まりのつかない18歳少年は、単独で集団加入の儀式を拒んだ13歳少年に制裁を加えるという挙に出たのである。ここに、事件に至る根本要因の1つがあったと認めざるを得ない。本来集団が行う筈の制裁が単独でなされたことにより、圧倒的な強者が無力な弱者に一方的に暴力を振るうという図式のみが表面化してきてしまったのである。年少の13歳少年に仲間意識を持つ他中学の上級生数人が、13歳少年の顔の痣を見咎め、誰の仕業か問い詰めた。上級生らは口を閉ざす少年から強引に事実を聞き出すと、18歳少年の家に押しかけ、彼を締め上げ、13歳少年に謝罪を迫り、実際に謝罪させたのである。こういったことが起きる背景には、こうした図式があったのだ。放置しておけば軈て塞がったと思われる問題の傷口が、これを機に一気に処置不能なほどに広がってしまった。その最大の要因が、この出来事であった。18歳少年にとっては、自分よりも年少の者たちからこのような仕打ちを受けたということは、これまでにない屈辱的な経験であったに違いない。そして18歳少年は、「こうした事態を招いたことの全ての原因は、13歳少年にある」と考えた。13歳少年がグループへの加入を求めておきながら、他中学の上級生たちに、自分が受けた制裁の事実をチクった――。そう推測したのである。こうして、怒りと屈辱感から、18歳少年は13歳少年に対し、殺したいほどの激しい恨みと報復の感情を燃やすことになった。13歳少年は、このような事態になることを危惧し、それを避けたくて、他中学の上級生たちの「誰に殴られたのか」という執拗な追及に、口を閉ざし続けようとしたのである。だが、黙秘は叶わなかった。この時点で、状況は13歳少年の力では最早、制止不能な方向へと動き出してしまったのである。少年は、自分に生命の危険が迫っていることを敏感に感じ取っていた。「自分が殺されるかもしれない」という虞れと予感を、同じ中学の少女にLINEで伝えているのである。

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扨て、では被害少年が加害少年のグループに近付いた理由、及び接近方法について、何か知ることができるだろうか。こうした問題を巡る情報は、極めて乏しく、想像を巡らすしかないのだが、それでも言えそうなことが無い訳ではない。被害少年にとって、家庭や学校が居場所感を得られるところではなくなっていたということだ。必然的に家や学校に背を向け、自分と同じような匂いのする孤独な魂が寄り集まるところへ吸い寄せられていったのであった。自分同様、どこにも居場所感を得られず、寄る辺なさを抱えてコンビニ周辺に屯する少年たちに接近し始めたのではないだろうか。この点に関して、被害少年の養育歴を窺わせる情報から、幾つかの手がかりになりそうなものを拾い出してみた。すると、おぼろげながら、被害少年の存在感覚、つまり“ある”が、常に形成途上で、その基盤を崩されていたことが見えてきた。こんな風にだ。被害少年は5歳で西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)に移住している。移住の理由は、当地出身の父親が漁師を志望したことだと言われている。移住後に両親は離婚し、母親と5人の子供の暮らしになる。11歳、2013年7月、今度は母親の意向で島を離れ、未知の都会である川崎(母親の親が住む)に移住してきたのだった。こういった情報だけでも、少年の短い人生の大部分が、親の現実に振り回されることの連続であったことがわかる。とりわけ、6年過ごした西ノ島という場所が、漸く自分を繋ぎ止めてくれる“今・ここ”として、確かなものに感じられ始めたところでの川崎への移住は、ダメージが大きかった。少年の生の根拠を根こそぎにし、一気に浮遊状態へと追いやった出来事だったのではないだろうか。13歳少年のそうした浮遊感・寄る辺なさは、誰にも知られることなく、従って手当てされることはなく、放置されたままであった。これが、筆者なりに理解した、13歳少年が軈て自分が殺されることになる3人の少年たちが属するグループに近付いた理由である。浮遊するしかない13歳少年の魂は、次第に生きる意欲を衰えさせていった。それと反対に、“死にたいという欲動”が彼の内部で鎌首を持ち上げてきた。2月19日、夜9時帰宅後、13歳少年は母親と食事を共にした後、再び外出しようとしたのだった。母親に制止され、一度は外出を思い止まったものの、暫くしてまた立ち上がったのだった。この時は、母親の制止に耳を貸さなかった。事件後に、母親は外出を止められなかったことに臍を噛んだが、昼夜2つの仕事をしており、体力・気力から考えても、一度の制止が限界だったと思われる。そして、家を出た13歳少年は、3人の内の1人、17歳少年にLINEで自分から連絡を取ったのである。「遊びませんか、合流しませんか」。17歳少年は、それを18歳少年に伝えたのだった。浮遊する魂は、生命の危険が迫っていることを身にひしひしと感じながら、死の深い淵からの呼びかけに誘われるように、3人の待つ場所へと向かっていってしまったのである。

寄る辺ない故に浮遊する命という観点から、昨年8月、大阪府寝屋川市の中学1年生男女2人が拉致され、殺害された事件の被害者2人の行動に光を当てることができるだろう。2人が遺体となって発見されたのは、13歳少女が13日深夜、場所は大阪府高槻市の駐車場である。12歳少年は21日、場所は大阪府柏原市の山中であった。2人とも、恐らくは同じ13日に殺害されたに違いない。犯行者(容疑者)は45歳の男性であった。ここでの筆者の関心は、前日12日から13日にかけての2人の足取りに向けられる。

①午後6時頃、自宅にいる13歳少女を姉が見かけている。
②午後9時頃、12歳少年が少女のところに行くというのを母親が送り出している。
③午後9時半頃、13歳少女の自宅近くのコンビニ前にいる2人の姿を、友人が目撃している。
④翌13日午前1時頃、少女の母親が帰宅、娘がいないことに気付く。
⑤午前1時10分から5時10分辺りまで、コンビニから1kmほど離れた京阪寝屋川市駅前の商店街を行ったり来たりする2人の姿が防犯カメラに収められている。その後、2人は駅方面に姿を消す。
⑥午前1時20分、13歳少女の姉の友人が、LINEで13歳少女に、「はよかえらんと」「おこられんぞ」と書くと、「大丈夫」「野宿しようとおもう」と返信があった。
⑦午前6時11分、13歳少女、姉の友人に「おやすみー」と書く。「おやすみー」と返すと「おそ」「爆笑」というコメントが入る。
⑧午前6時半頃、13歳少女、別の友人にLINEで、今から12歳少年と京都に行くことを書き込む。以後、音信は途絶える。

この2人の足取りを追っていると、とても気になることがあるのだ。夏休みの最中ということを差し引いても、その行動は度を過ぎて気ままであり、後先を考えないという点で刹那的である。どこか自暴自棄的で、向こう見ずでもある。先に記した“子供たちが浮遊し始めている”という印象を、2人の行動に拭い難く感じるのである。浮遊とは、自由ということではない、どこにも自分の寄る辺がないという感覚を抱いている故に、浮遊するのである。そして、浮遊状態にあればあるほど、子供に危険が迫ってくる度合いが高くなるのである。危険の第一は、外部の何者かによって危害を加えられる確率が高くなること。ここで取り上げた寝屋川事件や川崎事件の被害者は、その典型である。第二の危険は、2回に亘る当論考で執拗に拘った問題である。即ち、“死にたいという欲動”に心が掴まえられる度合いが高くなる危険である。見逃されがちであるが、第一の危険と同じくらい怖れる必要がある問題だ。これまで、“死にたいという欲動”と破壊行動とは表裏一体であることを繰り返し述べてきた。一度、心が“死にたいという欲動”に侵触されると、自分を傷付け、破壊しようとする自己破壊願望が生まれてくる。それは自暴自棄的行動や、後先を考えない刹那的で向こう見ずで、投げやりな行動となって現れる。自己破壊願望が強まれば、常に自殺を考えるようになる。ここに、人への怒り・腹立ちが関与すると、自己破壊願望行動は他害的に転じる。名古屋や呉や川崎の加害少年少女たちに、その姿を見てきたのだった。

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締め括りに紹介するのは、少年が自己破壊願望を自殺企図という形で繰り返し訴えていたにも拘らず、その訴えに耳を貸そうとする人がおらず、遂には自殺企図を実行するしかなかった例である。昨年7月5日、岩手県失巾町で13歳の少年(中学2年生)が、いじめを苦に自殺した。この時の報道は、これまでのいじめ自殺事件と大きく異なっていた。報道の主眼は、少年と担任教師の間に交わされた“生活記録ノート”にあった。“生活記録ノート”は、少年自身がその日その日の担任に知ってもらいたいことを記し、それを読んだ担任がその都度、短いコメントを付して返すというものであった。この“生活記録ノート”に少年が記したのは、いじめが要因で“死にたいという欲動”が動き出し、それが次第に自殺という自己破壊願望へと具体化してゆく、その過程であった。記述は、4月から6月末まで3ヵ月に亘っている。注目すべき問題は、少年のそのような訴えに付した担任教論のコメントにあった。少年が繰り返し苦境を訴えていたにも拘らず、担任は、少年の苦境の訴えをまるで無視するかのようなコメントを返していたのである。その結果、なされるべき適切な対応がなされず、阻止できた筈の自死を阻止できなかった――。そのようにしか思えない展開を辿ったのである。6月28日、少年は書いた。「もう生きるのにつかれてきたような気がします。死んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)」。それに対して担任は、こうコメントした。「どうしたの? テストのことが心配?」。翌29日、少年は書いた。「ボクがいつ消えるかはわかりません」「もう死ぬ場所はきまってるんですけどね」。それに付した担任のコメントは、こうだった。「明日からの研修たのしみましょうね」。少年の言葉をどういう風に考えたら、このような反応が返せるのか。私の疑問は、この点に尽きると言っていい。どう考えたらいいのだろうか。私たちが普段、“命”と呼んでいるのは、単なる“息をする体”のことではない。“息をする体”に“今ここに・安心して・安定的に・自分が自分としてある”という手応え、つまりは存在感覚が内包されて初めて、命ということができる。生きる意欲は、この命と共に育まれる。少年が直面していたのは、原因が何であれ、これとは逆の“今・ここに”生きて“ある”ことの手応え、つまり存在感覚を剥奪され、消失してしまった現実であった。命の衰弱であった。

残念なことに、“生活記録ノート”を一瞥した限り、担任には、少年の衰弱していく命の上げる悲鳴がまるで聞こえなかった。少年は、自分の寄る辺なさ・孤独を実感したのではないか。若し聞こえていたなら、担任が緊急になすべきは、少年のところに飛んでいき、抱き締め、こう告げることだった筈である。「ごめんね、今まで放置しておいて。でも、もう大丈夫。君の命は先生が全力で守る」。だが、寄る辺なき状態がこのような形で解消され、安堵感へ、つまりは安心と安定へと転じるには、担任の耳に少年の声が届いていることが前提だ。届かなかった理由は明瞭である。テストといい、研修といい、どちらも学年規模、或いは学校規模の行事である。テストや研修を“受ける”のは生徒たちであって、教員の役割はそれを生徒たちに“受けさせる”ことである。そのような“明日”のイベントに教員の気持ちが占められてしまっている場合、生徒1人ひとりが直面している“今・ここ”における問題が、第二義的なものにしか見えなかったとしても不思議はない。別に担任だけを責めるつもりはない。事態はずっと深刻である。学校教育そのものが、“今・ここ”における子供の命、存在感覚の現実と真向かえないように作られているとしか思えない――。そう主張したいのである。繰り返すが、少年が“今・ここ”において直面していたのは、自分の生き死にの問題であった。それに対して、担任に代表される教員の関心事は、“明日”のテストであり、研修だったのである。“今・ここ”と“明日”のすれ違い! このすれ違いを生み出したのは、学校教育というものの構造である。命は、学校教育の主な関心の対象にはなっていなかったのだ。何故だろうか。命は常に、“今・ここ”における存在感覚としてある。存在感覚を“ある”というように表せば、“ある being”は“今・ここ”における安心と安定を要求する。他方、学校という場は、“今・ここ”の命の状態よりも、“明日”の“する doing”(させる・できる)ことが優先されているのである。少年の命は、このすれ違いの狭間に落ちて、死んだのだった。以下は、ここまで述べてきたことを踏まえた上での、筆者の提案である。先ず、子供たちの命が直面している寄る辺なさに思いを潜めよう。次に、若し、この寄る辺なき状態が誰によっても慰撫されることなく、放置されたとしたら…。ここに、“死にたいという欲動”が生まれてくる土壌がある。“死にたいという欲動”は、自己破壊願望へと具体化することを理解しよう。寄る辺なき状態はまた、容易に子供たちの行動を浮遊感に支配されたものへと変えてしまうこと、このことも認識しよう。子供たちの苦境に手を差し伸べる道は、その先に自ずと見えてくる筈である。


芹沢俊介(せりざわ・しゅんすけ) 評論家・NPO法人『シューレ大学』アドバイザー。1942年、東京都生まれ。上智大学経済学部卒。『家族という意志 よるべなき時代を生きる』(岩波新書)・『宿業の思想を超えて 吉本隆明の親鸞』『愛に疎まれて “加藤智大の内心奥深くに渦巻く悔恨の念を感じとる”視座』(共に批評社)等著書多数。


キャプチャ  2016年4月号掲載




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