【異論のススメ】(17) スポーツと民主主義…“停泊地”失った現代世界

昔、ある人から「君、スポーツの語源を知っているかい。これは相当に酷い意味だよ」と言われたことがある。実際、スポーツとは“ディス・ポルト”から出た言葉である。“ポルト”とは“停泊する港”、或いは“船を横づけにする左舷”という意味だ。“ディス”はその否定であるから、“ディス・ポルト”とは停泊できない状態、つまり秩序を保てない状態であり、“破目を外した状態”ということになる。“ポルト”にはまた“態度”という意味もあるから、“真面な態度を保てない状態”と言ってもよい。どうみても、あまり褒められた意味ではなさそうである。事実、英語の“スポート”にも“気晴らし”や“悪ふざけ”といった意味があり、これなどまさしく語源を留めている。その“スポーツ”の祭典が、6日からリオで始まる。ロシア選手の組織的なドーピング問題や、大会会期中、不測の事態に要注意等と言われる今回のオリンピックを見ていると、ついその語源を思い起こしてしまう。ロシアのドーピング等、破目が外れたのか箍が外れたのか、確かに停泊すべき港から外れてしまった。ところで、スペインの哲学者であるオルテガが『国家のスポーツ的起源』という評論の中で、国家の起源を獲物や褒美を獲得する若者集団の争いに求めている。その様式化されたものが争い合う競技としてのスポーツであるとすれば、確かに、ここにもスポーツの起源と語源の重なりを想像することは容易であろう。

言うまでもなく、オリンピックは古代ギリシャ起源であり、ギリシャ人はスポーツを重んじた。争いを様式化し、競技を美的なものにまで高めようとした。そして、ギリシャでは“競技”が賛美される一方で、ポリスでは“民主政治”が興隆した。民主主義とは、言論を通じる“競技”だったのである。肉体を使う競技と言語を使う競技が、ポリスの舞台を飾ることになる。古代のギリシャ人を特徴付ける特質の1つは、この“競技的精神”なのである。「スポーツと政治は切り離すべきだ」等と我々は言うが、元々の精神においては両者は重なりあっていたのであろう。ということは、その起源(語源)に立ち返れば、両者とも一歩間違えば“破目を外した不作法な行動”へと崩れかねない。競技で得られる報酬が大きければ大きいほど、ルールなど無視して羽目を外す誘惑は強まるだろう。それを制御するものは自己抑制であり、克己心しかなかろう。その為にギリシャでは、体育は徳育・知育と並んで教育に組み込まれ、若者を鍛える重要な教科と見做された。その三者を組み合わすことで、体育はただ肉体の鍛錬のみならず、精神の鍛錬でもあり、また、自律心や克己心の獲得の手段とも見做されたのであろう。その上で、運動する肉体を人間存在の“美”として彫像に刻印しようとした。問題は言論競技としての民主主義のほうで、寧ろこちらのほうが成功したのかどうか怪しい。“民主主義の精神を鍛える”等ということは不可能に近いからである。ただ、我々が垣間見ることができるのは、ポリスのソフィストたちの“言論競技”の中からソクラテスのような人物が現れ、“哲学”を生み出したことである。しかしその為には、ソクラテスは“言論競技”を切り捨て、それを“言論問答”に置き換えねばならなかった。彼は、政治よりも真の知識(哲学)を優位に置き、それを教育の根本にしようとした。そうでもしなければ、スポーツも政治も只々“破目を外す”ことになりかねなかったからであろう。




扨て、これはギリシャの昔に終わったことなのであろうか。今日、我々の眼前で展開されている事態を見れば、決してそうは言えまい。民主政治は、どこにおいても“言論競技”の様相を呈している。アメリカのトランプ大統領候補をドーピングぎりぎり等と言えば冗談が過ぎようが、この現象が“ディス・ポルト”へと急接近していることは疑い得まい。民主主義の箍が外れかけているのだ。スポーツに高い公正性や精神性(スポーツマンシップ)を要求するアメリカで、民主主義という政治的競技において高い精神性や公正性が失われつつあるのは、一体どういうことであろうか。今日、オリンピック級のスポーツには、殆ど職業的とでも言いたくなるほどの高度な専門性を求められる。その為には、スポーツ選手は職業人顔負けのトレーニングを積まなければならない。これは肉体的鍛錬であるだけではなく、高度な精神的鍛錬でもある。そこまでして、スポーツ選手は“ディス・ポルト”を防ぐ。しかし、政治のほうには、そのような鍛錬は殆ど課されない。その結果、高度なスポーツは“素人”から遊離して、一部の者の高度な技能職的なものへと変化し、一方で政治は“素人”へと急接近して、即席の競技と化している。どちらも行き過ぎであろう。スポーツと民主主義を現代にまで送り届けたギリシャの遺産が、ロシアのドーピングやアメリカの大統領選挙に行き着いたとすれば、現代世界は規律や精神の鍛錬の場である確かな“停泊地”を失ってしまったと言わねばならない。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年8月4日付掲載≡
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