【日日是薩婆訶】(10) 私は迷わず“檀家葬”にはしないことにした…

父である先住職が亡くなり、勝手ながら本葬を終えるまでということで、2ヵ月も休筆させて頂いた。本誌編集部の皆さんは素より、読者の方々にご迷惑をおかけしたことを、先ずはお詫び申し上げたい。今回はやはり、その葬儀についてご報告すべきなのだろう。父のことをこれまでどれほど書いたかはよく覚えていないのだが、父は凡そ6年9ヵ月ほど病床にあった。3度目の脳梗塞が強く出て、喉も含めた右半身が利かなくなり、「このままでは直ぐにも誤嚥を起こして肺炎になってしまう」と言われ、気管切開の挙げ句、胃瘻を取り付けて6年余り、所謂医療介護施設に入院していたのである。この時、医師の説明を聞いて驚いたのは、肺炎の菌というのは誰の口内にも常在しているということだ。弱い菌である為、気管にさえ入らなければ問題は無いのだが、誤嚥した途端にこの常在菌が悪さをする。幸い、父は肺炎にもならず、初めは檀家さんの主治医、次は教え子の医師にお世話になり、良質の介護・看護を受けつつ、理学療法士にもリハビリの指導を受けて生き延びてきた。年数から明らかだが、父は東日本大震災も病院で体験し、その後も5年近く無事に入院していたのである。震災直後の病院では、暖房用の石油も入手できなくなった。薬の調達も困難になったが、檀家でもある主治医は、希望退院や転院を募る中、父にはその病院に居続けるよう勧めた。「同じ船に乗っている乗組員と乗客みたいなもので、船は若しかすると沈没するかもしれませんが、沈む時は私も一緒に沈みます。若しも関東等の病院に移りたいのでしたらご紹介もしますし、単に退院されるなら2週間分くらいのお薬はお渡しできますが…。ここに居てはどうでしょう?」。そう、私に問いかけたのである。彼にどれほどの勝算があったのかは知らないが、私はその心意気に打たれた。医師たちが驚くほど、父はストレスに強かったらしい。自らの境遇自体を嘆く患者が多く、そのストレスが治療や管理に悪影響を及ぼすことも多いようだが、「(父には)それが微塵も感じられなかった」と主治医は言った。修行道場の体験というより、シベリアに3年抑留された体験の賜かもしれない。

父は気管切開していた為に話せなかったが、初めは筆ペンを左手に持って文字を書くことができた。ある時、私が「今の気分はどうですか?」と尋ね、紙と筆ペンを差し出すと、父はゆっくり慎重に“鉢ノ木”と書いた。昔、子供の頃、私は父から謡曲『鉢木』の話を風呂場で聞いたことがあった。確か、北条時頼が旅の僧になり、雪の晩に佐野源左衛門に一夜の宿を乞うのだが、今は貧しき身故と一旦は断る。しかし、降り頻る雪に悩む姿を見て、思い直して招き入れ、なけなしの粟飯を振る舞って泊めるのである。夜も更けると薪も無くなり、困った佐野源左衛門は、豊かだった時代から大事にしてきた松・梅・桜の見事な盆栽を折って燃やし、接待する。私はその『鉢木』のことかと暫く考え、喋れない父に幾つか質問してみた。当時の父は、“イエス”なら頷き、“ノー”なら首を振って答えたが、父はどう訊いても首を横に振るばかり。どうやら、父が“鉢ノ木”と書いたのは、謡曲とは関係無いらしい。「あっ」と急に気付いた。「『今の自分は“鉢(植え)の木”のように、水も栄養分も与えられるまま、完全に受け身で生かされていますよ』。そういう意味ではないか」…。そう思って尋ねると、漸く笑いながら首を縦に動かしたのである。左手で文字が書けなくなってからも、父とは“イエス”と“ノー”のサインだけでかなりの会話ができた。そうこうするうちに本堂の改修工事が始まり、その進捗状況等も父には報告した。屋根が葺き上がった時や漆塗りが完成した際には、介護タクシーで看護師さんと一緒に来てもらい、見てもらうこともできた。主治医には「いつどうなってもおかしくない」「心臓から出る血管の石灰化も進んでいるから、心筋梗塞の危険はいつでもあるとお考え下さい」等と言われていたが、私としてはそれに応じた態勢を敢えて取るつもりは無かった。つまり、建築事業も普通に進めたし、また私の講演や執筆も、建築事業のせいで多少減らしてはいたが、父の為に用心して減らそうとは思わなかったのである。父の為に何かを制限する、しかもそれが我慢するような制限であった場合、抑圧された気分はいつか父の生そのものに憤懣となってぶつけられるだろう。私は、それが嫌だったのである。




吊り橋を渡るような不安定な日々が、相当長く続いた。しかし、私はいつも通り暮らし、父は仏様のように静かに存在し続けてくれた。このまま現状が続くことを念ずる私の気分は、即ち父の長寿への祈りにもなった。そのうちに本堂の工事も終わり、去年の10月には車椅子の父に見てもらえたのである。そんな考え方だから、病院から「(父が)やや低空飛行になった」と告げられた時も、私は依頼された講演をする為に沖縄に飛んだ。何があっても講演を急に取り止めることなどできないが、若しも用心して取り止めたとしたら、それは暗黙のうちに「その期間に死んでほしい」という祈りになってしまわないか…。無事を祈るには、兎に角、約束通り出かけるしかなかったのである。沖縄での講演が終わったその日の夕方、「(父が)更に低空飛行になった」と連絡が入った。連絡の主は姉と母である。私は直ぐに病院に連絡を入れて、看護師さんから直接様子を聞いた。そして私は、同じ理由で直ぐには戻らず、一旦羽田に飛び、そこから予定通り八丈島に行ったのである。この時の気分を説明するのは些か難しい。ただ私は、「父が死んでもらっては困る」状況の中にどんどん入っていったような気がする。それが私の、なけなしの祈りだった。八丈島から戻ると、真っ直ぐ病院へ直行した。私は、父が超低空飛行ながら安定を取り戻した様子を確認した。そして、その翌々日、今度は静岡県に講演に出かけたのである。父が遷化(※僧侶の死のこと)したのは、お釈迦様と同じ2月15日、午前9時45分だった。新暦の涅槃会の日だったことも目出度いが、私にはもっと切実に有難い日であり、時間だった。若し、父が遷化した翌日に講演予定があったとしても、私は行くしかなかっただろう。2日後でも同じである。しかし、実際には直近の講演が入っているのは2月20日、つまり5日の猶予があった。しかも、遷化の時間がこれまた有難い。檀家さんのご逝去でもそうだが、例えば夜8時に家族が亡くなったら、その晩は眠れない。それ以後の時間なら尚更である。精々夕方の4時くらいまでなら、ある程度の準備を終えてその晩は眼れるかもしれない。父の場合、前の晩には病状に急変も無く、午前7時を過ぎてから病院から連絡があった。つまり私は、前晩も当日の晩も、普通の時間に眠ることができたのである。父の遷化のタイミングに、今回は「スヴァーハ!」を唱えたい。

本堂の改修が終わり、庫裡が未だ始まっていなかった為、この時期ならば本堂から送り出せる。そのことも先刻承知していた父は、狙い澄ましたような日に、しかも絶妙な時刻に通ってくれたのである。お寺の葬儀の準備はややこしいのだが、当日の夕方には法類会議の準備を終え、 葬儀屋との大枠の打ち合わせも済ませていた。“山門不幸”と書く看板を友人の大工さんに頼み、檀家さんへの“訃音”を書いて遠隔地にも郵送する等、準備することは多かったが、20日の講演の為に、上京する前には尊宿(和尚)への“足衣料”等も包み終えていた。部内の若手和尚たちの手伝いには本当に感謝したい。1つだけ特筆しておきたいのは、遺体が寺に戻った後、長く外してあった父の入れ歯を女房が上下とも入れてくれたことである。これまでの檀家さんの例では簡単には入らず、結局、上だけで諦めたといった話が多かった。私もだから半ば諦めていたのだが、偶々女房はその頃歯医者に通っており、入れ歯の名人と言われるY先生の口の開かせ方に感心していた。同じようにしてみたら、「あらら」というほど簡単に上下とも入ったというのである。遺体の人相はそれによって大きく違ってくるから、皆さんも諦めないで工夫してみて頂きたい。残りの紙幅を確認すると、どうも津送までは書けそうにない。今回は密葬までの参考になりそうな話のみ、ご報告することにしよう。密葬前に、檀家さんには葬儀の全体について“訃音”という形でお知らせした訳だが、この葬儀を“檀家葬”にするのかどうかが先ず問題になった。住職なのだし、当然“檀家葬”だと思われる方も多いだろうが、“壇家葬”とは、予算案を作り、全ての檀家に負担額を決めて請求するやり方である。私は迷わず、“檀家葬”にはしないことにした。

現在、福聚寺は平成大改修工事と銘打って御寄付を受け付けている最中である。全檀家にお知らせはするが、“お気持ちのまま”という方針ですることにした。父の場合、高校の教師生活も20年送っている。檀家さん以外の弔問もかなり予想されたし、素より全檀家が本堂に入れる訳でもない。だから、檀家葬には拘らないことにしたのである。単純に密葬通夜と密葬の日程、そして津送(本葬)の日程を檀家さんには配ったのだが、今や世間では“密葬”“本葬”が併記されることは無い。密葬といえば家族だけで済ますイメージなのだろう。どうやら、戸惑った檀家さんも多かったらしい。確かに、檀家さんとすれば、「どちらに行くべきなのか、或いは両方行くのか、若し両方だとすればどっちの時に香奠は持参すればいいのか、まさか香奠も2回なのか」と疑問だらけだったかもしれない。尊宿の場合は、密葬には“弔儀”を持参し、津送には“菓儀”“香資”を持参する。都合がつけば両方行くものだと知っているが、一般の方々には2回あること自体奇異なのだろう。結果的には“本葬に一度”と結論付けた檀家さんが多かったようだが、仲間の和尚との後日譚では、檀家さんにはなるべく“密葬”に来てもらうのも一法だという。どうせ津送では僧侶も多く、檀家さんが入れる場所も限られるから、生身に会える密葬を大々的に知らせ、津送のほうは限られた役員と身内、そして大勢の尊宿でするというのである。「なるほど」とは思ったが、うちの場合は、両方を併記した文章を檀家さんが勝手に解釈するに任せた。津送の大導師には、円覚寺派の管長である横田南嶺老師をお招きする予定だったし、その儀式をたとえモニター画面でも「檀家さんに見てほしい」という気持ちが強かった。殆ど紙幅も尽きてしまったが、次回は“津送”までのアレコレの議論と、“津送”の実際をリポートしてみたい。2月23日、密葬が無事終わり、父は大勢の尊宿の読経が響く中、荼毘に付された。様々な議論や更なる忙しさが、そこから始まったのである。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2016年6月号掲載
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