【異論のススメ】(16) アベノミクスの前提…成長主義の妥当性こそ争点

民主的な選挙は、政党や個人が争点を掲げて争う。今日では凡そ、与党系・野党系の政党が争点を巡って相互に相手を批判し合うのが通例である。争点を巡る争いは、有権者にとって選択を容易にするということであろう。数年前に民主党が政権に就いた時の選挙はマニフェスト選挙と言われ、極めて具体的な課題と実現可能な筈の政策手段が提示された。だが、このマニフェスト選挙に勝利した民主党政権の失敗により、流石にマニフェストはなりを潜めた。しかし、それでも公約を巡る争いとは民主政治の基本であるという認識は変わらない。一応はそういってもいい。しかし、ここに実は大きな落とし穴がある。ある問題が争点として提示されると、抑々、「それがどうして争点になるのか」というその前提は見えなくなってしまう。更には、争点化されない課題は事実上、無視されてしまう。その上で、一度争点として上程されてしまえば、後は自己の主張の正当性を訴え、相手方を罵るという“争い”が先行し、“争点”の“点”の在り方を巡る論議など、どこかへ吹っ飛んでしまう。確かに、ギリシャの昔から言われたように、民主政治は“言論競技”に陥り易い。そして、今回の参議院選挙でも私はその感を強くする。

現在進行形のこの選挙においては、アベノミクスの成否が主要論点の1つとされている。一度それが争点になれば、双方とも只管“言論競技の法則”に従って、自己正当化と相手への批判の応酬になる。与党はアベノミクスの成果を強調し、野党はその失策を訴える。アベノミクスの評価は、今は別にしておこう。ただ、それを別にしても、確かなことは次のことだ。アベノミクスは、長期的な停滞に陥った日本経済の浮上を図り、世界を覆う経済グローバリズムの中で日本経済の競争力を回復し、再び成長軌道に乗せることが目的だとされる。そして、この点においては、野党も決して批判してはいないのである。野党が唱えるのは、「アベノミクスはその目的を達成していない」ということだ。つまり、「日本経済の再活性化と成長軌道への復帰という目的が達成されていない」と批判する。「所得格差の拡大による弊害が大きい」と言っている。では、アベノミクスを止めるとして何があるのかというと、その代替策は全く打ち出せない。一方、与党はアベノミクスの成果を強調しつつも、それが当初の目論みを実現できているかというと、未だ“道半ば”だという。つまり、期待通りの成果を上げていないにも拘らず、更なるアベノミクスの継続を唱えている。与党・野党共に、全く手詰まりなのである。そして両党派とも、「何故、アベノミクスが十分な成果を上げ得ないのか」という基本的な点を論じようとはしない。一体、どうしたことであろうか。根本的な問題は次の点にある。アベノミクスには、「デフレを脱却し、グローバル経済の中で競争力を確保すれば、日本経済は成長する」という前提がある。だが、この前提は妥当なのだろうか? “失われた20年”と言われる。若しも“失われた”というなら、何故そのような事態になったのであろうか。私には、それは小手先の政策論でどうにかなるものではないと思われる。停滞の20年を齎した根本的な要因は、1つは人口減少・高齢化社会への移行であり、2つ目は金融・ITによる急激なグローバル化である。人口減少・高齢化が現実的な事態になれば、当然ながら市場は拡大できない。高齢者への資産の偏在は、消費を増加させない。また、グローバル化は企業を新興国との競争に晒すことで、物価と共に労働コストの圧縮を齎す。つまり、デフレ圧力となる。そして、そういう状況下にあって、国際競争力の確保という名目の下、構造改革という市場競争主義路線を採用したのであった。だから、こうなるだろう。若しも“失われた20年”からの脱却と成長経済を目指すならば、少なくとも、人口減少・高齢化対策を打ち、金融グローバリズムから距離を取り、市場競争中心の構造改革を止めるべきである。




しかし、できることとできないことはあろう。人口減少・高齢化を食い止めることは難しい。グローバリズムも、ある程度は認める他ない。おまけに、日本だけではなく、今日、世界中が先行き不安定で不透明な状態に宙吊りにされている。イギリスのEU離脱を見ても、アメリカの次期大統領候補を見ても、中国の先行きを見てもそれは明らかで、この重苦しい不確実性が、個人消費も企業投資も伸び悩む理由の1つとなっている。とすれば、無理に「成長、成長」と言わずに、寧ろ低成長を前提にするほうが現実的であろう。そして、私にはそれが悪いことだとは思われない。日本は既に、物的な財や資産という点では嘗てなく豊かな社会になってしまった。“失われた20年”なのではない。低成長へ移行するのは当然のことであろう。そして、低成長経済は過度な競争社会であってはならないし、グローバル経済に国家の命綱を預けるべき経済ではない。それは、従来の成長主義・効率主義・競争主義という価値観からの転換を要するだろう。その価値観こそが、本当は争点とすべきことではないのだろうか。

               ◇

佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年7月1日付掲載≡




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