【異論のススメ】(18) スモール・イズ・ビューティフル…今こそ問われる成長の“質”

本というものは不思議なもので、かなりの年月を経て読み返せば、以前とは相当に異なった印象を受ける時がある。前には大変に面白く感銘を受けたものが、再び読めばどうも色褪せて感じることもあれば、またその逆もある。先日、シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』という本を読み返した。原書が出版されたのが1973年、邦訳が1976年。世界的なベストセラーとしてあまりにも有名で、ある年代のものには大変に馴染みの深い書物であろう。この頃、私は大学院生であった。この書物も読んではみたが、然したる感銘も受けなかった。別に異論がある訳ではなく、書かれていることは至極当然であるものの、「至極当然のことしか書かれていない」という印象であった。おまけに、『小さなことは美しい』というこのタイトルにも、何とも言えない偽善を感じたのであった。

ところが、それから40年経って、偶々再読した。「面白い」と思った。私の考えが変わった訳でもない。多少の経験故に、読解力が鋭くなった訳ではない。時代が変わったのである。もっと正確に言えば、本書でシューマッハーが訴えている“当然”のことが、実に新鮮に響くようなところまで時代が進んでしまったのである。シューマッハーはドイツ生まれで、戦後はイギリスの石炭公社の顧問をしていた文明論者である。1970年代初頭の、高度に発展した先進国の工業文明が齎す経済拡張主義や巨大化する技術を批判することが、本書の意図であった。書名から見当がつくように、「化石燃料資源をふんだんに使い、自然や環境を破壊し、効率化を目指す技術革新を遂行して、“より大きく、より多く、より遠くまで”を目指して経済成長を続ける先進国の工業文明は、最早持たない」というのが彼の基本的な考えである。この工業文明に対し、シューマッハーは「人間が、人間的な仕事をし、安定した生活をし、良い社会的関係を作っていくには、物事には適切な規模がある」という。「巨大信仰・効率信仰・成長信仰ではなく、もっと人間の身の丈に合った経済活動がある筈だ」という。科学技術の力を使って経済成長を生み出す現代の巨大な機械技術は、人間が楽しんでする仕事や、頭や手を使って行う創造的な仕事を奪ってしまった。それは、自然や環境を破壊するだけではなく、人間の尊厳や創造的能力をも破壊しかねない。そうではなく、「人間の創意工夫や楽しみと結び付いた、より機械化のレベルの低い“人間的な技術”がある筈だ。また、より小規模ではあるものの、土地や地域と繋がった経済活動があり得る筈だ」という。「小さくても大事な自分たちの土地や天然資源の面倒をよく見ること」が重要だという。つまり、物を矢鱈と作り、「企業も都市も大きいほうが良い」という“大きい規模”を目指す現代文明に対して、「自然や地方の生活、土地と農業を取り込んだ“適切な規模”を維持するもう1つの方向があり得る」と主張する。これは、1つの価値観の転換であり、シューマッハーの言葉を借りれば、新たな“形而上学”なのである。その為に先ず、今日の効率至上主義や物的な拡張主義を支えている経済学の考えから解放されなければならない。1960年代末から1970年代にかけては、一方で、工業社会は未曽有の豊かさを生み出し、日本でも『大阪万国博覧会』が開催されると同時に、他方で公害問題や環境問題が叫ばれ、朝日新聞も『くたばれGNP』といった特集を組んでいた時代であった。“人間性の回復”や“物質至上主義からの解放”等といったことは、1つの知的流行でもあった。だから、『人間復興の経済』という邦題を冠したこの書物等、正しくこの知的流行に棹さしたもののように、私には思われた。“人間的”とか“人間らしさ”という形容詞が如何にも安直なヒューマニズムに思えて、先ずそこに反発したのである。




しかし、それから40年経った。今日、嘗てなく技術主義と拡張主義は至上命令になっている。IT革命は次にAI(人工知能)革命を生み出そうとし、機械はロボットへ置き換えられようとしている。このような先端技術を逸早く採用した国や企業がグローバル市場を制覇して、経済成長を可能とするという。第4次産業革命とやらだ。アメリカも『ヨーロッパ連合(EU)』も、この方向で経済成長を追求し、日本も遅れまいと、これらを成長戦略に組み込んでいる。AIとロボットが人間を代替するような世界を目指している。こうなると、『人間復興の経済』等というタイトルが妙に新鮮に響くのである。今日、我々はグローバル競争に勝つ為に成長戦略を取り、その為に技術革新に躍起になっている。本末転倒であろう。シューマッハーは、次のようなことを述べている。「ある国のGDPが、例えば5%伸びたと言っても、それが良いことなのか悪いことなのか、経済学者は答えられない。病的な成長・不健全な成長・破壊的な成長というものもある。“質”を問わねばならない」と。AIやロボットが、そしてグローバル競争が、“人間”に対して何を齎すのか。それは良いのかどうか。こうした問いを、我々は発しなければならない時代なのである。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年9月2日付掲載≡




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