【日日是薩婆訶】(15) いったいこの気分は何なのか次第に正体が見えてきて

今年8月8日、天皇陛下がビデオメッセージを出された。煎じ詰めると、その内容は、「自分も年老いてきて病気もしたので、生前退位を考えたい」ということのようだった。退位した天皇が上皇となり、仏道に帰依して法皇と呼ばれた時代もあるが、明治以降では初めての事態である。この問題は『皇室典範』の修正、場合によっては憲法条文の改変等、法的な対処を伴う為、天皇が政治に関与した印象を残さないよう、文章も慎重に練られていた。ビデオメッセージによる国民への直接発信は、恐らく、現陛下が東日本大震災後の3月16日、初めて採用されたやり方だが、ある意味では“玉音放送”の継承も思わせる。震災直後のメッセージには本当に多くの被災者が励まされ、力を戴いたが、今回は少々趣が違っていた。天皇陛下の今回のメッセージについて、些か考えてみたい。ビデオを拝見し、またインターネット上から文章をプリントアウトして何度か読んだが、仰ることは本当に尤もなのである。「象徴天皇制という制度の現在と過去を熟知・熟考され、その上で制度自体の将来について最もお考えになっているのは、間違いなく陛下ご自身なのだろう」と思える内容であった。特に昭和天皇の死後、直ぐさま2ヵ月もの“殯”と、その後、1年間の喪儀が続き、更に新時代に関わる行事が同時進行した前回は、相当大変だったのだろうし、「それはできれば避けたい混乱だ」という見方にも、後続の人々への思いやりを感じた。摂政を立てて天皇自身の公務を減らし、そのまま天皇であり続けることを潔しとしないご心情も理解できた。だから、「何とか皇室典範の修正程度のことで、早く願い通りにしてあげたい」――。そうは思ったのだが、しかし、どうもどこかに落ち着かない気分があるのである。一体、この気分は何なのか。自分でも直ぐにはわからなかった。しかしその後、有識者会議のメンバーが決まり、陛下の意向に沿った審議が先月に始まることがわかってくると、自分の中で蠢く気分の正体も次第に見えてきた。どうやらそれは、天皇という存在の宗教的カリスマが減衰するという寂しさに似た気分なのである。

「天皇陛下が宗教的カリスマ?」と疑問に感じる人々も、今ではいるかもしれない。しかし、私の中で天皇陛下は、皇后陛下と共にこれまで、ドーナツの中央の穴のようにドーナツをドーナツたらしめる空虚、日本を日本たらしめる神聖で深い空洞のような存在だったのである。無論、「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」という条文は大日本帝国憲法(第3条)であって、現在の憲法規定ではない。1946年の元旦に昭和天皇は『人間宣言』をして、“現人神”であることを否定されたのだし、同じ人間であるのは間違いないのである。しかし、昭和天皇はその後、全国各地を巡幸され、人々の崇敬を集め、戦前とはまた違った形で一種の“信仰”を培ってこられた。「一度お会いになった相手の顔と名前は決して忘れない」という人間離れした能力も示され、明らかにある種の神聖な存在に戻っていったのではないだろうか。大体、殆ど修辞を用いない単純極まりない日本語が、あれほど心からの言葉に聞こえる存在は他にいなかったではないか…。今上陛下も、被災地への慰問と、海外も含んだ戦没者の慰霊を繰り返され、人々の心の底に潜む幽き気持ちを代務され、人々の崇敬する存在になっていった。美智子皇后と共に、象徴天皇とは如何なる存在なのか、お考えになった上での行動ではなかっただろうか。慰霊・慰問・慰撫…どれもこれ以上ないほど宗教的な仕事である。日々の宮中での宗教的祭祀は勿論のこと、その他にも、お2人は無数の宗教行為を重ねてこられたのである。特に東日本大震災の後は、手術後のお体であったにも関わらず、7日毎に7回、まるで49日までと決めていたかのように被災地訪問を繰り返された。ビデオメッセージと相俟って、被災地の人々に絶大な存在感を示されたと云えるだろう。私は、美智子皇后の文章力にも相当心服しているが、それは恐らく“神聖さ”には繋がらない。お2人の宗教的カリスマは、やはり無言の宗教行為の積み重ねによるものだと思う。そのような天皇陛下が今回、ご自身の“老化”を告白されたのである。2003年には前立腺癌の摘出手術を受け、2011年2月には心虚血状態が判明して検査入院。さらに翌年2月、冠動脈のバイパス手術を受けられた。検査と手術の間に東日本大震災の被災地を何度もご訪問下さったのだから、一瞬、「不死身なのか?」とさえ思う。いや、思うというより、これは“願い”なのだろうか…。大抵の老人は、老齢でそれほどの手術を受ければ、以後の生活は一変してもおかしくない。それがそうはならなかったし、避難所で跪かれる姿に接し、我々は驚きと共に崇敬の念を高めたのではないか。しかし、実は不死身でも平気でもなく、本当は陛下も寄る年波には勝てず、所謂“老化”によって「次第に進む体の衰えがある」と仰り、「公務を間違えることもあった」と正直に告白されたのである。恐らく、私の中には「カリスマは老化しない」、いや、「老化はたとえあっても見たくはなかった」という気分があったのではないだろうか。昭和天皇の最期近く、毎日の新聞に脈拍・心拍数・血圧・体温等が出ていたが、38℃以上の熱があっても、呼吸数は十三だったことをはっきり覚えている。それは、並の人間には通常、不可能な数字だったから、並じゃないことを私は密かに喜んだのだろう。




今回のお言葉の中では、天皇陛下が「個人としてこれまでに考えてきたことを話したい」と仰ったのが、特に印象深かった。「陛下や皇后陛下と雖も、そりゃあ“個人”はあるだろう」と、人情としては思う。しかし、“宗教的カリスマ”としてその存在を仰ぐ立場からは、どうしても“カリスマ性の減衰”と思えて仕方がない。「“個人”のこ希望を何とか叶えて差し上げたい」とは思うものの、素より“個人”はカリスマではあり得ないことが只々寂しいのである。同じ8月に『SMAP』の解散が決まったことも、平成を代表するアイドル(偶像)解散と見えて興味深い。多少強引な解釈かもしれないが、天皇陛下の生前退位と通じる気分があるとすれば、それは“聖性の小粒化”かもしれない。尤も、この国には“やおよろず(八百万)の神”の伝統があるから、驚くには値しないのかもしれない。明治初め、一神教の神に準え、国家神道の中心に据えられた天皇は今、漸く古代の活き活きした神々の位置を取り戻したのかもしれない。扨て、そんな中でもお寺の工事は随分進捗している。8月22日に足場を組み始め、1ヵ月余り経ったのだが、今や庫裡全体が殆ど骨組みだけになり、屋根の覆いも出来て、その中で茅を下ろし始めた。屋根から下ろすのが4人の鳶職さん、下でそれを纏め、トラックに積み込む準備を4人の大工さんたちも手伝っている。本堂の時と違い、庫裡の茅は煤に塗れている。これを動かす度に黒煙が舞い、辺りは煤だらけである。皆、防塵マスクは付けているものの、体中真っ黒になっての作業である。下では前回紹介した匠平君も頑張っているが、覆いの中で作業する『㈱総建』の鳶職さんたちはもっと過酷である。今回は、少し鳶職さんたちのことを紹介しよう。鳶という仕事は兎に角、高い場所での作業が多い。ちょっとした油断が命取りになる。だからだろうか、上の人が下の者を叱りつける声が常に聞こえている。「馬鹿野郎」「間抜け」「早くしろ」は日常語。返事の声が小さくても、大声で叱られるのだ。鳶職の4人組の中にも入社間もない若者がおり、恐らく匠平君より少し若いと思うのだが、この彼がいつも叱られる為、怯えている。しかし不思議なことに、彼らは仲良く1台の軽自動車で山形から往復し、お茶も休憩もその狭い車の中でしているのだ。「車の中にいる時は叱らない」というルールなのか、それとも彼らの怒りは尾を曳かないのか、兎に角、車中ではいつも大人しく、仲も良さそうなのだが、休憩が終わって仕事し始めると、直ぐにまた怒声が飛ぶのである。ある日、あまりの過酷な労働に感謝する意味で、知り合いの食堂へ行って「好きなものを食べてくれ」と言ってみた。彼らはいつも近くのスーパーでお弁当を買い、それを軽自動車の中で食べたりしていたのである。

女房とお昼を食べながら、「彼ら、何を食べるのかな」「上の人が頼んだものと皆、同じにするのかな、それともその辺は自由なのかな」等と話していると、一番下っ端の彼氏がやって来て言うではないか。「今日はお気持ち有難うこざいました。だけど、服があまりに汚れているので他の客にも迷惑ですし、行きませんでした」。お見事、と言うしかない。またある日、茅を屋根から下ろす作業が急ピッチで進められ、誰もが顔を真っ黒にしていた日だが、仮住まいの建物のほうまで細かい煤が飛んできた。女房が台所や廊下をモップで拭くと直ぐに真っ黒になるほどだったが、「彼らは、これをもろに被って作業している」――そう思うと何も言えず、私は風呂をいつもより念入りに洗い、それから風呂の隣の仕事場で原稿を書いていたのである。暗くなり、仮住まいの建物に戻ろうと門灯を点け、ドアを開けて驚いた。いや、相手はもっと驚いたに違いないのだが、ドアの直ぐ前に仮設した水道の蛇口にしがみつくように、例の鳶の若者が素っ裸で佇んでいたのである。顔にはいつもの怯えが浮かび、両手は胸元に寄せられ、腰は引けている。きっと、どこまでも入り込んだ煤を、せめて水道で洗い流してから帰ろうと思ったのだろう。時々、そこで顔を洗うのを見かけたことはあったが、今は一糸纏わぬ全裸である。しかも、私は痩せても枯れても一応、施主である。彼の困惑を思うと、こちらこそ大いに困惑するのだった。「お疲れさん」。そう言って、私は通り過ぎた。彼は言葉にならない音を口から発したが、直ぐにまた体を洗い出した。その後、現場棟梁の高橋さんが事務所から降りて来て、やはりそこを通ったらしい。彼は「おぉ、いい体してんなぁ。それならお姉ちゃんもお母ちゃんも大喜びするぞ」と言い、相手も笑ったそうだ。私は、鳶の彼の困惑を解いてあげられなかった自分の力不足を痛切に感じ、深く反省したのである。反省のせいか、全裸で困惑する彼の姿が目に焼き付いて離れない。今回は、その鳶職駆け出しの彼に特大の「スヴァーハ!」を送り、健闘を称えたい。天皇陛下とは何の関係もないが、八百万の中には困惑する全裸の神がいてもいいだろう。お彼岸も終わり、そろそろ講演や対談の予定が近付いている。このところ、私はロバート・キャンベル先生との対談の為、今まで嵌まったことのない正岡子規の本等を読んでいる。また、滋賀県の永源寺開山寂室元光禅師650年遠諱の記念講演の為、その語録や師匠であった中峰明本禅師の『中峰広録』等を読んでいる。実は、寂室禅師はうちの寺の開山である復庵宗己禅師とも同参であり、同じ幻住派の禅将である為、思うことも多い。しかし、これはまたにしよう。今回は、陛下の八百万的神性獲得と、鳶の若者の“いい体”に「スヴァーハ!」である。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2016年11月号掲載



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