【日日是薩婆訶】(14) 雑用というものはなく何の道でもそういうものでは…

愈々、8月22日から庫裡の改修工事が始まった。しかし、お盆明けから間もないその時、庫裡の内容物は未だ相当残っていた。書籍の移動や箪笥運び等は友人や業者に手伝ってもらい、半年も前から進めてきたのに、である。大工さんたちにも手伝ってもらい、残っている物の汚れを拭き取り、或いは運び、或いは処分した。中には、100年以上前から保管されていた文書等もあり、物によっては宝物庫へと運んだ。段々空になっていく建物は、急速に廃墟の雰囲気を帯びてくる。これは不思議だが、建物自体が見捨てられることを感じたように、何となく荒んでくるのである。人であれば“グレる”感じに近い。物が粗方搬出されると、誰もが畳の上を土足で歩くようになる。恐らく、そのことも“荒み”“グレる”ことに関係しているのだろう。しかし、今回の工事は、200年以上前の通し柱や梁を再び使う予定だ。古い板戸等も保管し、再生させるつもりだから、何れ建物もわかってくれると思うのだが、今は兎に角、破壊に似たトレンドが現場を支配し、“荒み”ゆく寂しさを禁じ得ないのである。そんな中、今回は4人の大工さんの内、一番新入りの菊地匠平君のことを紹介してみよう。昨年4月に入社した彼は現在、『㈱加藤工匠』勤務約1年半。高校を出て『東北職業能力開発大学校』に4年間通い、間もなく、この2つ目の現場で24歳になる。去年、初めて本堂の現場に来た時、彼は最初に古い押し入れの解体を命じられた。命じたのは、現場棟梁の高橋洋二さんである。解体した木っ端や埃が外部に漏れないよう、その作業はブルーシートの中で行われた。外に漏れないのはいいが、内側は大変な状態で、その中で匠平君は埃塗れ・汗塗れで作業していた。そんな時、私は初めて匠平くんに挨拶したのである。確か、「いやいや、これは大変だね。宜しく」等と軽い言葉をかけたような気がする。その時、彼はあまりに酷い状況だったせいか、私を睨んだまま返事をしなかった。無言のその目は、「大変ですよ、ほんとに」とでも言いた気だった。「ああ、これは続くだろうか…」。私は正直なところ、そんな不安を感じたものだった。

宮大工さんの世界は、色んな面で禅の道場に似ている。新入りは全ての先輩に気を遣わなくてはならないし、作業の下準備から片付けまで全て率先し、しかも最後までしなくてはならない。10時と15時にきっちりお茶を飲むのも僧堂と一緒だが、無論、その準備は新入りの仕事である。仕事が終わり、宿舎に帰っても、多分、食事の準備から片付けまで、多くの負担が匠平君にかかってくる。明朝の食事の準備までしてから、漸く最後に寝るのだろう。風呂はいつ入るのか知らないが、先輩である高橋さん・奥山さん・伊藤さんの後であることは間違いない。新たな後輩ができるまでこれは続くから、今の若者に限らず、新入りの時代は昔から相当厳しい試練だった筈である。道場でもそうだが、逃げる人は先ず間違いなく1ヵ月以内に逃げる。世間からすれば、あまりに不平等に思え、その扱いに耐えられなくなるのである。ブルーシートの中で私を睨んだ匠平君に、果たしてこの職場が続くのかどうか、私は陰ながら心配だった。他にもう1人、匠平君の直ぐ前に入門(入社)した若者は、間もなく辞めたらしい。しかし匠平君は、その後も時々、高橋さんと一緒に現れ、父の葬儀の為の仮設焼香台等を造ってくれた時も一緒だった。「おお、未だいる…。未だ残って頑張っているんだ」。顔を見る度にそう思い、嬉しかったのだが、今回改めて庫裡の工事に参加した匠平君に接し、心強く感じたのである。兎に角、彼の動きには迷いが無くなった。今回の現場では、ブルーシートの中の作業以上に大変なことも多い。いらなくなった木造部分の解体、畳運びやゴミの分別、或いは壊した壁、使っていた便器の搬出等、高橋棟梁・奥山さん・伊藤さんに言われた全ての作業に、彼は迷いなく取り組んでいる。“迷いなく”というのは“好き嫌いや分別を働かせず”ということで、これは禅の修行にもそのまま通じる。「こんな楽しいことはない」と言いつつ畳を運ぶ高橋棟梁だから、自ずとそんな気分も学ぶのだろう。昔はよく、「尺八の師匠に入門するのに庭掃除を半年もした」とか、「書生に入った筈なのに子守りばかりさせられた」といった話を聞いたものだ。今ならブラック企業と呼ばれるかもしれないが、何の道でもそういうものではないだろうか。雑用というものはなく、全てが自分の仕事に後に役立っていく。そう思えなければ、大きな仕事はできないのではないか。




以前、ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈博士が、「アメリカでの研究時代、自分の車を洗っていて教授に叱られた」という話を読んだことがある。叱った教授は、「そんな暇があったら何故研究しないのか」「そんなことはお金を出してでも他人に頼み、自分は研究に専念するようでなくてはいけない」と言ったそうだ。そういうアメリカ風の考え方も全否定はしないが、日本にはやはり別な考え方があるのではないだろうか。荘子の『無用の用』を持ち出すまでもなく、単純な経済価値で物事の価値は測れない。匠平君とて、釘を打ち、板を切り、学校で学んだ様々な技術をもっと活かしたいだろう。その技こそを磨き、「余事に感けるな」というのが江崎博士の師匠風なのかもしれない。しかし、新入りにはまだまだ見えない大工さんの広い世界がある。何が余事かは、自分ではわからない。そんな道の入り口での幅広く深い体験を、匠平君は今、しているのである。ある時、池の鯉が死に、私がいない間に匠平君が埋葬の為の穴を掘ってくれた。女房は「住職(私)が埋葬するので、そのまま鯉は放置していい」と言ったらしいのだが、私が行ってみると、既に匠平君が埋葬してくれていた。恰度お茶の時間で、私が匠平君にお礼を言うと、高橋棟梁が代わりに答えた。「匠平、何でもできて嬉しいよな。有難いよな」。後は、奥山さん・伊藤さん・匠平君3人の笑い声ばかり。こういう先輩たちに囲まれ、匠平君は大きく成長していくのだろう。今回は、逞しく成長した匠平君と、その将来に「スヴァーハ!」を捧げよう。ところでさっき、あまりに不平等と思って逃げる話を書いたが、誰もが通った道の最初の難関近くにいるのが匠平君で、高橋さんたちは既に8合目辺りまで上っていると考えればどうだろう? そう考えれば、彼らの世界も禅の道場も寧ろ平等で、「新入りはきつい」という点でも一貫して平等ではないか。或いは、新人や先輩という“役”と考えてもいい。色んな“役”を次々に熟していくのが、伝統的な“道”を歩む人の生涯ではないだろうか。そして匠平君は、誰かに言われてではなく、既に直感的にそのことを感じ取ったように思えるのである。それにしても、加藤工匠に入社した“匠平”とは、あまりに字面が整い過ぎていないだろうか? 匠平君に名前の由来を訊くと、父親は大工さんで、“平成の匠”の意味を込めたとのこと。兄や姉の時、敢えては望まなかったことが、次男の匠平君に託された。しかも、加藤工匠の丘ではなく、平成の匠だというのだから気宇壮大である。毎日朝7時半から18時まで、きっちり働いてくれる大工さんたちに感謝しつつ、庫裡改修序盤のご報告としたい。

扨て、最近は大工さんたちの作業に追われるように引っ越し作業の日々なのだが、8月末からまた講演が始まった。『寺院ルネッサンス』という運動をご存知の方はおいでだろうか。今回は、その運動を牽引する東京の石屋さん、『㈱アイエム』主催による東京のお寺での講演に出かけてきた。会場になったのは、東向島の法泉寺という曹洞宗のお寺。講演前に、本堂裏手の墓地改修現場を見せて頂いた。檀家数も相当あるようだが、その全ての寺墓地を、排水や耐震等の観点から全体的に設計し直し、費用はお寺持ちで造り替えている最中だった。墓地改修の委員の方にもお目にかかったが、当然のことながら全体的な改修に反対し、「自分のところは今のままでいい」という方もいる。そこで、住職が檀家さん其々に一々面談して気持ちを確かめ、委員と一緒に確認しながら事業を進めたらしい。若い西山住職ご夫妻は、実に誠実でエネルギッシュ。また、住職の父親が事務局長という珍しい布陣だが、これもこのお寺では上手くいっているように見えた。「都心に震災が来たら…」という不安は、遠くにいると漠然としているが、現場では着々と手当が行われているのをまざまざと感じた1日だった。各お寺によって望ましいやり方は違うだろうが、確実に墓地が保存できる方法を考えてほしい。帰りは寺院ルネッサンスの車で上野まで送って下さるというし、「どこか寄りたい所があれば…」と訊いて下さったので、お言葉に甘えて『芭蕉庵』跡地と『芭蕉記念館』に連れて言って頂いた。芭蕉庵の跡地が芭蕉稲荷神社になっていたのは驚いたが、芭蕉記念館では多くの文人たちの芭蕉に纏わる作品が拝観できた。芭蕉繋がりで申し上げれば、最近送られてきた著者からの謹呈本に、『ヴァーサス日本文化精神史』がある。謹呈される本は多く、実際に読むことは断念するものも多いのだが、この本は違った。著者は東京在住の坂口昌弘という方で、どうやら俳人らしい。釈迦vsイエス・キリスト、孔子vs荘子、陶淵明vs李白…等という目次を見ているだけでそそられるが、何より坂口氏は、芭蕉における荘子の影響を具体的に検証していらっしゃる。私自身、芭蕉には荘子の匂いを強く感じ、そのことを本にも書いてきたのだが、この本では幾つもの句が提示され、『荘子』における典拠まで示される。こういう検証をする人がいたことに、私は改めて驚いたのである。未だ読了していないが、後半には松尾芭蕉vs小林一茶、南方熊楠vs釈迢空、白川静vs梅原猛…等もあって、楽しみである。本当は引っ越し後の整理をすっかり済ませ、日常的な時間に戻ってからじっくり仕事したいのだが、そうすっきりは行かない。日常も回復しながら、じわじわ整理も怠らない。女房には尻を突かれるが、私はそう思うしかない諦念の中で“応化”する日々なのである。「ピンポーン」。あ、この仕事場から一番遠い玄関に客だ。仏像と軸物を新調した檀家さんが、開眼供養の前に現物を持参したのだ。「はい。今、行きます。2~3分そこでお待ち下さい。直ぐ行きます」。仕事場が境内の西の端にあり、玄関は東の端にある。この現状は2年以上変わりそうにないのだが、雪が降ったら大変だろうなぁ…。風呂は私の仕事場の隣にあるから、その際は東の端からここまで移動しなくてはならない。まぁ、槍が降る訳じゃなし、日々是散歩の新たな日常にも「スヴァーハ!」である。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2016年10月号掲載



スポンサーサイト

テーマ : 仏教の教えと世界観
ジャンル : 心と身体

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR