【思想としての朝鮮籍】第5部・金石範(上) “4.3”という“思想の戦場”

20160707 01
「私たちは、死者に正義を還さなければならない」(パトリック・シャモワゾー)――。成蹊大学に着いたのは、シンポジウム開始の20分前だった。雨にも拘らず、大講義室は既にほぼ満席で、競り上がるような空気で満ちていた。長らく絶版だった金石範著『火山島』全7巻がオンデマンド(注文印刷)で復刊の運びとなり、それを記念して昨年10月8日、シンポジウム『戦後日本文学と金石範“火山島”』が開かれるのだ。『済州島4.3事件』。アメリカ軍政下で抑圧された島民らが、南朝鮮単独選挙に反対して武装蜂起した。これに対し、アメリカ軍指揮の下で大弾圧がなされた。“殲滅”は朝鮮戦争後も続き、少なくとも島民の1割を超える約3万人が殺された。アメリカの世界戦略を担う“反共国家・韓国”成立の過程で、“アカの島”とされた済州島の人々が殺戮されたのだ。彼らは、国家アイデンティティー確立の人柱だった。建国の正統性に直結する故、“4.3”は長く韓国社会でタブーとされ、遺族や生き残りは、蜂起者に関係するとわかれば公務員になれない等、様々な社会的差別を受けることとなった。この現代史上の悲劇を背景にした1万1000枚の大長編小説が、満を持して復活するのだ。その直前には、遂に韓国でも『火山島』全巻が刊行された。これは正しく、東アジア文学史上の事件である。加えれば、その1ヵ月前の10月2日、金は90歳の誕生日を迎えていた。だが教室内には、単なる“お祝い”とは異質な緊張感が漂っていた。それは、恐らく“政治”である。

東国大学(ソウル)で10月16日に開かれる刊行記念シンポジウムに参加する為、金が申請していた入国許可が韓国当局から拒否されたのだ。分断国家の一方の“韓国籍”を拒否し、国家による裏付けの無い“朝鮮籍”を堅持したままで、金は計13回の故国行を勝ち取ってきた。観念としての“朝鮮”籍で、権力と対峙してきた金の思想的闘争の軌跡だった。面談や電話、時には近しい者を通じて、韓国側から“許可”の条件が提示されてくる。「韓国籍への変更」「政権に対する批判言動の自粛」――。一切の“取引”を拒否すれば、出発寸前まで入国の可否が出ない。実際、出発予定当日に入国許可が下りたこともあった。執筆に不可欠な冷静な思考を乱され、不眠症に苦しみながら、金は権力との神経戦に挑み、朝鮮籍のままで入国し、憚ることなく「4.3は“暴動”でも“暴徒”でもない。外勢の支配に対する民衆蜂起であり、義挙」と語り、「4.3の究明・解放なくして韓国の民主化はない」と繰り返してきた。入国する度に「これが最後かも…」との思いで刻み付けてきた紀行文の数々は、奪われた故郷を取り戻す営為の積み重ねでもあった。その金が、年齢的にもこれが最後と位置付けていた今回の故国行は許されなかった。『火山島』第1部3巻が、当局の妨害を掻い潜って、韓国で翻訳・刊行された1988年春にも、出版記念行事に出席する為に入国申請したが拒まれている。その時の理由は、朝鮮総連の機関紙記者等の経歴と朝鮮籍であったことだ。今回の入国拒否の理由は明かされていないが、金はこの年の4月、済州島で開催された『第1回済州4.3平和賞』授賞式で、「李承晩政権は、親日派・民族反逆者を基盤にした政権」であり、「3.1独立運動で出来た臨時政府の流れを汲むものではない」等と演説している。これに起因することは想像に難くなかった。“国家権力との緊張関係”という金石範文学の本質が、入国拒否問題を通じて前景にせり出してきていた。金石範を読むとは、この緊張関係の最前線に自らの躰を置くこと。シンポジウム会場の教室には、「今、金石範を読むとは自分自身にとって如何なる営為なのか」を問う者たちの覚悟が、強い緊張感を醸し出していた。シンポジウムの1ヵ月前、筆者は金に電話をした。韓国への入国不許可が金に通知される前日のことだ。既に入国許可が出ていると見越して、本連載の補足取材をお願いしたのだが、宙吊りの金は苛立ちを隠さなかった。「(許可は)大丈夫と思うけど、待たされると不安なのよ。“不安”というより“心配”なの。仕事に直結するのよ!」。シンポジウムの後に済州島に飛び、何日か故郷に滞在した跡、60年以上前、事件の避難民と出会った対馬を巡って日本に戻る。金石範文学誕生の場への再訪は、新たな創作へのステップになる筈だった。




20160707 03
以前、インタビューした時、金は作家が現地を訪れることの意味をこう語った。「やはり一番辛いのは、現地へ行けないこと。単に取材的なことじゃないんですよ。風景に触れたり、故郷の匂い、海の匂い、土を踏むだけでね、感覚的なものがね、中で膨らんでくる訳です。それすらできなかった訳ですから」。日々の狂おしさは如何許りだったか。大佛次郎賞を受賞した1984年には、賞を主催する朝日新聞社の社外特派員として済州島を取材する計画が持ち上がったが、金を入国させる為の交渉の煩雑さに同社が音を上げ、話は結局、立ち消えた。その時は「せめて島影でも目に焼き付けたい」と、新聞社のセスナ機で領空ギリギリまで近付いた。「できれば済州島行ってね、4.3関係の人に話を聞きたいし、話は話として、済州島の土を踏みたいですよ。でも、できないからせめてと傍まで行ってもらったんですけどね…。雨でね、霞んで殆ど見えないのよ(笑)」。今だからこそ、笑いに包んで語れるのだろう。視界を遮るように雨の飛沫が纏わり付くセスナの窓に顔を押し付け、辛うじて見える島影を目に焼き付ける金の姿を想像した。申請が通り、“故国行”が叶ったのは、実に1988年11月、42年ぶりのことだった。90歳を迎えたこの期に及んで入国拒否という陰湿な仕打ちを受けた胸中は、察するに余りあった。彼はどんな顔でこの場に入って来るのか、筆者は何と挨拶すればいいのか――。しかし、金石範にとっては“それすらできなかった”状態が出発点なのだ。幼少期に半年ほど過ごした程度の済州島を舞台に軈て『火山島』へと至ることになる短編『鴉の死』や『看守朴書房』『万徳幽霊奇譚』を書き上げたばかりか、『火山島』第1部4500枚を生み出した。体験もせず、現地の土も踏めない世界を作家の想像力で構築していく。私小説的なリアリズムでは執筆が不可能な状況の要請として、日本文学や在日文学の中でも特異な金石範の文学スタイルが誕生した。金石範の原点は“喪失”であり、権力に奪われたものを想像力で取り返す営為が、膨大な作品群に結実した。作家の想像力は時に、4.3という出来事の事実の深みと重みに凌駕されてしまうが、金はその“至らなさ”にも誠実に向き合い、これまでの作品を補い、補填してきた。『火山島』以降も次々に生み出され続ける小説の数々は、その結晶である。金は、サルトルや野間宏が提唱した“全体小説”(社会的・心理的・生理的側面から総合的に人間を描く)の具現者故に――金の場合は、そこに“無意識的”という独自の要素が入る――、“アンチ私小説”の文脈で語られることも少なくないが、彼自身は私小説自体を否定している訳ではない。ただ、まるで純粋な“個”が存在するかのように他者との関わりを描かず、政治性や社会性を排する行為に文学的な純粋さを見出す発想を批判しているのだ。「個を突き詰めれば必ず個を抜け、普遍に行きつくのよ」と金は言う。そして、この“普遍である”とは、「“世界文学”の定義とは何か?」と金に訊いた時、彼が挙げた第一の条件だった――。

教室に金が入って来た。元々白い顔がさらに白い。普段、特に酒席での磊落さとは程遠い緊張した面持ちで、前だけを見て漂うように歩いている。主催者の1人で、済州島出身の詩人である李静和らに促され、向かって右端の最前列、筆者の斜め前に落ち着く。次々と知人・友人らが挨拶に来る。言葉を返し、握手をするが、どこか上の空である。徐に振り返り、筆者と目が合う。立ち上り会釈すると、強張った顔に笑みを浮かべた。40代に入って本格的な作家生活を始めた金は、借りを返すかの如く夥しい作品を発表してきた。小説や政治評論等、改定版や文庫版を省いても、その数は40冊を超える。だが、金は言う。「私の数少ない自慢は、一部を除いて、出版記念会をしてこなかったことなんだよ(笑)」。対談本の裏方を労う宴席を提案したことはあったが、それも上野の朝鮮料理屋での細やかな慰労会である。自らの出版を“寿ぐ場”は断り続けてきた。仰がれることに生理的反発がある。抑々、“先生”と呼ばれるのを極端に嫌う。筆者も一度、ドスの利いた声で「先生と呼ぶのだけは止めてくれ」と念押しされた経験がある。謙虚以前に極度な照れ屋なのだ。若い時は赤面症で、対人恐怖症気味だったという。1950年代、金は仙台市が拠点の朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)系の非公然組織に入ったことがある。割り振られたのは、地方新聞の広告取りだった。“外交”が不可欠な仕事にどうしても順応できず、神経症気味になって脱落した経験を持つ。人前で話すのも大の苦手だ。「記念会するとね、前で挨拶しないといけなくなる」。これが“祝いの場”を拒む大きな理由だった。今回のシンポジウムを前に、ある酒席で筆者が「関西でも同様の企画をやりたいと言う人がいる筈」と言うと、突然狼狽し、“ハ”の字を逆さにしたような眉毛の間に皺を寄せ、「誰がそんなことを言っているんだっ!」と詰め寄った。名前でも出そうものなら、筆者の携帯を毟り取り、その場で抗議電話をしかねない勢いだった。極端にシャイな性格の故だが、出版記念会を拒む金の本質はそこにはない。空港のアスファルトが剥がされ、そこに埋め隠されてきた者たちが掘り起こされる半世紀以上前から、金石範はそれらの遺骸を抱き締め、数すら不明の死者――それは今も変わらない――と語らい、彼らの生きた証を刻んできた。彼にとって創作とは“悼み”であり、小説の誕生を“祝う”ことには拭い難い抵抗感があるからなのだと思う。金の“朝鮮籍”への思いを初めて耳にしたのは、2000年4月、大阪市生野区で開催された、金と詩人である金時鐘の対談の席だった。前年12月に制定された『済州島4.3事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法』(所謂“4.3特別法”)が施行されたことを記念する催しである。『鴉の死』から43年、『火山島』全7巻が完結してから3年後のことである。

20160707 02
会場は旧“猪飼野”の中心部だ。植民地時代に直行便があった影響で済州人が多く、命辛々4.3を逃れてきた者も少なくない。事件の時期になると、今も彼方此方の家で祭祀が行われる地域である。講堂も厳かな空気を湛えていた。社会問題を巡る集会というよりは、“悼み”と“鎮魂”の場だった。150人ほどの参加者が、壇上に並んだ文学者2人に視線を注ぐ。金石範が口火を切った。「話すのは難しいけど、何故今まで黙ってきたかということをね、聞きたいです。それ先言えよ。そしたら私も喋るさ(笑)」。年長の金石範に促され、金時鐘は重い口を開いた。蜂起を主導した南朝鮮労働党のレポ(連絡員)として活動し、当局に指名手配され、1949年6月、処刑寸前の身を密航船に潜ませ渡日して以来、金時鐘は“4.3”について沈黙を貫いてきた。その金が、封印してきた過去を関西で初めて紐解いたのがこの集会だった。「無謀ともいえること(=蜂起)に加担したことが私を苛んできました」。“武装”といっても、手にした武器は旧式銃・竹槍・農機具である。圧倒的な武力を持つアメリカ軍政側の反撃で形勢は忽ち逆転、入山した遊撃隊は絶望的な闘いに追い込まれる。そして、「空から飛行機でガソリンを撒いて、30万島民を焼き殺してしまえ。済州島の30万人がいなくても大韓民国は何も困らない」(アメリカ軍政庁警務部・趙柄玉部長)を地で行く、陰惨な殺戮が繰り広げられていく。ある者は生きたまま腕を捩じ切られ、目玉を抉られて殺された。縛り首の後、見せしめに吊された死体の眼窩を鴉が抉る。ゲリラに軍政側と見做されて、竹槍で腹を裂かれ、腸を垂らしたまま絶命したのは、金時鐘を匿った彼の叔父だった。同志たちの大半が処刑され、自らも指名手配された。検問所で幾度も捕捉されかかり、父の手筈で島を脱出した。父母の死に目にも会えず、罪責の念に苦しみ、恐怖を紛らわす為に呑めない酒を浴びる日々…。「私は、故郷が一番大変な時期に逃げを打った人間です。事実が熱ければ熱いほど、言葉はより辛くなる」。時に嗚咽しながら、“憂鬱を抱え通した”異郷での半世紀を吐露する金時鐘に、金石範は言葉を添えた。「体験を意義付ける難しさを感じた。私は体験しておらなかったから書けた。恐怖の箱が三重四重五重とあれば、一番下のところに記憶が溜まって出せない場合がある。4.3事件の場合は記憶を自分で殺すし、権力のほうで殺す。2つの作用で、済州島4.3の記憶を消してきた。沈黙がどれほど重いか。4.3特別法でその蓋が採れる時が来た。でも一旦、殺した記憶は中々出てこない。謂わば病気です。気が振れたり、病気になった例は幾らでもあった。後遺症・トラウマをどうするか。沈んだ記憶をお互いにどうするか。遺族からの聞き取りでどこまで出てくるかわからないけど、今まで話すのが恐ろしかったが、今はそうじゃない。特別法は完全なものではないけど、頭の上から、記憶の上を抑えていた大きな石が取れてきた。こういう人たちの記憶を表に浮上させる必要がある。これは闘いなんです」。

2人の言葉が明らかにしたのは、“親日派”が“反共親米”に看板を掛け替えて建国された大韓民国の“民族史的な正統性”の欠如であり、解放後の“世界秩序”が齎した現実、即ち“分断”に対する全き“否”だった。そこで会場から出たのが、朝鮮籍を巡る質問だった。「朝鮮籍を固守しておられる理由をお聞きしたい」と問われ、金石範は応えた。「朝鮮があるのだから、何故韓国に変える必要があるか? 朝鮮というのは記号ですよ。何故、我々が記号の存在であるかということです。今、北朝鮮と日本と国交正常化(交渉)やっていますね。実現すれば国籍に関する合意ができて、朝鮮籍は半強制的に共和国の国籍になります。日本政府は、そう持って行こうとする。でも、国籍選択権がある訳です。北朝鮮や総連を積極的に支持する人は、北朝鮮の国籍に変えるでしょう。それに、朝鮮籍の中から今度は韓国籍に変える人も出てくるでしょう。民団と総連で朝鮮籍者の奪い合いをするだろうから、それに嫌気が差して朝鮮籍から日本籍に行く人も出てくる。でも、私は韓国籍も北朝鮮籍も取らない。完全に無国籍の状態になります。これは問題提起ですよ」。全斗換政権時、死刑宣告を受けた金大中が大統領の時代である。“独裁者”朴正熙の娘が大統領となり、一旦は否定され、克服された筈の過去が顕彰されようとしている今からは想像もつかないが、当時は民主化闘争の結果としての実りを収獲していく“明るい未来”が予見されていた。その時にあって尚も、金石範は“韓国”への帰属を拒み、嘗ては祖国統一に向けた民主拠点と見做していたDPRKの国籍も「得る気は無い」と宣言していた。「国境なんて関係ない」「国籍なんて記号だ」――。屡々聞く言葉だが、これらを口にする者は得てして、自らが“国民”である根拠を問う必要も無い程に自明な者たちである。今いる場所にいる自由も、境界を越えて移動する自由も、国籍国があるから可能になるという事実に無自覚なことが多い。だが、壇上の人物は全く違っていた。植民地支配の清算がなされず、在日朝鮮人への差別と抑圧の再編で“戦後”が始まった結果として生み出され、事実上の無国籍とされてきた“朝鮮籍者”なのである。人間1個の実存にとって、これだけ譲れないものを“思想”と言うならば、金の朝鮮籍とはまさに“思想”に他ならなかった。以降も金は、「日本政府がその不当な政策を改めて北朝鮮との国交を正常化すること」を第一に求めつつ、「自分は何れの国籍も拒否する」と言い続けてきた。筆者はその“筋”を――“思想”を――辿りたいと思い、以来、朝鮮籍を“譲れぬ一線”とする人々に会い、そこに込める思いを聞いてきた。

20160707 04
シンポジウム開始が数分後に迫った。目の前に座る金の顔は相変わらず強張っている。あと何人、あと何分で自分が話すかを逆算し、その間に何かしらアクシデントが起きて、自分が話す時間が無くなることを願っているようにも見える。定刻を少し回り、司会の鵜飼哲が開始を告げた。「今日のシンポジウムは、3つの出来事が重なる中で、例外的な形で企画されました」。3つとは“韓国語訳刊行”“入国拒否”“日本語版復刊”である。その上で鵜飼は、朴槿恵政権が強行する中高生の歴史教科書“国定化”に言及した。朴正熙時代になされ、民主化によって葬り去った筈の、権力による歴史解釈の強要である。「その方向と、まさに金石範文学が体現している、大韓民国の成立そのものに対する“歴史の再審”というものが真っ向からぶつかってしまった。金石範さんと厳しい歴史的な時期に何を考え、行動するのかを柱に、金石範文学を鋭く論じる時間を持ちたい」。明快極まる挨拶だった。発言者のトップは、作家で評論家の野崎六助である。20代で『鴉の死』に出会い、“やり直せないところに人生が行った衝撃”を受けたという野崎は、金石範の小説を2つに大別する。「1つは済州島モノと、在日の日常を描いた在日小説だと思う。後者は私小説と読まれがちだけど、全く違う。それは現実と幻想、時間軸の転倒がある」。在日文学論の最高峰『魂と罪責』(インパクト出版会)の著者である野崎のシャープで奥行のある発言が続く。「火山島の凄いのは、“歴史の無いところに歴史を創った”“歴史の無いところに歴史を書いた”こと。火山島は歴史小説ですけど、他の歴史小説とは全く違う特異な作品です。例えばトルストイの“戦争と平和”も、ナポレオンのロシア遠征といった教科書的な歴史があって、そこに作家が物語を当て嵌めて作品にする。でも“火山島”は、その資料自体が殆ど無い中で書き上げられた。このような作品は世界に例がない」。目を瞑り、金は話に聞き入っている。話は入国拒否にも及んだ。「欠損こそが金石範文学の本質、当たり前の権利を奪われたところから金石範の文学は始まる。(入国拒否は)残念で腹立たしいけど、よかったのではないかとも思う」。際どいコースに直球を投げた後、野崎は、この巨人への畏敬をユーモアに包んで話を終えた。「普通は、こんな作品を書けば、エネルギーを使い果たして後は書けなくなったり、繰り返しに陥るけど、(金は)終わらない。一体、この人は人間なのか?」。講演を聴衆が拝聴するというよりも、真剣勝負を観客が固唾を呑んで凝視するような緊張が漂う中、野崎のオチに、張りつめた空気を解くように皆が笑う。金も苦笑いを浮かべた。高澤秀次・佐藤泉、そして呉世宗…。研ぎ澄まされた言葉の数々に身を委ねながら、筆者は、この場に立ち会えた僥倖を噛み締めていた。「文学の言葉とは嘘の無い言葉」と金は言う。その集積たる『火山島』が、まるで天から遣わされたように――或いは地から湧いてきたかのように――、欺瞞が欺瞞と認識すらされぬ爛れた社会に立ち現れたのだ。

『火山島』で描かれているのは、極限的な状況下での人々の生き方・在り方であり、物語には自死・自由・殺人・裏切り・虚無主義といった、人間存在に直結するテーマが溶かし込まれている。圧倒的な暴力を前にした時、人間が人間であるとは如何なることなのか。作品と対話し、それを問うことは、権力に対する根源的な抵抗となり、問いを手放さない者の集まりは未来への展望を生む。劣化の一途を辿るこの社会において、『火山島』はまさにその場を創ったのである。それは、「文学に何ができるのか?」への応答でもあった。論者による討論が終わり、愈々、金石範が緊張した表情で右手にマイクを握る。噛み締めるように関係者への謝辞を述べた後、金は“70年”という節目を切り口に、言葉を継いだ。「未だ解放を迎えていない」と金が言う韓国では、民主化の反動が吹き出し、日本では歴史修正主義そのものの『安倍談話』が発表され、戦争法が強行採決された。「実は3~4日前の夜、軽く1杯呑んだんですよ。おかずの代わりに何か見ておったら、酒だけじゃなくて他のほうに神経が行く(ので酒量が減る)から、テレビを点けたんです」。客席から笑いが起こる。酒は金石範の代名詞、酒の上での失敗談は小説の定番だ。足を取られて駅の階段を転げ落ち、大怪我したことまで小説に出てくる。少なからぬ者は何かしらの“失敗談”を予想したと思うが、続く言葉は違った。「何か揉み合いをやっている訳なんです」。辺野古である。新基地建設に躰を張って抵抗する者たちを官憲が弾圧しているのだった。理め立て用の建材を搬入する車両を止めようと、ゲート前に座り込む者たちを警察官が牛蒡抜きしていく。映像には、足の悪い高齢女性もいた。「アナウンサーが、『あれは東京の警視庁から来た警察官』だというんですよ。沖縄には警察官が足りないのかと。異様な状態を見て、酒を呑みながら色んなことを考えて…」。金は言葉を詰まらせた。「あの…頭に浮かんでくるんですよ…。仮に同じ国民だったとして、私はこの、沖縄に対するやり方は、国内植民地侵略まではいかなくても、(国内植民地)政策だと思うんですよ」。会場の空気は一気に緊張感を増していく。「松田(道之)何とかが400~500名の軍人や警察官を連れて行って、沖縄を謂わば占領する。侵略ですよ。それを歴史的用語なのか、琉球“処分”と言う。戦前の教科書には豊臣秀吉の行為が“朝鮮征伐”と載っていたけど、あれは侵略です。それを“征伐”とね…。“琉球処分”も略奪であり、侵略ですよ。何か悪いことをしたから罰を与えるとか、ゴミがあったらゴミを捨てるとかいうのが“処分”ですよ。それを独立国だった沖縄(琉球)に対してね」。噴き出す感情に思考が追いつかなくなり、断片的な言葉が口を衝く。

20160707 05
蔑まれ、本土の犠牲にされ、“自国”の軍に殺され、執拗な分断工作の対象とされ続ける――。今の沖縄に、金は嘗ての済州島を重ね合せていた。4.3の背景には、政治犯たちの流刑地であり、権力に対する批判意識の強い済州島への、権力側の差別意識と政治的な警戒感があった。「(1948年4月3日の)1年前、3.1独立運動の記念日に済州島全土から3万名ほどが集まってね、それが『親日派の排斥』とか『アメリカは出て行け』等と主張するデモになった。それに警察が発砲して、6人が殺され、8人が重傷を負った訳。それでストライキが起きたら、済州島のアメリカ軍政庁は本土から警官を500人ほど導入し、“西北青年会”というテロ団体の人間が、初めて400人くらい入ってくる訳です」。『西北青年会』――。ソビエト連邦占領下で進む社会主義化を逃れて越南した地主・資本家・親日派らの集団である。それ故、“アカの島”とされた済州島民に対する彼らの憎悪や敵視は凄まじかった。糧食も持たせられずに島に派遣された彼らは、腹が減れば盗み、奪い取り、気に食わなければ激しい暴力を振るい、欲望のままに女性を強姦した。これが新たな支配者――アメリカとその追従者たち――のやり方だった。“日帝”から“米帝”に引き継がれた暴力が、“やらざるを得ない”蜂起に島民を追い込んでいった。「私ね、辺野古の問題は臨界点に達していると思っていますよ。若し、あの足の悪い女性が死んだらどうするんですか? 安倍さんは“美しい日本”と言うけど、醜いですよ。沖縄にしてもね、代議士とか内部に裏切り者を作ってやる訳ですよ。これはね、沖縄の人間を侮辱しておるんですよ。これが日本なんですかっ!」。金の怒りは、日本と愚を競うかのような韓国の現政権へと向かった。4.3特別法に代表される歴史再審の動きは、保守右派の巻き返しの契機ともなった。今や4.3は、韓国における過去清算や、今後の社会像を巡る“思想の戦場”となっている。その具体例が、国定教科書の問題なのだ。「韓国は、“歴史の清算”は殆どしていないですけどね。でも今は、それすら潰そうとしている。教科書が国定になれば、“暴動”とか“暴徒”とかね、4.3が逆戻りする可能性がある訳です」。あれほど嫌がっていた挨拶は、既に20分を越えていた。“祝い”の席とは思えぬ、火を吐く怒りだった。4.3事件は、反国家的な“暴徒”による“暴動”――民主化以降も根強かったこの“解釈”は、韓国政治の保守反動化と相乗し、勢いを増している。金石範の文学的営みは、この押し付けを巡る権力との闘いだった。金は強調する。「(4.3の)後半にはゲリラ側による虐殺もあったし、それはそれで批判されるべき。蜂起が極左冒険主義だった側面もあるだろう。でも、あの蜂起は、解放と独立を踏み躙るアメリカ軍政と民族反逆者に対しての“義挙”であり、“民衆抗争”だった」。4.3の“正名”を巡る闘いは、“それでも立ち上がった”者たちが目指した“祖国”へと通じている。死者に正義を還す作業は、未だ途上にある。


中村一成(なかむら・いるそん) フリージャーナリスト・元毎日新聞記者・在日コリアン3世。1969年、大阪府生まれ。立命館大学文学部卒業後、1995年に毎日新聞社入社。高松支局・京都支局・大阪本社を経て現職。著書に『声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々』(インパクト出版会)等。共著として『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房)。


キャプチャ  2016年6月号掲載

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