【日日是薩婆訶】(13) 「そのうち何とかなるだろう」といつも励ましてくれる

父の葬儀の報告が終わり、漸くフリーになったと思ったらお盆である。しかも、お盆が明けた途端に庫裡の改修が始まる為、今はお盆準備と引っ越し作業を同時進行中である。こんな忙しさを気遣ってか、お葬式があまり起きないのが不幸中の幸い。まるで道場にいた時のように、毎日、朝から晩まで肉体労働が続いている。父の津送後には、あまり遠くでの講演は入れず、お寺にいることが多かったのだが、そんなある日、インドで活躍中の佐々井秀嶺師が訪ねて来られた。事前の連絡は、坐禅会に来ている横浜の黒澤雄太氏からあったのだが、この方は真剣の使い手である。佐々井師のインドでのイベントに弟子たちを引き連れた関係で、今回もどこかで両者の催しが行われたようだ。佐々井師は1935年生まれ。流石にお年は召したものの、気力に溢れた方だった。東日本大震災の被災地である福島県内を巡り、それからうちにお出でになったらしく、挨拶もそこそこに真っ直ぐ本堂に入り、執中の香炉の前でガラガラ声の『般若心経』を唱え出した。他に僧形の方が2人ほど、私も唱和したのだが、どこかに座るでもなく、板の間に立ったままの読経である。最後は普回向。“普く一切に及ぼし”という言葉が、この時はまさに字義通りに聞こえた。宗派を超え、海を隔てても、直ぐに通い合う“お経”という寶を我々は持っている。それが有難いと思えた。佐々井師が当山に見えた理由は、よくわからない。私はただ、一緒にお茶を飲み、女房の用意した食事を共にしながら、インドでの御苦労を聞き、今後の展望を窺った。「インドは兎に角暑い」と言うのだが、今年、インドでは摂氏51度という観測の最高気温を記録したと、後に知った。「日本に戻ったのは避暑の為」というのも、強ち冗談ではなかったのだろう。佐々井師の本名はアーリア・ナーガールジュナといい、既に50年も前にインドに渡った日系インド人僧侶である(インド国籍取得は1988年)。佐々井師の活動は、ビームラーオ・アンベードカル(1891-1956)の所謂“仏教復興運動”を引き継ぐものと理解できる。仏教発祥の地の大部分を占める宗教は今も尚ヒンドゥー教だが、その社会基盤をなすカースト制度そのものの因習を打破すべく、最下層とされるダリットの人々を次々に仏教へと導いているのである。

久しぶりの日本料理を楽しみながらも、佐々井師の一挙手一投足には、インドでの“闘い”の日々が感じられた。インドに帰国すると間もなく、50組の集団結婚式の戒師をしなくてはならないとのこと。日本で“婚活”の為、お寺が出会いを提供するのとは訳が違うのであった。あっという間に佐々井師一行はワゴン車で去って行ったのだが、師の今後益々の活躍に大きな「スヴァーハ!」を贈りたい。これは、まさに果てしない道の成就――即ち、彼の“闘い”の勝利を信じて、である。扨ても引っ越しは厄介である。幸い、引っ越す先は境内の別棟なのだが、何せ本の移動だけで何ヵ月もかかっている。「この際だから徹底的に…」等と思うからドツボにはまる。途中でお葬式ができれば直ぐに中断し、然して捗らない内に乱雑なまま日常に戻らなくてはならない。しかし、箪笥の抽斗まで洗いざらい出して見ていると、これまで見たことのないものも出てきて面白い。驚いたのは印鑑類で、父や祖父の代にはパソコンも無い為、会計処理には小さな判子を無数に用意していた。“菓儀”・“香資”・“賀儀”、或いは“菩薩部”等、今ではコピペで済むことだが、当時はノートに数字を書き、そして判子を押していったのだろう。古い会計帳簿(“把住放行”と表紙にはある)は、「この際だから」と燃やしたのだが、無数の判子類も迷った末に燃やした。困ったのは、古い埋葬許可証である。現在でも、これは墓地管理者に届けられ、埋葬の折に渡されて抽斗に仕舞ってはあるのだが、一体、何年間保存すべきなのかがわからない。昭和30年代には時々、警察が見回りに来たのをうっすら覚えている。つまり、埋葬許可証も無く、埋葬されてしまうこと(要するに犯罪)を防ぐ為、警察と保健所が連動して動いたのである。しかし、今や土葬も無くなり、理葬許可無く骨にされるとも考え難い。無論、『オウム真理教』の例もあるから、「絶対に無い」とは言い切れないが、そんな場合でも寺墓地に態々埋葬することはないだろう。ここ30年ばかり、埋葬許可証の確認に誰かが来たことは一度も無かったし、「えぇい、ままよ。この際だ」とばかり、戦後間もない頃からの膨大な埋葬許可を、これまた処分したのである。問題は無かっただろうか? 抽斗からは、他に父の若い頃の引導香語や、先々代辺りの書き付け等も出てくる。何となく筆書きのものは保存したくなり、宝物庫へと運ぶのだが、ここもまた一杯になりつつある。持って行って逡巡してから保管を諦め、再び持ち帰って処分したものも多い。地下に図書室があるからそこで救われたものもあるが、その際も持ち込んだのと引き替えに何か捨てるものを探した。処分する本は友人の営む古本屋へ送るのだが、送るか捨てるかの判断も時によって変わる。気分によって捨てられたり残されたりするのも申し訳ないが、これはどうしようもない。




引きこもってそんなことをしているうちに、世界ではバングラデシュのテロ事件が起こり、初めて日本人が纏めて標的にされたことに驚く。そして、じっくり考える間もなく、今度はフランスのニースでのトラック突入、更には相模原での信じられない事件である。殆どテレビは視ないが、どの局も一斉に放映しているのは見当がつく。まるで前の事件に上書きするように、次々驚嘆すべき事件の連続なのだが、暫くして報道の在り方に疑問を持った。先ず、バングラデシュの事件で、大手新聞社は被害者の名前を中々報じなかった。「個人情報だから」という外務省のコメントがあったが、無辜の人が殺された事実を報じるのに、誰にどんな気遣いがいるというのだろう。対照的なのは、地方紙に配信された共同通信の記事で、そこには名前や写真も早々に掲載された。しかし、相模原の事件の時は、どちらにも名前が載らないのだ。「主に精神障害のある被害者だから」というが、「それは逆に差別的ではないのか」と関係者たちも意見書を出したらしい。死という事態まで個人情報だという考え方は、一体、どこからいつ持ち込まれたのだろう。自らも障害を持ち、「若しかすると昔、同じ施設にいた人が被害に遭っているのでは?」と気にする人も、被害者名がわからず困っているという。19歳のA子さんとか43歳のB男さんでは、19人の被害者も浮かばれないのではないか。19人をナイフで刺し続ける等ということは、其々を名前の無い“重複障害者”としか見ない犯人にして初めて可能になったのだろうが、それと同じ無名氏としての扱いを、報道もしているのではないか。そんなことを思っていた時、久しぶりに葬儀のお知らせが入った。よく知っている檀家さんで、知的障害を持つC子さんが転移性肝臓癌で亡くなったというのである。行年は数えだが43歳。見かけはもっと若く見えた。3人姉妹の末っ子で、姉の夫が夕方に知らせに来た。聞けば、医者嫌いだった彼女がとうとう食事を取り難くなって、病院に行ったのが6月初め。その時点でCTを撮り、血液検査もして病気も発覚したが、医師としては「既に手の施しようがない」と何の処置もしなかったらしい。それでも癌性腹膜炎の為、腹部はどんどん膨れてくる。彼女も死を意識したのだろう。「寂しい」「怖い」と頻繁に言うようになった。彼女にとっては、親族・身内は疑いなく自分の味方で、既に亡くなった母親の妹(叔母)さんにもよく電話したらしい。親族にとっても、彼女ほど無条件で頼ってくれる人はいないのだろう。甘えん坊でもあったけれど、彼女の求める団欒を、いつしか自分でも求めていたことに皆、気付いていく。猫の“ミケ”を溺愛し、ぬいぐるみの“モモ”を肌身離さない彼女だったが、軈て食欲がか細くなるにつれ、その執着が薄れていく。

そんな彼女を見ていた姉夫婦やその子供たちは、6月後半から彼女の好きな小旅行に連れ出すようになった。初めてのディズニーランド、そして那須の南ヶ丘牧場、更に7月に入ると、泳ぎはしないものの、皆でいわきの海までドライブをしたという。その度に、彼女は心底嬉しがり、「また来ようね」と繰り返す。恐らく、本人も「またの日は無い」と気付いていたのではないか。「どんな義妹さんでしたか?」と義兄に訊くと、蔵王の温泉宿から婿に来た彼は、「いると周りが明るくなるんです」と言う。少し未熟で生まれたものの、知的障害を背負った直接の原因は、その後の発熱らしい。しかし家族は、亡くなった祖父母を初め、誰もが彼女を大切に育てた。手間暇かけてという意味では、最も愛された子供ではなかっただろうか。昔から病院嫌い・床屋嫌いは定評があったが、健康であるうちは何も問題は無かった。義兄によれば、彼女は「計算はできないのに記憶力は恐ろしく良い」とも言う。また、「言われたことは素直にするが、長続きはしない」とも評した。忙しい企業で働く婿殿は、或いは自分の日々の価値観の対価値を、彼女の中に見い出して安らいでいたのではないだろうか。彼女を括る“知的障害B”が、私にはどの程度の障害を意味するのか、よくわからない。五体満足だったし、見かけでは殆ど普通と変わらない。ただ、普通の人よりずっと人懐こく、正直なだけではなかったか。何より、そんな括り以前に、彼女には彼女だけの人生があったし、彼女独特の小さな社会もあった。“いると周りが明るくなる”なんて、減多に見られない凄い能力ではないか。世界情勢も動いているし、東京都知事選もあった。世の中を見回すと思うことは様々にあるが、今の私は兎に角、彼女の為に出来る限りの見送りをするだけだ。名前だけでなく、その人生を如何に讃え、どこに見送るのか、自分の人生さえ賭けて真剣に考えなくてはならない。お盆準備も遅れ気味だし、引っ越しもまだまだ中途半端。焦る気分は大いにあるが、「そのうち何とかなるだろう」――植木等の歌声が、いつも私を励ましてくれる。今月のお勧め本を紹介したいが、殆どが肉体労働の日々。敢えて挙げるなら、柳美里さんの『ねこのおうち』(河出書房新社)だろうか。ここには、様々な猫との出会いや別れ、共に暮らす時間が丁寧に繊細に綴られるのだが、同じ親の許に生まれた子猫たちのその後の暮らしの違いに愕然とする。思えば当然のことだが、「遺伝子が殆ど同じなのに、これほど違う」というのは人間も同じ。そんな先祖や動物にまで思いを馳せるなら、お盆にこそ相応しい本である。「寝る前に、この本を開く時間だけが安寧」というお盆前の日々なのだ。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2016年9月号掲載



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