「百田尚樹さんに40年の絆がわかるのですか」――追い詰められた『殉愛』、やしきたかじん長女が明かす“父娘の真実”

出版差し止め訴訟と暴露合戦でドロ沼状態に陥っている『殉愛』。著者の百田尚樹氏からツイッター上で批判されているやしきたかじん氏の長女(41)は、「脅迫をやめてほしい」と憤る。そして長女が初めて明かした父娘の“40年の絆”の真実とは――。 (本誌 徳丸威一郎)

父・たかじんが有名歌手・タレントであっても、私は家庭の主婦であり完全なる私人です。けれど、『殉愛』の出版で壊滅的な精神的打撃を受けただけでなく、百田氏からはツイッター上の書き込みによる誹謗中傷を受け続けています。本の中で「これは真実だ」と繰り返していますが、私が一度も取材を受けていないことは既にお話ししたとおりです。名誉毀損とプライバシー侵害・父への敬愛追慕の念の侵害を訴え、出版差し止めと損害賠償を求めて版元の幻冬舎を提訴したばかりですが、百田氏は私が裁判で違法性と問うている箇所をツイッターで繰り返し書き込んでいます。これでは“セカンドレイプ”されているのも同然です。そればかりか、「まだまだおぞましい話がいくらでもある」「ここにも書けない話もある」「すべては法廷で明らかになる」など、常軌を逸した脅し文句の書き込みを続けています。『殉愛』に関して批判された内容については完全に居直りを決め込み、不法行為を重ねているのです。「脅迫はやめてほしい」と言いたい。弁護士さんと相談のうえ、近く日本弁護士連合会に人権救済を申し立てたいと思っています。加えて、「度重なる誹謗中傷で精神的に深い傷を負わされたため、傷害罪で百田氏を刑事告訴することも視野に入れている」と申し上げておきます。




長女は1973年、たかじん氏の一人娘として生まれ、1980年に両親が離婚した後は母に育てられた。百田氏は同著で「たかじんは娘が妻の胎内にいるときに家を出ている。その後もほとんど別居状態だったから、2人の間に普通の父娘のような交流はなかった」と断じている。一方、冒頭の裁判の訴状には「原告(長女)は故隆仁氏を父として慕い、故隆仁氏も原告を様々な形で支援しその愛情を表現してきた」と記されている。

父は私が物心つく前に女性問題で家を出ましたが、父と一緒に暮らした記憶もあります。確かに絵に描いたような“ファミリー”ではなく、辛い思いもいっぱいしています。でも幼い頃から、そして成人後も父とは定期的に会っていました。幼い頃から父は普段はそばにいなくても、誕生日やクリスマスといった時には必ず駆けつけてくれる大事な存在でした。百田氏は「たかじんが娘のメールに激怒したのは長年の父娘関係の積み重ねのせいであったのかもしれない」(抜粋)などと書いていますが、なぜこんなことが書けるのか。生前の父とは面識がなく、娘の私には一切取材しなかった百田氏に、父と娘の真実の関係が分かるはずがない。父と私は断絶も絶縁もしていないし、家族崩壊もしていません。

父のことで思い起こされるのは、1995年1月17日の阪神淡路大震災です。早朝、「大丈夫か」と一番に電話をくれたのが父でした。当時、私は京都で1人暮らしをしていました。揺れが収まった直後に電話が鳴り、心配そうな父の声が受話器から聞こえました。私が中国・上海で留学を始めた2000年夏、危なっかしい娘を心配した父が2泊3日の慌ただしい旅程で上海を訪ねてくれたことも忘れられない思い出です。父は「観光は一切いらん」「中華料理は食べたくない」などと言いながら、蒸し暑い昼間は冷房の利いた部屋でゴロゴロして、夕方になると私の友人たちも連れて食事に出かけたものです。私が古いアパートに住んでいると話したら、「どんな所に住んでいるか知りたい」と身に来ました。「すごくボロっちいやろ?」と言うと、父は「自分が20代に住んでいたお寺の下宿に比べれば全然上等や」と言っていました。父はファンクラブ会報にこんな一文を寄せています。「当然、夜のクラブ活動も行って来ました。これが、ヨイヨイ? ムッハハハ! 娘がついて来なければ。その馬鹿娘は今年から師範大学に入りました。日本で言う、教育大学です。中国語がいい加減なら連れて帰ろうと思っていましたが、どうにかペラペラ喋っていたので置いてきましたが。人の人生は分からないものです。まさか中国に嵌るなんて。でも、此れも出会いでしょう。親として(頼りない)知らん顔して見ていようと思います」。そう、こんなこともありました。昔、父に宛てた手紙がテレビ番組で朗読され、父は大泣きしてくれたのです。はっきりとは思い出せませんが、「親子は良くも悪くも似るんだね」「まだ子どもがいないから分からないけど、自分が将来、親になったら少しは父親の気持ちが分かる日が来るのだろうと思う」――そんなことを書いたように思います。

百田氏は「闘病中の父を2年間、一度も見舞いに来なかったのはなぜか」と長女への批判を展開する。その闘病生活を支えたのが、2011年12月に知り合い、死の2ヵ月前の2013年10月に結婚したさくらさんだ。訴状には「原告との間に壁を作り、原告に対して病院の名前さえ教えず見舞いにも行けない状況をつくりあげ、故隆仁に原告を無視するように仕向けたのは、すべてさくらである」とある。

見舞いに行かなかったのは事実です。なぜか父が一方的に私の電話やメールを無視するようになり、病状も入院先も把握できなくなりました。マネジャーのKさんに尋ねても、「今は誰とも会いたがらない。痩せたりしているから」との返答でした。私たち親族は「時期が来たら連絡があるだろうから、それまで待とう」と決めました。そんな具合に父から無視されるなかで、私はさくらさんの存在を知りました。娘を遠ざける一方で、年の離れた若い女性がずっとそばで世話をしている事実を知ったのです。紆余曲折があって、私はいつしか父に連絡しなくなりました。父の方から連絡してきてほしいとの思いもあった。父と私は普通の親子と変わらない愛情や絆で結ばれていましたが、40年の間にいろいろなことがあったのも確かです。でも結局は血のつながった親子。心底憎むことはありませんでした。

ただ、父が生きている間は私も意地を張って素直になれない面はあった。百田氏は同書で、父と私たち遺族とが絶縁状態であり激しく仲違いをしていたという事実に反する記述をしていますが、あまりに乱暴で短絡的すぎます。また、「父が娘を憎んでいた」「証拠の録音テープもある」などとも言いますが、これが最大のミステリーです。父は食道がんの告知を受けた際、私にまず電話をしてきた。残念ながら父はその時はうまく伝えることができず、「今度会った時に話そう」とのやり取りで終わりました。でも、娘が憎くて仕方がないならわざわざ電話してくるとは思えない。でも私からすれば、がん告知されたことを電話で知らせようとした父の行動はごく自然なものと感じる。父から疎外される理由が思い当たらないからです。2年に及ぶ闘病生活の中で、なぜ父は私を憎むようになったのでしょうか。私に悪意を持つ誰かに何かを吹き込まれたか、あるいは精神的に頼っていた誰かに洗脳されてしまったのではないか。むしろ、そう考えれば納得できます。

たかじん氏の約9億円の遺産を巡っては、不可解なことが多い。たかじん氏の金庫にあった2億8000万円のうち、妻のさくらさんが「自らの取り分」として1億8000万円を持ち出したのは最大のナゾだ。遺言執行者の解任審判で提出された陳述書に、その核心部分が書かれているという。

遺言執行者であるA弁護士の陳述書には、次のように書かれています。「さくら氏から『相談があるので自宅に来てほしい』と言われ、1月23日(ひょっとすれば1月17日だったかもしれません)、自宅を訪れました。さくら氏から言われたことに驚きを受けました。その内容は、『自宅金庫の中の現金は私のものだったことにして欲しい』というものでした。私は遺言執行者として、『自宅金庫内の現金はたかじんさんの相続財産である』という認識だったので、そのようなことはさくら氏の将来を考えても『絶対にしてはいけない』と強く説得しました。その場でさくら氏は不服そうでしたが、一旦は納得されたように思われました。1月28日、さくら氏は『実はたかじんさんと契約がある』として、さくら氏とたかじんさんとの契約書を見せられました。その契約書によれば、『自宅金庫内の現金は、ほぼさくら氏のものになる』。その契約書の内容を認めてもらいたい、との話がありました」(陳述書から抜粋)。こうした経緯があって、10月に作成された遺産目録には“現金1億円”と記載されました。では1億8000万円はどこに消えたのか。さくらさんは「あの陳述書にある私の発言は全部嘘です」と話しています(『週刊新潮』2014年12月18日号)。けれど、その場その場で変わるさくらさんの発言を果たして信じていいのか、さっぱり分かりません。

本誌はさくらさん・A弁護士に改めて取材を申し込んだが、返答はなかった。




■『殉愛』への疑問と身にしみたタブー 『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』著者・角岡伸彦氏
「取材もせずに陰で支えてきた人をなぜたたくのか、意図がわかりません」。『殉愛』より約2ヵ月早く、たかじん氏の評伝を発表した角岡氏。読み込んだ『殉愛』の単行本には、50以上の付箋が挟まれている。全てが事実かどうか、疑問がある箇所という。角岡氏は百田氏が取材しなかった長女や元マネジャー・K氏、前妻や高校時代の友人らから聞いた話を基にたかじん氏の生涯を綴った。ところが、さくらさんをはじめテレビ関係者ら『殉愛』の登場人物の多くからは取材を断られたという。角岡氏が最も疑問視するのは、たかじん氏と長女の関係。十数年前に放映された番組で長女からの手紙が読まれると、たかじん氏は号泣した。「親子関係は決して悪くなかった。がんについて長女が送ったとされている『自業自得』というメールも本当かどうか疑問」と指摘。絶縁状態のように描かれた実家との関係も、父親の葬儀に参列し母親は事務所の取締役にも就くなど食い違う。さらに、さくらさんは何度かの離婚歴を認め、百田氏も「知っていた」と説明したが、作中でさくら氏は「結婚生活というのが、具体的にイメージできません」と話したと記されている。「離婚歴を知っていたのであれば、このセリフはあまりに不自然です」(角岡氏)。この他にも、▽関西出身のさくらさんが“関西の視聴率男”たかじん氏を知らなかった点▽がん発覚直後、さくらさんがK氏らと一緒に『がん撲滅チーム』を作ったことに触れていない点▽K氏の給料が実際より高額――など、疑問点は枚挙にいとまがないという。

角岡氏は自著で、たかじん氏の父親が韓国籍と明らかにした。たかじん氏は生涯この事実を伏せていたが、芸能界を上り詰める原動力になったと角岡氏は判断。裏付けのため地元住民や古い友人ら10人以上に確認し、書くべきかどうかギリギリまで悩んだという。「取材対象者が知られたくない事実を書く時は、怖いとさえ感じます。百田氏は本誌誌上で『今思えば、長女に事実確認した方がよかったかな』と答えていますが、ノンフィクションを書くということはそんなに軽い作業ではない。裏付け取材がなされておらず、“真実の物語”か疑問です」(同)。さらに、角岡氏はたかじん氏のCDボックス用に発売元のビクターエンタテインメント社から解説文を依頼されていたが、突然ボツにされた。ある週刊誌からは矛盾点を突く特集記事用に取材を受けたが、編集者から後日、『弊誌では企画を進行できなくなった』と連絡があったことも明かした。「ベストセラー作家の百田氏に遠慮したのかも。“殉愛”騒ぎに巻き込まれるのを避けたのでしょう。最近では最大の“文壇タブー”です。ネット上では大騒ぎになっているのに、テレビはともかく週刊誌さえこの問題をなかなか報じませんでした。息苦しい、イヤな感じがしますね」(同) (本誌 竹田直人)

■ノンフィクションの作法を知らない 作詞家・及川眠子氏
「なぜウラも取らずに、1人の人間を犯罪者だと決めつける?」。代表曲『東京』をはじめ、たかじん氏の楽曲の作詞を数多く手がけ、ツイッターで『殉愛』批判を展開した作詞家の及川眠子さんに聞いた。

「ノンフィクションといいながら記述があまりに一方的」ということに尽きます。批判的に描かれている長女と元マネジャーのKには、会いに行ける状況にありながら取材もしていません。Kは会社のカネを使い込んだかのような“犯罪者扱い”で、決して許されません。私はKにも会ったことがあります。「確認せずにここまで書くのはどうよ」という怒りが湧きました。これは言葉の暴力です。一方で、さくらさんの“献身さ”を示すために必要な人たちは大勢登場しており、都合が良すぎます。優れた作品は「ちゃんと取材している」「取材相手との距離感が取れている」ものが多い。都合のいい人にだけ取材して、想像で書くものはノンフィクションとは思えません。さくらさんの言い分だけを信じ込んでしまったのではないか。とても冷静な状況で書かれたものではないような気がします。私が書いた『エゴイズム』の詞も引用されていましたが、肝心な部分はカット。女の怖さを書いたのに、ただの“浮気OK”な歌になっていた。たかじんが詞の意図に気付かないはずがない。浮気の言い訳にあの歌を使うわけがないんです。さくらさんとは2度お会いしました。追悼番組で初めてお会いした時は、「感じのいい人だな」と。ただその時、骨壺を首から下げてスタジオに来ていたので驚きました。3月の『偲ぶ会』では『Office TAKAJIN』の名刺を渡されたので、「(旧来の事務所と)今後、揉めるな」とは感じました。たかじんとさくらさんの関係は2人にしか分からない。ただ、どちらの敵でも味方でもない人間があの本を読んだ時、疑問と怒りにも似た気持ちが湧いて止められなかった。たかじんを愛し、支え続けた人たちを傷つけないでほしい。私の願いはそれだけです。 (構成:本誌 北川仁士)


キャプチャ  2015年1月4日・11日新春合併号掲載


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