【震災5年・復興】(05) 人も企業も仙台に集中

20161021 01
安藤譲さん(79)・則子さん(75)夫妻は昨年5月、約5倍の抽選に当たって、仙台市太白区長町地区の災害公営住宅に入居した。東日本大震災の津波で宮城県石巻市の牡鹿半島の自宅を失い、息子たちが住む仙台市に移ってきた。何をするにも車が欠かせなかった暮らしは一変。大型スーパーまで歩いて行ける。デパートにも地下鉄で直ぐだ。お盆や正月ぐらいしか会えなかった孫たちとも、頻繁に遊べるようになった。「長町での主活は本当に便利。ここで暮らせて良かった」。2人は仙台に永住することを決めた。震災では、仙台市も沿岸部が大きな津波被害に遭った。しかし震災後、他自治体の被災者や復興事業の関係者が続々と住み始め、震災前から続いていた人口増に拍車がかかった。昨年の国勢調査(速報値)で、宮城県内の自治体が軒並み人口を減らす中、同市は2010年の前回調査から3.5%・約3万6000人の増加となった。市内では各地で開発が進み、安藤さん夫妻が住む長町地区でも、大型商業施設が相次いで出店。昨年には災害公営住宅3棟が建設され、高層マンションも来年までに2棟が完成する予定だ。

一帯のマンション分譲価格は震災前、3LDKで3000万~3500万円が相場だったが、今は4000万~4500万円に吊り上がったという。「仙台に人が集まる状況は変わらない。マンションもビルも、未だ需要はある」。『野村不動産』仙台支店の井本登啓支店長は見通しを語る。昨年末には地下鉄東西線も開通。沿線では住宅開発が進み、東の発着点となる荒井駅(若林区)周辺は、戸建てを中心に建設ラッシュに沸く。計約530戸が入居する災害公営住宅も建てられる等、3000世帯以上が住む見込みだ。企業も次々と市内に進出している。山形県鶴岡市に本店を置く『荘内銀行』は、地元支店の統合を進める一方で、震災後、仙台の2ヵ所に支店を相次いで設けた。住宅ローンの需要増を見込み、来月には荒井駅近くにも支店を開くという。国井英夫頭取は、「山形では拡大の余地は大きくないが、宮城は個人取引も広がっていく可能性が高い」と期待。大手スーパーの『ヨークベニマル』も、東京電力福島第1原発事故の影響で本社のある福島県内の5店舗を休業させたが、震災後、仙台市内に6店を出店した。賃貸オフィス仲介の『三鬼商事』(東京都中央区)によると、仙台市内のオフィスビルの空室率は2010年に20%前後だったが、昨年は10%程度にまで下がったという。震災後、人や企業が集中する現象は、岩手・福島両県の内陸の都市部でも起きている。復興が徐々に進む沿岸部と、急速に発展する都市部。スピードの差が鮮明になっている。




東日本大震災の後、多くの被災者が新たな生活の場を求めて、3県の都市部へ移住した。震災が無ければあり得なかった人口増。街では目覚ましい開発や企業進出の一方で、急激な変化による歪みも出始めている。仙台市等3市のケースをリポートする。

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①仙台市…住民急増で街並み激変
仙台市太白区の長町地区では、暗礁に乗り上げていた開発が震災後、再び動き出した。100ha近い広大な旧国鉄貨物線跡地等を活用し、新しい街の開発事業がスタートしたのは1997年。一帯は、“明日”の“私たち(us)”との期待を込めた『あすと長町』と名付けられ、10年がかりでJRの新駅や道路等が整備された。高速道路や有料道路にも近く、「ポテンシャルの高い地域」(『ニッセイ基礎研究所』主任研究員の加藤えり子氏)。ただ、当初描いた開発や進出は次第に滞った。2008年のリーマンショックの影響が大きかった。2011年3月の震災で、街の様相は一変した。仙台市内で最大規模の仮設住宅が翌月、建設されたのだ。全233戸の『あすと長町仮設住宅』。ピーク時には442人が暮らし、周辺のアパート(見做し仮設)等にも次々と被災者が住み始めた。急増した消費者を狙い、大規模家具店やホームセンターが進出。高層マンションの建設も進んだ。市仮設住宅室の担当者は、「JRの駅近くに、あれだけの規模の土地を確保できたのは本当に助かった」と振り返る。長町地区には昨春、自宅を再建できない被災者の為の災害公営住宅が3棟完成し、約700人が新たな生活を始めた。障害者らの優先入居を除く一般入居の抽選倍率は3~5倍だった。しかし、直ぐ近くのあすと長町仮設住宅には尚、約40人の被災者が暮らす。買い物から病院まで利便性の高い生活環境を気に入りながらも、高倍率だった災害公営住宅の抽選に漏れ、仮設から出られない人も少なくないという。一帯で新たな災害公営住宅の建設予定は無い。震災から5年。仙台市内でも、仮設住宅の集約や解体が進む見通しだ。宮城県女川町から避難し、仮設暮らしを続ける60歳代の女性が肩を落とす。「これからも長町で暮らしたいけれど、金銭的に厳しい。独り暮らしだし、一体どうすれば…」。仮設を出ても行く当てが無いという。災害公営住宅に入居できた人も、別の不安を抱えてい る。同県山元町で被災し、長町地区の14階建て災害公営住宅に夫と暮らす小畑としこさん(81)は、同じ階に住む他の7世帯の住民の顔も名前もよくわからない。震災前は毎日、庭の手入れをし、ご近所とお喋りをするのが当たり前だった。「災害や病気になった時、助け合うことができるだろうか」。震災で街も生活も激変した。被災者たちの不安が無くなるのはいつだろうか。

②いわき市…渋滞・ゴミ増え医師不足
住民の急増で、福島県いわき市は従来の生活環境が大きく変わった。渋滞や医師不足等の問題が生じている。「渋滞が酷いし、生活道路も抜け道に使われて怖い」。同市には、そんな苦情が頻繁に寄せられる。市の人口は約35万人。東京電力福島第1原発事故で避難してきた約2万4000人が暮らす中、原発の廃炉作業員らも利用する市内の国道や県道は朝夕のラッシュ時、混雑するのが当たり前になった。「朝5時頃からクラクションが鳴り響く」と、県道の交差点近くに住む女性(67)は溜め息を吐く。国や県は中央分離帯の植栽を撤去したり、歩道を狭めたりして車線を増やす等、渋滞の解消に懸命だ。ゴミの量も増えた。2010年度に約13万2000トンだったが、2014年度には約4000トン増となり、市の担当者は「人口減でゴミは減っていく筈だったのに…」と戸惑う。市は2ヵ所の焼却施設の内、今年度で廃止予定だった1施設の継続を決め、約90億円を投じた大規模改修を始める。医師不足にも拍車がかかる。市の人口10万人当たりの医師数は、2014年12月時点で172.1人。全国平均の233.6人を大きく下回り、特に病院の勤務医は288人と、中核市では愛知県岡崎市に次ぐ少なさだ。いわき市消防本部によると、救急車に患者を運び込んだ後、搬送先の病院を決めて出発するまでに30分以上かかるケースが年々増加。2011年は搬送者数全体の9.9%だったが、昨年は19.4%と10ポイント近く伸びた。「医師が足りず、受け入れ態勢が整わない」として拒まれることが多い為という。どの病院からも拒否された場合の受け皿となるのが『市立総合磐城共立病院』だが、2014年の救急受け入れ人数は約1万8000人と、4年前に比べ約1500人増えた。「何とかギリギリ踏ん張っている状況だ」。新谷史明院長(62)は危機感を隠さない。介護の現場も同様だ。福島労働局によると、2011年4月に1.8倍だった同市の介護職の求人倍率は、今年1月には3.56倍に跳ね上がった。市内の特別養護老人ホーム16施設の内、3施設が職員不足で定員まで入所者を受け入れられない状況だ。ある施設の事務長は、「高齢化が進み、これからも入所希望が増えるのは確実。やっていけるのだろうか」と不安を語った。

③石巻市…「買い物便利」被災者移住
宮城県石巻市の内陸にある蛇田地区も、震災後に大きく変わった街だ。広域が津波で浸水した旧市街地とは対照的に、津波被害も少なく、大型商業施設が集積しており、多くの被災者が移住した。三陸自動車道のインターチェンジに近い同地区には、10年ほど前からスーパーや家電量販店等が相次いで出店していた。生活が便利な地域として被災者の注目が集まり、一帯の災害公営住宅への入居希望世帯は、当初計画の700世帯を大幅に上回る1603世帯。市は整備戸数を見直した。宅地も人気だ。不景気で6年間も買い手がつかなかった分譲地63区画が、震災後1年で完売したり、この5年で坪単価が倍以上になったりした土地もあるという。地元で不動産業を営む佐々木徳之さん(47)は、「沿岸部の多くの店舗が流されたこともあって、買い物が便利な蛇田に注目が集まったのだろう」と見る。今月26日には、震災後に計画されたJR仙石線の新駅『石巻あゆみ野』が、蛇田地区西部に開業する。『JR東日本』によると、震災後に被災3県で新駅が誕生するのは初めてで、街は更に便利になる。子供の頃、一帯の田圃で泥だらけになって遊んだという佐々木さんにとっては、違和感もある。「急に変わったせいか、どこにでもあるような街になってしまった気もします」。

■新しい住人、交流生む仕掛けを  東北大学災害科学国際研究所・岩田司教授(地域住宅計画)
地方から都市部への人口移動は、震災前からの傾向。震災で働く場が失われた被災地では、その流れが加速し、若者を中心に人口が都市部に一極集中することになった。しかし、被災地の高齢化は進んでおり、何れその流れは止まる。そして、都市部にも多くの高齢者が溢れることになるだろう。仙台市の長町地区周辺には元々、空きアパートが多かった為、市内外の大勢の被災者が見做し仮設として移住することになった。これから大事になるのは、そうした住人に積極的に外に出てもらうことだ。人が街を歩けば、“序で”に買い物をして経済が循環し、人と人との交流も生まれる。長町は現在、民間の事業者が活発に開発を進めているが、移住者が減れば、そのペースも鈍化する。今後は、市が公共施設を上手に配置する等、街に交流を生む仕掛けを作っていく必要がある。


≡読売新聞 2016年3月5日付掲載≡



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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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