【思想としての朝鮮籍】第5部・金石範(下) 文学は政治を凌駕する

20160807 01
国家の裏付けを持たぬ記号“朝鮮籍”で、“統一”を希求する。それは、“虚構を以て現実を否定する”金石範文学そのものだ。その思想の成り立ちを手繰ろうと、昨年9月、金に会った。上野のカフェで落ち合うと、嬉しそうに切り出した。「いや、このタイトルいいよ。“思想としての朝鮮籍”って。まさに、私の朝鮮籍は1つの抽象化された“思想”なのよ。思想の表出として使ってるんです。“思想としての朝鮮籍”は統一を求める、南北分断を否定するんです! 植民地時代でさえ1つだったのに、何で独立して分断なんだと。現実にそうでなくても、そうと思うのが思想ですよ。実態が無くても構わないんだから。思想観念で政治とぶつかるんです」――。政治との関係は、少なくとも1980年代まで在日作家が避けて通れぬ問題だった。南北双方から“従属”を迫られるばかりか、時に双方から“敵”とされる。記号としての朝鮮籍に拘り、分断の現実を否定する金石範にあっては尚更だ。“鋼鉄の臭いのする悍ましい政治の網”の中にあって、権力との一切の取引を拒む。この間断無き闘いを、彼は創作力に転化してきた。小説という形式を選ぶ大きな理由も、金はそこに、権力と対決する上での“優位性”を見るからだ。「観念は言葉で表明されるから、小説はあらゆる芸術の中で最もイデオロギーを反映し易い。権力と真っ向からぶつかるのに一番適しているのは小説です。同じ言葉でも、ある意味で詩は誤魔化しが効くんです。これ言うと『詩がわかってない!』って、(金)時鐘が怒って、何度も喧嘩したけどね(笑)」。思想に揺るぎはない。筆名の“金石範”は、まさに体を表している。その由来を訊くと即座に「忘れた」と躱し、「私はそんな堅物じゃないんだけどね、でも、この字体がまた田村義也(編集者・装丁家)の装丁に映えるんだよ」と笑った。

“思想としての朝鮮籍”を武器にして金が希求する統一祖国とは、単なる政体の実現ではない。アメリカ軍政と親日派が“4.3”を経て建国した『大韓民国』の歴史を再審し、奪われた“解放空間”を取り戻すことである。そのイメージは、『火山島』の主人公で、筆者の分身の1人である李芳根の一言に凝縮されている。ブルジョワの息子でニヒリスティックな放蕩者、謂わば“英雄”とは対極の李が口にした譲れぬ一線、即ち思想が“支配せず、支配されない”なのだ。自身の自由が他人の自由を侵害しない。それが、李芳根の求める“自由”である。相互不干渉の“断絶”ではない。関わりの中で生きる人間の実存を前提とした上で、互いを尊重する。その前提は徹底した平等だ。「人間は、純粋な個ではあり得ない。社会無くして人間は存在しない」。私小説批判にも繋がる金石範の人間観である。他者との関係で人間は存在している以上、個人の目指す自由とは全体の自由の下で可能となる。“自由と平等”――。それら普遍的価値を求めつつ、それとは程遠い現実(常に“外部”を生み出す統治形態“国民国家”はその典型だ)を造り出してしまう人間という“問題”に照らせば、それは見果てぬ夢なのかもしれない。だが、夢だけが人間を人間たらしめ、今を超える契機になり得る。今ある現実を否定し、あるべき姿を想うとは、全てを奪われても尚残る人間の最後の自由であり、瓦礫の中から掴み出された理想は、もう1つの世界を希求する思想となり、現実を否定する意志は、行動として表出される。その意味において、まさに文学は政治を凌駕し得るのである。ただ想像する力のみが、人を“順応”という底無しの闇から救い出す。例えば、『万徳幽霊奇譚』。主人公は“うすのろ”と蔑まれ、理不尽な打擲に晒される寺男の万徳である。“ゲリラの親”として捕まった老人と共に警察へ連行された万徳は、息子の射殺を命じられた老人が進退窮まり、自らを撃ち果てる姿を目の当たりにする。代わりに息子の処刑を命じられた万徳の頭に、徴用された北海道の鉱山での記憶が過る。脱走に失敗した若者への懲罰として、日本人監督の命令に従い、同胞たちが列をなして次々と根棒を全力で打ち下ろす。軈て万徳の順番が来るのだが、愚鈍な彼の心だけが、目前に吊るされた血塗れの球体を人間と認識し、打擲を拒んだのだ。「殺せ! あれはアカだ。アカは人間じゃねぇんだぞ!」。逃げ場の無い血塗れの室で、全能感に酔う人殺しの怒号に気圧されながらも、万徳は「わっしの目には人間に見える」と抵抗し、自らが処刑場に送られていく。考えること・良心を持つことが死に繋がる状況下で、無学な“うすのろ”が、その想像力を基に示した拒絶こそ、人間にとっての“究極の自由”であり、“夢”だった。だからこそ、彼は“幽霊”となる。合理的思考ではあり得ないが、この世に真実を告げに来る“幽霊”に。




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順応を拒む金の意志。その力の源泉を辿れば、1945年から数年間の幾つかの出会いと別れに至る。「張、張龍錫ですよ…あいつのことを考えると…今でも涙が出てくる」。出会いは1945年、徴兵検査に託けて渡った朝鮮でのこと。“小さな民族主義者”だった金石範に、皇軍兵士への憧れなど芥子粒ほどもない。ただ日本を脱出し、当時、3.1独立運動で宣言された臨時政府の拠点があった中国の重慶を夢見ていた。ソウルの禅寺に荷物を預け、済州島に渡った。検査後にソウルの禅寺に戻り、中国越境の機会を窺った。実はそこは、独立運動家の呂運亨が結成した『朝鮮建国同盟』のアジトだった。僧侶に変装して潜伏していた活動家を介して知り合ったのが、同世代の張龍錫だった。夜を徹して、独立や民族について語り合った。その後、金は病で死線を彷徨った挙げ句、周囲の反対を押し切って日本に戻る。日帝支配の終焉は猪飼野で迎えた。朝鮮では、米ソが中心部に達するまでの時差で、解放空間が出現していた。解放と同時に行政権を譲り受けた呂は建国準備委員会を設立。朝鮮人民共和国の樹立を宣言した。各地に左派主導の人民委員会が設立され、綱領には日本人財産の没収・工場の管理や所有等、日帝支配の清算に加え、男女平等等が盛り込まれた。だが、“光復”は分断占領の影を伴っていた。天皇裕仁は、一刻も早い講和を勧める近衛上奏文を「もう一度戦果を挙げてから」と拒否し、広島・長崎への原爆投下と、朝鮮分断占領の直接原因となるソビエト連邦の参戦を齎した。「朝鮮の諺にね、『悪い友人の横にいると雷が当たる』って言うのがあるんです。朝鮮は日本の横にいたから、雷が落ちてしまった」。10月に上陸したアメリカ軍は人民共和国を否認し、“解放空間”の蹂躙が始まっていく…。翌11月、金はソウルに行く。建国への思いだけではない。日本では、「8月15日になった途端、協和会(特高警察が中核だった在日朝鮮人の統制団体)の役やっとったような人間が、『今こそ、自分のような人材が必要』なんて言い出す訳。こんな奴らと一緒にいたくなかった」。張たちと再会し、計6人で同居生活を始めたが、忽ち行き詰った。越南者や海外からの引き揚げ者で人口が激増した当時の南側では、インフレと食糧不足が深刻化していた。街には失業者が溢れ、路上には餓死者が転がっていた。縁故の無い金に収入源は無い。翌夏、金は「学費を工面してくる」と言い残して日本に戻るが、そのまま日本に居着いてしまう。「いつ帰ってくるのか?」「もう祖国に戻らないのか?」。張から何度も手紙が来た。封筒は下部から開封され、検閲を示すテープで封がなされていた…。東西対立に向けた地均しが始まっていた。アメリカ軍政の下で親日派が復活する。彼らは、北側で進む社会主義化を嫌悪してきた越南右翼たちを組織し、左派への攻撃を強めていく。それは、左派排除を目論むアメリカ軍政の意にも合致していた。10月の左派によるゼネストを契機に、軍政の左派潰しはより激化していく。でっち上げ・逮捕・監禁・処刑が横行し、独立運動家が次々と暗殺される。1947年には呂も殺された。

張の手紙には苦渋が参んでいた。「いまぼくは職場の仕事がすごく忙しい」。地下組織での活動だろう。“反共テロ”と“アカ狩り”が横行する中で、困難な活動を強いられる同志の苦境を思った。1年が過ぎた1948年初頭、張が渡日の意向を伝えてきた。軍政と民衆との緊張は“4.3”という臨界点に達し、解放空間は修復不能なまでに破壊されていく。今は雌伏の時期と考えて、捲土重来を期したのかもしれない。「日本で学びたい」という張の思いを実現する為、金石範は奔走する。受け入れの準備が整いつつある1年後、張から手紙が来た。「きみの心情とぼくのために尽くしてくれたすべての配慮はほんとうにありがたい。しかし、祖国を考えろ。犬と猫の手でも借りて建設するときだ。ぼくがいま数多くの同志たちを置いて、ぼく1人がどうして行けるだろうか? これは全民族に対する罪悪だ。昨年とは違うのだ。大韓民国! わが国を建設する者は、わが大韓の青年の他にいない。ともかく、行きたい心を抑え、きみにこの手紙を書く、いや、書かざるを得ないぼくの心情と祖国を考えてほしい。長く書いて何になろう。ぼくの代わりに大いに学んで帰って来てくれ」。続く文言は、「東午は20年」。ソウルで同居していた同志・金東午が懲役20年の刑を受けたことを、検閲を警戒しながら伝えたのだ。拷問・リンチが横行する当時の監獄で、20年の懲役とは事実上の死刑を意味していた。手紙は、「ぼくの代わりに彼女が行きたがっている、どうすれば?」との相談で結ばれていた。返信の内容を金は憶えていない。これを最後に音信は途絶えた。恐らく、張もその恋人も、激動の中で若い命を途絶されたのだ。「『1ヵ月で帰る』と言ったけど、帰らなかった。私はね、人を裏切ったことは無いけど、生き延びてしまったんだ…」。前後して、九寸叔父(9親等の叔父)が密航してくる。故郷では住民虐殺が続き、数多くの者たちが命辛々、日本への渡航に生き残りを賭けてきた。逮捕されたが、金を掴ませて釈放され、猪飼野に落ち着いた叔父から、済州島の“4.3”について訊くことになる。結核に冒され、ほぼ寝たきりだった叔父は、躰に残る拷問の跡を示し、ポツポツと故郷での出来事を語った。3坪ほどの空間に、“アカ”と見做された島民たち数十人が詰め込まれ、座る場所すら無い留置場のこと。次の逮捕者がやって来れば空間を空ける為、ただそれだけの理由で誰かが処刑される。極限は人間の地金を露わにする。場所取りを巡って同志間で起こる争い・理想を共にした筈の仲間への不信・続出する病死者…。制度化された“裏切り”は、“アカ”として人間以下にされた者たちを更に貶めていくシステムだった。その叔父が故郷に残してきた妻が、対馬に辿り着いた。動けぬ叔父に頼まれ、彼女を迎えに行ったことが、金石範の人生を決定付ける。叔父宛の封筒を手に、夜行と船を乗り継いで対馬に渡る。昼過ぎに着き、暗記した地図の通りに向かった小屋に、叔父の妻ともう1人の女がいた。歳の頃は20代、目鼻立ちのくっきりした美しい女性だったという。

20160807 03
密入国者である。灯りを点けることもできず、湿った煎餅布団を敷き、明朝を待つしかない。3人が並んで川の字となり、入口に近い場所に金石範が横になる。真っ暗な部屋で、タバコに火を点けるマッチが一瞬だけ、女性たちの顔を浮かび上がらせた。雨音に混じり木々が揺れ、遠くから波の打ち寄せる音がする。沈黙の中で、隣の息遣いだけが聞こえる。金石範は思わず口にしてしまった。「済州島の話をしてもらえませんか?」。若かった叔母は、村人をゲリラに協力させない為に頻繁に行われた公開処刑の模様や、死体すらも蹂躙する非道を語った。やっと渡った対馬からその心を再度、地獄に引き戻した自分の浅はかさに思い至り、身の縮む思いをしていると、叔母は“風の音”のように唐突に言った。「この人は両方の乳房が無いのよ」。もう1人の女性は、拷問で両の乳房を切り取られていた。鏝で焼き切られたのだ。「それは本当ですか?」。思わず訊き返した。「冗談でこんなこと言えない」。叔母がそう言って無遠慮に笑うと、女も低い声で笑ったのだ。今でもその悔恨を思う。「私ね、訊いてしまった。バカだったと思いますよ。破廉恥だったと思います…」。前後に強姦されたことは容易に想像できた。叔母自身も夫の目前で丸裸にされ、性的拷問を受けたことを知るのは、叔父の死後に遺された彼の日記を通じてのことだ。叔父は苦悩と、口に出せない妻への不信を秘して、鬼籍に入った。乳房の無い女は、拘束時の出来事を語った。3坪程度の留置場に十数人が詰め込まれ、汗と垢、生理と幼な子を持つ女性の乳の匂いが入り混じる。その中で、頑なに白いタオルを使わない若い女がいた。清潔な布を要する病人がいても、彼女はそれを渡さない。依怙地な女は、同房の村八分だった。軈て、房からの“釈放”が言い渡される。それは、何処かに連行されて処刑されることを意味していた。すると彼女は、看守に墨と筆を求め、そのタオルに自らの名前・年齢・出身の村の名を書き、自らの太腿にきつく結んだ。同房者たちにこれまでの“非礼”を託び、彼女は言った。「理められて体が腐っても、墨で描いた部分は腐らない」。いつか掘り起こされる時に備え、せめて身元を伝えようとしたのだった。初の短編小説『看守朴書房』に登場する明順は、この女性をモデルにしている。名も知らぬこの女の姿が、金石範を“4.3”に縛り付けた。彼女が他の囚われ人と共に殺されて、或いは生きたまま埋められた場所は恐らく、今の国際空港である。だからこそ、金は飛行機での上陸をなるべく避けてきた。「着陸する時ね、何か“ピシッ”と骨が折れ、軌む音が聞こえるような気がする」。金石範が「この空港を掘り返せ」と主張したのは、未だ死のような沈黙が支配していた時代である。それから数十年が経ち、当時は考えられなかった発掘作業が実際に始まった。想像できることは、何れ実現する。権力との神経戦を闘ってきた金の確信だ。あの当時、ソウルや済州島にいれば、金石範は恐らく殺されていた。遺された者の“罪悪感”と“義務感”が、彼を創作に駆り立てる。数ですら語られない人々の生と死を別の小説世界に蘇らせ、現実を切り崩す。その最大にして唯一の武器は想像力である。

「文学的な勝利とは何か?」と訊くと、少し考えて金は言った。「抹殺された歴史をフィクションで、別の形で作るということかな」。事実、作家の営みは、永久凍土の如き沈黙を解かし、4.3特別法制定の1つの流れとなった。だが、記憶を殺す権力との闘いは続く。乳房の無い女は、大阪では決して4.3を語らず、1960年、“帰国船”で朝鮮民主主義人民共和国に渡り、叔父の妻も夫の死後、息子と2人で“帰国”した。“あのような”過程を経て成立した韓国は、彼女たちの“祖国”ではあり得なかった。「私はね、日帝よりも寧ろ、親日派への憎悪が強い。それはどんどん激しくなるんだよ」。金石範は、建国時の憲法に言及する。「大韓民国の憲法はね、出鱈目で始まっています。3.1の独立精神を継承とか書いているけど、3.1独立運動を日本と一緒になって弾圧した連中が韓国を建国したんですよ! 9回ほど改定されて今は表現変わったけどね、最初のは真っ赤な嘘。あれは自己批判して作り直さないと! 過去清算にも関わる問題です」。盧武鉉政権時に纏まった真相調査報告書において、“4.3”は李承晩政権とアメリカ軍政が責任を負うべき国家犯罪と位置付けられているが、その後の“清算”は滞っている。「補償は勿論だけど、裁判ですよ。被告席にはアメリカも座るべき。それが回復に繋がる筈ですよ」。小説で弔ってきた死者たちを語る時、金石範は何度も言葉を失い、暫し沈黙した後、気を取り直して続けた。「私はね、生き永らえてしまった…。でもね、先立った者たちが私を力付けてくれる。訊いたことは破廉恥だったけど、でもね、聞いたからこそ小説に書ける訳です。私がこうして元気でいるのも、あの人たちのおかげなんですよ」。分断を拒否し、歴史の再審を前提とした統一を求める。金の朝鮮籍は、これら出会いと別れに打ち固められていった。次の小説は、対馬に行ってから書くことになるという。今春に会った折、金は言った。「もう、“あの小屋”の場所もわからない。でもね、土を踏んで、空気に触れるだけ、潮の匂いを嗅ぐだけでいいんです…。私ね、一杯泣いてきますよ」。決定的出会いを重ねた後、金は紆余曲折を経て『朝鮮総連』に所属する。1957年には『看守朴書房』と『鴉の死』を雑誌に発表。以降も傘下団体で働きながら、朝鮮語で幾つかの作品を執筆するが、政治主義への反発が膨らんでいく。1967年、当時は当然だった“組織の許可(批准)”を経ずに『鴉の死』を出版。大病で入院した後、離脱した。根底にあったのは、ヂンダレ論争でも争点となった“政治と文学”“組織と文学”の問題だった。「許可なんて馬鹿げている。『政治に文学が服従する』という発想があるからです。私の考えでは、文学は政治に服従しない。政治を避けるという意味じゃないですよ。自由の確立を考えれば、文学は政治的にならざるを得ない。問題は関係です。政治は血肉にしないといけない。政治を外から持ってきたら、文学はダメになりますよ」。以降、遅れた出発を換回する勢いで精力的に作品を発表する。

20160807 04
そこに舞い込んできたのが、在日による文化総合誌『季刊 三千里』への参加だった。ここで直面したのが、金の朝鮮籍とは切り離せない“政治と文学”の問題である。同誌のスタンスは、朝鮮総連の官僚主義への批判・韓国軍政への否・言論を通じた民主化運動への参画だった。主な編集委員は、総連を離脱した言論人である。総連からの攻撃は激化していく。「民族虚無主義」「反民族的背信行為」「KCIAの手先」…。総連機関紙誌による批判に反論したのは、主に金石範だった。一方で、韓国軍政からすれば、総連と敵対する元総連系人士たちが主宰する“左傾雑誌”は、政治工作の格好のターゲットでもあった。彼らの転向(思想的死)は、総連組織の意向にも合致していた。それはまさに、“変節漢たちの末路”だからだ。その最中の1981年、三千里メンバーの訪韓が持ち上がる。光州での虐殺から1年も経っていない時期だ。金に同行を迫ったのは、在日朝鮮人文学の“パイオニア”金達寿だった。「達寿さんが来て、『一緒に行ってもらわないと困るんだ』って。断ると腹立たしい顔してね。当局の条件だったんですよ」。名目は、死刑判決を受けた在日政治犯の減刑釈放の請願だった。「レーガン政権発足後、最初の同盟国首脳に全斗換が呼ばれた直後です。執行は先ずあり得ない。訪韓の理由に拾好つけている訳です。『滑稽だからお止めなさい』と言いました。『“太白山脈”の続きを書きたいけど行けない。気が狂いそうになる』と言うのも聞いてましたから、それなら『続編を書く為』と言って、堂々と個人として行けばいいと。作家が現地に行けない苦しみは、私のものでもある。作家がそんな理由で続編を書けないなんてあってはならない訳です。総連が『転向者の末路だ』とか批判するのは目に見えているけど、その時は私が防波堤になりますからって」。結局、金達寿らは、“寛容を請願する僑胞文筆家たちの故国訪問団”として訪韓した。思想を貫き、獄中にある者たちへの“寛容”な措置を独裁者に請願するというのである。だが、日程の大半は故郷訪問や観光に充てられ、韓国紙は総連と敵対する“左傾雑誌”一行の訪韓として報じ、当初の“目的”は後景に退いた。血と暴力の匂いを減じたい軍政の和合アピールに利用されたのだ。彼らが韓国から戻った後、金石範は編集委員を辞任した。軍政時代、代表的な総連切り崩し工作は韓国訪問だった。墓参りや別れた親族との再会、そして取材…。あらゆる“弱み”に当局はつけ込んできた。「私も色々ありましたよ。周囲に知られたくなければ小型チャーター機を用意するとかもね」。様々な形で故国行を“許可”された者たちは、軒並み朝鮮籍から韓国籍・韓国民となった。金石範を“純潔主義”と揶揄した金達寿も例外ではない。まさに、韓国行は“鬼門”だった。金達寿は結局、『太白山脈』の続きを含め、小説それ自体を書かずに鬼籍に入った。金達寿が『太白山脈』第2部を書けなかった“理由”については、幾人かの“推測”がある。文芸評論家の磯貝良治は、網羅的に4点を指摘する。

1つ目、1968年に第1部を終えて以降も、1981年まで現地取材ができなかった長さ。2つ目は、歴史研究が進み、金達寿が依拠していた従来の“左翼史観”や“世界観”では抵抗闘争を捉えられなくなった。3つ目は、在日の多様化が文学にも及び、創作の動機も定まらなくなったこと。4つ目は、既に金の関心が、ライフワークとなった歴史エッセイ『日本の中の朝鮮文化』シリーズに移っていたこと。野崎六助は、こう分析する。「在日朝鮮人文学の草分けだった金達寿は、在日朝鮮人作家として初めて“新日本文学”の中央委員になった。そこで共産党の分裂問題に直面し、党派対立の中に作家として巻き込まれていく。謂わば、他人の喧嘩に“日本プロレタリアートの後ろ盾”として担ぎ出されたことで、金達寿は作家としての自律性を失っていった」。諸説あるが、共通項は“政治との関係”である。金石範が指摘するのは、まさにこの点なのだ。「入国や国籍云々は、煎じ詰めれば個人の問題で、とやかく言うことじゃない。でも、政治と妥協し、誤魔化しを抱えて尚、文学が可能かという問題ですよ。文学とは善悪の葛藤から生まれる。嘘や開き直りからは葛藤は生まれない。あれほど切望していた韓国行が実現したのに、達寿さんは結局書けなかった。その事実を以て判断するしかない」。在日文学第1世代を1人で支えた大先輩の終焉に、金は“政治との闘いに敗れた”姿を見る。金が対比するのは金鶴泳である。吃音で在日という自らの境遇を見つめ抜き、軌みを発するような小説世界を構築していた彼は、韓国籍に切り替え、次第に北側の否定と南側への追随を露わにしていく。数年の沈黙後、彼は“スパイ事件”を題材にした小説『郷愁は終り、そしてわれらは――』を発表。1年2ヵ月後、自ら命を絶った。「彼は、日本の私小説的枠組みの中で創作をしていた訳です。それが韓国側に立ち、従来とは違う政治的な小説を書いた。政治を外部から持ってきて、消化できずに書いて、方法論的に行き詰まり、凄絶に政治に敗れた。私はね、彼はその誠実さ故に亡くなったと思っている」「私の文学は、政治を噛み砕き、呑み込み、溶かすんだよ」と金は言う。文学が自由を目指す営みである限り、あらゆる政治との非妥協は文学の生命線である。政治への屈服は、疫病の如く文学者の魂を汚染し、遂には作家を“死”に至らしめる――。金石範はそう考えている。1990年代、本誌や『文學界』等、複数の雑誌や、果ては文庫本の“あとがき”まで使って続いた李恢成との国籍を巡るやり取りも、その流れにある。李の韓国籍取得に端を発した“議論”は噛み合わなかった。激烈な言葉の応酬に、当時、筆者もページを繰るのに躊躇したのは事実だが、これは「“在日”文学者の内輪話」「泥仕合」(李恢成)に収めてはならぬ本質的な論点を孕んでいた。“同じレベルに降りる苦痛”に耐えて金が求めたのは、李と韓国側との国籍変更の約束の有無や、当局とのやり取りの真相を明らかにして、“鋼鉄の網”のように在日作家を取り巻く“政治と文学”との関係を論じることだった。

20160807 05
「嘘の無い言葉が文学の言葉」と語る金石範にとって、「実際は政治との妥協で国籍を変えた」李が金大中政権誕生等を“名目”に持ち出すことは、文学の(不)可能性という問題に直結する。李は自著の“あとがき”で、「(金の)デマゴギーに言及」するとして、“関係当局”との国籍変更の約束を改めて否定。事実上の“反論権の放棄”を宣言し、金がその後も公表した問題提起は宙吊りのままだ。批判の応酬が、“政治と文学”を巡る“論争”へと止揚される契機は失われた。インタビューは2時間半を回っていた。30分程前から金石範がそわそわしているのは、理由も含めてわかっていた。遂に、痺れを切らして金が口にした。「もうこんな時間ですね、次に行きましょうや」。近くの韓国料理屋に席を移し、酒を酌み交わしながらの“第2ラウンド”である。最近は専ら、外ではビールなのだという。「常温と冷たいのを半分ずつ入れるとね、冷たいのが下に溜まっていい温度になるのよ」。“指導”に従い、1杯目を交わす。グッと飲み干して前を見ると、目をギュッ瞑ったまま、細胞の隅々に染み渡る酒の味に浸る金が居た。まるで恋人が互いの唇を離すのを惜しむように、グラスから口を離さないのである。筆者がビールから焼酎へと進むと、「貴方は私を誘惑するねぇ」と自重していた焼酎を自身のグラスにも注ぐ。酒が酒を呼び、杯が進む。チヂミ・ホルモン鍋・アワビ粥…。酒食は、金石範文学の重要要素の1つ。何か小説世界に誘われた気になってくる。“思想としての朝鮮籍”が希求するのは統一祖国、そのビジョンは“支配せず、支配されない”自由と、その前提となる主体としての平等である。金は言う。「よくコスモポリタンみたいに言われるけどね、私は違う。民族派左翼だし、古典的なインターナショナリズムの持ち主なんです。コスモポリタンには主体が無いんですよ。独立した主権国家が無ければ、またどこかに支配されてしまいますよ。対等な主体があって初めて、インターナショナリズムが成立する」。だが、“正統性”もまた猛毒なのである。民族的正統性を掲げた革命国家が、如何に陰惨な行為を行ってきたかは歴史が証明している。そう訊くと金は、アイザック・ドイッチャーに言及した。イスラエル建国を歴史の必然としつつも、そのショービニズムを批判し、晩年には占領地からの撤退を主張した彼は、ナショナリズムについてこう語っている。「他国の支配下にある民族にとって、独立の国家体制は絶対的必要条件であり、1つの進歩を意味する。しかし、一度その民族が独立の段階に達した瞬間に、そこに心を固定し、それ以上のところを見ようとしなくなることは、その民族の退歩以外の何ものでもない。虐げられた民族のナショナリズムはそれなりの正当性を持つが、主権を獲得した国民が同じく、そのナショナリズムの正当性を求めることはできない」。そして、金石範は言った。「私は飽く迄も統一祖国を求める。実現すればそこの国籍を取り、国民となる。但しその時、私は最早民族主義者ではない。それ以降は、必要に応じて国籍を放棄するつもりでいる」。 =完


中村一成(なかむら・いるそん) フリージャーナリスト・元毎日新聞記者・在日コリアン3世。1969年、大阪府生まれ。立命館大学文学部卒業後、1995年に毎日新聞社入社。高松支局・京都支局・大阪本社を経て現職。著書に『声を刻む 在日無年金訴訟をめぐる人々』(インパクト出版会)等。共著として『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房)。


キャプチャ  2016年7月号掲載

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