【日日是薩婆訶】(12) 僧侶の遷化とは“遷って変化する”だけだと確信する

前2回の“葬儀”レポートでは、結局、父の葬儀そのものについては書けなかった。今回は、“津送”を終えての印象も含め、書き残したことを書いてみたい。今頃何だと言われるかもしれないが、“津送”という呼び名について、これまで説明もしなかったと思う。僧侶の葬儀は“津送”と言い、それは“津(港)”から“送”り出す儀式なのだが、一体どこへ送り出すのだろう? 「港から送り出すんです」と檀家さん等には説明しながらも、「どこへ?」と訊かれることも無かった為、曖昧なままだったのである。僧侶の死を“遷化”と言うが、これは“遷移化滅”の略語とされ、「この世での教化を終え、あの世での教化に移る」ことだと言われるが、しかし、「行く先でも教化が必要だというなら、そこは“地獄”ではないか」と一瞬思う。津(港)から送り出すと聞けば、どうしても先ず浮かぶのは蓬莱山のイメージだが、蓬莱山で果たして教化が必要なのか、考えるほどによくわからなくなってくる。“遷化”とは、単純に“遷って変化する”ことではないか。死後の変化は恐らく千差万別だから、『荘子』風に“化”とだけ言っているように思えるのだが、どうなのだろう。「極楽にさして用事はなけれども 弥陀を助けに行かにゃなるまい」――こんな歌もあるにはあるが、極楽のイメージは素よりよくわからない。支援すべき弥陀の仕事とは、観音・勢至菩薩を従えての死者の出迎えと受け容れということか。それとも他に、何か大切な事があるのだろうか。「僧侶がこんなことでぐずついてどうする」と言われそうだが、旧来の“遷化”の解釈では“津送”のイメージに合わないのである。

ともあれ、どこへ往くのかは導師さまに任せ、津送当日の当方の最大の天候である。幸い、4月17日(月・友引)は朝から晴れたが、風だけが矢鱈に強かった。若しも無風であれば、儀式中は正面の戸を全て外し、一般の焼香客にも儀式が見えるようにと考えていたのだが、強風の為に叶わない。初めは中央だけ開け、三導師の後ろから執中が見えるようにしていたが、途中で風が強くなり、四句誓願を書いた幡が揺れて外れかかった為、止む無く閉めた。ある意味では、そのお蔭でセットしたモニター画面が非常に活きたとも言える。大勢の檀家さんが本堂前の仮設焼香所で献香した後、テントの中から画面に見入っていたことを後で聞かされた。儀式の順序で特に変わった点と言えば、導師出頭後、直ぐに用辞を挙げたことだろう。私自身、何かに書いた覚えがあるのだが、引導を渡した後の弔辞には、折角解き放たれた感情を未練がましく引き戻すような印象がある。そこで、円覚寺の橫田南嶺(青松軒)老大師に伺いをたてたところ、「円覚寺方式では伝統的に弔辞を前にする」と仰る。これ幸いと、円覚寺方式でお願いした次第である。弔辞は妙心寺派管長猊下(宗務所長による代読)・三春町町長・檀家代表と続き、最後に友人代表は『イトウカメラ』の店主・伊藤進氏にお願いした。父は20代で高校教師になり、初めて買ったカメラは月給3ヵ月分だったという。大学時代は和歌に熱中し、実作もしていたのだが、戦争と捕虜生活と道場を経た後はすっかりカメラにのめり込んでいく。檀家さんばかりでなく、高校の生徒たちやその後生まれる我々子供たちも、恰好の被写体になっていったのである。『アサヒカメラ』や『カメラ毎日』等でも何度か入賞している。その頃から父をよく知る伊藤氏に、「是非弔辞を」と頼んであったのである。




其々の弔辞は上手く内容がばらつき、多少ダブリながら、父の肖像の彫りを深くしていく。しかし、何と言っても圧巻は、横田老師の秉炬香語であった。これは奠湯・奠茶に続き、棺に火を点ける為の松明を持って唱えられる香語だが、「慈眼温容、徳化芳し、優游たり、九十有余霜」と始まった。張りのある透る声が、堂内一杯に満ちていく。「心地元穏やかに、妙慧自ずから彰わる」「円覚僧堂に掛錫し、仏祖の道を修し、平等軒裏に参叩し、本有の光を放つ」。平等軒というのは、父の師匠である朝比奈宗源老師のこと。それは父への讃辞にもなりつつ、その道を参叩し尽くした老師ご自身の矜持でもある。「故山に帰って教職に就き、福聚に住して宗綱を挙ぐ。能く和顔愛語を以て檀信の衆を度し、常に花に吟じ月に詠じては、三春の里を愛す」。本当に有難い、父の性向と生き方を充分に汲み取った描写である。それから老師は、父晩年の病床生語にも触れ、「灑灑落落、煒煒煌煌」と空気を一新した。音で聞いても恐らく意味は解らないのだが、明らかにその擬態語で堂内の空気が一新された。そして、「如上の閑葛藤は、是れ俊光明大和尚92年の活三昧也」と纏めの言葉。扨て、宗明和尚をどこに送り出すのか、耳を澄ませていると、「即今法幡を無生国裏に移置するの時」と来た。やはり、仏法の幡を移動させ、新たな地でそれを振るうのだから、“遷化”の“化”は“教化”ということか…。無生国、そこがどこかと詮索する間もなく、声に込められた力はどんどん大きくなる。「山僧聊か送行の一著有り、如何が挙揚せん」。そして、その送行の一句である。「鳥啼いて人見えず、花落ちて木猶香し」。まるで余響と余香そのものを描いたような一句…。そして、一呼吸あって、「咦~~~」。老師と言われる方の群を抜いた力をまさまざと見た思いであった。儀式箇々の動作も引き締まり、桜花舞い散る外の柔らかな空気を感じたのは、漸く焼香のお経が始まってからだった。

桜が終わると、他の木々や草が、まるで許しを得たかのように次々花開いてゆく。緑がどんどん濃くなる様は、命そのものの旺盛さと循環も感じさせる。答礼に伺った鎌倉では、4月だというのに既に牡丹が咲いていた。礼は尽くせないが、横田老師に御礼を申し逃べ、それから改築成った宗務本所に立ち寄り、朝比奈師や齋藤宗務総長さんにお目にかかって、山之内を辞した。老師には、「これからまた庫裡の普請に入る為、1周忌や3回忌が通常にはできない」と申し上げた。本来なら、1周忌か3回忌までに頂相を仕立て、老師を再びお招きして開眼して頂くのだろうが、その頃は恐らく庫裡の工事中で、内輪での法要にせざるを得ないのである。それにしても、津送というのは中々区切りがつかない。「当日来られなかったので…」と香奠をお持ち下さる方が、2ヵ月半経っても未だいらっしゃるのである。また、そのせいでもないだろうが、私は何年ぶりかで風邪を引いた。1日ほどは寝込んだから、これは10年ぶりくらいだろう。女房も母も中々抜けず、母なんかは入院してしまったから、やはり津送の疲れなのだろうか。私は久しぶりに、野口晴哉氏の『風邪の効用』を憶い出した。読み返しはしなかったが、「今は風邪を引くべき時だった」と思いなし、諦めて静養と言いながら、依頼されていた新書を纏めることにした。昨年、死の臨床学会等を始め、彼方此方で“臨終行儀”や“いろは歌”等の講演をした。國學院大學では『現代社会で死と向き合う』と題し、葬儀や癌治療を巡る問題等も論じた。「それらを総合し、加筆して新書にしたい」と、ある出版社が講演テープを起こしてデータで送ってきていたのである。津送もあるし、無理だと思っていたのだが、思わぬ風邪で気が変わった。凡そ70枚分を加筆し、修正も加え、『やがて死ぬけしき』と題して“まえがき”も書いた。思えば、「今こそこの本を書くべき時だった」と、抜けない風邪を払拭できないまま、「スヴァーハ!」を唱えたのである。また、8月に出るNHKブックスの『荘子』の為に、最終章を書く作業もあった。その為、津送後に『荘子』を読み直さなくてはならず、これがまた良い経験だった。結局、これは“自己”という思い込みを、幾重にも外し続ける物語ではないか――。そう思えてきて、冒頭の小さな魚の卵が一気に鳳に変化することも笑いながら読み返せた。死後の世界があまりに素晴らしいので、生前に不安がっていた自分を笑う話も出てくる。「なるほど、やはり僧侶の“遷化”とは“遷って変化する”だけだ」と確信できた。そして、どう変化しようと、それを楽しむ覚悟をした人こそ荘子であり、また僧侶でもあってほしい。

津送後の日常には、風邪でも容赦なく講演や対談が入っていた。円覚寺に答礼に伺った帰りに東京都内で講演したのを皮切りに、京都・名古屋・東京・岐阜・横浜・宮城での約束を果たした。特に変わった内容だったのは、岐阜のホテルで行われた元高野山の座主・松長有慶師との公開対談だろうか。其々が講演し、それから『中日新聞社』の小出宣昭社長の進行による鼎談をしたのだが、密教における“環境”の捉え方が刺激的だった。また、祈祷や加持についても改めて考える機会になったが、禅宗の坐禅に比べ、真言密教の“阿字観”があまりにも普及していないことに、苦言も出てしまった。勝れた瞑想法であるだけに、もっと積極的に広めてほしいと思う。そういえば、その間に私が理事長を務める『たまきはる福島基金』総会もあった。これは、東日本大震災の年の秋、福島県の子供や若者を支援しようと立ち上げた基金だが、国内外の様々な個人や企業から御寄付を受け、被災市町村からの申請によって多くの活動を支援してきた。今回の総会では、御寄付をして下さる方にとって有利な“公益法人化”が話し合われたのだが(現在は一般社団法人)、公益法人になる為には総会の数も増やさなくてはならず、本人出席率のハードルも高くなる。被災市町村はそれでなくても忙しい為、「これ以上、理事の仕事を増やすのは無理だろう」ということになった。「もう、福島は充分復興した」と思われる向きもあると思うが、特に双葉郡の町村ではそんなことはない。居住制限区域や帰還困難区域にいた人々にとって、戻れない故郷をどう保つのか、或いは子供たちにはどう導けばいいのか、これは大問題なのである。大体、この三春町だけでも、未だに仮設住宅に住む人々が600人余りいるのだから、“充分復興”などとんでもない。『たまきはる福島基金』は、主に子供たちの紐帯を保つような活動の援助が多いのだが、ご興味のある方は是非ともホームページを開いてみて頂きたい。多くの支援者の皆さんに、この場を借りて「スヴァーハ!」と申し上げたい。扨て、今晩はお通夜だが、まもなく姜尚中さんとの対談もある。もう、津送や風邪のせいにはできない日常が始まった。因みに、今月のスヴァーハ本は、2冊の岩波新書、『日本仏教史』(著・末木文美士)と『密教』(著・松長有慶)であった。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『仙厓 無法の禅』(PHP研究所)。


キャプチャ  2016年8月号掲載



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