【異論のススメ】(20) 中等教育の再生…“脱ゆとり”で解決するのか 

少し前に、アメリカの映画監督であるマイケル・ムーアの新作『世界侵略のススメ』(IMG FILMS・角川映画)を観た。ヨーロッパ各国を回り、アメリカには無い各国の“ジョーシキ”を紹介するというドキュメントである。その中で、フィンランドの教育が紹介されていた。フィンランドの教育改革は、2003年の『経済協力開発機構(OECD)』の学習到達度調査(PISA)でいきなりトップに躍り出たことでよく知られている。その理由を教育大臣にインタビューすると、「宿題を廃止して、放課後は外で遊ぶように指令を出した。すると、学力が上がった」と言う。「いつも勉強ばかりしていては頭も働かなくなるでしょう」という訳だ。片や日本では「国際的な学力順位が低下した」と言い、「教科書を分厚くして、授業時間を増やし、英語は小学校から始める」という話になっている。「学力低下の原因は、授業が未だ足りないからだ」というのだ。また、先頃発表された文部科学省の調査によると、昨年度の小中高の苛め件数は過去最多で22万件を上回り、暴力行為も約5万7000件で、これも増加しているそうである。小中の不登校は12万6000人で、3年連続増加している。「小学校では、苛め・暴力・不登校全て過去最多となった」と報告されている。数字に反映されないものも含めれば、もっと多いだろう。また、統計化すると個別の事情が隠れてしまい、却って実態がわかり辛くなるという点もあるだろう。しかし、「苛めや暴力が常態化して、学校が機能していない」という話はよく聞く。子供たちには大きなストレスがかかっているようにみえる。その上に、PISAのランクを上げる為、「もっと授業を」ということになっている。こうなると、学力的にできる生徒とできない生徒の差は一層開き、できない生徒は益々学校が面白くなくなるであろう。学校間でも格差ができるだろう。とすると、学力向上の方針が、苛めや校内暴力を一層激化する結果に繋がりかねない。

今日の中等教育は、あまりに問題を含み過ぎており、どこから手を付ければいいのか、途方に暮れるといった状態にある。ストレスを抱えているのは教師も同じで、先の「暴力行為の14%が教師に向けられている」という事実をみても、今日の学校の状況が推し量られる。地域や学校によってかなりの差があるので、一般化はできないが、とりわけ公立中学校の教師の負担は、教職という職種からすると、想像を絶するような忙しさである。週に25時間の授業をしつつ、其々の業務の他に、部活・会議・素行不良生徒への対応等が続き、帰宅は深夜近くになる…等という話はよく耳にする。ある調査によると、フィンランドの教師の学校滞在時間が1日当たり7時間なのに対して、日本は平均11時間半に及ぶという。そこへ持って来て、日本では土曜・日曜も部活の為に出なければならない。部活に取られる時間とエネルギーは相当なもので、部外者からすれば、一体どうして部活のウェートが斯くも大きいのか不思議なのだが、おかげで教師も生徒も殆ど休日が無くなっている。OECDの調査によると、加盟国の週平均勤務時間が約38時間で、日本は54時間にもなっている。多い教師は、これを遥かに超えるだろう。こうなると、教師も疲労困憊するのは当然だろう。大学を出て、教育という遣り甲斐のある職種に就いた筈の新任教師のかなりが、この現実の前に挫折し、休職や転職を余儀なくされる。すると、益々現場の教師の負担は増える。しかも、誠実で力を持った本来の教師らしい教師の負担が益々高まる。こうして、優秀な教師も潰されていく。特に、校内暴力等の問題を抱えた学校へ配属された有能な教師は、有能であるが故に問題校から脱出できず、そのうちに心身共に消耗していく。こんなことが繰り返される。




確かに、分数の引き算ができない大学生も問題であろう。PISAの成績低下も問題かもしれない。しかし、本当に深刻なのは、学力的に言えば“中”から“下”へかけた生徒の中等教育だと思う。恐らく、日本において学力レベルでトップクラスの子供たちは、世界水準でもトップレベルであろう。彼らは多くの機会に恵まれ、その多くは充実した学校生活を送っているのかもしれない。しかし、平均から下へかけては、学校自体が面白くなくなってしまう。しかも、苛め・校内暴力・不登校の場合、子供からすれば、家庭が上手くいかず、居場所が無くなっているケースが多い。これは学校だけの問題ではなく、社会問題でもあるのだ。フィンランド方式は、10年ほど前に日本でも話題になった。勿論、人口550万人ほどの国と日本の比較はあまり意味は無いし、フィンランド方式を日本に持ち込むのは無理であろう。しかし、フィンランド方式とは一種の“ゆとり教育”であり、平均以下の子供の底上げを狙って、個々の子供に合わせた学習を採用するものであった。日本は逆に“脱ゆとり”で、益々子供にも教師にも負担を強いる方向へ向かっている。思春期に入る不安定な子供の中等教育は極めて大事なものであり、一度、どこに問題があるのか、現場の教師の見解も含めて大規模な調査と議論を行うべき時であろう。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2016年11月3日付掲載≡



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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

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