【日日是薩婆訶】(11) 毎日、朝から晩まで津送の準備に明け暮れる日々が…

前回は、父である先住職の密葬までをご報告した。今回はその続きをレポートしたい。余所の寺の葬儀の話が面白いとは思えないが、どちらの和尚さんにとっても一度は通る盛儀、何か少しでも参考になればと思う次第である。先ず、前回のご報告にも書いたように、法類会議で導師を臨済宗円覚寺派の南嶺老師と決めた。脇導師は、同宗妙心寺派の宮城福島教区所長である塩釜の慈雲寺さん、そして会津柳津の圓蔵寺さんである。そのように決め、円覚寺に拝請にお邪魔する日程も決めてあったのだが、ここで不慮の出来事が起こった。花園大学で耳にされたらしく、静岡県からA老師が態々弔問に来られたのである。実は、先住職の津送という場合、導師の決め方には幾つかのパターンがある。うちの場合、「父が修行した円覚寺から、現在の老師にお越し頂こう」と思った。しかし、場合によっては、現住職である私の修行した天龍寺から来て頂くこともある。実際、祖父の葬儀では、父の師匠である朝比奈宗源老師に円覚寺から来て頂いた。無論、福聚寺は妙心寺派のお寺だから、妙心寺派の老師をお呼びすることも充分あり得る。そうした幾つかの可能性の中から、今回、私は父の修行した円覚寺からお願いすることにしていたのだが、そこにひょっこり静岡の妙心寺派のA老師が現れたのである。A老師は実に腰の低い方で、しかもどこへでも気軽に行かれる。まるで燃費のいい軽自動車のような老師である。その時も玄関に突然現れ、女房が応対に出たのだが、A老師の顔も存在も知らない女房が、慌てて私のところへ来て言った言葉が面白かった。「立派な和尚さんが玄関に…。早く行って」。そして昼食後だった為、作務着で向かう私を呼び止め、女房は更に「あの和尚さん、普通の和尚さんやないわ」と大阪弁で付け加えたのである。確かに、普通の和尚さんではない。老師なのだから特別である。しかし、単なる挨拶を交わしただけでそれを見破った女房も中々ではないか。それは兎も角、直ぐに私は本堂の下間まで案内し、A老師が祭壇のお経を唱え始めたので、唱和しながら、私は心中存分に困っていた。

通常、弔問に来られた和尚さんには拝請状を出すことになっている。既に75通程の拝請状は郵送してあったのだが、A老師には一体どうすればいいのか――。私は、そういう内容の困惑を、読経の内に深めていったのである。老師を新たに呼ぶとなれば、少なくとも脇導師にはお願いしなくてはならない。しかし、既に脇導師は2人とも決まっており、電話でのお願いもしてあった。「あぁ、これは困った」と思いながら、私は玄関で老師を見送りつつ、「近く、お邪魔します」と申し上げたのである。実は近々、静岡県沼津市で講演予定があった。その日に合わせて円覚寺にも拝請にお邪魔する予定にしてあったのだが、同じ日にA老師のお寺にもご挨拶にお邪魔し、今回はお呼びできない旨お詫びに伺おうと考えたのである。沼津の講演は、同じ妙心寺派の静岡東教区の和尚さんたちが相手である。その打ち合わせを電話でしている内に、事務局のK寺さんが実はA老師のお寺と法類なのだと発覚した。「お出でになるなら連絡しておきますよ」。K寺さんはご好意でそう言って下さり、あれよという間にまた連絡があって、「老師はその日、京都へ行く日なので、沼津の講演会場に顔を出すそうです」とのこと。「態々お出で下さった御礼とお詫びに伺おうというのに、老師のほうからまた出向いて頂いては恐縮過ぎる」。私はそう思ったが、お寺に伺っても上洛していて留守だとわかってしまった。それを知りつつ訪ねるのも失礼と思い、ぐずくずする内にとうとうその通りになってしまったのである。つまり、当日、鎌倉から沼津のホテルに行くと、既に老師がお待ちかねだったのだ。これ以上書いても蛇足だから止めるが、臨済宗にはこういう老師もいらっしゃる。本当に有難いと思う。因みに、津送が終わった後、A老師に引き物だけはお送りしたのだが、ご丁寧にも筆書きの礼状を下さった。驚くほどマメな老師なのである。また、それ以前に私は円覚寺を訪ねたのだが、こちらの青松軒老師も凄い方である。当日、私は「近隣の御寺院への引き物に…」と、老師に“御染筆料”を包み、色紙20枚程をお願いしてきた。父の略歴等を書いた文章も持参し、香語もお願いしたのだが、何と私が沼津から戻ってみると、その日の夕方に自坊に色紙が届いたのである。もう、何と言うべきか分からない。無常迅速、疾風怒濤、モハメド・アリの如き一撃であった。




扨て、お寺に戻ると、兎も角、津送の実質的な準備を進めなくてはならない。してみて驚いたのだが、実にするべきことが多い。思いついたことを次々して、葬儀屋さんやお寺の役員さん、或いは部内の和尚たちと相談などする内に、あっという間に日が過ぎていく。本山への届け出を済ませ、父の履歴を纏め、告報や差定を作り、その一方で密葬の決算もしなくてはならない。しかし、毎日のように弔問の人々が訪ねてくる為、区切りが付かないし、作業時間も確保できないのだ。臨済宗青年僧の会編纂による『法要の手引き』には、「小師(所謂喪主)は弔問客の相手をしてはいけない。目礼に留めること」とある。読んだ時は意味不明だったのだが、漸く諒解できた。なるほど、全ての弔問客の相手をしていたら準備が何も進まないのだ。その意味では、法類の若い和尚たちに本当に助けられた。1人は寺院関係の名簿を作り、領収証を準備し、また別な1人は堂内奉行(司会)や当日の維那に細かい打ち合わせに出向いてくれた。しかし、こちらもすることが途切れない。返信葉書を整理して宿を手配し、部屋割りを作り、駐車場を確保して、その看板や“往来御免”の札を作った。当日は未だ花見客(福聚寺桜は樹齢約450年)も予想された為、寺の下の坂は一般車通行止めにし、“往来御免”の札を持った人のみ通行できることにしたのである。そして、本堂に入り切れない人々の為に、モニター画面も設置することにした。駐車場にテントを張り、借りてきたパイプ椅子を並べる。そういった担当者を決め、その其々との打ち合わせも必要になった。業者との折衝は初論である。毎日、朝から晩まで何かの作業に明け暮れる日々が続いたが、確か3回目の部内会議の時、儀式についての意見が出た。津送では、先師の遺弟全員が小師と一緒に裸足で並ぶのだが、今は岩手県の寺の住職をしている私の弟も「一緒に並ぶべきではないか」と法類が提案したのである。これは難しい問題である。弟は、確かに父を師として私と一緒に得度したが、その後、岩手のお寺に入るに当たって師僧転換している。こちらの弟子から、向こうの和尚さんの弟子に変わったのである。しかも、弟の寺の先住職さんは既に亡くなり、弟は遺弟としてきっちり喪中を過ごしている。果たして、遺弟というのは何度もすべきなのか…。前例を憶い出すのだが、どうも両方の例があるように思えた。彼方此方知り合いの和尚にも訊いてみたが、意見が分かれる。そこで、私は思いきって、大本山妙心寺の教学部に電話で訊いてみた。電話に出た方は「個人的には一緒に立つべきだと思う」と言いながら、「念の為」と言って電話を保留にし、他の人々に訊いてみてくれた。すると、そこでも意見が分かれ、「師僧転換というのは、もっと重いものだ」という意見もあり、本山としての指針は示せないという。結局、「皆さんで相談して決めて下さい」と言うのである。振り出しに戻った形だが、私はその時点で弟に事情を話し、弟が了承してくれたので、私と弟、そしてK院和尚の3人で遺弟をすることにしたのである。儀式の流れの大枠は決まったものの、今度は会場の作り方が残っている。堂内の柱に白布を巻き、正面に“十仏名”と“四句誓願”を張り出す(或いは吊るす)と、『江湖法式梵唄抄』等にある。十仏名は兎も角、四句誓願というのは一体、誰の為に張り出すのか。私がそんな疑問を持ったのがイケナイのである。

だって、唱えるのは和尚たちだし、覚えていない人などいる筈もない。無論、遷化した和尚の為だとしたら失礼な話だろう。その疑問には誰も答えてくれなかったが、「兎も角、そうすることになっているのだし、普通にやりましょう」ということで私は書いた。しかも、半切に何度も書き直して完成させたのである。その後、メーリングボックスで各地の和尚に訊いてみたところ、福岡でも出雲でも兵庫県でも北海道でも「津送で“四句誓願”が張り出されたのは見たことが無い」と仰る…。葬儀には地方色があるものだし、仕方ないのでしょうね。こうした会場で問題になるのは、他に生花の置き場所のことだった。花輪は一切ご遠慮申し上げ、その旨各葬儀社に連絡してもらったが、生花までは断らなかった。これがどの程度届くかで、会場の席作りにも影響する。そんな時、女房が「生花の幾つかを胡蝶蘭の鉢にしてもらおう」と言い出したのである。なるほど、胡蝶蘭ならスタンド花より高張らないし、沢山並ぶと壮観である。しかも女房は、「葬儀が終わった後、スタンド花は処分するしかないけれど、胡蝶蘭ならお世話になった方々に御礼に差し上げられる」と言うのだ。後で配り歩く手間はそれなりにあるものの、これはちょっといいアイディアとしてご紹介したい。なるほど、御礼に貰ってくれた人々も相当喜んでくれた。会場作りで最も手間がかかったのは、一般の焼香ルート作りだろう。「本堂に入り切れないのは明らかだし、当初から本堂前に通路を仮設し、正面で焼香して通り抜けてもらおう」との計画である。これは、本堂工事を完成させた山形の加藤工匠の棟梁が引き受けてくれた。あまりに立派な角材が運び込まれた為、驚いてそのことを告げると、「あ、大丈夫。この材料、ちゃんと庫裡に使いますから」とのこと。上手いこと廻してくれるものだが、労賃は全てご奉仕だというから本当に有難い。リーフレット・一筆箋・クリアファイル等の引き物は届いたし、尊宿用の筆や爪香等も届いている。後は、「あ、食事の席表が無い」「あ、下駄箱にも名前が欲しい」と直前までバタバタである。本当は、ここに津送の儀式そのものもご紹介したかったのだが、また今回も余白が無くなってしまった。最後にもう1つ、引き物のお茶に纏わるアイディアを紹介しておこう。通常、引き物のお茶等は多めに頼んでおいて、余れば業者に返すようだが、うちの場合は檀家さんのお茶屋さんに頼んだ為、戻さない工夫を考えた。実際、弔問客の数は事前にはわからないのだが、やや少なめにお茶を用意してもらい、それ以上の分については“料金後納”の葉書で作った“お茶券”を入れた。そこに住所と名前を書いて頂き、投函してもらったのである。葉書はお茶屋さんに届き、その住所と名前の欄をそのまま切り取って封筒に貼り、お茶を入れてメール便で送る。実に無駄の無いシステムだが、これを考えたのも実は女房である。今回は、玄関でA老師を「只者じゃない」と見破り、スタンド花を胡蝶蘭に替え、無駄の無い“お茶券”システムを考えた女房に「スヴァーハ!」を捧げよう。この期間、朝から晩まで確かにすることはあったが、本は何も読まなかったのかというと、実はそんなこともない。カズオ・イシグロの大きな構想に基づく緻密な小説が、短時間で頭を解いてくれたことにも併せて感謝したい。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2016年7月号掲載
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